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10.――優しい、世界の中で

 ――目を覚ますと、そこは見知らぬ天井だった。

 木造の天井にはまるで見覚えはなく、カンテラの灯りに照らされた部屋にもまた見覚えはない。


「……っ、い゛っつ……っ!?」


 体を起こそうとした瞬間、全身に激痛が走る。

 多少の痛みなら我慢できると自負していたけれど、これはどう考えても多少で済む痛みではなかった。

 体の内側に直接針を打ち込まれて、かき混ぜられでもしているかのような痛み。

 特に腕と背中から、凄まじい痛みが巻き起こり――それが収まるまでの間、悶えながら。


「は、ぁ……っ、ぁ……」


 ……そして、ようやく自分が負っていた怪我のことを思い出した。

 左腕と背中の怪我は特に深く、酷かったはずだ。

 そりゃあ、痛い。


 呼吸を整えながら、改めて……今度は視線だけ動かして、周囲を見る。

 首を少し動かすだけでも背中がずきり、ずきりと痛むけれど、この程度ならまだ我慢はできた。

 窓の外に見える景色は何処かの町中なのだろう、夜空は少しだけ明るく照らされていて。


 ぼんやりとその景色を眺めていると、不意に部屋の扉が開いた。


「……ん……おお、起きたか」

「あ……う、ん」

「ああ、起きんで良い、起きんで良い。怪我人はしっかり寝ていろ」


 部屋に入ってきた相手の姿を見て、体を起こそうとすると――ギースはそれを軽く手で制しながら、どっかりと椅子に座り込む。

 見た所、どうやら彼の方はあまり怪我は負っていないらしく、少しだけ安堵した。

 あの時、大勢を相手にさせてしまったから……負けることはないにせよ、大きな怪我を負いはしなかったか、正直心配で。


「で、体の調子はどうだ?」

「ん……まだ、動かすのはキツい……かな」

「そうか、まあそのくらいなら良い」


 ギースの言葉に軽く応えると、少し安心したように彼はつぶやいて。

 そして、酷く真剣な――彼らしくもない表情で、僕を見た。


「――何故、あんな事をした」

「あんな、事……って」

「俺達を置いて出ていった事だ」


 ――ああ、そうだった。

 そういえば、どうして彼らはあの場所に来れたのだろう?

 少なくとも僕は誰にも伝えなかったし、部屋に書き置きだって残してきたのに――……


「アルシエルが偶々、お前が持ってた紙の内容を覗き見ていたから良かったものの……そうでなければ、お前もミラもどうなっていたか判らんのだぞ」

「……う、ん」


 ギースの言葉に、小さく頷く。

 ……ああ、それに関しては全く反論できない。

 結局の所、僕一人ではミラを救出する事なんて絶対にできなかった。

 今頃ミラだって大変なことになっていただろうし、僕も極々当たり前のように死んでいただろう。

 アルシエルには、後でしっかりと感謝しておかなければ。


「それに、だ」

「――え」


 そんな僕の反応を見ながら、ギースは懐からくしゃくしゃになった紙切れを取り出すと僕の前に広げてみせた。

 そこに書かれていたのは、辞意を示す文言――よく見てみればそれは、僕が部屋に置いてきた辞表で。


「ど、どうして、ここに」

「……馬鹿か、お前は!俺らに相談も何もなく勝手にこんなものを書きおって!!」


 怒声で、びりびりと部屋が揺れる。

 キーンと鳴り響く耳鳴りにくらくらとしながらも――そう言えば、仲間からこんな風に怒られるなんて始めてだ、なんて。そんな事を考えてしまって。


「お前は俺らのリーダーだろうが!これを書き置いたからはいさよなら、なんて出来ると思うな!大馬鹿者がっ!!」

「う、ぐ……っ」

「……はぁ。全く、大方お前さんの事だ、俺らを巻き込みたくないだとか思ってたんだろうが……」


 浅黒い肌を赤く染めながら、本気で怒声をあげるギースに完全に気圧されつつ。

 ギースはため息を漏らしながら、僕の目の前で辞表を破り捨てるとゴミ箱に投げ込んで。


「仲間の事で疎外される方が、かえってキツい事くらい分かれ。大急ぎで追いかけたんだからな、俺達は」

「……ご、めん」


 ……ギースの怒りはもっともで。だから、僕は謝る事しか出来なかった。

 パラディオンとして多くの経験を積んで、思い上がっていたのだと、思う。

 僕自身は特別強いとか、そういう訳でも無いのに……周囲を巻き込まないでも、1人で何とか出来ると考えていた、なんて。

 冷静になった今考えれば、本当に、何とも愚かしいとしか言いようがない。


「ギー、ス」

「ん、どうした」

「……ミラ、は?」

「ミラならまあ、無事だ。無事だが――」


「――ギース、その先は自分で言うよ」


 ギースが言葉を告げる寸前に、部屋の外から声が聞こえてきた。

 先程の怒声で、僕が起きた事に気付いたのだろうか。

 扉が開けば、そこには……ちょうど左目を覆うように布で隠した、ミラの姿があって。


「もう大丈夫なのか?」

「ああ、怪我自体は大したものじゃないからな」

「ん……まあ、そうだな。後はお前さんに任せるとするよ」


 少しだけミラの事を心配してから、ギースは軽く彼女の方に手を置くと、そう言って部屋を後にした。

 扉が閉まれば、ミラは僕の方へと視線を向けながら、何処か嬉しそうに笑みをこぼし。


「……全く、酷い有様だな?」

「あ、はは……」

「まあ、私も人の事は言えないか――」


 そして、少しだけ躊躇うように。

 何かに怯えるような表情を、一瞬だけ見せてから――彼女は、そっと左目を隠すようにしていた布地を解いた。


 布地の下に有った物を見て、息を呑む。

 そこに有ったのは、深い――しかし既にふさがりつつある切創と、既に無い筈の左目で。

 白目は黒く、瞳は金色でヤギのような瞳孔をしているその目は義眼、という訳では無いのだろう。

 僕をしっかりと見ながら、何処か不安げに揺れていて――……






 ……なんて、愚か。

 僕はそこでやっと、間に合ってなど居なかったのだという事に気がついた。


「――ご、めん」

「どうした、ウィル? 何故謝る」

「……間に、合わなかった」

「そんな事は無いさ。ちゃんと私を助けに来てくれた」


 そう言って、ミラは微笑んでくれたけれど。

 僕がもっと早く、彼女の下にたどり着いていたのなら。

 最初から、皆に相談していたのなら。

 もしも、もしも――考えれば考える程に、彼女がこうなる前に助け出す事が出来たのではないかと、思えてきてしまって。


「ウィルが来てくれていなかったら、きっと私は化物にされていたと、思うよ」

「……で、も」

「私を助けに来て、こんな怪我をして……私の方こそ、申し訳ない気持ちで一杯だ」


 彼女はそう言うと、そっと、痛くない程度に僕の手に触れて。

 ……そして何処か縋るような。そんな手付きで指先同士を触れ合わせた。


「――ウィル、私はお前に謝ってほしいとか、そんな事は全く考えていないんだ」


 そのまま彼女は、何処か怯えるように、震える声で言葉を紡ぎ。


「ただ……1つだけ、聞かせて欲しい。今の私は、お前にどう映っている……?」


 そこまで口にすれば……青い瞳を、金色の瞳を震わせながら、僕の顔を覗き込んで来た。

 口にされずとも、判る。

 きっと彼女は不安なのだろう。当たり前だ、こんな――こんな、余りにも(むご)い事。

 人に、害獣の一部を移植するなんて悍ましい事をされて、平静でいられる筈がない。


 ――でも、だからといって。

 それで僕が彼女を見る目が変わるのか、と言われれば、それは違う。


「……いつもの、ミラ、だよ」

「いつも……の?」


 少しだけぽかんとしたような彼女の言葉に、小さく頷く。

 そう、例え彼女が外道の手にかかったのだとしても、それは彼女には何の咎もない。

 僕の大事な人であるミラ=カーバインは、それで何かが損なわれるなんて事は、ないのだ。


 ……勿論、周囲からの視線は厳しいものになるのかもしれないけれど。

 今まで通りに過ごす、なんて訳には行かないのかもしれないけれど――……


「う、ん。僕が……大好きな、ミラだよ」

「……ん」


 それなら、僕はそういった物から彼女を、守ろう。

 そういう物から彼女を守れる、そんな僕であろう。

 ……凡庸な僕には、それくらいしかきっと出来ないけれど――彼女を、今度こそ守り抜いてみせよう。


 ミラも、僕の言葉に少し安心してくれたのか。

 先程までの不安げな、怯えた様子は鳴りを潜め、嬉しそうに笑みをこぼしてくれて。


「……あ、はは……でも、さしあたって、は……仕事、探しから、かな」

「ん……?」

「ほ、ら。だって……無断、で……本部、抜け出した、訳……だし」


 苦笑しながらそういう僕に、ミラは少し不思議そうな顔をすると首を傾げた。

 ……もしかして、ミラはその辺りの事をあまり知らないのだろうか。

 と言うか、良く考えるともしかして、僕だけ失職するわけだから――……


 そんな事を考えていると、部屋の外からため息とともにコンコン、と控えめなノックが聞こえてきた。


「……入りますよ、二人共。そこから先は、私が説明した方が良いでしょう」

「っ、り、リズ!?」

「説明……って?」


 一応は断りを入れつつも、返事するよりも早く部屋に入ってきたリズに、何故かミラは少しだけ恥ずかしそうにして。

 リズはそんなミラの様子に少し安堵したように微笑みながら、椅子に腰掛けると――僕も知らなかった部分について、話し始めた。







 ――ギース達がウィルの失踪を知ったのは、ウィルがミラを救出に単独行動に出てから実に丸一日後の事だった。

 彼らは部屋に書き置きされた手紙――辞表を見て、血相を変えて後を追おうとしたものの、そこをリズが制止。

 一旦、怪我で療養中のフィリア=オルブライトに判断を仰ぐことにしたのである。


 ウィルの単独行動を知らされたフィリアは軽く頭を抱えつつも、ギース達に2つ程知恵を授けた。


 まず1つ目は、ウィルの辞表を提出せず、休暇をとった体にする事。

 決して良い事ではないけれど、仲間にそれを申告させたのならば、無断で本部から消えたという事ではなくなる為、処罰は多少なりと軽くはなるだろう、という物。


 そして2つ目は、ウィルが向かった先――恐らくは碌でもない輩の巣窟であろう場所で行われている事を、全て報告書にまとめる事。

 人を傷つけ攫うような手合いならば、恐らくはミラ以外にも被害者が居る筈であり――休暇中にその手合いを掃討した、というのであれば多少は心証も良くなる……かもしれない。


 その2つは苦肉の策では有るものの、フィリアはそうしたなら後はこちらで何とかすると口にして。

 そうして、リズ達は馬車――を使うこと無く、早馬で慣れない道をひたすらに、最低限の休憩だけで駆けたのである。


 結果として一日という遅れが数時間程度の遅れで済んだ事で、ウィルもミラも救われたのだった。







「――という訳で、残念ですが恐らくパラディオンを辞める事は叶いませんよ。もっとも、処罰は避けられないでしょうが」

「……そう……なんだ。母さん、にも……迷惑……かけちゃった、なぁ」

「戻ったら雷が落ちるでしょうね。私達からは――まあ、ギースが先程落としたようなので止めておくとしましょう」


 リズはそう言って笑みを零すと、僕の額を指先で軽く弾いた。


 ……皆にだけじゃなく、怪我で療養してる筈の母さんにまで迷惑をかけてしまった事に、心底申し訳なくなってしまう。

 一体僕はどれだけ頭に血が昇って、どれだけ視野が狭くなってしまっていたのか。

 思い返すだけで恥ずかしいし……皆が無事で、本当に良かったとも思う。


「ウィル……お前という奴は、本当に、全く……っ」

「う……み、ミラ……?」

「お前がこれでパラディオンを辞める事になったら、私はどうやってお前に償えば良かったというのだ、本当に……っ!」


 どうやらミラには事の顛末を伝えられていなかったらしく、先程までの笑顔は何処へやら、憤懣冷めやらぬと言った様子で。


「――っ、もっと自分を大切にしろ!良いか、私はだな――ッ!!」

「おお、怖い怖い。まあ、甘んじて受けておくと良いですよ、ウィル」


 ――再び部屋に雷が落ちれば、リズは何故か微笑ましそうに僕らの方を見ながら、それでは私はこれで、と静かに部屋から出ていってしまい。

 今回ばかりは、完全に非がこちらにある以上何もいう事が出来ず――結局1時間程、降りしきる雷の中で、僕は今回の愚行を反省させられ続けたのだった。


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