Memory 1 目覚め
──ビーッビーッビーッビーッ、起きてください、起きてください
目覚まし時計のアラーム音が部屋中のいたる所で反響する。
「ん……んんっ……っるさ」
──ビーッビーッビーッビーッ、起きてください、起きてください
眠気に加勢をするように、地球の重力が両瞼に圧し掛かってくる。
それに負けじと固く閉ざされた両瞼を半分ほどこじ開けるが、結局は地球の重力に圧し負けてしまい、再び両瞼は固く閉ざされてしまった。
これはしょうがない。たった一人の人間が地球相手に勝てるわけないんだから。
と、暗闇の中で独り言ちた。
──ビーッビーッビーッビーッ、起きてください、起きてください
けれど、こちらの事情などお構いなしに鳴き続ける目覚まし時計。
「……そんな事も言ってられないか」
再度瞼を開く事に挑戦すると、今度はごく簡単に両瞼をこじ開けることに成功した。
どうやら瞼が重かったのは、眠気のせいでも地球の重力のせいでもなく、僕の気持ちによるものだったようだ。
気怠そうに上体を起こし、枕元で座する騒音の主へと視線を向ける。
まだ完全に開き切っていない瞼の隙間から、僅かばかり姿を覗かせる黒い瞳が真っ直ぐに目覚まし時計を睨み付ける。
しかし、目覚まし時計は怯むこともなくけたたましいアラーム音を発し続けている。
「はぁ……」
小さく嘆息し、目覚まし時計の頭頂部にある小さなコブをめがけて右手の手刀を振り下ろした。
──ピッ!
──おはようございます、時刻は午前七時三十二分です
「七時半?なんだってまたこんな朝早い時間に起きなきゃいけないんだよ。今日も学校は休みだっていうのに。あぁ、もう……」
イライラを解消すために頭の髪の毛を五本の指で掻き荒らした。
せっかくの休日に朝早くから叩き起こされれば人間なら誰だって腹が立ちもするものだ。
「……まあでも、アラーム設定をした張本人にやじられてチョップまで食らわされたこいつが一番腹が立つよな」
悪かったとの意を込めて枕元にちょこんと置いてある目覚まし時計の頭をぽんぽんと叩いた。
依然として完全に覚醒しきっていない意識の中、膝元にかかった水色のブランケットに視線を落とす。
えっと……なんでこんな朝早くに起きようと思ったんだっけ?
そもそも昨日の夜にアラームを仕掛けた記憶が──あっ、毛玉だ。
ブランケットに付着した小さな毛玉を偶々見つけ、爪で器用に摘まんでフローリングの床に捨てた。
よくよく考えてみれば、ある場所にあるゴミを別の場所に移動させただけの無駄でしかない行為だ。
それで、何を考えてたんだっけ?…………まあいいか。顔でも洗おう。
のそのそとベットから這い出て、廊下へと続く部屋の扉を開けてから洗面所へと向かう。
寝起きの足元はおぼつかず、酔っ払いの様に千鳥足で歩く。
途中、眠気に誘われて口を縦に大きく開けてライオン顔負けの欠伸も出た。
足は千鳥で胴体は人間、頭はライオンなどまあまあな化け物だ。
なんとか洗面所に辿り着き、スイッチを押して電気を点けてから鏡を見る。
鏡に映っているのは、寝癖がひどく目元のクマの深い不健康そうな白い肌をした男の姿だった。目は半開きであごには無精髭が生えている。寝ている間に掻いた汗のせいで照明に照らされた額や頬がテカテカと光っている。
「やあ、今日はまた一段と見違えるような酷さだね。大学の長期休暇中だからって身だしなみくらい気を付けてないと女の子に見限られちゃうよ?」
……………………。
もちろん鏡に映った自分自身に問いかけている訳だから応答してくれる者などいない。
「はぁ……」と、起きてから早くも二度目になる嘆息をした後、身だしなみを整える。
歯を磨いて冷たい水で顔を洗い、伸びたあご髭を電動の髭剃りで綺麗に剃り取る。頭の右半分だけ太陽のプロミネンスの様に逆巻く髪の毛をワックスで強引に直してから再び顔を洗った。
洗面台の横に設置してある木製の棚から手探りでタオルを手に取り、顔に付着している水分を十分にふき取った。使用したタオルは洗濯機に投げ入れようと思ったが、上蓋が開いていなく、わざわざ移動して開けに行くのも面倒なのでそのまま蓋の上へと投げやった。
普段朝に行っている身だしなみを整えるルーティンを終えてから鏡を見ると、先ほどまでとは別人の男が映っていた。
くっきりした鼻筋に清潔感のある髪型。鋭い目つきでもどこか優しさを感じさせるような瞳。俗に言う均整の取れた顔だ。
自分はイケメンではないと言うほど謙虚でもなく、だからと言って自分でイケメンと言うのは憚れるので均整の取れた顔の表現で留めておく。普段の堕落した生活が故に、大学の友人からは「需要の無いイケメン」「天から与えられた二物のうちの一つを無駄にしてる」などとよく言われるがそんな事は知った事じゃない。現に僕には大切な人がいて需要に対する供給は既に成立しているんだ。だから需要の無いイケメンで大いに結構!
「……って、鏡の前で突っ立って何を考えているのやら」
鼻を鳴らし、先ほどよりもいくらかしっかりとした足取りで自室へと戻った。
廊下から自室へと続く扉を開けると同時、異変に気付き思わず足を止めた。
数分前に目覚めた時、部屋の中は電気も点けておらずカーテンも閉め切っていて薄暗かった。はずだったのだが……。
今は、部屋の中心に置いた背の低いテーブルや壁際のシングルベッドや小物類を置いた三段のカラーボックスが淡白い光に照らされて影を落としている。
「これは……」
これは照明の明かりでもなければ外から差し込んでくる陽の光でもない。
とは言え、その光を放っている主の正体はおおよそ予想がついているため、特に不審に思う事無く自室の中に入り、後ろ手でドアノブを引いて扉を閉めた。
その淡白い光を放っている主がいるデスクへと歩いて近づき、覗き込むように身を屈めた。
僕が予想した通り、淡白い光を放つ主の正体はパソコンのモニター画面だった。
しかし、僕にはそのモニター画面に何が浮かび上がっているかまでは予想できていなかった。
見慣れぬソレに少し戸惑いながら、僕は見たままに読み上げる。
「E…F…G……?」
一面真っ白のパソコンのモニター画面の中心に、横書きのアルファベット表記でたった三文字だけ【EFG】と書いてある。所々擦れた様な字体に黒色の文字。いかにも心霊系の怪しいサイトで使われているような字体だ。
とりあえず椅子の背もたれを手前に引いてその椅子に腰掛けた。
椅子の背もたれに全体重をあずけて胸の前で腕を組み、その奇妙な画面を見つめたまま思考を開始する。
「……なにこれ」
思考終了。別に開始と同時に考える事を放棄したわけではなく、この四文字に尽きる事だろうと思う。
「こんな画面を開いた覚えは無いんだけどな……。じゃあ僕じゃないなら誰だって話になるんだけども」
試しにワイヤレスマウスをパッドの上で縦横無尽に走らせる。──反応なし。
ならばと思い試しにキーボードのエンターキーを弾いてみる。──反応なし。
それならばと試しにキーボードのデリートキーを弾いてみる。──反応なし。
それから試しに別のキーを弾いてみたりもしたがやっぱり反応する事は無かった。
「あ~~全然反応しないじゃんこのポンコツPC!」
諦めと苛立ち混じりにそう吐き捨て、キーボード上をなんとなく眺めていた時、ある一つのキーに自然と目が留まった。
Escキー(エスケープキー)だ。
普段、大学のレポートを書く時などにパソコンのソフトを使用するが、エスケープキーを使う事はほとんどない。だから、さっきは僕の視界にすら入らず試しに弾いてもみなかった。
どうせ何も変わらないだろうと思いながらも、投げやりな様子で右手の人差し指でエスケープキーを弾いた。すると、今まで身動き一つもせずにうんともすんとも言わなかったパソコンのモニター画面が遂に反応した。
モニター画面の中心にある【EFG】の三文字が、背景の白い海に溶け込むように消えてゆき、新たな文章が白い海面へと浮上してきた。
この度は【EFG ~Escape From Garden~】のご利用誠にありがとうございます
「……へ?」
不意を打たれて困惑する僕を気にする事無く、次々とモニター画面に新たな文章が浮かび上がってくる。
これはリアル脱出シミュレーション
あなたともう一人のパートナーで協力して脱出を成功させて下さい
最初にあなたは指示者となりパートナーへ指示を出して安全圏まで導いて下さい
シミュレーションの説明は以上です
このシミュレーションではルールや秩序は存在しません
あなたが頼れるのはパートナーとあなた自身のみです
【EFG】に参加しますか? Y/N
最後の文章を浮かび上がらせたまま、再び画面は動かなくなった。
僕は次々と提示されていった文字を読み取り、それらが成す意味を頭の中で把握した後、大きく溜め息を吐きながら椅子に深く座り直した。
「EFG、リアル脱出シミュレーション、指示者、それにパートナーの存在か……。あ、それとルールや秩序が存在しないとかだっけか」
これらの与えられた情報を元に一つの答えを導く。
「怪しすぎるだろこれ。新手の詐欺サイトにしか思えないんだけど。……まあ、仮に詐欺じゃなかったとしても別に僕じゃないといけない理由なんて無いだろうし、申し訳ありませんが他をあたって下さい」
参加する事を拒否しようと思い、体を少しデスクに引き付けてから伸ばした右の人差し指がキーボードのNキーに軽く触れると、
このシミュレーションでは一人での脱出はほぼ不可能です
あなたがパートナーを見殺しにするのならNキーを
あなたがパートナーを救いたいと思うならYキーを押して下さい
【EFG】に参加しますか? Y/N
まるでその瞬間を狙い澄ましたかのように、モニター画面に以上の文章が表示された。
それらの文字の意味を読み取った瞬間僕は大きく目を見開いた。
まるで時が止まったかのように微動だにしない僕は、モニター画面にくぎ付けになったままポロリと唇の間から言葉を零れ落とす。
「救うんだ…………僕が……」
突然何かに取り憑かれたように、視線をそのままにNキーに触れていた指先を少し上へと移動させ、Yキーを音も無く弾いた。
ようこそ【EFG】へ
忽ちモニター画面から一切の有色が消え去り、放たれ続ける淡白い光の純度が増していく。
「っつ──」
あまりの眩しさに耐えかねて、二の腕で光を遮るように目を覆った。
部屋の一部を照らしていただけの光が、部屋全体を包み込んでいった。