1.懐かしき再会
「――ウィル、おいウィル」
「ん……」
肩を揺さぶられる感覚に、目を覚ます。
がたんがたん、と心地よい揺れを感じながら、僕は薄っすらと目を開けると――そこに居た、見慣れた顔に笑みを零した。
「……おはよう、ミラ」
「寝ぼけているのか、全く。そろそろ着くぞ」
軽く伸びをしつつ、揺れる馬車の外を見れば、外にはすっかり見慣れた城塞都市。
僕らは今、そこへと帰る途中だった。
――あの初任務から、おおよそ3ヶ月程の時が流れた。
あの後受けた任務は特に突発的な事故のようなモノもなく、あらかじめ教本で読んだ通りの対処をすれば問題なくこなす事が出来ていて、今日もその帰り。
3ヶ月の間に受けた任務は、最初のを含めて5つ程だけれど……僕らも、大分慣れてきたと思う。
「さあ、戻ったら祝勝会だな!」
「まーた酒を飲むつもりでしょ、このドワーフは」
ギースはまた酒を呑む算段をしていたのか、それを見たラビエリが咎める――けれど、まあ多分、この後結局酒場には行くんだろうなぁ。
アルシエルも酒には弱いのは解っているだろうに、それでもお酒が好きなのか、既に尻尾を立てながら体をうずうずと揺すっているし。そうなってしまえば、ラビエリも反対しきれないだろう。
「ミラは……」
「解っている、ちゃんと自制するさ」
僕の言葉に、ミラは小さくため息を吐き出しながら、拗ねるようにそう返して。
……初めての祝勝会の時に泥酔した挙げ句意識を失ったのが相当堪えたらしく、ミラはあの日以来酒は嗜む程度で抑えるようになっていた。
ギースは折角の酒飲みが、と残念そうにしていたけれど。その分僕が多少は付き合っているから、我慢してほしい所である。
そうして戻った後の事を話しながら、馬車に揺られること数十分。
馬車は無事正門にたどり着き、その途端にギースは我先にと酒場へと駆け出した。
「……まるで子供だな」
「まあ、ね」
「子供っていうか馬鹿だよ馬鹿」
そんなギースの様子を苦笑しつつ、ラビエリはそんな軽口を叩きながらも酒場へと歩き出す。
口が悪くとも仲まで悪いわけではなく、僕らが見ている限りは二人の仲は良好なように見えた。体格も才能も正反対だから、返って噛み合うのかもしれない。
「それじゃあ、私達も行くか」
「うん、またせるのも――」
「――なあ、聞いたか?近々――」
「へー、そりゃ凄いな――」
――そうして、何時ものように酒場へと向かおうとした瞬間。
通りすがった先輩たちが、何やら聞き捨てならない事を言っていたような気がして、立ち止まった。
慌てて振り返り、人混みの中にその姿を見つければ酒場への道を逆走して、さっきの先輩たちを呼び止める。
「あ、あの……っ!!」
「ん、どうした?」
「さっき、言ってた事――」
「さっき?」
僕の言葉に先輩たちはしばらくの間、何のことだ? と首を捻っていたが……やがて合点が言ったような表情をすれば、その表情は笑顔に変わって。
先輩たちの会話の内容を聞かせてもらえば、僕は先輩たちを見送りながら。あまりに突然の事に、頭が真っ白になってしまっていた。
それだけ、先輩たちの言っていた事が、衝撃的だったのだ。
「――おい、ウィル!どうしたんだ、急に走り出して」
「ミラ……」
ミラの言葉に、まだ上手く思考がまとまらない頭で何とか答えようとするけれど、名前を呼ぶので精一杯で。
「……ウィル?」
そんな僕の様子を察したのか、ミラは何処か心配そうに僕の顔を覗き込み。
ああ、これ以上心配させちゃあダメだ、と。何とか言葉を捻り出そうとして――
「――姉さんが、来る」
――辛うじて僕が口にできた言葉は、それだけだった。
/
酒場で、いつものようにテーブルを囲みながらの祝勝会。
アルシエルは酒を舐めつつ、ミラは軽く口を付ける程度。アルシエルはミルクを飲みながら、料理に舌鼓を撃ち――そんな中、僕は少し憂鬱というか、何というか。
悪い気分では決して無いけれど、複雑な気分で胸が一杯だった。
「で。どうしてお前さんの姉が来るとダメなんだ?」
「いや、ダメっていう訳じゃないんだけど……」
お酒を口につけつつ、小さくため息を吐き出す。
そう、ダメではないのだ。寧ろ嬉しい。
何しろ僕にとっては姉さんと母さんはたった2人の家族で、立場上滅多に顔を合わせることも出来ない姉さんが、近日中にこの本部に顔を出すのだ。
久しぶりに会うことが出来るなんて、凄く嬉しい。嬉しい、のだけれど――
「……会うの、数年ぶりなんだよね」
「あー……」
――僕の言葉に、ギースが何となく察したような顔をしてくれた。
そう、数年ぶりなのである。僕が養成所に入る前から既に姉さんはオラクルとして活躍していて――思えば、姉さんがオラクルになって以降は手紙を偶に交わす程度しかしていない。
姉さんがオラクルとして活躍する最中、僕はやっとパラディオンになって害獣を駆除し始めた、そんな程度で。
まあ、平たく言うのなら。数年ぶりに会う僕を見て、姉さんがどんな顔をするのか。それが、不安なのだ。
「だが、ウィル。お前さんの姉さんは立派な人なのだろう?」
「うん、それは間違いないよ」
ギースの言葉に自信を持って、はっきりと答える。
それは、間違いない。姉さんは凄いという言葉では表現できないくらいに、立派な人だ。
勿論強いから、というのも有る。今の僕でさえ、幼少期の姉さんにはきっと歯が立たないであろうくらいに、姉さんは強かった。
でもそれ以上に――それだけ強いのに、姉さんは優しかった。それが何よりも僕は凄いと思う。
父さんも母さんも、そして姉さんも――あれだけ強いと言うのに、僕を見下しさえせず、別け隔てなく接してくれていたのだから。
「なら別に恥じ入る必要はないだろう!これが今の俺だ!って見せりゃあ良い」
「……今の僕、か」
――姉さんがオラクルになってから、数年が過ぎ。噂では悪神の使徒を撃退した、なんて話しも聞くくらいに活躍し続けていて。
その間に僕は養成所に行って、パラディオンになって……害獣の駆除を5件、こなした。
これが果たして胸を張れる成果なのだろうか? そう思うと、また少し胸に暗いモノが湧いてくるけれど――
「家族と会うってのにあんま堅苦しく考えなさんな。お前さんは俺から見たって立派にやってるよ」
「そう、だね」
――うん。少し、固く考えすぎていたのかも知れない。
オラクルだとかパラディオンだとか、それ以前に姉さんと僕は家族なのだから……素直に、再会できるであろう事を喜ぼう。
「有難う、ギース」
「ああ……それはさておき」
素直に礼を言いつつお酒に口を付けると、何故かギースは何処か恥ずかしそうに……酒とは別の意味で、顔を赤くして。
「剣の聖女……お前の姉さんに、サインを頼めるか?」
「……あはは、多分笑顔で受けてくれるよ」
「そ……そうか、そうか!いやあ、ははは、良かった良かった!!」
そんな似合わない表情をしたギースに、ついおかしくなって笑いながら。
僕はグラスに注がれていたお酒を飲み干して、改めて祝勝会を楽しんだ。
祝勝会は夜まで続き、気付けば酒場に残っている人達もまばらになっていて。
僕らもそろそろ休まないと明日に障るか、という事でそこで解散になった。
お酒の飲み方も大分解ってきたし、おかげで最初のような妙な浮遊感はなく。熱くなった頬を撫でる夜風が心地いい。
「所で、ウィル」
「ん?」
「お前の……その、姉についてなのだが。どのくらい強いのだ?」
隣を歩いていたミラが、ふと思いついたように尋ねてくる。
どのくらい強いのか、というふわっとした質問に僕は小さく唸りながら、首をひねった。
「正直、今どれくらい強いのかって言われると……噂で聞いたくらいだけれど」
「ああいや、ウィルの知っている限りの所でいいさ。噂話はあてにならないからな」
成る程、そういうことか。
良く良く考えれば、僕は姉さんの――オラクルになる前のだけれど、その時の様子を知っている数少ない人間、という事になるのか。
噂話だと姉さんは最早英雄譚というか、吟遊詩人が語るようなレベルまで昇華されてしまっているし、参考にならないというミラの意見ももっともなのかもしれない。
「そう、だね。姉さんがオラクルになる前の時の話になるけど」
「ふむ」
「――その時点で、今の僕よりもずっと強かったよ」
「……何?」
僕の言葉に、冗談だろう? といった様子でミラは僕の顔を見る。
けれど、これは事実だ。今の僕よりも、過去の姉さんの方が間違いなく強い。これは謙遜でも何でも無く、本当の事。
僕の様子に、それが冗談じゃないと分かったのか。ミラは少し難しい顔をしてからため息を吐き出した。
「……まだ、遠いか」
「ん……どうかしたの?」
「ああ、いや、何でもない。姉さんと会えると良いな」
「あ、うん」
――ミラの呟きは聞こえていたけれど。
柔らかな言葉と共に優しく笑みを浮かべるミラの姿を見れば、僕はそれ以上問うことは出来なかった。
その後は、互いに軽く話す程度で別れ、眠りに就いて。
幸いな事と言って良いのか、僕らに与えられる任務も無く、自主訓練やら買い出しやら、後は一緒に飲んだりして過ごしていた。
/
そうして、それから3日程経った日の朝。
にわかに騒がしくなった外の様子に顔を出せば、何やら外には人集りが出来ていて――僕は、何が起きているのかを悟るとその人集りへと向かった。
「……う、わ」
「おお、起きたかウィル!来ているみたいだぞ!」
既に多くの人がその場所へと駆けつけていて、人集りの中には入れそうにもなく。
ギースの声を聞けばそちらに向かったものの、どうやらギースも出遅れたらしく、人集りの外で苦笑いをしていた。
「いやあ、気付いた時にはこの有様よ。凄いもんだな、剣の聖女様は」
「うん、ちょっと驚いた」
パラディオンとは思えないような黄色い声に苦笑しつつ、ギースの隣に腰掛ける。
でも、まあ、そうか。よく考えれば――いや、よく考えなくても、オラクルというのはパラディオンの憧れの的なのだろう。
それがこうして本部に来たのだ、そりゃあ群がるのも当たり前というものだ。
「しかしどうしたもんか。人集りが居なくなるまで待つか?」
「うん、待つよ。流石に僕の背だと割り込んだりは難しいし――」
「――あら、それは寂しいわ?お姉ちゃん、ウィルが声をかけてくれるのを待っていたのに」
聞き覚えのある懐かしい声に、心臓が止まりそうになった。
目の前にはまだ人集りがある。だと言うのに、さも当然のようにその声は耳元で囁かれたかのように聞こえて。
思わず振り返れば――
「――ねえ、さん」
「ええ、お姉ちゃんよ、ウィル。元気にしていたかしら?」
――流れるような白い髪。透き通るような、傷一つない白い肌。そして、優しい赤い瞳。
覚えている頃と比べて、大分色々と成長していたけれど……見間違えるハズがない。
僕は思わず出てしまった言葉に顔を赤らめながらも、つい破顔してしまって。
「……っ、姉さん、元気だった?」
「ふふっ。たった今、元気になったわっ」
僕の言葉に、記憶に有るままに優しく答えてくれた姉さんに、胸が一杯になってしまう。
ぎゅう。と、昔そうされたように抱きしめられて――その懐かしさに涙を滲ませながら、僕も姉さんを軽く抱き返した。
――周囲からのざわめきが聞こえるけれど、今だけは……この懐かしいぬくもりに、浸っていたかった。