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A棟階段の給水器

作者: やなぎ好

教室に入ると、夕焼けに染まったその空間に人が立っていた。

「早く帰れよ、戸締りしたいから」

 窓の方を向いて立っていたそいつに話しかけた。そいつ、須藤彩奈はゆっくりこちらに振り向く。

 目が合った。


 その刹那、自分が見ている風景が写真のように止まった気がした。


「あ、ごめん。高坂って日直だったのか」

 そう言って須藤は少し笑った。

 さっき感じた違和感はもうなくなっていた。

 ゆっくりと現実に戻されていくような妙な感覚を味わいながら、須藤が教室から出ていくのをただ眺めていた。



「貴重品事件、結局犯人は西田なのかな?」

 翌日学校に着くと、教室で吉岡大樹に突然聞かれた。

「貴重品事件?」

 俺の前の席に座っている吉岡は、唐突に会話をしだす奴だ。だが、悪い奴じゃない。中学からの同級生だ。

 「なんだそりゃ・・・」

 と、聞き返す途中で思い出した。

 そういえば先週、新谷明日香という同じ学年の女子生徒の財布からお金が盗られた、らしい。詳しいことは分からないが先週、そんな事を担任が言っていた。

 『何か知ってることはないか』と。

「2組の榊原が17日の放課後、部活の休憩中に西田を見たって言ってんだよ」

 榊原?西田?それより『貴重品事件』というネーミングはなんだ。

 その質問に答えてくれたのは、いつの間にか隣の席に座っていた新聞部、川島美岬だ。

 吉岡同様、中学から一緒である。

「西田君は野球部のエースだよ。向かいの4組に在籍していて、私たちと同じクラスの須藤さんと付き合ってる勝ち組。ちなみに榊原君は卓球部。」

 捲し立てる様に話す彼女は、新聞部だからなのか、先天的な好奇心からなのか、結構な事を知っている。

 学校の生徒の名前を全て覚えてるほどだ。

 そんなことより、須藤という名前に反応してしまった。

 昨日の情景が思い出される。


 オレンジの教室。彼女の大きな目が俺を捕らえる。確かに時間が止まった気がした。


「けど先生たちは確実な証拠がないって言って、お手上げらしい」

 吉岡は両手をお手上げのポーズに取り首を振った。

「そもそも、貴重品を盗られたのが悪いんだろ」

 自己管理がなってないのが悪いんだと言うと、隣から反論が来た。

「ひどーい。自分がそうなったらどうするのよ」

 俺は川島の方を見ずに答える。

「犯人を吊るしあげるね」

 それを聞いた吉岡と川島は、聞こえるほどのわざとらしいため息をした。



 放課後、特に用事があるわけでもなく、図書室で読みかけの本を読んで時間をつぶしていた。

 ふと、昨日の須藤を思い出す。

 昨日は日直で、皆が帰るまで教室で日誌を書いており、その後職員室に行き、先生に頼まれて教室の鍵を閉めるために、また戻ってきたところだった。

 須藤は何故、その間ずっと教室にいたのか。窓の外を見て何を考えていたんだろう。

 どうでもいいことを、どうしようもなく気にかかってしまった。

 何故ここまで気になるのか自分でも分からない。

 吉岡が言うには、榊原が卓球部の練習中に休憩をはさんだ際、教室から出ていく西田を見たという。その時間まで教室に残っているのは不自然だとして、後に同じく学校に残っていた新谷のお金が盗られた事が公になった際、その目撃証言は直ちに拡散したという。

 また西田と須藤は付き合ってるらしい。

 須藤からしてみれば、自分の彼氏がお金を盗んだ張本人なのではないかと噂されるのは、良い心地ではないだろう。

 思い悩んでたのだろうか。

 

 ・・・おかしい。

 普段なら俺はこんなことで悩んだり考えたりしない。基本面倒くさがりなのは自分で分かっている。

 なのに何故ここまで・・・。

 何となしに教室に向かった。もしかしてと思ったからだ。

 結果、その予想は当たった。

 教室に入ると、昨日と同じように須藤がいた。

 唯一昨日と違うのは、須藤のほかにもう一人、大柄な男がいた。瞬間、西田だと分かる。

 頼んでもないのに川島が見せてきた西田に写真。あいつが常に持ってきているカメラの中に、野球部のユニフォームを着て、練習している顔が目の前にいる。

 突然入ってきた、多分、邪魔者の俺に二人が振り向く。

 こっちを睨む西田はどう見てもガラが悪く見える。

 教室に入ってきた奴をまず睨むってどういうことだよ。

「あっ、高坂。ごめん、戸締り?」

 須藤が少し慌てた様子で聞いてくる。

「いや、俺は昨日で日直終わってるから。ただの忘れ物だよ」

 何故かこっちも少し焦る。隣の男が怖ぇんだよ。こっち見んな。

「おい」

 ビクッとなった。

「なに?」

「お前も俺が犯人だと思ってるのか?」

 西田の野太い声は威圧という名の圧迫感をはらんでた。

 目つきがさっきよりも険しくなってる気がする。そもそもいきなりそんな事聞くのかよ。

「なんか、結構な噂になってるね。榊原だっけ?彼がどう言おうが俺はどうでもいいね。犯人だなんて思ってないよ」

 そう答えた。

 これは本心だ。至極どうでもいい。

 西田はこっちをしばらく見ていたが、軽く鼻を鳴らすとすぐに教室を出て行った。

 慌てて須藤もそれを追いかける。

 須藤は俺にごめんね、と片手を顔の前で立て口パクで伝えた。

 良いよ、と片手を上げそれに応える。

 何を話してたか知らないが、教室に残ってるという直感は当たった。そのおかげで少し怖い思いをしたが、まぁいい。多分昨日、教室に須藤が残ってたのは西田を待っていたのだろう。奴は野球部らしいからな。昨日は部活だったという事だろう。

 気付けば5時を指す音楽が外から流れていた。



「ごめんね、昨日は。感じ悪かったでしょ」

 朝、俺が教室に来るのを待っていたかのように須藤が話しかけてきた。

「悪い奴じゃないんだけど。結構性格荒くてさ。勘違いされるようなことばかりするから」

 彼氏の事を弁解している須藤は、少し悲しそうな顔をしていた。

「あいつが疑われてるのって、皆がそう思ってるのか?」

 いくら目撃情報があるからって、そこまでそれを信じるものだろうか。

 しかし、須藤はそれを否定しなかった。

「うん・・・。私の友達も、結構疑ってるらしくて。いやー困った」

 笑いながらそんなことを言う須藤。いや、笑えないぞ。

 結構周りの奴らは薄情なんだな。

「だからね、昨日高坂がああ言ってくれて少し嬉しかった」

「いや、本当のことを言っただけだし」

「だからこそだよ」

 そう言って、ニコッと笑う。

 彼女の表情はコロコロ変わる。悲しそうにしたと思ったら嬉しそうに笑ったりする。そんな彼女に俺は少し戸惑う。

 西田が犯人だという証拠はない。ただそれは逆も然り。

 けどその証拠とやらを見つけようとも思わない。

 だけど、彼女のこの笑顔を見たとき、犯人ではないと言って良かったと思った。

 何故か。知らん。



「ということで、そろそろ月の終わりの新聞を出さなきゃいけないので、手伝ってくれ」

 その日の昼休み、川島からそんな事を言われた。

「え?やだ」

 即答する。

 川島は信じられないように口を大きく開けて「唖然」と実際に言った。

「なんでー!いいじゃん!!貴重品事件について特集を組みたいの!!」

 だからそのネーミングはどうなんだよ。

 しかし川島は必死に説得する。

「実はこの特集組むの、他の部員が反対しててさ・・・。私1人だと不安だから、頼りになるの高坂ぐらいなの」

 涙目で言われても微塵も動かない自分の心に、俺って冷たいなと思った。

「俺って冷たい人間だな」

「自分で言うな!!」

 はぁ、とため息をつく川島。さっきの涙目は演技であり、もう顔から消えている。

 川島の演技の多彩さは中学からの常套手段だ。慣れた。

「正直、期限までに出せないから困ってるんだけど」

「そっちが本音か。そもそも他の部員が反対してるんだからやめたほうが良いだろ」

「ううん、そんなことない。皆はこの事件の犯人を西田だって言ってるけど、私はそうは思わないの。榊原君の目撃証言だけだっていうのに、あやふや過ぎるでしょ」

 川島が珍しく真面目な声で、こっちを真剣に見て言った。正直少し驚いた。中学の時からずっと新聞部で、気になった事を探求するのに手を抜くことはしない奴だとは思っていたが。ここまで強く言い張ったのは中々ないかもしれない。

「お前も西田は犯人じゃないと思ってるのか」

「曖昧過ぎるって言ってるの。それに須藤さんが可哀想じゃん。須藤さん、あの事件が起きてから友達に『別れたほうがいいんじゃない』とか言われてるんだって。それって無神経じゃない?酷いと思うよね?」

 そんなことまで言われてたのか。確かに無神経かもな。

「んじゃお前は貴重品事件の犯人を、本物を暴き出すってか?」

 自分でもこの単語を言ってしまうとは。

 しかし川島は予想とは反して首を振った。

「ううん、違う。私がしたいのは西田が犯人じゃないっていう証拠が欲しいだけ」

 それを記事にしたところで・・・と言おうとしたところで止めた。川島がここまで真剣なら余計な口出しは無用かもしれない。

「しかし川島。目撃証言しかないのにどうするんだ。それに何で俺なんだよ」

 すると川島はニヤっと笑った。

「ジュース奢るから、良いでしょ。それに・・・あんただって西田が犯人じゃないって思ってるんでしょ?」

「ギクッ、なぜそれを」

「ギク、とか口に出して言う人初めて見たよ・・・。ごめんね、盗み聞きしようと思ったわけではないけど、朝に須藤さんと話してる内容聞こえちゃったの」

 む、それは本当にギクッだな。普通に恥ずかしい。

「わかったよ。手伝う」

「え、本当に?」

 お前から言ってきたんだろうが。本当に唖然としてる顔しやがって。

 


 という事で、俺は西田が犯人ではないという証拠を見つけなければいけなくなった。 

 ただし、これは流されたわけじゃなく、じぶんで決めたことだ。

 川島はずっと気味悪がってたが、俺は無視した。



 川島が新聞部として、情報を集める方法は簡単なものだった。 

 いわゆる聞き込みである。

 あの後、川島は職員室に行き、西田と新谷の担任である森田に話を聞きに行った。

「17日の日直?そんなもん何で知りたいんだ」

 怪訝な顔色で聞いてくる森田。

 白髪頭を短く刈りそろえた頭に、顔に刻まれた深い皺。

 なんか歴戦の軍人みたいな感じだな、というのは第一印象だ。 

 そんな威厳を垂れ流す森田に、川島は動じずにはっきりとした口調で応える。

「はい、新聞部として気になることがありまして」

「新聞部?何か記事にするのか」

 川島の、説明してるようでまったく説明していない言動に、森田はますます曇った表情を見せる。

「はい、日直とはどれだけ大変なのかを記事にします。特に17日の」

「いや、意味わかんねーよ」

 これは俺の台詞。

「ちょっと、高坂は黙っててよ」

「そんな説明の仕方があるか」

「いいの。大事なの」

「そうじゃなくてだな・・・」

「はぁ・・・」

 と、最後の一際大きいため息をついた森田によって、馬鹿みたいな言い合いが終了した。

「分かったよ。お前らも大変そうだな。どっちにしろクラスの連中に聞けば分かることだしな」

 そう言って、日直日誌を取り出しページをめくった。



「あー、うん。確かに日直だったよ。先週だよね」

 半田義則はそう答えた。

 ちょっと真面目そうな男子生徒・・・的な地味な印象。

 おかっぱみたいな髪形をして、人の好さそうな表情をしている。

「その時、何か変なこととか起きなかった?」

 川島が身を乗り出して質問をする。

 これはこいつの癖だ。無意識のうちに顔が近くなっていくのだ。

 半田もそれに合わせて少し身を引く。川島は気付かない。

「うーん、折り畳み傘の忘れ物が多かった事は覚えてるけど・・・」

 川島はそれを聞いても微動だにしない。

「そ、そうだね、1つだけ変と思ったのはあったね」

 まさかの返答。

 川島の無言の圧力の賜物か?

「その日は数人の女子が放課後まで教室で喋っててね。日直だし鍵とか閉めたかったんだけど、代わりに新谷さんがやってくれるって言ってくれたから、帰らしてもらったんだよ。それは先生も知ってるよ」

 変わらず川島が身を乗り出すと少し引く半田。

「それで変と思った事ってのがね。次の日、朝一で教室についてベランダを見たら、箒が3本出てた」

 箒?

 突然出てきたその単語に川島と俺は首を傾げた。

「箒?ていうかなんでベランダを見たの?」

 川島の質問に半田は笑顔で応える。

「うちのクラスって、前の日に日直だった人は次の日教室を見て回って変なものとか落ちてないかを確認するんだよ」

 うわっ、面倒だな。

 俺は、森田が担任になるのは今後一切ないよう祈った。

「それで半田君は箒を見つけたと」

「うん。まぁ皆そんな面倒事やらないけどね。僕もたまたま早く教室に着いたから、ついで程度だったけど」

 けどその箒はいつからベランダにあったんだ?

「前の日はそんなもの無かった。戸締り以外なら、日直として教室を見て回ったからね」

 心で思ったことに反応されるのは慣れないな。偶然にしても。


 

 結局、その後色々な奴に聞いてみたが、手応えは全くなかった。

 今回の被害者である新谷と西田にも聞こうとしたが、西田は怖いし、新谷は学校を休んでいた。

 ただの風邪らしい。

「そう言えば今回の目撃者らしい榊原には、聞かないのか?」

 事件当日の放課後に、教室から出ていく西田を見たという唯一の証言者。

 川島が忘れるわけない。

「榊原君ならもう前に聞いたよ。榊原君、自分から言いふらす様に、皆に言って回ってたからね」

 調子が良い奴だな。

 そんなことしたら西田に殺されそうだけど。 

「実際、西田君と一度衝突したらしいけどね。すぐに先生が止めたとか」

 

 

 放課後まで聞き込みは続いたが、気になったのは、箒の話だけだった。

 川島は「手伝ってくれてありがと」と本当にジュースを奢ってくれ、そのあと別れた。

 正直奢られるほどのことなどしてないので、何となく貰ったジュースを持て余しながら、これまた何となく図書室に寄ろうと歩いていると、廊下の掲示板からプリントがはがれかけているのが目に入った。

 よく見ると、その下に画びょうが1つ落ちている。

 上履きというのはそこまでヤワじゃないが、見過ごすのもあれなので、画びょうを拾い、プリントを貼り直した。

「おう、ありがとう」

 突然後ろから声を掛けられた。

 振り向くと、そこには見知った顔がいた。同じ学年の奴だ。

「このポスター、緑川が作ったのか」

 確かそんな名前だった気がする。

「そうだよ。もうすぐだからね」

 当たっていたようだ。

 ポスターの内容は、もうすぐというにはまだまだ先の文化祭の事だった。

「これって緑川の仕事なのか?絵、上手いな」

 文化祭というより一目見るとハロウィンの仮装パーティーにも見える、魔女の恰好をしてる女の子のイラストが描いてある。

「まぁ、僕は文化祭実行委員の広報やってるからね」

 器用な奴だ。

「まだ全然先だと思うが、今からもう広報の仕事とかしてるのな」

「大変だけどね。放課後まで残って色々とやってるよ。今さっきもそのポスターを色んなところに貼ってたところなんだ」

 少し困ったように笑う緑川。

 文化祭実行委員なんて面倒な仕事をするのなら良い奴なんだろうな、と勝手な法則を頭で作ってると、少し俺も仕事をしようという気になった。

 持ってたジュースがそうさせたのかもしれない。

「緑川、17日の放課後も仕事をしてたのか?」

 特に期待はしてなかった。

「うん。残ってたよ」

 だから、そんな風にあっさり言われて、少し驚いた。

「あ、マジ?・・・えっと、その時、何時までどこで何してた?」

 少しどもってしまった。

 しかし、それでも緑川は落ち着いた様子で、怪しがることもなく答えてくれた。

「確か・・・5時頃まで作業をしてて、その後職員室に寄ったかな。ちなみに作業場は文化祭実行委員教室ね」

 そんな長い名前の教室なんてあったのか。略せよ。

 しかし、これは結構良いんじゃないか。当たりを引いたのでは。

「そっか、ありがと。ちなみに誰かと放課後会ったりしなかったか?」

「うーん、特にいなかったけど・・・。もしかして貴重品が盗まれたってアレ?」

 鋭いな、こいつ。

 まぁ。17日なんて特定して聞けば分かることか。

「そんな感じかな。俺じゃなくて、友達がね」

 しなくてもいい言い訳をしつつ、頭を掻く。


「でもあれって、西田君がやったんでしょ?」


「え」

 緑川が平然とそんな事を言ったことに結構戸惑う。

 何となく、こいつはそういう反応をしない側の人間だと思っていたからだ。

 勝手な思い込みだが。

「いや、まだそうと決まったわけじゃないと思うけどな」

 いつの間にか強く握ってたのか、ジュースの容器が少し変形していた。


『榊原君がそういう風に言ってたよ』

 昨日の放課後、緑川はそう言った。

 榊原の言う、よく分からない目撃証言を信じていた。

 何か、モヤモヤする。

 俺の知ってる緑川は、頭が良いという印象だった。

 学年で1位の成績をとったことで一時人気があったからだ。 

 名前を憶えてたのも、それが理由だ。

 そんな彼が、まるで西田が犯人なのを疑いもしないような態度に、違和感を感じた。

 緑川にだけ感じる事なのか?

 もしかして皆も同じような態度をとるのか?

 何の疑いもなしに、少し素行が悪いって理由だけで。

 考え過ぎなのか、意識過剰なだけなのか。

 頭が良いからって理由で、違和感を感じるのは変な話か?

 分からない。ただ、このモヤモヤを取り払いたい気持ちが強いのは確かだ。

 なら、もう少し聞かないといけない事がある。

 昨日みたいに手当たり次第ではキリがない。

 ターゲットを何人かに絞ろう。



「先週の木曜日?あー、確かに緑川と話したよ」

 その日の昼休み、俺はすぐに職員室に赴いた。

 まずは昨日言っていた、緑川の証言が正しいかどうかを確かめなくてはならない。

 しかしやはり、嘘などは憑いていなかったようだ。

「ちなみに杉本先生。その日、緑川が来た時間帯ってどれぐらいか分かりますか」

 時間の事も一応確認しておこう。

 ちなみに杉本は、川島から聞いたところ、文化祭実行委員の担当をしている先生らしい。

 初老の優しそうな雰囲気のある先生だ。

「そこまではなぁ・・・。」

 少し悩んだ様子を見せていた杉本が、何か思い出したのか、顔を勢いよく上げた。

「あっ、思い出した。西田が反省文を出した後、15分くらいしてだった」

 ん?西田が反省文?

「あの、西田って反省文書いてたんですか?その日に」

「あぁ。同じクラスメイトの奴とケンカしたらしくな、ここでいそいそと書いてたよ」

 ついでに聞いた甲斐があった。当たりだ。

 でも反省文なんて書いてたのか、西田は。これは疑われても仕様がない気がしてきた。

 次に話を聞いたのは吉岡だ。

「榊原が西田を見た時間帯?なんでそんなこと聞くんだよ」

 ちょっと気になることがあってだな。

「川島もなんか張り切ってそのことについて聞いてくるしよ。そもそも俺は、ただの世間話のつも「知ってるのか、知らないのか」

「し、知らないよ。部活の休憩中に見たってだけで、それ以外は特に」

 不満そうな顔を浮かべながら、ちゃんと答えてくれる吉岡。

 しかし、結果はあまりよろしくない。

 さっきの杉本からでた意外な事実が、モチベを上げていたから、このままいけばいいと思ったのに。

 まぁどうせ、犯人なんてわかるまい。

 ただ、西田が犯人と決まったものは何一つないのも事実。

 誰かの目撃証言なんてただの状況証拠。

「川島からジュース貰っちゃったしな」

 最後に聞く相手にはもうメールしておいた。

 放課後、昨日も寄った図書室に向かう。

 彼女はもう座って待っていた。

「や、高坂君」

「よ、須藤」


 

 家の部屋のベッドに横になって考え事をするのは小さい頃からの癖だ。

 昔から、自分の天井を見つめながらよく考え事をしていた。

 一番落ち着く場所。一番集中できる場所。

 そこで考えてみる。

 今回の貴重品事件などという名前で呼ばれるようになったこの騒動を。

 

 榊原は17日の木曜日、卓球部として練習をしてたらしい。

 いつもは体育館で練習をしているらしいが、前日の16日の夜から17日の朝方まで、雨が降っていた。

 だから卓球台を体育館に運ぶのはやめて、B棟の2階の廊下でやっていたらしい。


「不便だな」

『そうだね、体育館去年出来たばっかりで、色々とそういう不都合とかあるらしいよ』

 電話先の川島はそう言った。

『それにしても、意外だな。高坂が自主的に調べてるなんて』

「そんなんじゃない。ただの気まぐれだ」

 少し笑う川島。

『須藤さんでしょ?』

 は・・・?

『やっぱりー。図星だな。』

「そんなんじゃありません。やめてください」

 棒読みで否定する。

『妬けちゃうなー。私というものがありながら』

「うっせー」

 などと関係のない言い合いをして電話を切った。


 まぁただ、これが本当なら西田も運が悪かったと思うしかない。

 雨さえ降ってなければ、この目撃証言はなかっただろうからな。


 榊原が給水器で水を飲んでいると、西田が教室から出ていくのが見えた。

 らしい。

 

『西田が言ってたんだけどね。その日、反省文を書いた後、すぐに折り畳み傘を教室に忘れているのを思い出して、取りに戻ったんだって。教室には鞄が1つだけ置いてあって、多分それが新谷さんのだと思うって。けど、鞄の中からお金は取ってないって言ってたよ』

 図書室で確かに須藤はそう言った。

 途中から、訴えかけるような声で話してたのを覚えてる。


『後、高坂君から言われたことを明日香ちゃんに聞いたけど、そんなことしてないって』

 当日日直だった半田が言っていた事、3本の箒の意味。

 あれは教室に最後まで残っていた新谷達がやったことだという可能性もあって、それを須藤に頼んでおいたのだ。

 正直、犯人であるかもしれない西田の彼女と、被害者である新谷を会わせるのに躊躇したが、彼女らは普通に仲が良く、今でも関係は良好らしい。

『明日香ちゃんは西田のこと疑ってないから』

 そう言ってた須藤は嬉しそうにしてた。


 ということは、あの箒は誰か他の奴がやったということだ。

 問題は何のためにそんなことをしたのか。

「多分、隠れるためだろうな」

 確信なんてないが、そう呟く。

 箒は、掃除ロッカーに入るには邪魔だったのだろう。

 ベランダに置けば誰かの目に付くことは少ない。

 ただもしそうだとしたなら、片付けることを忘れたのはミスだったことになる。

 それほど慌てていたのだろうか。


 これはただの妄想であり、こじつけだ。

 俺がやろうとしていることは最低の行為だ。

 ただ、俺の仮説が正しければ、もしくは・・・。



 翌日、図書室の前で、俺は文化祭のポスターを見ていた。

 正直このまま彼が来なかったらこの話はなかった事にしようと思ってる。

 あまり気が進まないのだ。

 普段なら面倒な事などしたくないのに、自分が今、ここにいるのが不思議に感じる。


『ありがとね、高坂。』

 昨日の須藤の顔が思い出される。

 まるでこれじゃ、俺惚れてるみたいじゃないか。

「その絵、結構気に入ってくれてるんだね」

 はぁ、こういうときの俺の引きは良いらしい。

「よう、緑川」


「この絵、描くのに2週間もかかったんだよ」

「そうなのか」

 緑川が笑いながら、大変だったこととかを話してくる。

 良い奴そうな顔をしている。

 それでも俺は重たい口を開くような、ゆっくりとした口調で言った。

「西田は犯人じゃないかもしれない」

「え?」

 突然会話が変わって、戸惑うような顔をする緑川。

「何の話?」

「いや、前にさ、ここでそんな話したじゃん。貴重品の事件」

 緑川はさっきまでの笑顔をひっこめた。

 なんとなく目つきが変わった気がする。

「話しかけないほうが良かったかな?」

 そんなことはない。俺もいい加減、決着つけたいと思ってたしな。

「榊原が西田を見たのは5時過ぎだ。5時じゃない」

「何を言ってるのかよくわからないよ」

 そうだな、確かに。

 俺は緑川の顔色を窺う。まだだ。

「友達の新聞部から聞いたんだが、卓球部って、5時を知らせる音楽がなると休憩に入るらしい」

 ここの地域では、5時になると曲が流れる。曲名は忘れた。

「だから榊原が給水器で水を飲んでいたのもその時間だ」

 緑川は何も言わない。

 何も言わないのが逆に怖い。

「だから、その時間じゃない限り西田を見ることは出来ない」

 緑川はこっちをじっと見ている。

 何かを探っているような。

「だけど西田はその時間には教室にはいなかった。それから10分程経つまで職員室にいたからだ」

「職員室?」

 緑川の表情に少し変化が生じた。

「そう、反省文を書いてたらしいんだ。さっき杉本先生に確認とってきたよ。確かに5時の音楽が鳴ってもまだ職員室に残ってたってね」

 少し目線を外した緑川。

 ただ焦っている様子はない。

「西田がそれから10分程で帰ってから、15分程して君が来たらしいね」

「何が言いたい」

 さっきよりも明らかに声が低い。怖ぇーよ。

「だからさ、西田だけが犯人じゃないかもしれないってことだよ」

 最後の台詞は笑顔で言った。軽い感じで。

 しかし相手は違った。

「それって、僕の事を疑っているのかい」

 分かりやすい敵意を向けてくる緑川。

 俺がここに立っていた理由も把握したに違いない。

「最初からその話をするためにここにいたんだね」

 そう、待ってた。

 正直、今この時間に来なかったら、こんな話をすることさえ諦めていた。

 ただお前は俺に話しかけてきた。

 誰かのいたずらだと思ったぜ。

「別にお前が犯人とはいってないだろ?ただの可能性の話だよ。けど、掃除ロッカーにこれがあった」

 ブレザーのポケットから取り出して見せた。

 そのブレザーにもともとついているボタンを。

 瞬間、緑川が焦ったように自分のボタンの位置に手をやった。

 かかった。

「どうしたの、おなか痛い?」

 勿論、緑川のブレザーにはボタンが全部付いてる。

 こいつが落としたものじゃない。

 だけどこの罠に引っかかった。これで可能性が少し上がる。

「ま、ロッカーの中に誰かが隠れていて、その際にボタンを落とした。という仮説を立てただけだ。これなら西田が犯人ではなくなるだろ?」

 緑川の口調が荒れた。

「そんなのただの偶然だろ!それに西田のものかもしれないし!」

「それはない」

 ここまで態度に出てくれるとは。

「な、なんでだよ・・・」

「西田は箒だけ抜いても、入りきらない身体だからな」

 野球部のエースたるものが、あんなロッカーに収まる身体じゃない。

「そんなの・・・」

 緑川が言おうとしている事を先回りして言う。

「状況証拠だけだろ?」

 頭の良さそうな顔は欠片も残ってなかった。

「けどそれは西田に対してもそうだ。榊原が見たってだけで、皆が疑ってるのは可笑しいと思わないか?」

 それに杉本の証言で榊原が嘘を憑いているかもしれない可能性。

 正直ここまでうろたえてくれると思ってなかった。

 もう彼は何も言わない。俺も疲れた。

 だから去り際、こんな責めるような事言って悪かったなという意味で言った。

「お前が咄嗟に確認したボタンの事は見なかったことにしておくよ」



「えーーーーー!!!そのボタンってあんたのなの!?」

 すげーうるさい。

 その日の放課後、川島と2人で学校周辺をぶらぶら歩いていた。

「そ、俺が用意したの。だからこれは緑川のものじゃない」

「なんだそりゃ・・・」

 川島はこれほどかというほどがっくりした様子を体現して見せた。

「という事は、すべてあんたの作り話ってことね」

「いや、全部じゃない」

 確かにボタンは嘘を憑いたが、榊原の部分は本当だ。

「じゃあなんで榊原君は嘘を憑いたの」

「これは俺の仮説だが、多分2人はグルだと思う」

「グル?」

 そう。

 昨日、川島からの電話で知った卓球部の休憩時間と場所、それに今日聞いた杉本の証言、それに緑川の反応。この3つから何となくそういう結末にたどり着いた。

「正直、緑川が犯人だとは本気で思ってないんだ。ただのこじつけだよ。時間のズレと榊原の不可解な言動だけじゃ緑川の犯行だとは思えない。だから嫌われる覚悟でやったんだ」

「じゃあ、そのボタンを見せた時の反応から?」

「そうだな、もしかしたらって思ってやった反応なら、ロッカーに隠れていた可能性がある」

「でもそれでグルってことにはならないんじゃない?」

「まぁね。ただ、タイミングが良すぎるだろ?もし榊原が嘘を憑いているのであれば、実際西田の姿を見てないはずだ。なのに西田の名前を挙げた。それに昨日から気になってたんだけど・・・」

 川島が首を傾げる。

「なんで榊原は、B棟の練習場所から、A棟の階段の給水器まで来たんだ?」

「あっ」

「もし給水器が並んでいたとしても、わざわざ長い廊下を渡ってくる必要がない。下か上の階の給水器に行けばいいんじゃないのか?」

 川島から電話で言われた、卓球部の練習場所。

 確かにその時は、西田の運が悪いと思ったが、教室から出ていく西田を見るにはわざわざ離れたA棟までいかなければいけない。それじゃあまるで西田を見るために行ったようなもんじゃないか。

「確かに。榊原君の明らかな矛盾、ロッカーから出てた箒、緑川君の異様な反応。怪しすぎるね」

「ちゃんとした証拠はないけども、それでも川島の願いは叶ったんじゃないか?」

「え、願い?」

 わすれてんじゃねーよ。

「西田が犯人じゃない証拠。曖昧だけど、確率は減っただろう」

 川島がじっと見つめる。

「な、なんだよ」

「高坂って優しいよね。なんやかんや」

 なんやかんやってなんだ。

「ま、でも、高坂が見つけたこの可能性を記事にするのって、やっぱり難しいかな」

「だと思った」

 それは最初から思ってた事だ。

 今回の事件を記事にしたところで、誰が犯人とか、そういうことを書くわけにもいかないしな。それは先生たちがやることだ。それも公にすることじゃない。

 それに、多分今回の犯人は見つからないだろう。どっかのミステリー小説なら、探偵役が見事に見つけるだろうが、生憎ここにはそんな大層な人はいない。

「ならやっぱし、私のためじゃなくて須藤さんのためなの?」

 川島がほんのちょっぴり低い声で聞いてきた。

「そうだなー、須藤って可愛いからな。頑張っちゃったかもな」

 わき腹が抉られた。

 いや、抉るってなんだよ。どうやったら抉れるんだよ。

「高坂は西田君に殺されました」

「な、なんで断定されてんだよ」

 明らかに機嫌が悪い川島。

 こいつも大概だな。勘違いするぞ。

「けど、お前のおかげだよ。色々教えてくれなかったら分からず仕舞いで終わってた。感謝してる、サンキューな」

 反応してくれない。なら、

「お礼がしたいからご飯を奢らせてくれないでしょうか」

 チラッとこっちを見る川島。

「んじゃ今週の日曜付き合え」

「ありがたき幸せ」

 

こりゃ演技なのかなぁ、とか考えながらもデートのお約束をちゃっかりしてしまった俺は、流されやすいのかもしれないと今更ながらに思った。

そして、新谷の机の中に盗まれたのと同じ金額が戻ってくることを知るのは、もう少し後のことだ。

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