6.『琥珀の沼』Ⅲ
「――よし、これで2体目だな」
「うん……ちょっと、休憩」
琥珀の沼を駆除し、一息ついた。燃料を使って消耗を抑えるのは良いが、それでもやはり10m弱もある相手を焼き続けるのは疲れる。
アルシエルが無言で差し出した水筒を受け取れば口をつけて、喉を潤し……うん、少しは落ち着いた。
「そう言えばアルシエルさん、テントで言ってたこと」
「……ん?」
ふと、アルシエルがテントの中で言っていた事を思い出し問いかける。
確か、ここに来てからずっと見られているとか何とか言っていたが――今は、どうなのだろうか。
僕の言葉に首を傾げながら、アルシエルはしばらくの間虚空に視線をさまよわせていたが、ぽんと手を叩くと、「あっ」と短く声を漏らす。
「そう、言えば。今は……見られてない、気が、する」
「そっか。一応、気をつけておかないとね」
アルシエルの言葉に、ほっと胸をなでおろした。
もしアルシエルの気のせいなら良いのだけれど、もしこの場所にも――花園で経験したように、琥珀の沼以外の害獣が居るのだとしたら、警戒するに越したことはない。
そんな僕に、ミラは訝しげに眉を潜め――そう言えば、まだ言ってなかったっけ。
アルシエルに視線を向ければ、今度はこくり、と小さく頷いて。テントの中で言ってくれたのと、同じ言葉をミラに告げてくれた。
「――視線、か」
「今は……見られて、ない、けど」
その言葉に、ミラは暫く考え込むように、唇に指を当てる。
――何か、引っかかる所でもあったのだろうか?
「今は……という事は、拠点までは感じていたんだな?」
「……ん」
「――チッ!!」
ミラに、アルシエルは小さく頷いて応えて――その瞬間、ミラは舌打ちをして身を翻した。
「え、み、ミラ!?」
「早く戻るぞ!三人が危ない!!」
何か、それに感じるものが有ったのか。ミラは僕らを置いていく勢いで走り出す。
僕も、そしてアルシエルも慌てた様子でミラの後ろを走り――三人が危ない、という言葉にようやく何故ミラが焦っているのかを理解した。
――そう、今この森に居るのは僕らだけ。仮にベール以外にも民間人がいたのなら別だが、もしそうでないのであれば……アルシエルが感じた視線が見ているのは、あの三人に他ならない。
残っているのはギースとラビエリだ、そう簡単にやられるとも思えないが、ベールという悪く言えば足枷を付けられた状態ではどうなるか判らない。
「ウィル、何故もっと早く言わなかった!?」
「ごめん、僕も失念してた……ッ!!」
完全に、僕のミスだ。
あの時ちゃんと全員に周知するべきだった。してさえいれば、あの2人も警戒だってしている筈なのだ。
だが、2人は知らない。この森に、琥珀の沼以外の存在が居るかもしれない事を知らないのだから、警戒のしようがない。
「そもそも、アルシエル!ここに来た時点で解っていたのなら――」
「……っ、ご、めんな……さ、い……っ」
ミラの叱責にアルシエルはびくん、と肩を震わせながら――心の底から、怯えているかのような。そんな、素振りを見せる。
それを見てしまえば、ミラもそれ以上言えなくなったのか。小さくため息を吐き出しながら、視線を前へと向けた。
拠点まではそう遠くは無い。
たき火の明かりも見えてきたし、あと1分もかからずに拠点に着く。そうしたら、明日――行者が来るまでの間、5人でベールを守ればいい。
どうか無事で――
「――ぁ」
拠点は、たき火の明かりに照らされていた。
荒らされた様子もなく、テントも無事で。ギースが出していた酒も、そのままで。
「あ、ぁ」
そう、僕らが駆除に向かったその時のまま――ただ、一つだけ違うのは。
「……っ、くそっ」
――そこには、3人の姿はなかった。
争ったような跡もなく、ただ突然何処かへ行ってしまったかのように……消えてしまったかのように。
「……っ、ギース!ラビエリさん!ベールさんッ!!返事を――」
油断していた。慢心していた。油断するな、と直前にアルシエルに教えてもらっていたのに――!!
頭の中に、最悪の想像が過る。既に何かしらの害獣に喰われた三人の姿が、否応無しに想像出来てしまう。
必死に声を張り上げながら、僕はまだ近くにいるかも知れない、と拠点から出ようとして――
「……っ」
「……な、にを」
その瞬間、ぐいっと手を握られた。痛いほどに握りしめられ、僕は思わず振り返る。
――アルシエルが、どこか泣きそうな顔をしながら、僕の手を両手で握りしめていた。
ミラも僕の方をみながら、頭を左右に振る。
どうして。今ならまだ、彼らだって助けられるかもしれないのに。
「……だ、め」
「何が、ダメだって――」
「だ、め……っ」
……茹だっていた頭が冷めていく。アルシエルの必死な声に、ミラの様子に、否応なしに現実を理解する。
ああ、本当は僕だって分かってる。少なくとも、ここに駆けつけた時点で周囲に気配がない時点で、今更慌ててもどうにもならない事は解ってたんだ。
ただ、それを受け入れられなかっただけで――これじゃあ、花園で1人で先走ろうとした時と同じじゃないか。
「頭は、冷えたか」
「――ごめん」
2人に頭を下げつつ、冷静になる。
……冷静にならなくちゃ、ダメだ。既に起きた事を変えることは出来ない。そう、今必要なのはそういうものじゃない。
少なくとも、まだ三人が居なくなってからそれほど時間が経っていないのは事実なんだ。
だから、今必要なのは――ここで何が起きて、そして3人は、襲ったものは何処へ行ったのか、それを探る事。
「アルシエルさん、木の上から周囲を索敵するのは出来る?」
「……あ、まり……見通しわるい、けど……ん」
僕の言葉にアルシエルは頷けば、近場にあった木を登っていく。慣れているのか、するすると……下手したら地上を歩くより早いんじゃないか、という程に早く、木の頂点まで辿り着いて。
索敵を彼女に任せると、僕は拠点を改めて見る。
拠点は荒らされた様子はない。不自然なほどに荒れておらず、三人がふらっと散歩にでも行ったかのように見えるほどだ。
「……あれ?」
「どうした、何か見つけたのか?」
「あ、いや、そういうのじゃないんだけど」
そう、別に何かを見つけたわけじゃない。それくらい、拠点には怪しい所など無かった。
だが、それが逆におかしい。だって――ギースもラビエリも、不意を突かれたとしても戦いすらせずにやられる訳がない。
だと言うのにこの場には争った跡も、ラビエリが魔法を使ったような跡も――そして、二人の血痕さえも残っていなかった。
つまる所、恐らくここを襲った何者かは争うことも無く、魔法を使わせる事さえ無く――恐らく、3人を殺したのでは無く連れ去ったのだ。
だが、何の為に?そんな事をする害獣なんて――
「……そうだ、教本」
「お、おい、ウィル!?」
「教本だよ、ミラ!ここを襲った奴の事が分かるかも」
「――そうか、あれが有ったか」
――そうだ、すっかり失念していた。
あの時は琥珀の沼の駆除、と言われてそこにしか注意を払っていなかったけれど、あれは今までのパラディオン達の知識の結晶だ。
きっと、あれになら今のこの不可解な状況を解明する鍵がある。ある、筈なのだ。
テントに置いてあった荷物から教本を引っ張り出し、ページをめくっていく。
花蜘蛛。岩喰い。継接人。水壁。琥珀の沼――見覚えのある名前も、その習性から見直しつつ読み進めて――見た事も聞いたこともない害獣も何か手がかりが無いかと、目を皿のようにして。
「待て、ウィル。そのページ」
「……これは」
――そうして、しばらく読み進めた後。
害獣の中でも特に危険、或いは厄介とされる「変異種」の部分に、目を引くものがあった。
それは、柔肉の沼という害獣についての記述だった。
琥珀の沼の変異種であり、色は人の肌のごとく。体積は通常の琥珀の沼よりも大きく、場合によっては50m超となる事もある。
だが特筆すべきは、琥珀の沼から更に進化した――悪辣となった、その能力である。
柔肉の沼は飲み込んだ者を体内で生かす事で、それを疑似餌として作り出すことが可能であり、その疑似餌は飲み込まれた者と殆ど区別がつかないのだ。
何より厄介なのは、その疑似餌は飲み込まれた者と同等の能力を持つという所であり、かつて多くのパラディオンがこの柔肉の沼の犠牲となった。
弱点こそ琥珀の沼と同じではあるが、柔肉の沼を発見した場合は決して惑わされないようにしなければならない――
「……間違いない、これだ」
――つまり、あの時僕らに助けを求めてきたベールという女性は、疑似餌だったのだ。
人間と全く区別がつかないとはよく言ったものだ。あの時あの場に居た全員が、何故こんな所に?とは思ったものの、彼女が人間であると疑いすらしなかったのだから。
恐らくギースとラビエリは、ベール――否、疑似餌に惑わされて、やられてしまったのだろう。
「だが、この記述通りなら……」
そう、この記述が正しいのであれば。
争った跡が無いことも鑑みて、恐らくは2人とも無事……とまでは行かずとも、死んでは居ないはずだ。
だって、2人には殺すよりも遥かに良い利用方法があるのだから。
害獣にそんな知性があるなんて思いたくもないが、恐らく次の手は――
「――い、い?」
「うおっ!?」
――そんな事を考えていると、何時からそこに居たのか。アルシエルがミラの背後から、ひょっこりと顔を出していた。
ミラは飛び上がりそうなほどに驚いて、胸を抑えながら少し涙目になっていて。
そんな彼女の様子に少し苦笑しつつも、どうしたの?とアルシエルに問いかける。
アルシエルはこくん、と頷きながら、言葉を探すように暫く口を半開きにしたまま……少しの後に、言葉を紡ぎ始めた。
「……ギース、と。ラビ、エリ。こっち、きてる、よ」
「――」
――多分、それは疑似餌だ。
つまり、ギースとラビエリはまだ生きているという事に他ならない。それに少しだけホッとしつつも、次はどうするかを考える。
多分、柔肉の沼は――ああやって疑似餌を使って騙してきて、上手く行ったという事は、次も同じ手が通用すると考える、筈だ。
「……二人共、ちょっと良い?」
僕の言葉に、2人は耳を傾けてくれた。
……こんな事態に陥ったのは僕のせいだ。それでも僕の言葉を聞いてくれる2人に内心で感謝しつつ、僕は考えたことを2人に伝えた。
「私は構わない。だが――」
「……ぅ」
ミラは頷いてから、アルシエルの方を見る。アルシエルは――やっぱり、少し難しいのだろうか。
僕の弓の腕は正直普通程度で、決していい訳じゃない。だから、以前話した時にスリング、それに弓の話をしていた彼女に頼みたかったのだが。
「……わた……し」
そんな事を考えていると、アルシエルはおっかなびっくりと言った様子で口を開き――ゆっくりと、言葉を発し始めた。
「……弓、得意……だけど。ほんと、うに……良い、の……?」
「……何がだ?」
不思議そうなミラの言葉に、ビクッとアルシエルは体を震わせる。その様は、まるで怯えているかのようで――
今までもその節はあったけれど……もしかしてアルシエルは、人と接するのが苦手を通り越して、怖いのだろうか?
「大丈夫だよ、ミラは別に怒ってるとかじゃないから」
「ちょ、ちょっと待て!今ので怒ったように見えたのか!?」
「……ん」
落ち着かせるような僕の言葉と、それにミラの様子に小さく息を吐き出せば、アルシエルは顔を上げて――ミラと僕を、しっかりと見る。
「――私、が。2人の、いのち……預かって、良いの?」
そしてはっきりと、彼女はそう口にして。
その言葉に僕もミラも、目を丸くして――そして、少しだけ可笑しそうに笑った。
「心配するな、もし上手く行かなくてもその場を切り抜けるくらいは出来る」
「それに、アルシエルさんは目がいいでしょ?僕がやるよりは、ずっと良いよ」
「……っ、ん……んっ」
僕らの言葉に、アルシエルはこくん、こくん、と何度か頷くと、弓をぎゅうっと、強く、強く握りしめる。
「――まか、せて。私……がん、ばるから」
そして、今までに無いほどに強く、はっきりとそう言いきったアルシエルに、僕らも力強く頷けば――テントの外にでて、これから来るであろう驚異を迎え撃とうと、気合を入れた。
――遠くには見慣れた姿、見慣れた声。必ずそれを救い出すと、心に固く決めながら。




