9.決着、その夜
――柔肉の沼との戦いは、おおよそ終わった。
あれだけ巨大だった柔肉の沼は見る影もなく縮み、今もなお縮み続けている。
アルシエルがギース達を助けてくれたおかげで、もうあの疑似餌を作る力も失ったのか、無作為に暴れまわる事しかしていなかったが――それも、もうできないらしい。
「……お……つ、かれ、さ……ま」
「アルシエルさんの方こそ、お疲れ様。有難う、助かったよ」
疑似餌に囲まれ、ミラが倒れたあの瞬間。
視界に映ったアルシエルのおかげで、僕は何とか諦めずに済んだ。
柔肉の沼の目を引く為に、ギリギリまで火を起こして抵抗する事で時間稼ぎをして――まあ、必要なかったのかもしれないけれど。結果として、全員助け出す事が出来て、本当に良かった。
「いや……迷惑を、かけてしまったな。すまん」
「僕の方は、これで帳消しにしてもらえない、かな……」
ギースはどうやら多少は動けるようだけれど、ラビエリはまだ動けないのか。アルシエルにおんぶされる形で、力なく笑う。
ベールの方は、未だに意識を取り戻していないけれど……今は、取り敢えず出来る事はない。拠点へ戻り次第、ゆっくり休ませて状態を見るしかなさそうだ。
「……で、そっちは大丈夫なのか?」
「あ、ぁ……なんとか……」
「多分大丈夫、かな」
ギースは僕の肩にぐったりと体重を預けたままのミラを見て、少し心配そうに顔を覗き込む。
まだ体に力は入らないようだけれど、体液を浴びた時と比べればミラは幾分かは落ち着いたようで、辛うじて言葉を口にする事が出来るようだった。
もっとも、ひどく眠いのか……目蓋は今にも落ちそうだし、時折寝息のようなものまで聞こえてくるのだけれど。お蔭でちょっと落ち着かない。
「それはさておき、俺らの服はどこか判るか?この格好は流石に落ち着かん」
「僕も、何時までも裸はちょっと」
「ああ、それなら――」
向こうの方に、と言葉を口にしようとした瞬間。
「――す、けて」
それを遮るように、か細く、弱々しい声が……炎の中から、聞こえてきた。
視線を向ければ、そこには炎に包まれた柔肉の沼――では、なく。
「な――っ」
――そこに居たのは、小さな子供。まだ年端もいかないような女の子が、炎の中で泣いていたのだ。
「たすけて、たすけて……っ、あつい、いやだよう……」
「え、な、何で……っ!?」
炎が女の子を焦がし、焼いていく。その有様に驚いたのか、ラビエリは声をあげて――炎を消そうとするのを、僕は手で制した。
もうあまり魔法を使う余力もないけれど。弱まるラビエリの炎とは逆に、僕は炎を合わせる形でその女の子を焼いていく。
――だって、それが何なのかは解りきっているから。
「ちょっ、ウィル!?正気かい、早く助けないと!!」
「――だめだよ」
「バカな事を言ってる場合じゃ――」
「ダメだ」
取り乱すラビエリにそう言いながら、僕は目の前の女の子を見た。
僕らの目の前で女の子は泣きじゃくりながら、服を溶かされ、肌は溶けて崩れていく。
それは、どう考えても炎によるものではなく――
「――っ、これは、害獣だ」
「な……だ、だって、目の前で助けを……」
「いやあ……っ、たすけて、おかあさん……おかあさん……!!」
――女の子が虚空に手を伸ばす。その手はやがて溶けて、何かに溶け込んでいくかのように消えていく。
それは、明らかに人間の物ではなく。しかし、その悲鳴は紛れもない人間の、子供のもの。
「……なん、だよ……これ」
「3人が取り込まれてる間、柔肉の沼は3人を作り出して攻撃してきた、けど」
そう、柔肉の沼は繭に取り込んだ人間を生かす事で、その人間を疑似餌として作り出して自在に操る。
それだけではなく、恐らくはその人間の知性と言ったものも得ていたのだろう。3人を取り込んでいた時と比べて、救出された後はただ暴れるだけの原始的な行動しか出来なくなっていたのだから。
――今目の前で起こっている事が何なのかは、そこから察する事ができる。
「――いやだ、いやだ、いやだ……!!俺は、家に子供が――」
子供の姿が消えたかと思えば、今度は僕らよりも歳上の男性の姿。
その姿で、必死になって何かから逃れるような素振りを見せつつ……その姿も、少しずつなにかに消化されるように、溶けていく。
そう、これは断末魔だ。
それも柔肉の沼の物ではなく、恐らくは今までに柔肉の沼に捕食された人間たちの。
「……っ、う、げぇ……っ!!」
「ぅ……っ」
それを理解したのか。ラビエリは顔面蒼白になりながら、胃液を吐き――それを肩に少し浴びつつも、アルシエルは目の前の光景に膝を震わせる。
ギースは吐きこそしなかったものの、忌々しげに断末魔を繰り返す柔肉の沼を睨みながら、その場に座り込んで。
――ああ、成る程害獣だ。これが、害獣なのだ。
徹頭徹尾、害しか撒き散らす事のない、化物。人間とは決して相容れない怪物。
死に際までも、苦痛を撒き散らすなんて。実に、それらしい。
「……ラビエリ、手伝って」
「ああ、くそっ、くそ……っ!!」
僕の言葉にラビエリは吐き捨てるように叫びながら――今までで一番、荒れた炎を作り出した。
荒れ狂う炎の中で、柔肉の沼は様々な姿を作り出す。
年老いた老婆。年端もいかない子供。共に捕食されたのであろう姉妹。たくましい木こり。
一体どれだけの人間が犠牲になったのだろう。その断末魔を見せられながら――僕らは、それから目を背けることも、耳をふさぐ事もできずに、見続ける事しか出来なかった。
――やがて、柔肉の沼だったものはただの黒い焦げ跡へと変わる。
でも、僕らの胸に残ったのは心地よさや爽快感などでは断じて無く――
「……も、どろう、ウィル」
「う、ん。皆、拠点へ戻ろう」
力のないミラの声に、僕は小さく頷いて。皆もどこか、沈み込んだ顔で歩き出す。
何がともあれ、凶悪な害獣を倒す事ができたのだ。
……今は、拠点に戻って一度ゆっくり休んだほうが良いだろう。
僕らは胸に残る胸糞の悪さを感じながら、その日はもうゆっくりと体を休める事に決めて――いつしか、夜の帳が下りた。
/
火のやさしく弾ける音を聞きながら、ぼんやりとたき火を眺める。
僕は1人、疲弊しきっていた4人――ベールを入れれば5人の代わりに見張りを買って出ていた。
多少の疲労は有ったけれど、どうにも休む気にもならなかったし……少し、今日のことについて考える時間がほしかったのだ。
今回、正直な所を言えば全員生き延びることが出来たのは、ただの運だ。
柔肉の沼が僕らを侮ってくれていなかったら、今頃僕もミラも繭にされていただろう。アルシエルが隙を見つけて救出してくれる可能性も無い訳ではないが、それだって彼女への負担が大きすぎるし、恐らくは無理だ。
――反省すべき点は、山のようにある。
一つ目は、害獣の生息地に居ながらにして油断していたこと。
順調に琥珀の沼を駆除できていたせいで、僕らの気は緩みきっていた。気を緩められる程の経験なんて、新人の僕たちには有りはしないのに。
二つ目は、僕らの間でちゃんと認識の共有が出来ていなかったこと。
アルシエルともっと早い段階からちゃんと会話していれば、そもそも今回のようなピンチには陥っていない筈なのだ。ベールの姿をした疑似餌にも警戒出来ただろうし、その後の対処はずっと楽になっていただろう。
はぁ、と、口からため息が漏れ出す。
……何より自分が一番反省しなければならないのは、不測の事態が起きた時に直ぐに感情的になってしまうことだ。
ギースとラビエリが居なくなった瞬間、一気に頭が熱くなって――早く助けなきゃ、なんて言葉で頭が一杯になって、冷静な判断が出来なくなってしまっていた。
幸い、ミラとアルシエルが止めてくれたけれど……もう、二度と同じ過ちは犯さないようにしなければ。
もしあのまま突っ走っていたなら、僕だけならまだしも残った2人も――
「う……は、ぁ。やっと、調子が戻ってきたぞ……」
――そんな最悪の事態に思考を巡らせていると、後ろから声をかけられる。
まだ気怠げな表情こそしていたものの、ようやく動けるようになったのか。ミラは軽く伸びをしながら、僕に習うようにたき火の近くに腰を下ろした。
「おはようミラ。体は大丈夫?」
「まだ五分程度だな。槍が重く感じたのは子供の頃以来だ」
僕の言葉に苦笑しつつ、ミラは手をひらひらと振って笑う。
恐らくギースも同じような状態、なのだろうか。いや、ギースの場合は直接繭に包まれていたからもっとひどいのかもしれない。
明日は柔肉の沼について報告するついでに、皆の様子も報告しておくとしよう。
お互いにそれ以上は言葉を口にせずに、しばらくの時間が流れる。
ぱち、ぱち、と火が弾ける音だけが森に響いて……少し、意識が微睡んできた頃。
「――なあ、ウィル」
「ん……どうかしたの?」
「今日は、済まなかったな」
唐突に、ミラがそんな言葉を口にした。
何に対しての言葉なのか判らず、しばし固まって。そんな僕を見ながら、ミラは少し弱々しく笑みを浮かべる。
「お前に落ち着け、と言ったのに……2人の姿をした疑似餌が声を出した瞬間、我を失ってしまったろう」
「……あ」
「あのおぞましさに耐えられず、手を出して――結果、このザマだからな」
まだ力が入り切らない指先を見つめ、そして握りしめて――ミラは、小さくため息を吐いた。
……ミラも当然だけれど、沈み込んでいるのか。自分の事ばかり考えていたけれど、今回に関しては皆思う所があるのだろう。
「……おや、ミラも起きとったのか」
「ん……ギース、もう良いのか?」
「寝すぎてしまってな、これ以上は眠れそうにないわ!」
ははは、と笑いながらもその声にはいつもの覇気が無い。
……うん、流石にこれは良くない。
「ねえ、ギース。ラビエリ達も起きてる?」
「ん?ああ、目は覚めてるようだったぞ」
「ん、有難う」
立ち上がれば、テントの幕を開けて。カンテラの明かりで本を読んでいたラビエリと、ギースの言葉通り毛布に包まりながらも起きていたアルシエルに声をかける。
二人とも今回の事のせいで眠るに眠れなかったのか、僕が声をかければ二つ返事で外に出てきてくれて。
改めて――僕らは5人で、たき火を囲んだ。
以前のように軽口を叩いたり、といった事もなく、火の弾ける音だけが鳴り響いて。
やはりと言うべきか、皆どこか沈み込んだような表情をしており――
――僕は小さく息を吸うと、パン、と軽く両手を叩き、音を鳴らした。
音は思っていたよりも森に響いて、皆は目を丸くしながら僕の方に視線を向ける。
「――よし、反省会をしよう!」
「はん、せ、いかい……?」
アルシエルは不思議そうに首を傾げつつ、言葉を口にして。僕は、小さく頷いた。
「正直、今回の事はとてもじゃないけれど褒められたものじゃなかったと思う。だから、ちゃんと何がダメだったか皆で確認しよう?」
「……成る程、それもそうか」
「何がダメだった、か。そう言われると全部ダメだったように思えるが……」
「そういうのはダメ。ちゃんと、何がダメだったかを考えなきゃ」
僕の言葉に、ギースはううむ、と軽く頭を掻く。
そんなギースを見ながら、ラビエリは小さく鼻を鳴らした。
「はっ、ギースは決まってるじゃないか。疑似餌に鼻の下伸ばしてたでしょ」
「ば……っ!?馬鹿な事を言うな、それを言うならお前さんも抱っこされてメロメロだっただろうが!」
「んなっ、何を――!!あれは柔肉の沼特有の気持ちいい感触にやられただけで――」
「――おい」
2人が言い合いを始めれば――それを、冷たく鋭い声が切り裂いた。
ミラの、聞いた事も無いような冷たい声にギースとラビエリは固まり……恐る恐る、ミラの方へと視線を向ける。
僕も思わず視線を向けたけれど、その表情は笑顔で。だと言うのに、ぞくっとするほどな冷たさを感じるものだった。
「つまり、お前達は色仕掛けに引っかかって? 柔肉の沼に取り込まれたと?」
「い、いや、そうではなくだな」
「こう、相手が上手かったというか」
「――ははっ」
感情の籠もっていない笑い声を上げた後――ゴンッ、という鈍い音が二回、森に鳴り響いた。
頭を抑えて蹲り呻く2人を背に、ミラは呆れ返ったように大きくため息を吐き出しながら、肩を落とす。
「2人の反省点は言うまでも無し。次は――」
「……わ、た……し」
ミラの言葉に、おずおずとアルシエルが手を上げた。
頭を抑え込んでいた2人も、それは意外だったのか。頭を摩りつつも、視線をアルシエルに向ける。
アルシエルは少しだけ肩を揺らすけれど、視線をそらすこと無く……小さな声で、たどたどしく言葉を口にし始めた。
「わ……たし。言葉……にが、て……で。ちゃんと……しゃべれ、ない、の」
「……おい、そりゃ初耳だぞ」
「ん……言って、無かった……から。だから……気づいた、事。伝え、るの……ちゃんと……して、なく、て――」
アルシエルの言葉は、酷くゆっくりで……それに途切れ途切れで。
しかし、それを邪魔したり、急かしたりすることもなく、僕たちは彼女の言葉にしっかりと耳を傾けた。
――言葉が、上手く発せられない事。意思の疎通が苦手な事。それを、アルシエルは数分かけて、何とか言葉にして。
それを聞き終えた後、ごめんなさい、という意思表示なのだろう。アルシエルは深く、深く僕らに頭を下げた。
「――まあ、そういやそういう節は有ったわな。俺はてっきり無口なのかと」
「僕もそう思ってた」
「そうだな、言われなければ判らなかった――次からは、大丈夫か?」
「……ん」
「それでは、次は私だな――」
アルシエルが力強く頷けば、今度はミラが口を開く。
――いつの間にか、最初の頃に漂っていた暗澹としていた空気は無くなっていた。
お互いの失敗を共有して、互いに駄目だった事を自覚して。
……決して、自分だけが悪かったのではないと、理解して。
結局その夜は、夜が明けるまで反省会が続いた。
途中からは雑談やら、笑い話やら、猥談やらに変わっていた気がするが、それはまあ些細なことだろう。
だって朝からは、暗い雰囲気も無く。以前よりも恐らくは良く、動けるようになっていたのだから。




