12.憐れな魂に祝福を
「――?」
最初にそれに気がついたのは、もっとも少女の近くに居たフィリア=オルブライトだった。
僅かに、背筋の凍るような感覚。
オラクルとなって長い彼女にとって、それは数度経験した事のあるモノで。
ただ――余りにもそれが微弱だったから、見落としていただけ。
それが徐々に、徐々に膨らんでいるのを感じれば、彼女はまさか、と思い周囲に視線を向けた。
だが、何処にも新たな闖入者は居ない。
あるのはただ、今なお膨れ上がりつつある……悪神の使徒と対峙した時に感じてきた、あの恐ろしく、悍ましい感覚だけ。
何処にも居ない、しかし気配だけが確かにある。
そんな奇妙な状況に、彼女は努めて冷静にそれの源を探し――
――その視線が自らが手にかけた少女の方へと向けば、彼女は目を見開いた。
害獣の遺骸が、ただの粘液と化してしまった筈のそれが、少女の周囲に集まっていく。
……否、それは正確ではない。
少女の周囲に、ではなく――消し飛び焼け焦げた少女の傷口から、それは入り込むように蠢いていた。
彼女は、知っている。
悪神の使徒は、時折増えるという事を。
幾らオラクルが勝利を収めようとも戦いが終わらないのは、正にそれが原因で――
少女の失われた半身が、歪に補われていく。
両足には関節がなく、どろりと溶け落ちているかのよう。
失ったものを害獣の、父と呼び慕っていたモノで補いながら、少女は悍ましい気配を強めていき。
――瞬間。
フィリア=オルブライトは少女に向けて、先程の槍と同規模の光の槍を放った。
地形への被害も考慮しないその一撃は、瞬く間も無く少女に直撃しながら激しい爆発を起こし。
轟音と共に、周囲に砂埃を巻き起こしつつ――少女の居た周辺に、大きな、大きなクレーターを作り出して。
「……っ、よりにもよって、こんな時に――!!」
ただ、オラクルである彼女には解っていた。
こんな攻撃は既に手遅れだ。
だって、直撃したはずなのに気配はまるで消えていない。
寧ろ、より強く、より濃く――周囲を、悍ましい存在感で満たしていく。
幾度となく対峙し、ある時は打ち倒し、ある時は手痛い敗北を喫した相手。
悪神の使徒達と何ら変わらない気配が満ちれば――
「――ぁ」
――フィリア=オルブライトが放った一撃による爆心地の、その中央に少女は立っていた。
まだ何が起きたのかをよく解っていない様子で、少女は空を見る。
その姿は、少し前の少女と殆ど変わらない。
ただ、両足が害獣のように粘液状になっていると言うだけで――否、それだけでも十二分に異常、なのだが。
それでも、その赤黒く汚れた肌も、深く傷跡が刻まれた容貌も、やや幼気な背丈もそのままで……ただ、少女はその細い両腕に、頭程度のサイズの大きな玉のような物を抱えていた。
それは、少女がかつておとうさん、と呼び親しんだ害獣の核。
一度は削り損なわれた筈のそれは小さく成り果てていたものの、どくん、と確かに脈打っていて。
少女はそれを感じれば、心の底から嬉しそうに微笑んだ。
「あ、は……ずっといっしょ、だね。おとうさん」
愛おしむように核を撫でつつ、少女は小さく息を漏らす――ただそれだけの事で、周囲の空気が凍りついた。
少し離れていた場所で喜びに沸き立っていたパラディオン達も、突然変わった空気に一斉に視線を少女の方へと向ける。
それほどまでに、少女が放つ存在感、悍ましさは凄まじく……悪神の使徒のソレと、なんら遜色のない程のもので。
――少女の深く刻まれた傷跡が、ぐぱぁ、と開けば。
人のものでは有り得ない、黒い血と共に赤黒い瞳が二つ覗き――それが、遠くにいる……人の目では見える筈もないパラディオン達を、はっきりと見据えた。
「……ん。ふふ、ふ」
「――っ、いけない!!」
少女は楽しそうに笑いながら、核を空に向けて掲げて。
しかし少女が何をしようとしているのか、察する事が出来たのはフィリア=オルブライトだけ。
――瞬間、少女の掲げた核から粘液が勢いよく、洪水の如き勢いで溢れ出した。
咄嗟にフィリアが作り出した土の堤防を容易く乗り越えるほどの勢いで、粘液は比喩ではなく文字通り、災害である津波のように周囲を舐めていく。
湖、なんていう言葉では到底効かないほどの津波――或いは洪水に、パラディオン達は反応する暇さえ無く押し流されて。
もっとも、反応することが出来たとして、何が出来ただろうか?
天災の如きそれに、彼らは為す術もなく飲み込まれ、彼方へと流されていく事しか出来ず。
「~~~~……っっ!!!」
フィリアはそれを見ながら、何も出来なかった――息子達まで居たというのに、それを助けることが出来なかった事に、声にならない悲鳴を上げて。
「……う、ん。まだ、よくわからないけど……ふふっ、ふふふっ」
「――っ、あなた、は……!!」
「これで、おまえとふたりきり、だね」
そんな彼女を見れば、少女は――産まれたばかりの悪神の使徒は、赤黒い瞳を細めながら心底楽しそうに嘲笑った。
その吐き気を催すような笑みを見た瞬間、後悔で一杯だったフィリアの頭は、切り替わる。
しっかりと息の根を止めるべきだったとか、もっと出来ることは有ったはずだとか、そんな余計なものを抱えていたら目の前のモノに勝てないと、悟ったのだ。
かつてウィルと軽く手合せをした時のように、彼女の周囲に幾つもの姿が現れ始める。
無論、その全ては以前のように加減したような物ではなく――……
触れたものを飲み込み圧殺する土の巨人を。
堅牢な鎧を身に纏った、氷の巨人を。
実体は無く、しかし触れたもの全てを切り刻む風の巨人を。
まばゆく輝く、近づいたモノを焼く光の巨人を。
ただそれだけで、周囲の環境をも破壊してしまうような物を作り出しながら――彼女は自らの周囲に火で、氷で、風で、雷で、鉱物で作り出された武器を浮かべていき。
「あははっ、すごいすごい。まねしてあげるね」
――少女は愉しげに笑いながら。
それらの巨人の形を模した粘液の巨人を、その核から次々と産み出せば……自分もまた、フィリアと視線を合わせるように作り出した、粘液の台の上に腰掛けた。
赤黒い瞳はせわしなくギョロギョロと動きつつ、物心がついてから初めて目にした光を楽しむようにして、少女は笑い。
「……おまえは、とびきりひどく、ころしちゃうね? おとうさんにしたこと、ぜんぶやってあげる」
歌うような無邪気さで、そんな言葉を口にすれば――二人の作り出した巨人が、激突した。
激突の余波で大地に亀裂を作りつつ、周囲に衝撃が巻き起こるのも構わないままに、巨人達は取っ組み合い、ぶつかり合う。
巨人たちの性質こそ違えど、二人が作り出したものはおおよそ互角で。
その最中を、フィリアは舞うように翔びながら、周囲に展開した様々な属性の武器を少女へ向けて放っていった。
並の害獣であれば何百と殺して余りあるような攻撃を、少女は笑いながら――粘液で防ぎ、足場を作って飛び、まるで遊ぶような気軽さでかわしていって。
「――と、と」
ただ、それで避けられるような生半可な攻撃では決して無く。
人並み外れた速度で飛び、遊んでいた少女の体を武器が捉えれば、その細い腕はドス黒い血を撒き散らしながらちぎれ飛び。
しかし、少女はそれを特に気にすることも無く――核からずるり、と粘液が溢れたかと思えば、瞬く間にそれが少女の傷を塞ぎ、新たな腕に変わった。
(……やはり、アレがあの子の急所ね)
再生された事に動揺する事も無く、フィリアは少女が大事に抱えている核を見る。
洪水を巻き起こし、巨人を作り出し、腕を生やしたその核を少女は愛おしむように撫でながら――フィリアがそれを見ていると気づいた瞬間、その笑みを消して。
「――また、おとうさんを、ころすつもり?」
「そうね、今度こそ滅ぼすわ」
「あ、は。はは、ははは、は。むりだよ」
全く笑みを浮かべてないその表情のまま、少女はフィリアの言葉に嘲笑えば――ごぽん、と。
その核からドス黒い粘液が溢れ出した。
「……な」
努めて冷静だったフィリアの表情が、驚愕に染まる。
……それも、致し方ない事だろう。
「むりだよ」「むり」「おまえにはむり」「あはは」「あははははは」
増える。増える。増える。
それは少女が願ったこと。
少女が人型の暗闇に――悪神に願ったそれは、寸分の狂いなく叶えられていた。
核から次々と少女が産み出されたかと思えば、それは同じようにフィリアを嘲笑いながら、赤黒い瞳で彼女を見る。
5、10、20。
次々と増えていく少女に、フィリアは軽く冷や汗を垂らしつつ――……
「……増えれば勝てるものではないという事を、教えてあげるわ。お嬢さん」
「ふふ、ふふ」「うふふ」「おしえて?」「しんで?」「ばらばらに」「ぐちゃぐちゃに!」「こわして」「なおして」「たべて」「あげるね?」
それでもなお、彼女は恐怖することもなければ、動揺を表に出すことも無く。
彼女のそんな様子に狂ったように嘲笑いながら、少女の群れは一斉にフィリアに襲いかかった。




