弱いアント強いアント人の勝手
ほうほう、ここは二足歩行のエリアなのか。さっきとは別の方向で危険地帯だ。ホモサピエンスの幼成体は遊びでアントの命を散らす。警戒しておかねばならぬ。チビヒューマンはどこだどこだ。壁の端で気づかれないように、移動しながらアントは探索を実行中。
あ、そういえば積み木がどうとか言っていたな。よし、遊具をまとめて置いてある場所へ向かおう、そうしよう。……正直遊戯にはあまり近づきたくないんだけどね。一つ一つ大きすぎて、万が一にも落ちてきたら、アントじゃ潰れちゃうんだから。もっと遊具はアリさんのことを考えて欲しい。全部スポンジ製にするとか、安全性に配慮すべきだとアントは思う。安全っていい言葉だね。ついさっき命のやり取りをした後だと、より一層そう思うよ。だからアント基準の安全設計を提案するよ。アント印の安全マーク、アリが使っても大丈夫!
……うん、大ヒットの予感に魂が震えるね。アントの心のメモ帳に、いずれ来たる未来の為に書き記そう。遠い遠い未来に思いを馳せるワンアント。壮大な未来予想図を展開しながらも、なお探索を続ける複眼が、積み木置き場のすぐ近く。ウロウロしているチビヒューマンを捉えきる。
おうおう、平和そうな顔をしやがって、コンニャロー。お前の友達作りのために、アントは死にかけたんだぞう! もしも成功した暁にはアントはコオロギを要求する! さてさて視線の先にお相手が居るのかな? どんなヒューマンか見定めてやろう。
おお、おお……、ガッデムッ! 男の子じゃあ、あーりませんかッ!
けっ、幼いヒューマンのくせに、色気づきおってからに、これだから万年発情期の種族は……、うん? いや、訂正しよう。アントもそういえばそうだった。まったくもう、チビヒューマンめ、アントを番い作りに利用するなぞ十年早い! ……と、ノーマルアントなら思うかもしれないけど、ロンリーアントはいぶし銀。幼いうちに番いを見つけるのは効率的だと賞賛するよ。アント界には恋という概念がないからね。アントは心穏やかに見守ろう。
まぁ、まだ小さいヒューマンだし、お友達になりたいって言ってたんだから、ただそれだけかもしれないけどね。多分、そっちのほうが確率高いような気がするよ。アント的にはどちらにしろ、君のことを応援するかな。じゃないとここまで来てないしね。
カササササッと、アントは向かう。チビヒューマンの足元へ。一瞬の隙をつき、アントは靴下に飛び移り、そのまま這い上がってゆく。ここで何も考えずに、這い上がるのは底辺アント。アント界では生き残れない。上級アントはこう考える、どうすればより安全に気づかれずに登れるのかを。今回、足は簡単だ。靴下は捕まりやすいし、毛玉が絡まることに気をつけさえすれば、安全に登れるだろう。問題は靴下を超えた先にある。皮膚に降り立つその瞬間、これはいかなるアントでも緊張の一瞬だ。どれほど気を配ろうとも、気づくヒューマンは気づいてしまう、運否天賦の領域だ。ただただ、大いなる『アンツ』に祈って踏み出すのみ!
……やったやった、気づかれなかったぞ! 感謝します我らが『アンツ』よ! そこさえ超えればもう大丈夫、後はアントの技術次第だ!
さて、ここで問題です、ホモサピエンスはどうやって己が体を這う存在に、気づくことができるでしょう? 『皮膚』と答えたアントは未熟者、ホモサピエンスに対して勉強不足だ。アリさんが考える正解は体毛だと、そう思う。アントにはない器官だしね。ホモサピエンスの皮膚組織には、大小問わず無数の毛に覆われている。これはアントにとっては高感度センサーと変わらない。わずかでも触れれば、その振動は皮膚組織の奥にある感覚神経に経由して、痒みを引き起こし、脳に伝わってしまうのだ。だから皮膚這うアントは気をつける。ホモサピエンスの体毛に絶対触れないように!
気を配り、慎重に、最小限の動作とルートで体毛を避けながら登ってゆく。ここで今アリさんが通ってる、ベストルートを紹介しよう。幼生体の足からならば、必ず脹脛を通るべきだ。毛が少なくて死角なので、ホモ・サピエンスは気づきにくい。そのまま、内ももを登っていき、臀部を超えて進んでいく。ズボンがゴム製ならば一旦外に出て、ズボンから這い寄る選択も必要になるだろう。幸いスモックだったので、アントはほっと一安心。そして背中に至ったなら、目的に合わせて一時待機。
アントは人体で元も反応が鈍い部位は、背中じゃないかとそう思う。毛は少ないし、皮膚と筋肉が厚くて、反応が鈍い。更に完全な死角である。でも、それじゃあアントだって、ヒューマンの動きがわからないじゃないかと、そう思われるかもしれないが、アントには優れた触覚があるのです! 伝わる振動からホモ・サピエンスの動きを想像し、チビヒューマンがどう動くのかを予測する。ちなみに、今チビヒューマンは友達一号(仮名)をチラチラ見ながらウロウロしてるよ!
。少しは落ち着いたらどうってアントは思う。アントの野生の中から培った豊富な経験(一年)の中から判断するに、標的をハントするときにはぎりぎりまで静止して、一気に仕留めるのが一番だと思う。でも、人生経験の少ない(四年)チビヒューマンには少し荷が重いかな。忍耐力こそ大事だよって、アントはハントの極意に思いを馳せる。
さて、ここでアントの思うとおりに動かして、友達を作るの違うと思うんだよね。いや、けっして今更、友達ってどう作ればいいんだろうとか、アントの意思をチビヒューマンに伝える方法がないんじゃないかとか、そういう現実的な問題に気づいたわけでは決してないよ? ちゃんとチビヒューマンが頑張って、最良の結果を手に入れることを応援すると、苦渋の決断を下しただけなんだよ! そこのところは勘違いしないで欲しい。アントは賢いアントです。まぁ、手助けくらいはできる範囲内で、たくさんたくさんしてあげるから、早く動いてくれないかなぁ。アントはちょっとつまらないよ。
「ね、ねぇ!」
お、勇気を出したな、チビヒューマン! アントは行動を開始する。背を這い上がり外の景色を把握するためチビヒューマンの首を目指す。今のアントは早いよ早いよ、最高速で駆け上がる。そして肩と首の付け根にチョコンと居座って、チビヒューマンの勇気を見守ろう! しかし、声が小さいよ。ほら、友達一号(仮名)も気づいてない。
「……」
日和んな。ガブッとアントはチビヒューマンの肩を、自慢の大顎で噛み付いた。何、半歩下がってその場を離れようとしてるの? そんな内気な子に育てた覚えはアントにないよ。だからアントはちょっと怒った。せっかく勇気を出したのに、聞こえなかったぐらいで引き下がるなと! 悲鳴を上げるチビヒューマン。みんなの視線を独り占め。さすがの友達一号(仮名)も気づいてこちらを振り向いた。
「痛ッ!」
「……?」
「あぅ……」
ほらチャンスだぞ、チビヒューマン。せめろせめろ、バレたからには近接戦しか道はないぞ。もしもまた、日和るようなら我が大顎は再びそなたの血を啜ろうぞ!
「ね、ねぇ、みーこね、みーこっていうの!」
「……?」
エンカウンツッ! 頑張ったなチビヒューマン! アントは我が事のように嬉しいよ。さあさあ、グイグイ行くんだチビヒューマン! ジャブを畳み掛け、渾身の右ストレートノックアウトだ! もしも勝利した暁には、チビヒューマンにコオロギの、ジューシーな背中の部分のお肉をあげよう。さあ、喜べ!
「……えっと、ぼく、こうって言うの」
「み、みーこはみーこっていうの!」
「みーこちゃん?」
「みーこちゃん!」
「……んと、つみきする~?」
「つみきする~!」
あれ……、なんだなんだ、余裕じゃない。予想以上にあっさりと仲良く仲良く遊びだす。いいねいいね、すごくいいよ。やっぱり同族は仲良くしないとね。自由を愛するがゆえに飛び出した、ロンリーアントはそう思う。……いや、巣に帰りたいわけじゃないんだよ? アントらしからぬことだけど、もう巣の場所も思い出せないしね。分かっても場所が変わってるだろうし。まぁ、でもこういう幼生体どうしのふれあいを見てほっこりするくらいはいいよね。アントは微かにむせび泣く。感傷はアントを弱くする。心だけでなく本能すらも……、だからこれは必然だった。
「あっ! みーこちゃん、なんか黒いのがついてるよ~」
友達一号にとっては軽く軽く、アントにとっては致命の一撃が振り下ろされ、友達一号の声とともに、アントの複眼は暗転した。