3.夢と憧れ
私には、夢があった。
幼い頃に見たお伽噺。人が怪物と渡り合い、世界を救う物語。
それの元になった、オラクルという存在。
私はいつかそれになるのだと、信じて疑わなかった。私には、それだけの才能があるに違いないと信じていた。
事実、私には才能があった。10歳を過ぎる頃には周りの大人にも勝てるくらいになり、周囲からも天才ともてはやされ。
養成所に入っても私は常に天才であり続けた――そう、彼に出会うまでは。
ウィルに敗北し、自らの不足を知り、私はまた強くなったと思う。
パラディオンになってからは、単純な強さが通用する相手と戦う事は少なくなったが、少なくとももうウィルに負ける事は早々ないだろう。
だから、私は知りたかった。
知りたかっただけなのだ。
私は今、夢にどれだけ近づけたのだろう――?
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一体、どうしてこんな事になってしまったのか。
僕らはさっきまで姉さんと暖かく団らんしていた筈なのに――どういう訳か、本部の中にある訓練所に来ていた。
ミラの申し出に訝しげな表情をしつつも、姉さんは幾つかの条件を付ける事でそれを受け入れた。
一つ、こちらの扱う武器はこちらが選ぶこと。
二つ、そちらは実戦用の武器を使うこと。
三つ、これは僕らに向けてのものだが、戦いの内容は言い触らさないこと。
この三つの条件を受け入れたミラと僕らは、本部の訓練場を貸し切って……これは姉さんの権力のようなものだろうが……こうして、ここにいる。
ミラとしては――どういうつもりなのかは判らないけれど、申し出を受けてもらったのだから、願ったり叶ったりの筈だ。
ただ、当の本人はとても不服そうだった。その理由は、判らないでもない。
「……どういうつもりですか?」
「え? ちゃんと条件に出しておいたでしょう。私の使う武器は、私が選ぶって」
「ええ、それは承知しています。ですがそれは武器ではないでしょう」
ミラの言っているそれ。姉さんが手に握っているのは、比喩でも何でも無くおもちゃだったのだ。
幼子がもって遊ぶような、短剣のように短く、当然のごとく刃も無いおもちゃの剣。それを手にしながら、姉さんは不思議そうに首を傾げて。
「あら、これだって立派な武器よ? それとも……怖気づいちゃったのかしら」
「――っ、解りました、では遠慮なくいかせて貰います」
挑発するような姉さんの発言を侮辱と受け取ったのか、ミラは多少語気を荒げつつ槍を構える。
それを見て、ラビエリは少し不安げに僕の服の裾を引っ張ってきた。
「ちょ、ちょっと大丈夫なの? いくらオラクルだからって舐め過ぎじゃ」
「あぶ……ない、よ」
「……俺もそう思う。止めた方が良いんじゃあないか?」
三人の言葉は至極もっともだ。
方や、実戦用の槍。方や、子供用のおもちゃ。しかも槍と短剣のようなそれでは、有利不利はハッキリとしすぎている。
普通に考えれば、姉さんのほうが圧倒的に不利。それどころか、大怪我さえしかねないような条件だ。
「――危ないのは、ミラの方だよ」
――でも、僕は知っている。
幼い頃の姉さんの強さを。あの頃の姉さんですら、僕よりも遥かに上だった姉さん。
あの時、口にする必要は無いと思って言わなかったが――僕は、未だにあの頃の姉さんより強い相手を知らない。
その姉さんが、オラクルとなって更に強くなっているのだとしたら――
――でも、それを知っているのは僕だけで。
だから、僕の言葉に三人は訝しげにするばかりだった。
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「ふ、ぅ……っ」
……沸騰しかけていた思考を、戻す。
落ち着かなければならない。如何に相手がこちらを舐めきっているとは言っても、相手はオラクル。
彼我の差は明らかであり、こちらは舐められても仕方のない相手なのだ。
だから、憤りを感じる必要はない。私はただ、何時も通りに槍を振るえば良いのだから。
「……行きます」
「いつでもどうぞ」
おもちゃを片手に構えすらしない相手に、また思考が沸き立ちそうになるけれど、それを押さえ込みつつ――先ずは様子見を、と、その頬を掠めるように突きを放った。
体は何時も以上に軽い。恐らく憧れを前にして高揚しているのだろう、これまでにない程に調子が良いように感じる。
放たれた突きは自分でも良く出来たと思うほどに鋭く、疾く。空気を切り裂きながら彼女の頬を――掠める事無く、空を切った。
「うん、良い突きね。でもちゃんと狙わないとダメよ?」
「……っ、はい」
まるで、始めからそこを通るのだと理解していたかのように、彼女は僅かに体を動かしただけで、その会心の突きをかわし、指先で槍の穂先を軽くつついてみせる。
――ああ、こうでなくては。
明らかに格上の相手に、私は背筋がゾクゾクと震えるのを感じつつ、小さく頷いた。
そして、放つ。
一撃、二撃、三撃。今度は頬をかすめるなどという生ぬるい物ではなく、頭、胸、腹を狙い――文字通り、当たれば死ぬような突きを。
不思議と、それが当たらないという確信を放つ前からもってしまっていた。
彼女は笑みを崩すこと無く、おもちゃの剣を軽く当てるだけで槍の軌道を明後日の方向へと反らし、一歩も動くことさえなく私の突きを防いで見せる。
「――ッ、し、ぃ――ッ!!」
「狙いが解りやすいわね。素直な子」
続いて、四撃。両肩、両腿を狙った突きは、舞うような動きで――剣で払うことさえされず、かわされた。
彼女は未だに涼しい顔をしたままだ。扱っているのはおもちゃの剣で、こちらは刃のついた槍だというのに、彼女は表情を崩すことさえない。
でも、まだ。まだだ。
五撃。回避しづらいであろう胴体に絞って四撃、そして最後の一撃は薙ぎ払う。
「甘い、甘い。ウィルのお姉ちゃんだから、遠慮してくれてるのかしら」
四撃はおもちゃの剣に容易く打ち払われ、払いはひょい、と飛び越えられた。
彼女は冗談めかしてそんな事をいうと、柔らかく微笑んで――
――焦りが、顔を出す。
勝てるとは思っていなかった。負けるだろうとも思っていた。
でも――ここまで、遊ぶようにあしらわれるとは、思っていなかったのだ。
「……っ、まだ――ッ!!」
六撃。私は一息で放てる最大の突きを放つ。
一秒に満たない瞬間で放たれる六発の突きは、先程までとは段違いに疾い。
如何にオラクルと言えど、これなら掠りはする筈――!!
「あ、これは中々ね。でもダメよ、狙いがおざなり」
カン、とおもちゃの剣が槍を払い、打ち上げる。
私が出来る最大の突きはいともたやすく弾かれ――それだけではなく、手に感じた強い痺れに私は槍を取り落としそうになった。
なんだ、これは。
彼女が持っているのはおもちゃの剣の筈なのに、手に感じた衝撃はまるで岩壁にでもぶつかったかのようで――
「あら、限界かしら。それじゃあ、遠慮なく」
「え――」
――その瞬間、彼女が視界から消失した。
慌てて槍を構えなおそうとするが、次の瞬間には視界がぐるん、と回る。
突然地面が消滅し、足の踏み場がなくなって――私は、背中を思い切り打ち付けた。
「――か、はっ!?」
「はい、おしまい」
何が起こったのか理解するよりも早く、首元に何かが押し当てられる。
一瞬の内に目まぐるしく変わった状況に私は理解が追いつかず、吐き出してしまった空気を吸い、槍を構えなおそうとして――そこでようやく、首に押し付けられているのがおもちゃの刃だという事に気がついた。
「……あ」
目の前には、変わらない柔らかな笑顔。
私が現状を理解したのを察すれば、立ち上がり――隅のほうに居たウィルに、満面の笑顔で手を振った。
彼女は結局、最初から最後まで私を相手としてすら見ていなかったのだ。
――そして理解してしまった。
私では、彼女には絶対に届かない。どんなに努力しても、年老いるまで経験を重ねても――彼女の域に達することは出来ない。
私は、私が天才などではないことを、本当の意味で思い知らされてしまった。
/
「……なんだ、今の」
「アルシエル、お前さんは何が起こったのか見えたか……?」
「いっぽ、で。つめて……剣で……あし、もと……掬った、だけ……でも」
「……うん」
――決着は、一瞬だった。
始めは様子を見るようにミラの槍を受けていた姉さんだったけれど、ミラが勝負を仕掛けに行った瞬間に決着は付いていた。
ミラは地面に仰向けに転がされ、首筋におもちゃを押し当てられ――姉さんは、それを見下ろしていて。
「――見てた、ウィル? お姉ちゃん勝ったわよー!」
勝負が付けば、姉さんは先程のように変わらない笑顔で、僕の方へ手を振ってきた。
……これが、今の姉さんなのか。
あの時も充分に強かった気がするけれど、それさえ霞む程の強さ……それでさえ、手加減しているというのだから堪らない。
僕は苦笑しつつ姉さんに手を振れば、姉さんはぱあっと表情を明るくして手をブンブンと振りながら――一瞬で目の前に来たかと思えば、ぎゅうっと僕を抱きしめてきた。
「わ、ぷ――っ!?」
「ふふっ、お姉ちゃん強くなったでしょう?」
「いや、本当に凄い強さですね……」
「う、ん……すごい、しか……いえ、ない」
「ありがとう、そう言ってもらえると嬉しいわ」
柔らかな体に埋もれながら、姉さんは心底嬉しそうに賞賛の言葉を受ける。
……これだけ強くなったのに、昔の姉さんと変わってないのは、本当に嬉しい。
嬉しいのだけれど――
「……っ、姉さん、ちょっと離れて……」
「んもう、恥ずかしがらないで良いのに」
――昔と違って豊かな体になっているのに、昔のようなスキンシップをされるのは、酷く精神衛生的に良くない。
姉さんは少し残念そうにしていたけれど、勘弁してほしい。
少しすると、どこか沈んだような顔をしたミラがこちらに戻ってきて――やはり、一方的に負けたことがショックだったのだろうか?
でも相手は姉さん……オラクルなのだから、負けても仕方がない相手なのだし、落ち込む事はないと思うのだけれど。
「……ねえ、ミラさん」
そんなミラの様子に、思うところがあったのか。
落ち込んだ様子のミラの顔を覗き込むようにしながら、姉さんはどこか心配そうに……そして、不思議そうにして。
「貴女は、何を守りたいの?」
「え……?」
そして、ミラに優しく問いかけた。
ミラは突然の問いかけに戸惑いながら、少しだけ考え込んで……それでも、答えが出ないのか言葉を返せず。
「……良いわ、これは宿題にしましょう。3日後、また同じ質問をするから――」
姉さんは、そんなミラに優しく微笑みながら、まるで幼子にするように頭を撫でて。
「――その時に答えが出なかったなら、パラディオンを辞めなさい。貴女には、向いていないわ」
優しく、穏やかに。しかしはっきりと、そんな言葉を口にした。