いつ何時たりとも
重い扉を開けると、中は小さいランタンと蝋燭のみで照らされ、幻想的な雰囲気が漂っていた。そして壁には幾つものドア。パッと見ただけでも十五個以上はある。
「……この先、ラスボスが眠ってそう」
どす黒い赤に、羊の骨? みたいなのが飾られてるドアを目にして呟いてみる。鍵は全部開いているが、どれが正解のドアなのかはわからない。
「開け、ゴマ」「オープンセサミ」「ちちんぷいぷい」「おい、開けやゴラァ」
私が知ってる中での、ドアに効きそうな呪文を幾つか呟いてみるが、全く効果はない。最後に至ってはイライラに任せてキレたヤンキーの真似になっている。
水上さんから何も聞いていないし、何も受け取っていない。他の呪文も知らないし、完全にお手上げ状態になった。
「……もう帰ろうかなあ、お腹空いたし」
深いため息を吐いて、椅子もないしどこかよりかかろうと壁に背中をつけた瞬間--。
「うっひゃぅあ!?」
何語だよとツッコミたくなる言葉を口から漏らしながら、私は後ろに倒れこんだ。頭は打たなかったけど、腰を思いっきり打った。超痛い。
上半身だけ起きて、腰をさすって痛みを和らげようとすると、
「開けゴマは、鍵を開ける時に使う呪文でしょう。開いている時に使っても意味ないよ」
突然後ろから声が聞こえ、バッと振り返る。
「今晩は。どう? 隠し扉。ロマンチックでしょ」
顔を確認すると、あの父親だった。ふふふと不気味に笑って「着いてきなさい」とすたすたと奥へと歩いて行く。簡単にコイツのことを信じて良いのかと少し戸惑ったが、ここまで来たら行くしかないと自分に言い聞かせ、ついて行った。
骸骨の絵、黒薔薇の押し花、何かの骨、シーラカンスの写真。壁に飾られたモノを見て「趣味悪すぎ」と心の中で思いながら廊下を歩く。中には緑と黄土色の卵みたいな物が飾られていた。自分の父親がこんな趣味を持ってたら泣き出したくなるわ、と自分の事なのに他人事のように捉えているのは、現実逃避って言えるのだろうか。
「お腹が空いただろう。向こうの部屋に用意しているんだ」
この親ならシュールストレミングでも出しかねないなと警戒しつつ、でもお腹は空いてるなあと本能に身を任せて、大きな扉の前につく。
「こんな時に、開けゴマだよ」
錆び付いた鍵を鍵穴に差し込み、ガチャリと捻って扉を開ける。
「……うわ」
なんとなく予想はついていたが、料理の置かれたテーブルには二人分のフォークやスプーンしかなく、椅子も二つ。これはもしかして……。
「アンタと私の、二人?」
「そうだよ。それ以外の予想ついた?」
ついてなかったですよハイという本音と、でも少しぐらい希望を残しておいて欲しかったという願いが交互に私の脳内で繰り返される。
さあ座ってと子供には充分すぎる大きな椅子に座らされ、私の向かいの同じ椅子には父親が座った。
テーブルには本でしか見たことがなかった北京ダック、私の嫌いなパセリが浮くコーンスープ、サラダ、色々なパン、紫の液体が入ったグラス。その他諸々。
「葡萄ジュースで良かったかな?」
「林檎ジュースの方が好きだけど良いです」
そうかい、と笑う父親。笑う以外の顔はお前にはないのか。
というかこれだけ珍しいものがあって林檎ジュースはないのか。
「では、頂きます」
「……頂きます」
家庭科でちょろっとフルコース料理のマナーみたいなのを習ったけど、もちろん覚えている訳がないので一番近くにあったスプーンを手にとって、コーンスープを一口飲んでみる。……パセリがなければ最高なのに。
「パセリは嫌いかな?」
「好きになる人なんているんですかね」
私の本音を聞いた瞬間、父親は「ふはは」と大きな声で笑った。
「素直でよろしい」
「どうも。……で、はやく本題に入ってほしいんですけど」
「そう急がないこと。短気は損気、だよ」
「なら損をさせないようにはやく説明してよ」
ギリギリ頑張っていた敬語もなくなり、ギロリと父親を睨む。それでも父親の表情は変わらないが、一回だけため息を吐いた。
「どこまで教えたっけ」
「殺意とか」
「それ教えてないね」
はは、と軽く笑ってワインを一口飲む。殺意は勝手に覚えたというか刷り込まれていたというか、そりゃあ母親殺されれば自然と焼きつく。
「そうだねえ」
持っていたフォークとナイフを置き、両肘を机の上に乗せてから手を組む。口元が隠れ、冷たい目がこちらを見つめる。……今にも狩られそうだ。
私は手を膝の上に乗せ、唾を飲んで話を聞き始める。
「僕の名前は詩屋 京介。君の父親で、今日から君の理事長兼校長先生。担当教科は一応美術と体術。絵利華とは高校からの中だよ」
絵利華とはお母さんの名前。いつも笑顔で優しくて、一人で私のことを育ててくれた人。お母さんも大変だったはずなのに、ずっと私のことを気にかけてくれて、この世で一番良いお母さんだと私は思ってる。勿論、今も。
「お母さん……」
ズボンをぎゅっと握り、シワがよる。変な汗が、ちょっと涙が出る。けど、溢れはしない。
「そう。そのお母さんとは訳あって別居しててね。別に仲が悪かった訳じゃないよ。大人の事情ってヤツさ。まあそれは置いといて、凛華は何年間ぐらい病院暮らししてたのかな?」
「気安く凛華って呼ばないで」
「父親なのに?」
「……『お前』で良い」
「まあその名も今から霧の中になるけどね」
「は?」
「ああ、このことについても後で話すよ。質問に答えてくれたらね」
テーブルに置かれたナイフに父親の顔が映り、それを合わせて四つの目が私を見つめる。
私は左腕を打たれてからの記憶があまりなく、気がついたらいつの間にか病院のベットの上で、それから同じような日々を繰り返して来たので日数感覚が鈍ってきていた。かなり曖昧だけれど、カレンダーの月が同じなのを二回は確認した。
「……多分、二年から三年間ぐらい」
「なら最近の日本は知らない筈だ」
この人は私をどうしたいのか。困らせたいのか虐めたいのか、教えたいのか自慢したいのかわからない人だ。
引き続き話を聞いていくと、ここ二年間ちょっとで随分日本は変わっていったという。まずなによりも変わったのが、国内での戦争が認めざるを得ない状況になったということ。表向きはいつもと変わらない日本だが、裏ではお偉いさん同士のバトルが開催中というわけらしい。その戦争は基本的に県対県または市対市、勝った県はその県を陣取り、負けた県は勝った県の言いなりになる。正確に言うと、負けた県は勝った県に吸い取られ、勝った県の県民として生きて行くことになる。要するに、陣取りゲーム。それでどうして戦争なんて起こらなければならなかったのかと聞くと、やっぱり『二年に一つ年を取る』ことと関連が強いらしい。
まず、それが可能になるということを知った日本の各県は、協力して日本をさらに長寿の国にしようとした。そしてそれを実際に可能にする細胞を海外のお偉いさんが発明し、日本で導入して各県で注射を始めたところまでは良かった。
ただ数日後には私のお母さんのように倒れ、死ぬ人が続々と出現し、県内の病院は患者と死体で埋め尽くされた。労働力は激減し、倒れる原因となる細胞の突然変異を止める薬を輸入した際、ここで最初の争いが起きた。我が県が、我が県がと労働力欲しさに薬を求め、県同士での衝突が増え、「家族を救うために」と個人間での殺人事件も増え、歯止めが効かなくなった。しっかりと法と制度を整え、薬を国民全員に行き渡らせ落ち着いた今では個人間での騒ぎはなくなったものの、どうやらその細胞と薬に新たな可能性があることが判明したらしい。
それは、不老不死。
詳しくはまだ分かっていないが、その不老不死の可能性に惹かれた県は続々と細胞と薬の奪い合いを始めた。別に細胞と薬はいくらでも手に入るのだが、いち早く研究して不老不死を可能にしようとしてマウスをクリアし、さらに改良して……本当は、様々なパターンの『人体実験の為に領土と資金とヒトを得る』ことを目的として戦争が始まってしまったらしい。
別に負けたからといって、一般市民には影響が出にくく、ただ「ああ、吸い取られたんだ。県の名前を間違えないようにしなきゃ」ぐらいなのだが、兵士やその兵士を操る上の偉い人間への影響は馬鹿みたいに大きい。一生奴隷なんてこともあるらしい。
そして今、神奈川と埼玉、千葉は東京と同盟を結んで、それらを『東京』または各『旧神奈川エリア』『旧埼玉エリア』『旧千葉エリア』と呼ぶようになり、各県の県庁所在地は『中央地区』、それ以外は『旧市』と呼ばれるようになった。また、既に秋田と三重は東京のモノに、和歌山と山形は大阪のモノになっているらしい。
「で、まあなんでそのことを今話しているかっていうと、僕が東京で一番戦力を持つ一人だからなんだ。そしてその戦力っていうのが、僕を含めた学校の生徒職員その他関わる人々ってワケで、僕の経営している学校が一番戦績が良いんだ。今じゃ学校は『戦力』を鍛えたり蓄えたりするところなんだよ」
「……私も、そうなるの?」
「東京では基本的にそういうコトになっているからね」
まあ僕がそういうことにしたんだけどと、説明を付け加える。
「真菜実ちゃんは、疫病が流行り始めた時にスカウトしたんだ。彼女は努力家で頭も良いし、薙刀は全国レベルだしね。そういう才能を持っている子を集めたのがここの学校だよ」
「え、私は? 私の才能は? まさかアンタが娘だからって理由だけで私を引き取るわけないでしょ」
「鋭いね、流石僕の娘だ」
心にも思ってないだろう言葉を吐き捨てると、立ち上がってどこかへと歩いていき、掛軸の目の前で立ち止まった。
「もう、わかるんじゃないかな」
掛軸の下に置いてあった刀を見つめ、手にとる。それと同時に、私は自分が剣道段持ちということを思い出した。
剣道は四歳ぐらいの頃に、ただ暇だったからという理由で始めた。練習はかなりキツかったけれど、その分楽しかったし、面白かった。友達も出来たし、ライバルも出来た。そんな中で練習をしているといつの間にか強くなっていて、確か大きな大会にも出ていたと思う。優勝もしたっけな。
でも私はある時を境にいきなり剣道をやらなくなった。
理由は、いじめ。歳に合わない強さと、気遣いという言葉を知らない私の性格のせいで散々年上の人達からいじめられた。武道場の更衣室は特に隠れ家には最適の場所で、竹刀を折られたり、それで叩かれたり、柔道かよとつっこみたくなるくらいボコボコにされた。もちろん、防具はつけてない。先生にも何かあったのかと心配されたけど、私のプライドは相談ということを許さなかった。
「私もう剣道する気はないんだけど。私より強い人をスカウトしなよ」
もう辛い思いをしたくないんだけどという本音を隠して、遠慮という建前のお断りをいれる。
それを聞いた父親は、突然テーブルの下から名簿を取り出し、すらすらと名前を読み上げていった。
「上村 拓海、木下 翔、陶山 美優……」
それは全部、私を虐めた人の名前だった。
胸の奥から、熱くて重い何かが湧き出てくる。
「凛華、よく聞きなさい」
名簿をパタンと閉じ、私の目を突き刺すように見つめる。
「私は、お前に『好き』をバネに才能を伸ばしなさいとは言わない」
再び刀を持ち、鞘からギラリと刃が現れる。
「『恨み』をバネにして伸ばしてみてはどうだろう?」
気が付くと、私は立ち上がり、息が上がっていた。汗が首を頬から顎を伝い、垂れる。
「今言った生徒は、この学校内にいるよ」
私の耳がピクリと動く。
「今からまた剣道を始めれば、彼らに勝つのはもちろん、日本一強くなれるよ」
私の瞼がピクリと動く。
「そして彼らは、まだ君を嗤っているよ」
最後に、耳元で囁く。
「仕返し、してみないか?」
刃に映った私の顔は、威嚇している狼みたいだった。
「それで学校に入る時に、やることが沢山あってね」
胸ポケットからハンカチを取り出し、私の顔の汗を拭きながら白い紙を取り出す。
私は、そいつらへの仕返しと、過去の醜い私をなかったことにするのを目的として、流れに身を任せて学校に入ることになった。実を言うと私を虐めた人々にいつかやり返してやろうとは思っていたのだが、剣道場では手合わせすることなく、そしてただ叩かれるだけで終わってしまっていた。それじゃあ私が私を許さない。
だから私は、学校に通うことを決めた。
契約書のような紙に私の伊荊 凛華の名を書いて、最後に爪を噛んで、そこから出た自分の血を人差し指の腹に塗り、指紋を押し付けた。
「あとは、名前を変えてもらうよ」
「名前……?」
今までの私を、伊荊 凛華を捨てるってこと?
私の名前はお母さんの名前の絵利華から一文字貰って、凛々しく育ってほしいという願いを込めて凛華になった。そのお母さん気持ちを捨てたくはない。
お前なんかに、切り捨てられたくない。
「ああもちろん、今の名前を捨てろってことじゃない」
その言葉を聞いて私はホッとした。
母さんは死んでも、お母さんの願いは変わらない。繋がっていたいのだ。
「表向きの、個人情報を守るための偽の名前さ。そうだね……」
腕組みをして態とらしく「うーん」と声をあげて考える。たまにこちらをチラリとみたり、ほっぺをかいたりする。
「そうだ、京華にしよう。僕の名の『京』と絵利華の『華』で、詩屋 京華」
「き、京華……」
お母さんの中に父親が入り混じり、私の名の中に父親と母親が生まれる。
サラサラと白い紙に新たな私の名を書き、印鑑を隣に押す。
いきなり決まった、もう一人の自分。
「別に本名を隠すのは強制ではないけれど、隠さないと今時盗まれるからね」
「何を?」
「君を、だよ。情報という意味でも人格という意味でも」
意味がわからないけど、 まず私がここに連れてこられる事自体もまだやや意味わからなかったので、とりあえず流す。
「明日は一日中真奈実ちゃんといていいよ。しばらくは水上も一緒だし、学校内を探検してみたら良い。明後日からは少し特訓するけどね」
「特訓って、何を」
「剣道。腕が訛ってるでしょ。水上が剣道ちょろっと出来た筈だから、お相手してもらいなさい」
あの人剣道も出来たのかと私は驚いた。
隙がないな、水上さん。
「本当は射撃の方が得意らしいんだけどね」
むしろ出来ないことの方が少なそう。射撃とかあの童顔に似合わない。中学生の中に紛れ込んでいてもわからないくらいなのに、出来ることは一般男性より遥かに上。凄いなあ。
「練習は竹刀か木刀だけど、テストや本番は真剣だからね」
本番……すなわち戦争。真剣ってことは本当に斬れるし、本当に殺せる武器。私が殺人犯になるのも遠くはないのかな。
いや、昔もう斬ってたか。
私の父親は先程持っていた刀を私の方へ差し出し、それを受け取る。
「本番の時のみ、使いなさい」
試しに一回鞘から引き抜いてみると、蝋燭の光りに照らされて、キラリと輝く。
綺麗。
さっきは気付かなかったが、刃の色が黄金色で三日月のようだった。
「大切に扱いなさい、『金色紅花』はデリケートだから」
『金色紅花』……この刀の名前だろうか。金色はわかるけど紅花らしき部分は見当たら無い。
「血で染まると美しいんだよ」
なるほど、紅は血のことか。
納得しながら刀を鞘に戻し、再び椅子へ座った。
そして、カチリの音と共に、時計が真夜中の十二時を指した。つまりこの音は私がここに来てから日を跨いだということだ。
「おや、もうこんな時間か。今日はゆっくり休みなさい」
「ん、布団とかベッドはこの部屋に無いけれど……」
部屋を見渡そうとした瞬間、首ががくりと下に落ち、手足は痺れ、身動きが取れなくなった。思わず机にひれ伏す。
「流石、僕の娘だ。薬が効きにくいね」
「なに……これ」
「睡眠薬だよ」
胸ポケットから青い瓶を取り出し、カラカラと中の錠剤が音を鳴らす。
瞼が重くなり必死で開けようと抵抗するが、次第に指先も動かなくなり、視界がぼんやりと水彩画のように見えてきた。そして、
「それじゃあ明日からよろしくね、京華」
その言葉を最後に、私は眠りについた。
*
五月蝿いくらいに雀の声が聞こえる。
わたしの住んでいた地区は市内の中では雀とか烏とか、鳥が少なく、鳴き声も滅多に聞かなかったので新鮮っちゃあ新鮮だったけど、脳内で鳴き声が反響し、舌打ちをして「ストーーップ!」と叫び喉を痛める最悪の目覚めになった。
「あ……」
そこでようやくここが自分の部屋じゃないことに気が付いた。
昨日は夜だからわかりにくかったのか、大きな窓から太陽の光が差し込む。
口から垂れていたヨダレを拭きとり、大きく伸びをしながら欠伸をする。目元をこすり、目ヤニが取れる。近くにゴミ箱が見当たらなかったので、とりあえず目ヤニは払って地面のどこかに落とした。掃除はきっと誰かがやってくれるだろう。
「確か……水上さんが待ってるんだっけな」
ここに来てから初めて会う人の中で、唯一警戒心が解け、『さん』付けをするくらい信用するあの人と約束をしていたんだったと思い出す。
椅子から立ち上がり、昨日はそこから入って来たと思われる扉を開くと、聞いていた通り水上さんがエレベーターの前で立っていた。
「おはようございます、凛華様。……いえ、京華様」
「凛華で良い」
「ですがこれは決まりですので」「凛華が良い」
「……わかりました」
呆れた顔で溜め息を吐き、水上さんは振り返ってエレベーターのボタンを押した。すぐにベルと共にドアが開き、「どうぞ」の声の後に続いて乗り込む。
「ねぇ、今日は何するの」
「えっと、学校街の説明の予定です。恐らく夕方には終わりますので……」
「他に何かあるの? 真菜実と一日中いて良いって言われてるんだけど」
「ですから、一日中一緒にいる為にはもう『特訓』を始めましょう」
ああそれ確か昨日聞いたよと、聞いた内容を思い出しながら引き続き水上さんの話を聞く。
「ここの学校は全校生徒九百二十三人いて、それぞれ全国からスカウトされたトップが集います。勿論その理由は戦争に備え、勝つためです。貴女様も剣道の腕を見込まれてスカウトされたと捉えて良いです。ですが貴方には数年間のロスがある。その数年間のロスを埋める為に特訓をして頂きます」
ロボットのようにたんたんと語る水上さん。ふむふむ、と頷きながらもほぼ頭に入っていないのは内緒。
「えっと、凛華様は『Xメンバー』なので、数日間で全国大会優勝レベルまで鍛えなければなりません。『Xメンバー』というのは上級クラスの更に上のレベルです」
「え……数日間で全国大会? 無理だよ、私には」
「無理とかではなく、やるのです」
そう言った水上さんの目は真剣だった。
「真奈実様、つまりは鶯様もXメンバーです。恐らく一緒に特訓させろということでしょう。私が監督、お相手しますので、学校を探検し終わったら体育館へ行きましょうか」
「そうか、Xメンバーだから他の人と寮の部屋の階数が違うのか」
「まあそんな感じですね」
雑談を挟みつつ、今日の流れを聞いている間に『1682』号室がある階数についた。
「とりあえず陽水様と朝食を取り、着替えて下さい。私は受付で待っておりますので」
「オッケー」
「では」と水上さんは再びエレベーターへ戻り、私は『1682』号室のドアをノックした。
「はぁい……あ! 凛ちゃん」
昨日と同じの着物でドアを開け、幼稚園児が遊び道具を見つけた、みたいな目をしている真菜実が出てきた。
「やっほー」
「もうご飯できてるから、一緒に食べよう。さあ入って」
鼻歌を歌いながら案内されたのは昨日のお茶を飲んだ部屋で、テーブルの上にはザ・和食と言えるホカホカご飯、お味噌汁、鮭の塩焼き、緑茶が乗っている。流石真菜実。お母さんは朝に弱かったし、朝からこんな豪華なご飯は出さなかった。いつも食パンと牛乳一杯しか食べない私にとってはちょっと多いくらい。
私は手前側に座り、その向かいに真奈美が座った。
「それでは、頂きます」
「頂きまーす」
真菜美に続いて頂きますをして、最初にご飯を一口。……美味しい。
「どう? 私のご飯」
「めっひゃおいひいれす」
「良かったあ、美味しくないとか言われたらどうしようかと」
これで不味いとか言い放った野郎には私が一発お見舞いしてやるレベルで美味しい。小学校の頃は給食だったからクラスメートの料理の上手さとかはわからなかった。でもここまで真菜実が上手だったなんて、嫉妬を超えてお婿さんになりたいかも。
ご飯をもぐもぐと食べながら、真菜実が姿に似合わずリモコンを手にとって電源ボタンを押すと、ニュースのテロップが目に入った。
「『長野と新潟が対決か』って……。戦争になっちゃうのかなあ」
「そんな簡単に戦争になるモンなの?」
「結構ね。それに最近は戦争までいかなくても、その県での事件とかが増えたりするから」
怖いよねえ、と付け足してご飯を食べ続ける。私もそこまで危険性がわかっているわけでもないし、戦争についても詳しく知らないので引き続きご飯を食べた。
箸を置き、手を合わせて「ご馳走様でした」をする。
食器は全て流しへ運びテーブルを拭いていると、後ろから私の背中をちょんちょんと突かれた。
「お着替えの時間ですよー、お姫様」
うふふと笑いながら「着いてきて」と手招きをし、私の部屋の前に案内された。
「ドア、開けてみて」
真菜実の指示通りドアノブを捻って開けると--。
「おお……」
「どう? ちなみに私が繕ったんだよ」
目の前には、本物は初めて見る大きな黒い着物があった。裾の部分は少し赤く染まり、後ろを見てみると、牡丹の花や花弁の刺繍がしてある。そしてその刺繍の上、背中のところには家紋のようなマークが縫われている。
真菜実のお家は呉服屋さんで、学校以外で会った時はいつも着物姿だった。そして、今も桃色に緑の帯の着物に身を包んでいる。小学三年生の頃に書いた『将来の夢』という作文で、真菜実は呉服屋を引継ぎたいと言っていた。
「綺麗……」
なんか私が着るのはもったいないなあ、なんて思ってしまうくらい美しかった。元々ファッションとかに興味なかったけれど、こういうのを見ると着物って良いなあって思う。
「えへへ、ありがとう。じゃあ早速着てみよう」
と、そこで何やらゴソゴソとして取り出したのは、黒の下着だった。
「え? 下着は一人でつけられるよ?」
「じゃなくって、これも立派な服なんです。あれは着物じゃなくって、コレの上に羽織って……あ、下はショートパンツね」
そう言いながらさらに黒のショートパンツとベルト、金色の紐のブーツを出し、「さあさあ早く着てみて〜」と私に押し付けてくる。
「え、これはちょっと露出が……」
「だいじょーぶ、凛ちゃんは私より胸おっきいから似合うはずだよ! ほおら、ちゃっちゃと着ちゃおう」
「拒否権無しかあ……」
私は諦めて、一回着てみることにした。着て、そこで露出とかについて話して諦めてもらえば良い。というかサイズがピッタリなのはなんでだろう。
見た目より、羽織物は軽かった。その場で一回転すると、フワリと広がってもっと綺麗。下着みたいなのは……やっぱり落ち着かないけれど、動きやすさを考えるとしょうがないっちゃあしょうがないのかもしれない。ショートパンツ等も着て、鏡の前に立ってみる。
「流石、似合ってるね! それプレゼントするから、大切にしてね」
諦めてもらうどころかさらに頷かれてしまった。しかもちょっと良いかもって思ってしまった自分もいる。ちくしょう。
「それじゃあ早速水上さんのところへ行こう! 確か受付だったよね」
教えてもいないのに待ち合わせ場所を知られていて吃驚している暇もなく、手を引っ張られながら玄関を出て廊下を走り、エレベーターに乗る。
「うぇ、寒い……」
へっきしょんとくしゃみが飛び出す。ハッピみたいな着物の前を閉じるように腕を組み、ぶるぶると震える。
「子供は風の子元気の子、だよ」
暖かそうな着物に身を包むお前が言うかというのは心にしまっておく。
「そうそう、それ、たけのこきのこかずのこっていう続きあるの知ってる?」
「え、知らない!」
「嘘だもーん知らなくて当たり前だよ」
「わーひどーい凛ちゃん。しかも蜂の子が入ってないじゃん!」
「そこなのか」
あっははと二人でくだらない会話をしている内に寒さも忘れ、一階の受付に着く。
そういえば受付のどこで待っているんだろうと辺りをキョロキョロしていると、胡蝶蘭の横で、水上さんが待っていた。おーいと手を降るとこっちに気づき、そしてすぐに視線は私の服装に切り替わった。
「変態なんですかそんなに見つめて」
「そういう意味で見てるんじゃ……いやでも、これはそういう目で見ちゃう人もいますよ」
確かに私も最初下着だと思ったし、そういう目で見られるのもしょうがない。でもまあコスプレだと思えば……と自分に言い聞かす。
「まあでも最近はこんなの当たり前だし、それに凛ちゃんなら強いから襲ってきた人も倒せるから大丈夫ですよ!」
「酷いなあ真菜実も」
軽い冗談を飛ばしながら受付を出て、水上さんが説明を始めた。
「えっと、とりあえず最初に『玉響商店街』に行って買い物をしましょう。お金は私が持っているのでご心配なく。次に最寄り駅と病院、そして郵便局の確認をして、街をぐるりと回って最後にここの学校に着くようなルートで行きます。さあ、車に乗りましょう」
車を後ろのドアを丁寧に開けて、一応お礼をしてから乗り込む。真菜美も失礼しますと言ってから私の隣に座った。
水上さんは私たちが乗ったのを確認してからドアを閉め、車の後ろを回って運転席に座り、シートベルトをした。
「乗り物酔いをしたら、早めに言って下さいね」
「はあーい」
元気良く返事をして、「良いお返事です」と褒められたところでエンジンがかかり、笑顔の水上さん運転のもと、私たちは玉響商店街というところへ向かった。
*
金魚のような、赤と橙を混ぜたような色の提灯。
紅色に不思議な文字が描かれた番傘。
それらは天井からぶら下がり、少し視線を下に向けサイドを見ると膨大な数のお店の看板。割と新しめで、大きな文字で店名が書かれていたり、中には錆びていてなんて書いているかわからない看板の役割をしていない物もあった。
「ここが玉響商店街です。お店の数と規模の大きさは日本一。毎日十万人ほどの人々がここで買い物をしていきます。ここにくれば全て揃うので便利ですよ」
想像していた商店街より遥に大きかった。流石日本一。
商店街っていうより、中国の街並みっぽい。看板や店名にも中国語らしきものが結構あるし。
「それでは今から二時間、自由時間にします。迷子になると再び会うのは絶望的です。案内は陽水様に任せ、二時間後にはここに戻ってきて下さいね」
黒の腕時計と三万円、それから大きめのカバンを渡されて、最後に「無駄遣いはダメですよ」と念を押されて私達は水上さんと別れた。
改めて商店街を見渡すと、結構カオスだ。
甘栗屋があったと思えばその隣は寿司屋で、しかもその階の上はアパート化して洗濯物が看板に紛れて干されていたり、そして向かいにも寿司屋があったり。『ティッシュ屋』『水屋』なんていうマニアックすぎる店もあった。
私達はまず文房具を買おうと思い、商店街をブラブラしているところだった。
「そうそう、先に言っておくけど、たまにヘンなお店や危ない人がいるから気をつけてね。特に『烏天狗』には要注意だよ」
「カラステング? 何それ」
「噂によると、中国人風で片目にお札、出会うと目を潰されるなんて言われてるよ。この街の黒幕とも言われてて、とにかくいい噂は聞いたことないから」
「ふーん。そんなこと言ったらあそこの店主も、その周りのお客さんもその人に見えちゃうけどね」
「まあね」
とにかく危ないから人通りの少ないとこにはあんまり行かないでねと念を押され、私達は文房具屋へ向かった。案外文房具屋はさっきいたとこの近くにあり、筆箱とシャープペンシル六本、ノート五冊、それと黒と赤の水性ボールペンを買った。残金は二万八千円ぐらい。
それと文房具屋の隣で目覚まし時計と、ヘアゴムにブラシにコップ、リュックサックとよくわからないキャラクターのストラップを真菜実に買わされ、お腹が空いたので肉まんを買って二人で食べた。
「あとは部屋着とかかな? 私はいつも着物だけど凛ちゃんは違うでしょう?」
「うん、パジャマとパーカーとスラックスがあれば良いかな。下着は部屋にあったし」
「じゃあ私いいとこ知ってるよ! でもその前にお手洗い行っていいかな?」
「ああ、良いよ。ここで待ってるね」
『薬草茶屋』の近くの壁で真菜実と別れ、その壁にもたれかかる。
目の前にはお客が沢山、右には薬草茶屋の看板と今まできた道、左には『カラオケ屋・ミミ』などの店とまだ行ったことのない道。出口は見えない。
そして、薬草茶屋とカラオケ屋・ミミの間には薄暗い通りが広がり、先程から乾いた風が髪を揺らす。
明らかに怪しい通りだが、好奇心に負けてまあちょっとくらいなら平気だろうという一歩踏み入れてみる。
ゴミ袋はゴミ箱から溢れ、箒は折れ倒れ、生臭い匂いが漂う。袋の中身は生ごみだろうか。
人はおらず、薄暗い通りはただ奥へと伸び、ここだけブラックホールみたいな状態だった。
「曇ってるわけでもないのに暗すぎ……」
不潔で鳥肌が立ち、変な虫が飛んでいるけれど、ゴミ箱があるって事は人が生活してるんだなと不思議に魅せられて、後ろを振り返って真菜実が戻ってきていないのを確認してからさらに奥の様子を伺い、もう一歩、またもう一歩と歩き出した。