11.それから(前)
「――さて、と。こんなものかな」
長くお世話になった寮の自室。私物がそれなりに置いてあったその部屋には、最初から置いてあった家具以外は何も無くなっていた。
必要なものはバッグに詰めて、ソレ以外は養成所側で処分してもらい。後は、この後に控えている卒業式を終えるだけ。演習が終わった後は特に大きなイベントもなく、今日を迎えてしまった。
あれから変わった事と言えば、周囲からの批判や侮蔑、嘲笑といったものが多少減った……それでも0ではないけれど……事。授業中も喧しかった同期生が真面目に授業に取り組むようになった事。
「入るぞ、ウィル。準備は済んだか?」
「うん、大丈夫」
……それと、一番大きな変化は……一人、友人と呼べるような相手が出来た事。
演習が終わって以降、ミラとはよく顔を合わせて話をするようになって。訓練の事や鍛錬の事もだけれど、それだけではなく他愛のない世間話とか、そういった事も良く話した。
勿論それだけじゃなくて、自主訓練にも時々付き合ってくれたり、その時に組手をしてくれたり。お蔭で、演習前よりもずっと充実した生活を送れていたような、そんな気がする。
まあ、そのせいというか何というか。その前までは大体5割程度は有ったはずの勝率は、今だと3割くらいまで落ち込んでいるのだけれど。友人と経験には代えがたい。
「ミラの方は準備出来てるの?」
「問題ない、元々嗜好品はそこまで持ち込んで居なかったからな」
「そっちじゃなくて、卒業式の方だよ」
「……ああ、そっちか」
僕の言葉にミラは少し難しそうな顔をしつつ、小さくうなりつつも頷いた。やはりミラも緊張しているのだろう。
今日の卒業式で僕とミラは、卒業生達を代表して来期から入ってくる人たちに贈る言葉……要するに挨拶をしなければならなかった。
……そう、僕もである。卒業後にパラディオンとなるのが僕とミラの2人だけだったからか、誰がやるという話にさえならず決定してしまったのだ。
「そう言うウィルの方はどうなんだ……?」
「……まあ、うん」
ミラに言葉少なく返しつつ、視線を落とす。僕の方も、当然緊張している。しているに決まっている。
元々誰かを代表するなんてタチじゃないし、そんな事を経験した事もないのだ。折角片付けで気を紛らわして居たというのに、思い出したせいでまた緊張してきてしまった。
一応ある程度は考えてはいるものの、正直言って自信がない。何しろ経験したこと自体がないのだから、正しいのかも分からないし。
それはミラも同じなのか、お互い顔を見合わせるとがっくりと肩を落とし、大きく息を吐き出して……少しだけ可笑しそうに笑えば、少しだけ肩の荷が降りたような、そんな気がした。
「……それじゃあ、行くか」
「ん、そうだね」
纏めておいた荷物を寮の入り口へ置いて、卒業式が行われる広場へと歩き出す。
既に他の同期生達も広場へと向かっており、仲良く話しながら向かっている生徒、何だかんだ卒業するのが寂しいのか涙ぐむ生徒、何やら道の片隅で告白されている生徒など、様々だった。
――この同期生達は皆、パラディオンではなく別の道へと向かうらしい。
以前からそうだったが、この養成所に入る生徒達の目的は2つある。1つは文字通りパラディオンになること。それを目指して、しかし先生達からの評価が足りずなれなかった生徒もそこそこいる……筈だ。
そしてもう1つは、今後の生活、例えば就職活動で有利になる為に、というもの。パラディオンを目指す養成所に入っていた生徒は心証が良く、多くの職場で優遇してもらえるようで。それを目的とした生徒も、かなり多いのだ。
パン屋を目指す生徒、鍛冶屋に弟子入りする生徒、政治の世界に向かう生徒。
僕からすれば良く判らない世界ではあるけれど、もしかしたらそういう未来もあったのかな、とふと思ってしまった。
ともあれ、僕とミラは彼らとは別の道を行く。パラディオンとなって人類の敵と戦う道を選んだのだから、今後彼らと道が交わる事も多分ないだろう。
それを何故だかほんの少しだけ寂しく感じつつも、広場に辿り着けば、そこには既に多くの生徒達と来期から養成所に入る人達でごった返していた。
先生達が必死になって誘導しているので、それも直ぐに整うだろうけれど――これだけの数を前にして挨拶するなんて考えたら、また緊張してくる。
指先までガチガチになりそうだ、なんて考えていると、おーい、と少し遠くから声が聞こえてきた。視線を向ければ、枯れ木のような手をひらひらと振りながら、皺が深く刻まれた顔で笑みを作りつつ此方に手を振る白鬚の老人――所長が僕らを待っていた。
「おお、こっちじゃ、こっち」
「あ……所長、おはようございます」
「うむ、おはよう。お前さん達2人はこっちじゃよ」
所長に招かれるまま、他の生徒達とは違い僕らは先生達の隣の方へと案内されていく。
先生達の方は流石に混雑しておらず。他の先生達が僕らの顔を見れば、笑顔を浮かべながら軽く肩を叩いてくれた。
「おう、おめでとう」
「おめでとう、パラディオンになっても頑張ってね」
「あ、ありがとうございます」
どこか歓迎にも似た言葉を受けつつ、僕もミラも顔を少し赤らめて。そうして用意された席に腰掛けると、やっと人心地がついた。
そうか、先生方は皆なんらかの理由でパラディオンから養成所の教師になったのだから……僕らはこれから、先生達の後輩?みたいな物になるのか。
この席の位置も、そういう意味を込めてのものなのかもしれない。余計緊張してしまうから、勘弁して欲しいのだけれども。
ともあれ、そのまましばらくするとごった返していた広場も徐々に静まり、生徒達と来期に入所する人たちが綺麗に整列して、広場は静寂に包まれた。
良くある式の特有の、静かにしなければならない空気が場を支配する。僕とミラも姿勢を正し、生徒達の前に用意された壇上へと登る所長へと視線を向けた。
「――それでは、これよりパラディオン養成所の卒業式を始める」
先程の朗らかさなど微塵も感じさせないような、養成所生活でも聞いたことのないような厳かな声で所長が告げる。
僕らの、今期の生徒達の卒業式が始まった。
/
卒業式はつつがなく進んでいく。所長の開式の辞、先生方の卒業生と来期の生徒達に向けた挨拶、そして――現役で働いているパラディオンからの言葉。
外見はまだ20歳に見えるその男性は壇上に立つと、生徒達へと視線を向ければ屈託のない笑顔を浮かべた。
「――未来のパラディオン諸君、そしてそうでない人達も、一先ずはおめでとう!」
「は、はいっ!」
広場に響き渡るような声で男性が告げれば、生徒達は思わず――僕らも含めて、返事をしてしまう。それを聞いて男性は笑みを深めながら、更に言葉を続けていった。
自分の養成所時代の事。パラディオンになってからの事。現場でのおもしろおかしい出来事。まるで、パラディオンに夢を持たせるかのような語り方。
卒業生は演習で現場がどんなに恐ろしいものか、身にしみていたからか。それに対して少し引きつった笑みを浮かべていたが、来期で入所する人達は別だ。
皆一様に彼の話に聞き入り、自分たちもそうなるんだという夢を抱いているような、そんな表情を浮かべていて。
……成る程、多分テコ入れなのだろう。
今期はパラディオンになるのが僕とミラ二人だけだったが、これは例年と比べるととても少ない。例年なら少なくても5人、多ければ10人は養成所から輩出される筈だった。
今期が特殊だった、と言えばそれでお終いかもしれないが……今後もそうならないとは限らない。
そうならない為に、今の内から生徒達のモチベーションを底上げしているのだ。
パラディオンの男性はしばらくの間話し続け、生徒達から明るい笑い声をあげさせて。僕はそんな様子を少し複雑な気持ちで、眺めていた。
「……と、もうこんな時間か。それじゃあ君たちがパラディオンになる日を楽しみにしているよ!」
十数分の間話続けた男性に向かって、生徒達から拍手が送られる。手を振りながら壇上を降りた男性はそのまま元の席へと……戻らず、僕とミラの背後に回ってきた。
なんだろう、と僕とミラが彼に視線を向ければ、先程の朗らかな笑みとは打って変わって、笑みではあるもののどこか冷たさを感じさせるような、そんな表情を浮かべ。
「――君たちにも、期待しているよ」
「……っ、は、い」
静かな声でそう告げると、僕もミラも、その声に思わず体を硬直させながら声を上擦らせ、返事をして。
彼はそんな僕らの様子に小さく頷けば、軽く手を振りながら自分の席へと戻っていった。
……先程の朗らかで明るいキャラクターは作っているのだろうとは察していたけれど、あの有無を言わせない声にはびっくりしてしまった。
真逆、という訳でも無いが――多分、彼は現場では冷酷で冷徹なタイプだ。間違いなく。絶対。
少しだけ別の意味でこれからが恐ろしくなりつつも、式は滞り無く進んでいく。
そうして終わりへと差し掛かれば、とうとう僕らの番がやってきた。
「よし……行くか」
緊張した様子でミラが立ち上がれば、僕もそれに続く。
僕の順番がミラの後なのは幸か不幸か。ミラの挨拶の間は、僕は努めて落ち着くように心がけよう。
壇上に登れば、少し高いだけの場所の筈なのに、同期生達も来期からの生徒達も、全員を見渡すことが出来た。
ミラはそれを見て僅かに硬直しつつも――軽く、本当に軽く深呼吸をすれば、生徒達に向き直る。
「卒業生を代表して、旅立ちの言葉を送らせて頂きます」
凛とした声を広場に響かせながら、少し息を飲んだ後。ミラは今までの緊張を感じさせない様子で、言葉を続けていった。
これまでの養成所生活を振り返りながら、所長や先生達への感謝の言葉を。曲がりなりにも共に学んだ同期生たちへの言葉を。
養成所は基本的にはパラディオンになるための訓練をする所だから、楽しい思い出なんて数える程しかないだろうけれど、それを拾い上げるようにミラは言葉を続けていく。
そうして先生達、同期生達への言葉を終えれば――ミラは、来期の生徒達へと向き直った。
「――私達は、今日この養成所を卒業します。来期からは貴方達が私達のようにパラディオンを目指す事になりますが……一つだけ、言葉を送らせてください」
その言葉と同時に、ミラは胸に手を当てて……何かを反芻するように、少しだけ言葉を途切れさせた後。改めて彼らに視線を向ければ、口を開く。
「どうか、隣にいる人達を大事にしてあげてください。時に手を取り合い、時に協力し。目的を達するために――そして、パラディオンになるために」
そこまで言うと、ミラは息を吐き出しながら。言いたい事はちゃんと言えたのか、どこか安心したような表情を浮かべながら、丁寧に言葉を締めくくった。
同時に生徒達から、拍手が湧き起こる。広場に響くような音を立てながら、拍手はしばらくの間鳴り続けて。先生達もそれを止めること無く……1分程続いた後、ようやく鳴り止んだ。
ミラは少し驚いた様子で――そして、僕の顔を見ればどこか自慢げに。僕が名前を呼ばれれば、次はお前の番だぞ、と言わんばかりに軽く背を叩いて、前の方へと押し出した。
――まずい。あれだけのしっかりした言葉を送られてしまうと、後の方にされたのは失敗だったと、今更ながらに後悔した。
正直な所、ミラのように上手に挨拶を、言葉を送れる自信など微塵も無い。無い、が……兎も角、やらなければならない。下手でも、何とかやりきらなければ。
「……本日は、僕たち卒業生の為に卒業式を開いて頂きまして、ありがとうございます」
よし、何とか口は動いた。緊張でガチガチにはなっていたものの、言葉を出すには問題がない程度だったらしい。
予め考えておいた言葉を何とか、必死の思いでひねり出しつつ話を続けていく。
相変わらず、僕へと向けられる視線は冷ややかだ。演習の後からは以前ほど罵声を浴びる事は無くなったけれど、やっぱり僕へと向けられる感情は変わっていない。
それはまあ、当然のことだ。姉さんの事を考えたら出来損ないと言われても納得するしかないし。
だから、別に彼らに対して恨みとか、妬みとか。そういった感情は全く抱いていなかったのは、本当に幸いだった。
そのおかげで、なんとかこうして卒業生としての言葉を送る事ができているのだから。
ミラと同じように先生達、そして同期生への言葉を送り終えて。そして、僕はどうしようか、と少し悩んだが――予め考えておいた物を変えるのも勿体なく思ってしまい、そのまま言葉を続けていった。
「――僕は、自分が優れた人間だと思ったことはありません」
前日に考えて、少し卒業の場にはそぐわないかな、と思ったけれど。もう彼らに会う機会は殆ど無いのだから、ちゃんと口に出しておきたかった言葉。
「きっと、この場にいる皆さんの方が僕よりも、何かしらで優れているんじゃないかと。今でもそう思っています。だから、ずっと僕は人一倍努力をし続けてきました」
……入所した時、最初に感じたのは周囲との力の差。全てが平均的だった僕は、何かしらで皆に劣っていて……だから、所長や先生にお願いして、自主訓練に使えそうな場所を教えてもらった。
もし特別扱いがあったのだとすれば、多分これだけだ。他の生徒も言えば教えてもらえた筈だから、特別扱いなのかは怪しいけれど。
「努力して、やっと皆と並べるようになって。それからも、ずっと。足りない僕は、そうする事でしかついていく事が出来なかったから」
その時から、ずっと……ミラが来る時まで、僕は一人でそれを続けてきた。それが正しかったのかは、今となってはあやふやだ。悪い訳では無かっただろうけれど、そのせいで僕は人間関係を全ておざなりにし続けてきたんだから。
「……皆さんは、僕よりも優れた才能をもっています。ですから、きっと努力さえ怠らなければ……人一倍でなくとも、努力を続けていれば。きっと、パラディオンになれると思います」
僕の言葉に、同期生達の表情が強張った。当然かも知れない。
これは、彼らに「勿体ない」と言っているようなものだ。実際そうだ。僕より優れた才能を持っている人だって一杯居たのに、だと言うのに――僕なんかにかまけたせいでパラディオンになれなかった人が、こんなにも居るのだから。
「皆さんは、どうか後悔なきように養成所での日々を過ごしてください。皆さんが、目指しているものになれるように」
そこまで言ってから、僕は改めて生徒達に向き直れば、先生方と生徒達に感謝の言葉を述べてから旅立ちの言葉を締めくくった。
同期生からすれば、下手をすれば叱咤や嫌味にも取られかねない言葉だし……多分、拍手もないだろう。
僕はぺこりと頭を下げつつ、やっぱり言わなければ良かったかな、なんて後悔しながら――
――ぱちぱち、と。まばらに鳴り始めた拍手の音を聞いた。
驚く事に、それは同期生からで。どういう訳か、彼らの中から拍手が起こり……それに釣られるように、広がって。
それに動揺していると、ミラに肩を軽く叩かれた。
「……アイツらも、多少は堪えたんだろう」
「堪えた……?」
「下手に謙るより、ストレートに言われた方が響く事もあるさ」
ミラの言葉に僕は首を傾げつつも、拍手は少ししてから収まり。それからは、滞り無く順調に、予定通りに卒業式は進んでいった。
僕とミラは相変わらず先生達の隣で、生徒達の様子を眺めて……見れば、同期生の何人かは泣いていて、嗚咽を漏らしている者さえ居た。
ああ、本当に卒業するんだな、と改めて実感する。
卒業式が終われば、荷物を持ってパラディオンの中央支部へと向かうらしい。ここから数日かかるらしいが、本当にあっという間だ。
僕もなぜだか、じんわりと込み上げる物を感じて――そうしていると、ミラがとんとん、と肩を叩いてきた。
「ウィル、後で少し付き合え」
「どうしたの?」
小声で話しかけてくるミラに、同じように小声で返す。僕の言葉にミラは察しが悪いな、と眉を潜めて――
「――パラディオンになる前に、最後の勝負だ。何でもありで、な」
――そんな、予想だにもしていなかったことを口にしてきた。




