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11.ある少女の終わり

「……あまり、長くは保たなそうね。急がないと」


 眼下で戦っているパラディオン達を尻目に、彼女は小さく呟く。

 地上で戦っている彼らには見えないものも、彼女の視界にはありありと映っていた。

 彼らの元へと殺到している害獣達は、全体のほんの一部に過ぎず――そして今も尚、ある一点から彼らが倒している以上の勢いで新たに生み出されており。

 ……それを生み出している巨大なそれは、彼らを悠々と見下していた。


 それこそが、東方のパラディオン達が壊滅した理由だった。

 如何にあの小さな――否、普通の害獣を倒したとしても、何の意味も無かったのだ。


「統率が取れているのも道理ね……」


 事ここに至り、フィリア=オルブライトはこの害獣の軍勢が軍勢足り得る理由を理解する。

 つまり、この害獣の群れは初めから一つの害獣(・・・・・)に過ぎなかったのだ。

 自分たちが道中で倒してきた害獣は、目の前の巨大な害獣の末端に過ぎず――恐らくは、この害獣が存在し続ける限り、害獣の群れは増え続けるのだろう。


 彼女は改めて、眼前の――少し離れたところに居る、巨大な害獣に目を向ける。

 彼女の息子であるウィルは、あの害獣の元に人がいる、と口にしていた。

 それは常識から考えれば俄には信じ難い事では有ったけれど、彼女はウィルの言葉を何一つ疑って居らず。


「――そう、やはりそうなのね」


 ――寧ろ、彼女は合点がいった、という様子だった。

 曰く、その害獣の長は二人一組である。

 つまり、それは常に害獣と共にある何かが居る、という事。

 曰く、その害獣は千里を見通し全てを聞き取り、獲物を逃す事がない。

 つまり、本来はこの害獣には存在し得ない、聴覚を補っている者が居るという事。

 曰く、その害獣は言葉を話し、嘲笑う。

 つまり――それは、知性を持つ何かだと、言う事。


 初めは彼女は、何かしらの新種の害獣が関わっているのかと考えていた。

 だが、それは通常ありえない事だ。

 害獣は互いに協力し合う事は殆ど無い。例外は確かにあるが、それは共生が成り立つ状況でのみ行われる事で。

 それが知性がある害獣だというのであれば、尚更だった。

 知性を得たそれにとって、それ以外の害獣は同類ではなく唯の獣に過ぎない。

 利用する事こそあれど、二人一組だなんて言える程に互いを補い合うだなんて事は先ず無くて――……


 だからこそ、彼女は有り得ないもう一つの考えをずっと抱いていた。

 聴覚を持ち、言葉を話し、笑う知性を持つ何か。

 害獣でないのであれば、それは何なのかなんて決まっている。


「――? あれ、へんなところ、から……おとが」

「……あ、あ」


 ――それを目の当たりにした彼女は、それでも信じたくはなかった、といった表情で小さく声を漏らした。

 巨大な害獣の、頭部と言えばいいのだろうか。

 その頂上には、彼女の息子であるウィルよりも更に幼い少女が腰掛けており。

 決して害獣に喰われている、さらわれていると言った様子ではなく、少女は彼女の方へと耳を傾けると不思議そうに首をかしげた。


「……もしかして、おそら、とんでるの?」

「ええ、そうよ……お嬢さん」

「わあ、すごいね!そういうこと、できるのも、いるんだ」


 彼女の言葉に、少女は無邪気に笑みを零す。

 その様子は、文字通り唯の少女だ。

 服らしきものを身に纏っておらず、体は血で赤黒く汚れ、顔には――目には、目をそらしたくなる程の深い、深い傷跡が残っているのだとしても。

 少女は、それをまるで気にすること無く、嬉しそうに、楽しそうに笑い。


「ねえ、わたしも、できるようになるのかな?」

「ん、そうね。もしかしたらだけれど」


 無邪気に問いかけてくる少女に、彼女はそっと手を差し伸べた。

 それを、少女が見ることは出来ない。

 少女の目は素人から見ても、何かを見ることが出来ないのは明らかで――ただ、それでも何故か、少女はそれが解っているかのように、首を傾げ。


「――どう、したの?」

「こっちに、いらっしゃい。そこは、危ないわ」


 それは、彼女の……フィリア=オルブライトの最後の賭け(・・)だった。

 たとえ彼女の想像通りの答えが返ってくるのだと解っていても、彼女は少女に手を差し伸べずには居られなかったのだ。

 顔に負った傷は明らかに害獣によるものではなく、刃物か何か――道具によるもので。

 その結果として、少女が既にそう成り果ててしまったのだとしても、もしここで手を取ってくれたのならば。

 そうしてくれたのならば、彼女は少女を暖かく迎え入れようと。

 人としての人生を、人としての幸せを歩んで欲しいと、そう願って。


 ……しかし、少女はそれに頭を振った。


「だめ。だって――」


 それと同時に、巨大な害獣が彼女に向けて低く唸る。

 巨大であるが故に、その唸り声はただそれだけで空気を震わせて――……


「――おねえさん、おとうさんを、きずつけたもの」


 少女が明確な敵意を向けた瞬間。

 巨大な害獣の腕が、彼女の居た場所を力任せに薙ぎ払った。


「……そう、判ったわ」


 だが、当たらない。

 力任せの――しかし、触れればその瞬間弾け飛ぶような剛力を、彼女は容易く空を舞って回避した。

 少女の返答に悲しそうに目を伏せるも、それも一瞬だけの事。

 彼女の表情は一人の女性、一人の母親の物から……冷徹なオラクルの物へと変化する。


 この少女は救えない。

 救うには、余りにも遅すぎた。

 余りにも――少女は、害獣に親しい存在になりすぎた。


「おとうさん、うえ!!」


 少女の声に、害獣は即座に反応する。

 害獣の視界の外であろう場所に回避した彼女を、まるで見えているかのように害獣は掴みかかり――……


「せめて、苦しまないように」

「え……う、そ、うそっ!?」


 その腕は、彼女に届くこと無く激しい音を立てて蒸発した。

 突然の有り得ない音に、そしておとうさん(・・・・・)に起きた出来事に、少女は戸惑い、叫ぶ。

 盲目である少女には、見えなかった。

 彼女の周囲にある薄い、シャボン玉のような仄かに光る膜が巨大な害獣の腕を焼き、蒸発させた事が。

 少女にはただ、突然彼の腕が蒸発し、消滅したかのようにしか感じられず。


「おとうさん、おとうさん……っ!よけ、て――!!」

「……一撃で、終わらせてあげるわ」


 必死に害獣に声をかける少女に、彼女は一瞬だけ憐れむような視線を向けた、けれど。

 それで彼女がする事が変わる訳でもなく。

 決別の言葉を口にすれば、彼女の傍には一本の――目の前の巨大な害獣と見比べても遜色がない程に巨大な槍が、瞬く間に出来上がっており。






 ――決着は、一瞬だった。

 フィリア=オルブライトが形成した炎の槍は、少女ごと巨大な害獣の核を容赦なく穿ち、焼いて。

 害獣は咄嗟に少女を逃そうとしたのか――或いは、偶然そうなったのか。

 少女は下半身を炭化させられて、出血はせずとも消し飛んだ両足に苦悶の声をあげつつ。

 そして、核を削り飛ばされた巨大な害獣もまた、瞬く間に絶命した。


 巨大な体は体を失い、ただの液体となって崩れ落ちていく。

 即死でなくとも、瀕死で――間もなく命を失うであろう少女も、地上へと落ちていく。

 たとえ怪我で死なずとも、落下の衝撃で間違いなく少女は絶命するだろう。

 それを悲しそうな視線で見つつも、軽く頭を振ればフィリア=オルブライトはパラディオン達の方へと視線を向けた。

 害獣の軍勢は見る見る内に溶けて、崩れていき――彼らは歓声をあげていて。


 その様子を見れば、彼女は……少しだけ救われたかのように、淡く笑みを零した。




 /




 ――どうして、どうして、どうして。


 激痛の中、焼けるような熱さの中、落ちていくような感覚の中――少女は、絶望の淵に立っていた。

 彼女を覆う粘液には、もう命の熱が無い。

 それが否応なしに、少女におとうさん(・・・・・)の死を実感させる。


 ――わたしは、しあわせになれた、のに。


 虚無とも言える日々から救い出してくれた彼が死んだ事を実感した少女の双眸から、涙がこぼれていく。

 あの日に戻される以上の苦痛が、死にゆく身体の痛み以上の激痛が、少女の心を苛み、苦しめ、焼き尽くしていく。


 ――ゆる、さない。


 そして、少女の心は一つの感情に支配された。

 今まで少女は、おとうさんに倣うように人を喰い、殺しこそしてきたものの――明確に憎い、とまでの感情を抱いたことはなかった。

 害獣と共に居た少女は、それをするのが当然と思っていたからそうしていただけで。

 人間を同族とさえ思っておらず、自分はきっと害獣と同じものなんだと思っていたからこそ、そうしていただけで。

 ……大好きなおとうさんに教えてもらったから、そうしていただけだったのだ。


 ――ゆるさない、ゆるさない、ゆるさない――!!!


 しかし、その心に明確な殺意が、憎悪が、激情が湧き上がっていく。

 間もなく命が失われるであろう彼女の心は、激しく、ドス黒く燃え上がり――……






『……ふむ。珍しい事も有ったものだ』


 そのまま無意味に死んでいくだけだった筈の少女の目に、何かが映った。

 映るはずのない真っ暗な世界で、それよりも更に(くら)く黒い何かが、少女を見つめていた。

 少女は初めて目にした物に驚きつつ――そんな少女を見ながら、それは興味深そうに少女を覗き込む。


 それは、人型の暗闇だった。

 少女はそれが何なのか理解は出来なかったけれど……何故か、不思議と落ち着く声に耳を傾けて。


『忌まわしい女神の使徒の戦いを見に来たのだが。君のような存在は、実に珍しい』


 それは愉しげに笑顔を――真っ黒で表情なんて分かるはずもないのに、何故か解ってしまう笑顔を浮かべながら、少女の前に腰掛ける。

 間もなく絶命してしまうであろう筈の少女の命は、地上に落ちて潰れるだけだった筈の少女は、何故かいつまでも訪れないそれに不思議に思いつつ――……


 ――あなたは、だあれ?


 純粋に浮かんだ疑問を、口にした。

 否、ただ思い浮かべただけだったのかも知れない。

 少女の身体は既に言葉を発せるような状態ではなく――しかし、黒いそれは少女の言葉をしっかりと聞いていた。


『私は神様だよ。ふむ、君は本来は管轄が違うのだけれど――うん、魂はしっかりとこちら側だ。こういうのも、悪くない』


 ――どういう、こと?


『ああ、済まない。君はまだ幼いのだものな。簡潔にいこう』


 疑問を浮かべる少女に、黒いそれは少しだけ申し訳なさそうにしつつ――そっと、少女の頬を両手で包み込んだ。

 見えないはずなのに、はっきりと見られている。

 初めて感じるその奇妙な感覚に、少女は少しだけ戸惑いつつ――……


『君を、生かしてあげよう。君はどんな力が欲しい?』


 ――おとうさんと、おなじがいい。


 ……しかし、はっきりと迷いなく。

 まるで子供が親の職業に憧れるように、そう口にした。

 それを聞けば、黒いそれは少しだけ考えるようにしつつも、可笑しそうに笑いだし。


『はは、ははは――それはいい。あの女が喜びそうな言葉を、あの女への刺客としよう。喜び給え、君は今日から私の使徒だ(・・・・・)


 その言葉の意味を、少女が理解する事はなかった。

 ただ、はっきりと理解できるのは体に満ちていく何かだけ。

 死んでいた筈のおとうさんの体に熱が灯り――自分の物となっていく、不思議な感覚だけ。


「――あ、は……っ、おとうさん……ずっといっしょ、だね」


 心底嬉しそうに、幸せそうに少女は呟き。

 そして……彼女が生まれて直ぐに失われたであろう、まばゆい光に目を細めた。

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