14.悪夢の如き世界の中で
増える、増える、増える。
廃墟となった町だけではなく、その外――津波の及んだ場所に、徐々に徐々に小さな人影が増えていく。
まるで腐るかのように、粘液は徐々に徐々にドス黒い液体へと変わり、そこから少女が湧き出して。
「あはは」「あははは」「ふふふっ」「うふふ」「おとうさん」「おとうさん」「みてて」「おとうさん」
――愉しげな、歌うような嘲笑い声が響き渡る。
それは正しく、この世の地獄だった。
少女には一切の容赦はなく、このままにしておけば一週間程度もあれば東の地は人間が生きる事が不可能な世界へと変容するだろう。
「……っ、が、ふっ」
「ギース、動かないで下さい!!私のことは良いですから――っ」
「何の、この程度……っ」
周囲が黒く染まりゆく中。
廃墟の一角に、ギースとリズの二人の姿があった。
瓦礫に下半身を挟まれ、潰されこそはしなかったものの身動きが取れなくなったリズを、ギースは渾身の力で救い出そうとしており。
……その背中には、深々と傷が刻み込まれていて。
どくん、どくん、と出血しつつも、ギースは両腕に力を込めれば瓦礫を僅かに持ち上げた。
「……ぬけ、られるか……っ!?」
「ん、く……ううぅ……っ!!!」
僅かに出来た隙間に、リズは両腕に力を込めれば何とか瓦礫の隙間から這い出して。
彼女が抜け出したのを見れば、安堵の息を漏らしつつ……ギースは両腕に込めていた力が抜けていくのを、感じていた。
膝から崩れ落ちたギースを心配するように、リズは赤黒く腫れた片足を引きずるようにしながら駆け寄れば、彼の背中の傷を見て、絶句する。
――明らかに重傷だった。
背中から鮮血が溢れているのを見て、ただ事ではないのは理解していたけれど、ギースが負っていた傷は彼女の予想を越えて深く。
「なんて無茶を……っ!!」
「……なぁに、仲間を助けるのは、当然だろう」
それでも尚、笑ってみせた彼にリズはこぼれそうになる物を留めつつ、冷静に頭を働かせた。
先ずは、止血。
そして出来うる限り早く安静に、そして処置をしなければ。
「――ギース、少し痛くする事を許してください」
「ん……? お前さん、何を」
そう考えたリズは、躊躇うこと無く自分の着ていた防具を脱ぎ、服を脱いで。
ギースはそんな彼女の姿に目を丸くしつつも、真剣な彼女の表情に止めることはせず。
服を裂きつつ、粘液を搾り、風で乾かして。そうして出来た布地で、ギースの背中の傷口を両手で思い切り圧迫すれば――……
「~~~~……っ!!!」
「ごめんなさい、痛いのは解っています……っ」
布地を当てたまま、傷口を抑えるようにしっかりと布を巻いて固定して。
そこまでやってから、彼女はようやく息を漏らした。
「……ったた……っ、全く、乱暴だなぁお前さんは」
「文句は後で受け付けます。動けますか?」
「大丈夫だ、手足には問題は無い……とはいっても」
傷の痛みに少しだけふざけたようにするギースを見ながら、リズは小さく笑うと防具を付け直し。
そんな彼女に笑って応えつつも、ギースは斧を軽く手にしようとして表情を歪めた。
無理もない話ではある。
背中に大きな傷を負っている以上、かなり重量のある大斧を扱う事は難しく――リズもそれを察したのか、小さく頷けば剣を杖代わりに軽く歩くと周囲を見回した。
「私も生憎ですが、戦闘はほぼ不可能です。足もやられていますから、貴方は先に助けを」
「……馬鹿な事を言ってんじゃない。一緒に行くぞ、リズ」
「冗談で言っている訳ではありません。私が居ては、逃げられる物も――っ」
冷静に言葉を口にする彼女を無視するように、ギースは立ち上がれば軽く息を吸い、吐いて。
両手を軽く握り、開き、何かを確かめるようにすれば――……
「――え、ひゃ、ああぁっ!?」
「……っ、馬鹿め。俺が助けたのを、無に帰すつもりか」
リズをお姫様のように抱き上げた瞬間、少しだけ激痛に声を漏らしはしたものの。
それを何とか堪えれば、ギースは軽く笑って歩き始めた。
「な、何をしているのですか!そんな事をすれば、傷が――」
「この程度、我慢すればどうにでもなる」
「そんな訳が無いでしょう!? 傷が開くだけならまだしも、取り返しがつかなくなりますよ!?」
「――仲間を失う以上に、取り返しがつかない事などあるものか」
リズの言葉を、ギースはそう言って切り捨てれば何時ものように笑ってみせる。
それは、彼女から見ても判るほどの空元気だった。
だと言うのに――歩いているだけでも苦痛な筈なのに、ギースはそれを努めて表に出さないように振る舞いつつ、街路を歩いていく。
「……っ、私は良いんです、私は――私は、貴方に生きていてくれれば」
「黙ってろ。一緒に生き延びるぞ」
「分からないのですか!? それが無理な状況だと言っているんです!」
――周囲から、嘲笑い声が溢れ出す。
先程から聞こえていた嘲笑い声は少しずつ、少しずつ数を増し、大きくなっていて。
それがどういう事態なのか、正確には判らずとも――明らかな異常事態だというのだけは、はっきりとリズにも、ギースにも解っていた。
だからこそ彼女は、ギースに自分の事を置いていってほしかった。
歩いて逃げることさえ叶わない自分を置いて、彼だけでも生き延びてほしかった。
だからこそ彼は、リズの事を置いていく事なんて出来なかった。
こんな異常な場所に彼女を置いて、自分だけ生き延びるなんて事は許容出来なかった。
「あはは」「みつけた」「ここだよ」「ここにいた」
「私を置いていって下さいギース!今ならまだ間に合いますから……っ」
「……走るぞ、しっかり掴まれ」
リズの言葉に短くそう返しながら、ギースは走り出した。
走り、体が揺れる度にずきりずきりと痛む背中に歯を食いしばりつつ、比較的走りやすく見通しの良い道を選んでいく。
それでも尚、周囲から聞こえる声は止むことはなく――……
「ギース、お願いですから……っ、ギース……っ」
「……俺は、な」
懇願する彼女の言葉を聞きつつ、ギースは小さく言葉を口にする。
リズには見えなかったが、背中の傷からは再び出血が始まっており、彼の走る後には血痕が残っていて。
「お前さんとは、途中からの付き合いだが――生真面目で、しかし要領の良いお前さんは、必要な仲間だと思ってる」
「……っ、死んだら全て終わりなんですよ?」
「ああ、全く――言わせるな、お前さんを失うのは俺にも辛いのだ」
少しだけ恥ずかしそうにギースは笑うと、それっきり言葉を発する事はなくなった。
余裕がないのだろう。周囲から迫ってくる気配は依然として減る様子はなく、寧ろ少し増えているくらいで。
抱きかかえられているリズもそれは察しており――少し冷静になれば、例え自分をここに置いていったとしても、どうしようもない事も理解できてしまった。
「……ごめんなさい、ギース」
「お前さん、らしくもない。諦めるには早いだろう」
「無理、です……もう、どうしようも」
呼吸を荒くしつつも、努めて明るく返すギースに、リズは心の底から申し訳無さそうな、弱々しい声を出して。
最後まで言い切る事さえ出来ず、リズはギースの体にすがるように、ぎゅっとしがみつき。
そんな弱々しい様子の彼女を、ギースは力が入らなくなりつつある両腕でしっかりと抱けば――……
「――こっ、ち!!」
「二人共、早く――……ッ!!」
――瞬間。
二人の背後に、炎の壁が立ち上った。
突然の事態に何が起きたのか、理解できない様子だった二人の眼前、少し離れたその場所には見慣れた人影達が立っており。
恐らくは、ギース達より前に集まっていたのだろう。
傷だらけだったり、武器を失っていたり――決して万全ではなかったけれど、そこにはパラディオン達の生き残りが、居て。
「アルシエル、周囲に他の人影は!?」
「……うう、ん……もう、あの、ばけもの、しか――!」
「それじゃあ次、あの女の子の――化物の姿が少ない方向を!」
「う、んっ」
廃墟の瓦礫の上に立ちながら周囲を見回すアルシエルに、ラビエリとウィルは指示を飛ばしつつ。
パラディオン達もまた、傷ついた体を僅かに休めつつ周囲から迫りつつある嘲笑い声の源に身構えており。
――そんな彼らのもとまで辿り着けば、限界だったのか。
ギースは膝を付きながら、ゆっくりとリズを地面に降ろした。
「ギース、リズ!二人共無事か!?」
「私は、私は良いですから、ギースを……っ!!」
「……っ、また随分と無茶をしたのね。応急処置が無かったら手遅れも良い所よ」
ミラと、おそらくは医療の心得があるであろうパラディオンはギースの背中を見れば表情を歪めつつも、手当を始めて。
決して軽い怪我ではないリズの足にも応急処置が施されていけば、ギースは荒く息を漏らしつつも、軽く笑ってみせた。
「……どうだ、諦めないで良かったろう?」
「そんなのは結果論です……馬鹿な人」
ギースの言葉にそう言いつつも、リズは柔らかく笑みを零し――……
……まだ、パラディオン達は助かったわけではない。
周囲には黒い染みが広がり、そこからは少女が無限に湧き出しつつある。
アルシエルが安全な場所を見つけてそこへ逃げたとしても、それはあくまで応急的な物にしかならない。
それでも彼らが希望を捨てずにいられたのは、ただ一つ。
恐らくはこの異常の根源と戦っている彼女が居たからだろう。
「――ふふ、ふふふ」「うふふふ」「あははっ」「きゃふっ」「どう?」「どんなきぶん?」
――オラクル、フィリア=オルブライトは今なお、少女の群れと戦い続けていた。
その表情には一切の余裕がない。
何度か触れられたのだろう、その身に纏っていた衣類は赤黒く汚れており。
「……歳は、取りたくないものね」
「うふふっ」「あきらめた?」「あきらめよう?」「おいしいかな?」「まずいよね」「くさそうだもん」
額に汗を垂らしながら呼吸を荒くする彼女を前にして――今や100を軽く越えた少女の群れは、心の底から愉しそうに嘲笑っていた。
少女たちは未だに深手らしき物を負ってはおらず、群れの中に居る核を持った少女は目の前のおとうさんの仇でどうやって遊ぼうか、なんて考えで一杯で。
手足をもいで芋虫のようにして、追いかけっこをしても良い。
いっそお人形さんごっこのお人形にしてしまうのも良いかも知れない。
ああ、それともいっその事、死なないギリギリまで溶かしてしまおうか――
――結末は、近い。
愉しげに笑う少女を前にして、満身創痍であるフィリア=オルブライトの瞳からは未だに光は消えていなかった。




