世界産み
自サイトで展開しているシリーズの最終作に該当する短編小説です。
妊娠してるかも、と言われた。
彼女は女神だった。
上位次元から流出した魔法が受肉し、僕らに極めて近しい肉体と思考様式を持って生まれた存在だった。
かつて彼女は世界に終末をもたらす存在だった。
彼女は、全ての次元、全ての並行宇宙、全ての時空、全ての因果律に破滅をもたらす存在だった。
僕らは、全ての次元、全ての並行宇宙、全ての時空、全ての因果律を守るために、彼女に戦いを挑んだ。
戦いは数千年にも及んだ。僕らは生まれ故郷の惑星はもちろんのこと、他の惑星や次元や並行宇宙にまで救援を要請し、数え切れないほどの仲間と共に彼女と戦った。
けれどもそれは、彼女にとっては戦いではなく、僕らを理解するための会話に過ぎなかった。
数千年が過ぎ去り、数万年にも及んだ戦いは、彼女の受肉を以て終わりを告げた。流出魔法の顕現体たる彼女は、僕らから感情や肉体の扱い方を学び、僕らと同じように生きることを選択した。
流出魔法の顕現体にして概念の総合体たる彼女は、僕らの肉体を模倣してこの世に生を受けた。
彼女が誕生した時、僕は彼女の説得に成功したのだと確信を抱いた。魔法の顕現体が僕らを理解してくれたのだと考えた。
そしてそれは、間違いではなかった。間違いではなかったのだけれども、正しくもなかった。
彼女は、全ての次元、全ての並行宇宙、全ての時空、全ての因果律を無に還し、零から再びやり直すための役目を担った存在だった。
彼女は世界産みだった。僕は彼女に世界を理解して貰うことを選択し、彼女と一緒に旅をした。
あらゆる惑星を旅した。僕の生まれ故郷に行き、僕のルーツを見せた。
あらゆる宇宙を旅した。僕の同位体が存在する並行宇宙に向かい、有り得たかもしれない僕の可能性を見せた。
あらゆる次元を旅した。僕の祖先の親戚がいたと言われる次元に上昇し、世界魔法の痕跡を見せた。
あらゆる根源を旅した。元素、有機細胞、無機細胞、遺伝子、テロメア、DNA、肉体、機械、時間樹、歴史の多重螺旋構造、万象記録体。僕が知る限り全ての根源を彼女に見せた。
あらゆる境界を旅した。僕の祖先が引き裂いたという絶対境界線にも触れ、この世界に魔法が流出した経緯を彼女に伝えた。
僕は、この世界に存在する生命の数と同じ数だけ、同じことを繰り返した。
彼女には、全てを知って貰いたかった。
人間のそれとはかけ離れた領域にある感性を抱えていた彼女は、旅をする内に、より人間に近しい感性を獲得していった。
彼女は、この世界に興味を抱いてくれた。
僕らは再び、旅をした。
もう一度、あらゆる惑星を旅した。僕は彼女と一緒に、未知の惑星を巡った。
もう一度、あらゆる宇宙を旅した。僕は彼女と一緒に、未知の宇宙を巡った。
もう一度、あらゆる次元を旅した。僕は彼女と一緒に、未知の次元を巡った。
もう一度、あらゆる根源を旅した。僕は彼女と一緒に、未知の根源を巡った。
もう一度、あらゆる境界を旅した。僕は彼女と一緒に、未知の境界を巡った。
僕らは、この歴史の過去と現在と未来に生きる生命の数と同じ数だけ、同じことを繰り返した。
知識と知恵と経験を重ねた末に、彼女は生物が営む繁殖活動に興味を抱いた。
僕は彼女に応えた。結果、彼女は僕との間に子を成すこととなった。
彼女のお腹の中には僕と彼女の子が宿っている。今まで屈託のない笑顔を見せていた彼女は、ここに至って初めて、不安と怯えを見せるようになった。
不安と怯えは妊娠から来る生理的反応だと僕は彼女を説得した。他者の一部を受け入れることは、しばしば肉体的な不快さを伴う。
けれども、僕は誤解していた。彼女の不安と怯えの正体はもっと根源的で、彼女の役割に関するものだった。
彼女には自我が芽生えていた。魔法の顕現体にして概念の総合体たる彼女は、僕らと同じ自我を獲得した。
それはある意味では最高に嬉しい出来事で、同時に、僕らの終焉を意味していた。
やがて、時が来た。
彼女は、彼女自身の役目を果たす時が来た。
――時が来たの。
彼女は悲嘆に暮れた声で告げると、僕の傍から去った。
僕の傍から離れた彼女は、世界に終末をもたらす女神となった。
数多の惑星が彼女の手で消し去られた。
数多の宇宙が彼女の手で消し去られた。
数多の次元が彼女の手で消し去られた。
数多の根源が彼女の手で消し去られた。
数多の境界が彼女の手で消し去られた。
僕らが描いてきた軌跡を辿るように、彼女は全てを消し去っていった。
僕は世界の守護者だった。僕は彼女と戦わなければならなかった。
僕は祖先から受け継いだ魔法を使って彼女と戦った。
異界の召喚。進化魔法。全ての次元、全ての並行宇宙、全ての時空、全ての因果律から全ての記憶存在を呼び出し、歴史を操作する魔法を使った。
幾度となく歴史を統合し、分離し、再度の統合を重ねた。そうして僕は、色々なものを創り出した。
数多の惑星を創り出した。
数多の宇宙を創り出した。
数多の次元を創り出した。
数多の根源を創り出した。
数多の境界を創り出した。
けれどもそれらは、既存の次元、既存の並行宇宙、既存の時空、既存の因果律の亜種に過ぎなかった。
僕との旅を経て、彼女は知っていた。この世界全てを滅ぼす術を。
僕が惑星を創り出す度、彼女はそれを消していった。
僕が宇宙を創り出す度、彼女はそれを消していった。
僕が次元を創り出す度、彼女はそれを消していった。
僕が根源を創り出す度、彼女はそれを消していった。
僕が境界を創り出す度、彼女はそれを消していった。
世界の全ては、終焉へと向かった。
彼女は、僕が創り出した統合歴史の多重螺旋構造を消していった。彼女の行為には愛情と苦痛が伴っていた。
僕が創り出したものを彼女が消す度、僕は確信を深めていった。彼女には果たさなければならない使命があって、けれども、それを果たすには苦痛が伴うのだと確信した。
僕らは旅をしすぎた。あまりにも長い時間をかけすぎて、僕らは最早、互いを引き裂くことが出来なくなっていた。
僕は確信の果てに、彼女をより深く理解した。
僕らは今も愛し合っているのだと、理解した。
魔法を使う必要など無かった。僕は、彼女の存在を本当の意味で受け入れた。
彼女は、涙を流してくれた。
――ごめんなさい。
謝罪の言葉と共に、僕は彼女が放つ最後の光に呑み込まれた。
純白の光は僕を呑み込むと、彼女をも呑み込んで、世界の全てを一つにした。
世界の終焉に僕らは混じり合った。終わりをもたらす光の中で僕らの意識は融け合い、互いの全てを共有した。
僕は真に理解した。彼女が僕らを必要としていたことを。
彼女にとって、僕は必要だった。世界を知るために僕という足がかりが必要だった。
彼女の目的を果たすために、僕らは必要だった。僕らの記憶は彼女にとってとても大切なものだった。
彼女は、生命の構造を理解する必要があった。
新たな世界を産むために、記憶を共有する必要があった。
新たな世界を産むために、愛情を覚える必要があった。
新たな世界を産むために、生命を宿す必要があった。
世界は一つの生命だ。世界を産むには生命の根本を理解する必要があった。
だから、何一つ間違ってはいなかった。
本当は僕も気付いていた。物理法則を含んだ全ての法則は寿命を迎え、自壊し始めていた。僕は法則が自壊しかける度に法則を書き換えて、寿命を迎える前の状態にまで法則を巻き戻していた。
この世界を維持するための法則はとっくのとうに死んでいるはずのもので、すり減っていて、僕はそれを修繕していた。
僕の行いを知る人たちは僕を世界の守護者などと呼んでいたけれど、とんでもない。僕はただ、世界を継ぎ接ぎだらけの器官にしているだけだったんだから。
だから、世界は彼女を僕に仕向けたんだと思う。
僕の行いが限界に達して、世界は継ぎ接ぎしか残らなくなってしまった。世界は今わの際に、最後の警告を発してくれた。
自身が破綻する前に、世界は、僕に彼女を寄越してくれた。
彼女は世界の滅びを知っていて、次の世界を産む必要があった。
僕は、彼女と出会えて幸せだった。僕の行いを正面から受け止めてくれる人と出会えて、僕の心は初めて報われた。
だから、僕も彼女に応えようと思った。彼女は世界の具現者で、僕の行いを正面から受け止めてくれた人だから。
僕は改めて確信を抱いた。
次の世界はきっと、無事に産まれるだろう。
僕らの全てを受け継いで、より強靱に、より適した形で、世界は産まれる。
僕らは一つに融け合い、新たな世界を支える法則となる。
産声を上げる新たな世界に、僕らは祝福を贈る。
ハッピーバースディ。
生まれてきてくれて、ありがとう。