第1章35話 「鬼ふたり」
「何も…守れなかった」
慶はそう自分に言い聞かせるように呟く。
慶は濡れた自分の黒髪を白いタオルでわしゃわしゃと拭く。
寝れば何かが起き、夢から覚めればその何かは終わる。
実感することはただ一つ。
自分は鬼じゃない、自分はただの死神だ。
何をしようにも話そうにも一人偉そうにしてる井の中の蛙。
それが俺に合う立派な称号だろう。
銀次郎を失い、香山を助けられず
美世を自分が寝ている間に奴隷のような身分に虐げられた。
必死に変わろうとした。
みんなを守るために自分自身がその力を誇示するために。
寝ていた時間の埋め合わせをした。
でもそんなのは出任せの時間でしかない。
夢から覚めた後の時間、夢にいる間の無駄な時間を
今ここで。この場で有意義に自分のために使ったはずだった。
でも結局得られたのはこの世界の一部の真実と天谷柚子の死だけ。
銀次郎がたとえ蘇っても、香山が妖怪に堕ちて現世に残っても
美世が本物の吸血鬼となっても。
自分が本当に人間をやめて鬼になったとしても
何も変わっちゃいない。
変わろうとしない。
変わることが
新しいことを受け入れることが
自分とは違う考えを受け入れるのが
自分自身の存在を受け入れられなさそうで
自分が何者でもないと自覚することが怖いから。
「強さなんて願わなければよかった。
力なんて欲しなければよかった。
みんなと普通に暮らせれば…
何事もなく……安心できれば良かった。
俺は…無力だ。
無知だ。
無関心だ。
何もない
…俺にはなんにも…
…ない。―…知ってる」
「そうしていつまでも一人でいる気なの?」
「…!……美世…?
どうしてここに?会合は始まってるんだろう?」
珍しく浴衣姿の美世にそう言う慶は
それが会合のことを指していることを知る。
そのままうつむき慶は自分の愚かさを知る。
「好きな人が悩んでいるなら…会合なんて二の次三の次だよ。」
そう浴衣を邪魔臭そうに美世は
慶に近づきながら帯をほどく。
慶は見なかったが気付いているようだった。
そして慶の傍に来るとおもむろに抱きしめた。
「えー」
「つらかったよね…くるしかったよね…
ごめんね…私が傍にいながら。」
そのとき何かが崩れる気がした。
それは悪い意味じゃなくて良い意味で。
我慢してきたものが弾けた瞬間だった。
「…苦しかった」
「うん。」
「寂しかった」
「うん。」
「頑張ったつもりだった。
願ったつもりだった。」
「うんうん」
「でも!つもりじゃダメなんだよ!
願ったとしても頑張ったとしても苦労しても努力しても!
そのほとんどが無意味で無作為でなんにもない。
そうして俺は…美世や柚子、銀次郎や由理。
みんなを犠牲にしていくんだ…」
慶はありったけの思いを美世にぶつけた。
美世はただうんうん、と頷いて強く慶を抱きしめた。
悲観的になればなるほど美世は強く離そうとはしなかった。
そのうち慶は美世の胸で泣き出した。
両手で襟元を握り胸の中でわんわんと泣く。
鼻水も垂れているだろう。
それでも慶は離さなかった。
そして美世はただただ抱きしめながら
顔をうずめて何度も何度も背中を撫でてていた。
・
慶がその場で泣き始めてそしていくばくかの時間が流れた。
慶は恥ずかしそうに美世の胸から離れ両手で顔を隠す。
しかし目の前にいる彼女はそれを許さず
隠す両手を彼女は自分の両手で掴み下ろして
唇と唇とを重ねる。
慶は驚き美世は嬉しそうにしている。
唇を離した美世は慶の赤くなった目に右人差し指で触れる。
「ふふ可愛い~」
「や…やめろよ…」
照れる慶に美世はそのまま両手を自分の太ももに置き据える。
美世は正座をしている。
そして美世は真剣なまなざしで慶を見据える。
「慶が…救えなかったものが確かにあるかもしれない。
やりきれないことがあったかもしれない。
もっとできたものもやれたこともあるかもしれない。
でも一番大事なのは過去より現在なんだよ。
慶や私…私たちには色んなことがあったよね。
由理ちゃんが妖怪になっちゃったりとか、百鬼夜行に所属したり。
結構前の話をしたら…うーん。あ!私と慶が会ったときとかさ!
覚えてる?」
「ああ…覚えてるよ…美世の母さん
…紗々さんが親父と喧嘩してた時に
初めて話して仲良くなったよな」
「うん!私たちが仲良く話してたらお母さんも源代さんも
そのまま仲直りして…とにかくさ!
私たちは一人で生きてるんじゃないんだよ。
みんながいるから独りじゃない。
確かに失った人たちもいる。
でも…まだ私たちがいる。生きてるみんながいる。
だからさ…くよくよしないで前を向こう!
そんなの慶らしくないもの!」
とほぼ半裸状態の美世はそう立ち上がって慶に言う。
慶は美世には敵わないな…と思いながら立ち上がり
慶と美世の距離はもっと縮まった。
「ありがとう、元気出たよ」
「その顔…やっぱりポジティブにいかないとね!
慶には…その顔が似合ってる。」
と美世もそう呟き笑い少し涙目を浮かべていた。
すると慶が今まで触れなかったことに
目をそれから離しながら触れる。
「そういや…その浴衣姿ってさ…下着とか穿いてる?」
「?…浴衣ってラインとか出るからほとんど下着はつけないよ?
必要に応じて私はさらしを巻いたりするけど…」
「けど?」
「今日は洗濯しちゃてさ。
濡れてたからしてないんだよね。
…それがどうかしたの?」
慶はまたも顔が火照りながら下をちらっと見る。
どうやら下は穿いてるようだった。
美世は?マークになりながらもはだけた浴衣を
直すということはしなかった。
慶はそのまま何も立ち去ろうとする。
せっかくの良い話を崩しそうになると思ったためである。
「え、え?
ちょ…ちょっと!慶?いきなり何―」
とほぼ半裸状態となってしまった浴衣姿で慶の前に出る。
それを見て慶は顔がさらに赤くなり思わず後ろにたじろぐが。
ずるっ
と美世のはだけた浴衣に足を滑らせた。
うわっという声を上げることなくそのまま大きい音を出して
次に目を覚ましたとき慶は慌てて美世の無事を確認する。
「み…美世!ごっごめん!えええと…あっ」
「……」
とそのまま自分の今の姿を確認すると
右手を美世の顔左に立て、
左手は胸元の浴衣を広げるように
美世の右わき腹の横を立てて、
左足で彼女の両足の間を膝で立ち右足で挟んでいる。
一見して俺は美世とそれをやる直前のような姿になっている。
いわば…これは押し倒す…―
「ちょっ…これはわざとじゃなくて…」
無言のまま美世は両腕を慶の背中で伸ばし
身体をそのまま美世の上に寝るように倒す。
「わた…わたし…初めてだから優しくしてね…?」
理性は止められなかった。
・
いつの間にか敷いた布団の周りに乱雑に脱いだ下着が転がる。
慶はすやすやと寝る彼女より先に置きその服へと着替える。
黒く袴のような、固い鋼をイメージするようなそのような戦闘服。
(ぶかぶかだな…)
だがそれ以上にすらっと手足の先まで隠せる。
そして夜叉さんに夜寝ているときに支給された
自分専用の戦闘服とは別の鬼の仮面を身に着ける。
…これで良い。
これで自分の姿で"現在"…いや。
"未来"を守るために。
「…起きたの……わぁ…」
「あっ…美世起きちゃったか。」
「元の身体も良かったけど……そっちも格好いいね…」
と半分寝ながら美世は答える。
蘇生して本当の吸血鬼になって以来、
日光は吸血鬼の敵だ。そのため早朝でも出るに出れない。
彼女は朝から夜型へと移り変わっているわけで
…今はとても眠たいということになるわけである。
「そうか?……照れるな」
「うん。夜も朝もたくましいんだね…すごいなぁ
行くの?」
その言葉に黒い姿の慶は目をつむる。
朝方、百鬼夜行は陰陽師のいる総本山へと進軍を始めた。
戦争が……始まる。
美世がおぼつかない足取りで慶の背中を抱きしめる。
「ちゃんと無事に帰ってきてね」
「ああ。じゃあ行ってくる。
あと―」
と慶は美世に長めのキスをして呟く。
「帰ってきたらプロポーズするから心の準備しとけよ?」
と慶が呟くと美世は嬉しそうに恥ずかしそうにもう!と
慶を抱きしめる。
そうして慶は真新しい顔で戦場へと
確かに歩みを進めるのであった。




