2.知らせを告げる者
――フィリア=オルブライトは、オラクルである。
エミリア=オルブライトの母であり、ウィル=オルブライトの母である彼女は今年で齢40を超える、パラディオンとしても――当然オラクルとしても高齢な部類に入る女性で。
壮年を少し過ぎた彼女は全盛期と比較すれば多少なりと衰えてはいたものの、それでもなおオラクルとして悪神の使徒と戦い続けている女傑でもあった。
ただ、彼女はエミリアとは違い、好んで表に出ることはせず。
剣の聖女として名高く、その容姿も広く知れ渡っている彼女とは対照的に、フィリアはその外見の殆どが知られていなかった。
賢者と称される彼女の容姿には、様々な噂が立っており。
例えば、しわくちゃで鷲鼻の魔女然とした女性だとか。
例えば、スタイル抜群で見るもの全てを魅了する能力を兼ね備えた、絶世の美女だとか。
例えば、そもそも女性ではなく男性だとか。
例えば、人間ですら無く善に目覚めた害獣だとか。
その何れもが、彼女を一度も見たこともない人が立てた噂、ではあるのだけれど。
彼女が望むのであれば訂正できたであろうその噂をそのままにしてきたのには、ちゃんとした理由があった。
「……きゃ、あっ」
「あら、大丈夫?」
石畳に躓いて転んだ少女を、小柄な――目の前の少女と比べても少し大きな程度の女性が、何時からそこにいたのか。
少女の肩を軽く支えると、少女が転ぶよりも早く彼女の姿勢を立て直し……きょとんとした様子の少女に微笑むと、ぽんぽん、と優しく頭を撫でた。
突然現れたように見えた女性に、少女は少し驚いた様子で彼女の顔を見つめながらも、にへら、と笑みを浮かべるとぺこりと頭を下げて。
「ありがとう、おねえちゃんっ」
「ふふ。気をつけるのよ、転んだら痛いんだから」
「はーいっ!」
少女は丁寧に女性に頭を下げると、たたた、と軽い足取りで再び走り始めた。
そんな少女を微笑ましく思いつつ、女性は街中を――パラディオンの本部がある城塞都市をの中を、歩いていく。
彼女に注目する人は、誰も居なかった。
何しろ彼女の格好は別段特別という訳ではなく、少し目を離せば街中に溶け込むであろう程に質素だったからだ。
「……あ、ここのお店は無くなったのね……移転したのかしら?」
街の一角にあるパン屋を見れば、彼女は少しだけ残念そうにしつつ。
しかしパンの香ばしい香りに惹かれたのか、そのパン屋に足を踏み入れると幾つかパンを見繕って。
「お嬢ちゃん、おつかいかい?」
「ええ、そんな所です。このお店はいつからここに?」
「ん? 大体3年くらい前だけど……」
「そうですか、ここにあった喫茶店はどこに行ったか判りませんか?」
「ああ、あの店なら大通りの方にあるよ。っていうかお嬢ちゃん、良く知ってるね」
「ふふ、まあ色々とありますから」
店主と軽く会話を交わせば、女性はおみやげに良いだろうと幾つかパンが入った紙袋を抱えるようにしつつ、ふわりとした柔らかな笑みと共に店を後にした。
そのまま通りを本部の方へと歩いていけば、次第に人混みの中に何人か、パラディオン達の姿も混じり始め。
彼らの姿を見れば、彼女は少し何かを懐かしむようにしながら――同時に、これから会いに行く相手を思い浮かべて、笑みを零し。
そうして、さも当然のように本部へと入れば――……
「……ん? どうかしたのか、ここは遊び場ではないぞ?」
偶々入り口で出会った長身の女性に、彼女は呼び止められてしまった。
当然といえば、当然だろう。
彼女はパラディオンの本部に用があるにしてはやや幼げだし、格好だって街中を歩いている普通の少女と大差なく。
そんな彼女がパン屋の袋を抱えて本部に入ってくれば、迷子かなにかと思うのは当然のことで。
彼女を馬鹿にしたわけではなく、心配した上で声をかけてきた女性は視線を合わせるように屈み込むと女性の顔を覗き込んだ。
それを理解しているからか、女性の言葉に彼女は特にムッとする事も、怒る事もなく。
「……ふふ、優しい子ね」
「む……?」
「ああ、いえ。そうね、ウィル=オルブライトという子に会いたいのですけれど」
言葉遣いは兎も角として親切な長身の女性に微笑むと、彼女はウィルの名前を口にした。
その途端に、女性は少し嬉しそうにはにかめば、ぽんぽん、と優しく頭を撫でて。
「ん……ウィルか。ちょうど良い、では一緒に行こうか」
「一緒、に……そうね、そうして貰えると助かるわ」
女性の言葉に少し悩むようにしてから、撫でられれば少し心地よさそうにして、彼女は笑みをと共に女性の言葉を受け入れた。
彼女の言葉に女性は小さく頷けば、彼女を少しだけ気遣うようにしつつ、長い両脚でゆっくりと……彼女を置いていかないように、歩きはじめ。
そんな女性の様子に微笑みながら、彼女は本部の中を歩いていく。
「ウィルに、何か用でも?」
「いえ、本当は本部に用があるのだけれど……まだ時間もあったから、お土産と一緒に」
「ふむ。もしかして直接害獣の依頼を? ウィルも多少は知られるようになったのだな」
女性は何故か自分の事のように嬉しそうにしながら、笑みを零す。
そんな女性の様子に少しだけ不思議そうにしつつも、ああ、と。
彼女は何かに思い当たったのか、小さく声を漏らせば女性の顔を改めて覗き込んだ。
流れるような赤い髪に、きれいな肌。顔立ちは万人が整っていると口にする程には整っており、可愛いというよりは綺麗、といった容貌で。
ふんふん、と彼女は女性を少しだけ値踏みするような視線で観察しながら――……
「ふふっ。ウィルは良い仲間に恵まれたのね」
「……ん? それは、どういう――」
彼女の言葉に、女性は首をひねり。
そんな女性の様子に笑みを零せば……廊下の先に居た人影を見て、女性は表情を綻ばせた。
不思議そうにする女性を置いて、彼女はその人影の元へと軽い足取りで走り。
「あ……か、母さんっ」
「ふふ、久しぶりねウィル。会いたかったわ」
「――え」
人影――ウィル=オルブライトが口にしたその言葉に、女性は……ミラ=カーバインは、思わず固まってしまった。
先程まで子供扱いしていた女性がその実、ウィルの母親で。
そのウィルの母親らしき女性はまるで一般市民のような格好をした、美しいとはいえど小柄な女性……否、少女で。
――ウィルやエミリアと同じ、美しい銀糸の髪のその少女こそが、齢40を既に越えているオラクルが一人、フィリア=オルブライトだと理解した瞬間、ミラの血の気は一気に引いていった。
「……っ、も、申し訳ありません、なれなれしい口を……!!」
「あらあら、良いのよ。ウィルのお友達なのでしょう、ミラさん。何時も手紙でウィルが貴女のことを書いていたから、直ぐに判ったわ」
「ちょ……か、母さんっ!!」
「わ、私の事を? そ、そうですか……」
真っ青だったミラの顔が仄かに赤くなるのを見れば、何かを感じ取ったのか。
少女……フィリアはふむ、と小さく声を漏らしつつ、ミラとウィルの顔を見合わせて。
「……まあ、積もる話はまた後で。お母さんは少し、お話してくるわね?」
「あ……う、うん」
柔らかく笑みを零し、ウィルにパンの入った袋を手渡せば、顔を赤くしているウィルとミラを置いてフィリアは本部の奥へと鼻歌交じりに歩いていった。
そんなフィリアを見送りつつ、ウィルとミラは互いに顔を見合わせると、少し恥ずかしそうにして。
「……そ、その。手紙にはなんと……?」
「そ、そんな変なことは書いてないよ? ただその、お世話になったとか、そういうの……み、ミラだけじゃなくてギース達とかの事も書いてるからっ!!」
――しばらくの間、ウィルはミラに手紙の内容を問いただされ続けたのだが。
それはまた、別のお話である。
/
「今、何と?」
「報告書に書かれている通りです。ご確認を」
信じられないと言った表情を浮かべる、パラディオン本部の長にフィリアは淡々と言葉を告げていく。
フィリアに言われ、改めて報告書に目を通した彼は――再び信じられないといった表情を浮かべながら、頭を抱えた。
そこに書かれていた事実であろう報告は、彼にとってはそれだけ衝撃的で信じ難く……信じたくはない、物で。
「――東方のパラディオン支部は、危機的な状況にあります。本部からの救援がなければ、恐らくこのまま東方は全て害獣の手に落ちるでしょう」
「……一体何が有ったと……いえ、報告書通りの事では、あるのでしょうが」
そう言いながら、彼は報告書に改めて視線を落とす。
戦力の逐次投入という愚を冒していた訳ではなく、彼が見る限り東方支部は最善の選択を取っていたように見えた。
その上で、パラディオン達は幾度も潰走し――完全に、害獣に敗北していて。
「……判りました、直ぐに招集を」
「ええ、優秀な方を選りすぐってお願いします」
……それが何を意味しているのか、理解できない程彼は愚かではなかった。
つまり今回の害獣は下手をすればパラディオンの手には負えない、そんな恐るべき害獣が相手であり。
オラクルが出てきた以上、解決は確約されてはいるものの。
それが決して東方が救われるという意味ではない事を、彼は重々に承知していた。
――つまり東方は既に手遅れなのだ、と。




