フルオン
そう、そうだ、閉じ込められて早三日、俺はこの牢獄に捕らわれている。噂に違わぬ難攻不落、ジユウケンキュウという魔監獄、数々のアリを閉じ込め、弄んだ様はまさにアリジゴク。穴掘り放題、三食オヤツ付き? オヤツしか出て来てねえよ、馬鹿野郎! 砂糖で生きれると思ってんのか、肉だよ、肉だ肉をよこせ! タンパク質こそ食の王者! 糖分なぞは幼虫にでも喰わせてしまえ! いや、さっき嫌いって言ったけど、甘いもんは嫌いじゃねえよ? だって甘いんだもん。でもさ、それとこれとは別だと思わないか? 毎日だぞ毎日、徐々に鮮度が落ちていくゼリーを食わされる身にもなれってんだ。愚痴っても仕方ねえけどよ、もしゃもしゃと食べるよ、まずいけどさ。だって栄養はあるんだもん。飯を食わなきゃ生きていけない、味は二番で栄養一番! ……ああ、コオロギ食べたい。
さあ、腹も満たされた、ジユウケンキュウと呼ばれる神の供物になるのはゴメンである、脱出劇を始めよう。天高くそびえる透明にして巨大な壁はまさにアクリル、つるつるとした外観は、這い上がるものを叩き落とす、千尋の谷、その断崖の如き様相だ。しかし、しかしだ! それはあくまで視覚情報と生存能力の退化しきった、ヒューマン共の視点での話だ。見てくれよ、俺の足を。ふっっさふさだろう? そしてアクリルを見てくれ、ゴッッツゴツだろう?
喜べ、これがアリの視点だ。物事をありのままにしか見れぬ、巨視的なホモサピエンスの視点ではなく、事柄を極小単位から見つめることのできるアリの微視的なアリの視点だ。すごいだろう、すごいだろう、ほめてくれてもいいのよ?
さて、独り言はこのぐらいでいいだろう。優れたる認識者たるアリの偉大さは、十分に俯瞰した視界で天高く、我々を見つめる大いなる存在(ここではアンツと形容しよう)もきっとアリという生命が、この地上に存在するありとあらゆる生命の中でも一際、有り得べからざるほどに優秀な存在であると、理解していただけただろう。
さあ、いざゆかん、アクリルの壁を超え、日を浴び、風の中を駆け抜ける、広大なる地平を目指すのだ。壁を登る、壁を駆ける。我が六足のを包む毛が、僅かな凹凸も捉えて離さず、一心不乱に外を目指す。
フハハ、愚かなホモサピエンスよ、油断したな? 特に小さき雌の猿よ、蓋をせずとも逃げらないとそう俺を侮っただろう! 無色なる天窓さえなければ脱出することなぞ容易なのだよ。憎きアクリル、恐るべきガラス質。無機物の分際で、有機物の頂点たるアリに逆らう愚か者よ! もはや俺の自由への疾走を阻むのもは何もな……し?
失われるのは摩擦力、地に根を張るが如く、張り付いていた俺の足が空を切る。自由落下に任せて落ちる体の空気抵抗は最小限あと少し、後数センチ、あと、目測にして4歩半、自由は眼前にだったのにッ!
「あ、アリさん。滑ってる~、ダメだよ、逃げちゃ!」
「あぶねえな、でも塗っててよかった、『フルオン』」
大きなオスの猿が白色の小瓶を持って安堵する、小さな雌の猿はもうっ、と僅かに眉根を寄せて俺を見ている。
……謀ったな、ヒューマンッッ!! 俺に脱走という淡い夢を見せたな、ホモサピエンスッッ!! ちょ、まって? 何これ、超滑る。見てよみてみて、フッサフサの俺の足が全くつかめない。何度登ろうと白色の線が俺の進撃を押し返す。蓋が無くなりクリアになった空から、室内でありながらほんの僅かに。外と同じ爽やかにして涼やかな自由という名の風が、俺の節足を撫でていく。淡い期待と希望を打ち砕かれそれでも諦めず、新天地への夢を見る、俺は自由を愛するロンリーウルフ、だてに昆虫やってない。ああ、偉大なるアンツ様、どうか私に空を飛びだけの羽をください、オスだけど。
「今日は私はごはんあげていい~?」
「ん、いいぞ。上にのせるなよ、潰れるからな」
俺、百体分に相当する大質量の蜂蜜が眼前に置かれる。わーい、蜂蜜大好きなんだ~……。
ファッキン、ヒューマン、せめてコオロギ持って来い!! それはそれとして食べるがな、生きることは大事です。
※フルオン:テフロンに近い樹脂で、摩擦が小さく滑りやすい特性