7.東方の、とある街
――どうして、こんな事になってしまったのか。
つい少し前までは、ここは活気に溢れた街だった、その筈なのに。
ずるり、ずるり、と何かが這いずる音に体をすくめる。
またアイツらだ。今や、この街は人間ではなくあんな化物が闊歩する魔窟に変わってしまった。
赤黒く透き通った、体の中に幾つもの犠牲者を抱え込んだスライム状の化物。
それは昼間にしか動くことはなかったけれど、それでも私達はそれに対抗する事は出来なかった。
原因は、判りきっている。
あの化物達のリーダーだけは、その軛から逃れているからだ。
昼夜関係なく動くアレは、最早悪夢としか言いようがない。
アレの子供たちであるこの化け物たちを、万が一にも殺してしまえば――あの怪物の不興を買ってしまえば、今度こそオシマイだ。
辛うじて生き残っている私達は、瞬く間にあの怪物に食い尽くされて全滅するだろう。
這いずる音が遠ざかっていくのを感じれば、私は小さく息を漏らしつつ……まだ体を竦めたままの子供たちの頭を、優しく撫でた。
……彼らは私の子供ではない。
私は結婚すらした事がない独身の三十路だから、子供なんて作ったこともない。
子供たちはあの化物に両親を食われて、逃げ惑っている所を私が保護しただけ。
「……ごめんね、私に力が有れば」
「う、ううん……っ、けほっ」
「そんな事、ないよ。お姉ちゃんが居なかったら、今頃私達だって」
子供達の言葉に、こんな状況であれど少しだけ心が暖かくなる。
礼を言うのであれば、私の方だ……彼らのお陰で、私はまだ自暴自棄にならずにいられたのだから。
私一人だったなら、とっくの昔に絶望して自分からあの化物にくわれに行っていただろう。
……とにかく、一度アレが過ぎ去った後は少しだけは落ち着ける。
あの化物の習性、とでも言うのだろうか。アレは決まった時間に決まった場所を徘徊していて――
「……ふん、胸糞悪いわね」
――そんなアレを、以前この街を守っていた衛兵みたいだ、と思った私自身に反吐が出そうになった。
彼らはこの街を守ろうとして、きっと食われてしまったのだろう。
中には元パラディオンだっていう人も居たけれど……パラディオンだって、関係有るものか。
あんなの、人間が相手にして良い奴では断じて無い。
私はそんな暗澹とした気持ちになりつつも、家に残っていた僅かな食料を見繕うと、子供たちに与えていった。
二人は嬉しそうにパンにかじりついていたけれど――正直な所、顔色は良くない。
こんな状況というのもあるのだろうけれど、情けない話をすれば私から与えられている食料が十分ではないのだ。
……元々私は一人暮らしだから、その分程度の貯蓄しか無いのだし、仕方ないのだけど。
窓の外に広がる街の様子を見る。
以前はこの時間でも人の声や往来の音が聞こえるくらいには騒がしかった街は、見る影もなく静かだった。
時折、遠くから人の悲鳴が聞こえてくる以外には殆ど無音のその街を見つつ、考える。
――もう、私達は限界に近い。
食料はあと一日だって保たずに尽きるし、それ以上に長く家に留まっていたせいで体も弱っている。
子供たちは特に顕著で、最近ではせきまで出始めているし……もしかしたら、何か病気にかかってしまっているのかもしれない。
私は医者ではないから判らないけれど、こんな状況ではそれも仕方のない事で。
「……は、ぁ」
小さく息を漏らしつつ、以前は窓の外から聞こえてきた悲鳴を馬鹿にしていた事を思い出す。
……あれは、馬鹿でも何でも無かった。
ちょっと考えれば分かることだ。家に留まりきれなくなったなら、もうこの街から脱出を図る他無いのだと。
彼らはただ、私達よりも先にそれが訪れて――そして、失敗した、というだけ。
もしかしたら彼らの中には無事街から逃げおおせた人達だって居たのかも知れない。
そう思ってしまえば、愚かだったのはきっと私の方なのだろう。
こうして体が弱り始める前なら、まだ街から逃れる算段だって付けられたかも知れないのに。
私はただ、家の中が安全だからと留まって、その日その日をやり過ごしていたと言うだけで――結局、その選択肢さえ取れなくなりかけているのだから。
……いや、まだ遅くはない。
遅くはない、はずだ。
私一人なら別にそれでも諦めはついたけれど、今は私一人じゃない。
名前しか知らない赤の他人の子供だけれど、彼らを見捨てられる程私は腐ってはいない。
「――おいで、二人共」
「どう、した……の?」
「おねえ、ちゃん?」
素直な子供たちだ。
きっと彼らはお腹が空いて仕方ないだろうに、文句一つ無く私になついてくれた。
……それが打算に寄るものだったのだとしても、別に構わない。
「これ、食べておいて。夜になったら家を出ましょ」
「え……で、でも」
「危ないって、お父さんたちも……」
「大丈夫。夜であれば、出て来るのはあの怪物だけ――それ以外は無視できるから」
そんな気休めを口にしつつ、私は残っていた最後の食料を子供たちに与えた。
まあ、本当にパンと野菜が少しだけだけれど。
きっと何も食べないよりは、力になってくれるだろうと、そう信じて。
――そして、夜。
私達は明かりもなく静まり返った街の中を、ゆっくりと、誰も起こさないように歩き始めた。
手に有るのは古びたカンテラだけだけれど、それでもきっと無いよりはマシだろう。
カンテラの明かりに照らされた街は、本当に何も――家の灯りすら、無く。
ああ、本当にこの街はもう死んでしまったんだな、という寂しさが今更ながらに胸にこみ上げてきた。
子供の頃から住んできたとは言え、別に好きだとかそういう事はなかったはずなのに。
こうして目の前でそれが損なわれてしまえば、私は思わず泣きそうになって……掌に感じる小さな熱に、それを何とか堪えきった。
「……行きましょう。街の出口は、確か向こう……よね」
「う、ん」
「こわい、よぅ……っ」
「大丈夫、お姉ちゃんが付いてるから……しっかり握っていてね」
二人の手をしっかりと握りながら、腰に下げたカンテラの灯りを頼りに街を歩く。
時折壁にべったりとこびりついた血の跡や、道の向こうで――きっと寝ている、のだと思うのだけれど、怪物がべちょり、と広がっていたりするのを見ると、悲鳴を上げそうになるが、既の所で堪えて。
――そうして、しばらく歩いていると。
ふと、道の先の方にぼんやりとした灯りが見えてきた。
誰が、なんて考えるまでもない。
化物は灯りなんて使わないのだから、灯したのは人間に決まっている。
私も、子供たちも表情を明るくすれば――ちょうど出口に向かう方角にあった、その灯りの方へと駆け出して――……
「――え?」
……そして、そこに有ったものに絶句した。
そこに有ったのは、確かに灯りだった。
その形は歪だったけれど。
酷く嫌な臭いはしたけれど。
――そこで燃えていたものは、かつて人であったであろう物だったけれど。
「――う、げぇ……っ!?」
「う、ぇ……っ、えぇ……っ」
「……っ、行きましょう、早くこんな場所から出なくちゃ」
嫌な臭いとその有り様に、昼間に食べたものを吐き散らした子供たちの手を引きながら、私は足早にその場から歩き出した。
一刻も早くこの狂った状況から立ち去りたかった。
あの化け物たちがこれをやったのか? いや、そんな筈はない。
あの化け物たちにそんな知性があるようには見えなかったし――いや、確かに衛兵のマネごとのような事はしていた、けれど――……!!
「何、よ……何よこれ、何なのよ……!?」
街の出口までの道は、とても明るかった。
全てが明るく、明るく灯されていた。
歪なオブジェに灯された灯火は、まるでここが街の出口だよ、と教えているかのようで。
全身を覆う嫌な予感に、私は居ても立っても居られずに、子供たちと一緒に街の出口へと走り出して――
――その瞬間。
ずるり、ずるり、と。この時間ならば聞くはずのない音を、私の耳は聞いてしまった。
嘘だ。
だって、この化物は今までは夜中に動いてる事なんて、なかった。
ここに来るまでに居た化物だって、遠目で見ただけだけれど確かに眠っていた様子だったのに、何で……!?
「……あ、かり」
「え」
「もしか、して……明るい、から」
子供たちが震えながら発した言葉に、私は血が凍りついたような気持ちになった。
灯り。
そうだ、私の家の周りには無くて――ここに来るまでに無くて、今ここにあるもの。
人の死体を燃やして作られた灯りは、煌々とこの辺りを照らしている。
つまり、彼らが動かないのは――動けないのは、夜ではなく暗闇で。
夜であったのだとしても、明るい場所でなら動けるというのなら――……
「――っ、走るわよ!!」
「う、うんっ」
ずるり。と、建物の影から出てきた化物を見れば、私は叫んだ。
私達に反応したのだろう。化け物たちはずるり、ずるりと物陰から這い出してくれば、その鈍重そうな体からは信じられないような速度で這いずってくる。
……でも、いける。
この距離なら、あれに追いつかれる前に街の外の暗がりに飛び出せる!
「後少し、頑張って……!!」
「は、ぁ……っ、けほっ、ぁ……っ」
「はぁ、ぁ……っ!」
子供たちは息も絶え絶えだけれど、必死になって走ってくれていて。
私は心から安堵しながら――かくん、と膝から力が抜けるのを、感じた。
「あ……え?」
何かをされたわけじゃない。
ただ、まるで身体の中にあった燃料が尽きたかのように、膝に力が入らなくなったのだ。
……ああ、そういえば。
私はここ数日子供たちにかまけて、ちゃんとした食事とかとってなかったんだっけ。
そう考えれば、ここまでよく動いたものだと思う。
「お、おねえ、ちゃ……」
「……っ、走って!走りなさい!」
「で、でも――!」
「良いから、行って!!行きなさい、早く!!」
私の異変を察したのだろう。
子供たちは走る速度を緩めながら、私のことを心配そうに見て……私は最後の力を振り絞って、叫んだ。
それでも子供たちはためらっていたけれど。
私の方を気にしながら、泣きそうな顔をしていたけれど――それでも、街の外の暗がりへと、走り出してくれた。
ああ、子供は元気だなぁ。
私はもうあの時みたいに、どこまでも走れるなんて身体じゃあ無かったんだ。
背後からずるり、ずるりと音が鳴り、視線を向けないでも私に向けて殺到してきているのが分かる。
……まあ、悪くはない。
三十路で独身で、寂しい一人暮らしだったけれど。
最後の最後で、見ず知らずの子供たちを助けて死ねるというのなら――きっと、そんな私にも価値があったのだろう。
迫りくる死に、これからあの奇っ怪なオブジェの一部になるという未来に、私は歯をガチガチとならし、蹲り――それでも、子供たちが戻ってこないように、泣き叫ぶのだけは堪えながら、訪れる結末をただ、待った。
「――大丈夫ですか!?」
――待って、いた。
待っていたのに。
「ギースは子供達と彼女を連れて拠点へ!僕らはこの場の掃討を!!」
「おうよ、任せとけ!!」
「ったく、胸糞悪い事してくれちゃってさぁ――っ!」
「同感です。害獣達にはとっととこの街から退去してもらうとしましょう」
「賛成だ。一匹も残すなよ」
「……ん。あた……り、まえ……っ」
でも。
そんな結末は、いつまで経っても訪れる、事はなく。
「悪いな、担ぐぞ……っと」
「え、あ……きゃ、あっ!?」
「はっはっは、軽いな全く。ちゃんとした飯ではないが、避難が済んだらしっかり食うと良い!」
逞しい腕に持ち上げられれば、私は目を開けて――私の目の前で、私よりずっと若い、下手をすれば少年とさえ言える青年達が、化物たちに立ち向かっていた。
彼らは化物相手に全く引けを取ること無く渡り合い……寧ろ、あの化物達を圧していて。
「おねえ、ちゃん……っ!!」
「よかった、よかったよぅ……!!」
「あ……あ……っ」
私を担ぎ上げた男性に運ばれていけば、街の外に出て直ぐに保護されたのだろう。
子供たちが、私を見て涙ぐんで、いて。
それを見た瞬間……抑え込んでいた涙が、ぼろぼろと、一気に溢れ出してしまった。
「……よく頑張りましたね」
そんな私の頭を、小さな手のひらが撫でる。
そこに居たのは、先程の青年たちより更に若く――或いは同じ程度に見える、しかし私より大人びたように見える、不思議な女性で。
「行きますよ、皆さん。この街を奪還します!!」
その女性が高らかに叫んだ瞬間、周囲から雄々しい声が湧き上がった。
周囲を見れば、そこには武装した兵士――否、パラディオン達が、沢山居て。
――その日、絶望しか無かったこの街に僅かな希望が灯ったような、そんな気がした。




