プロローグ
それは漫画で読んだ、グサッて音じゃなかった。
《ドシュッ》
肉に突き刺さる音と、同時に液体が飛び散る音。
「お母さん‼」
矢が刺さったのは、胸部やや左。位置的に心臓を貫いている。
壊れた蛇口のように、血が止まらない。
急いで駆け寄って上半身を起き上がらせるが、もう遅いかもしれない。
「……ア……ガッ……カハッ」
胃に溜まった血が、口から吐き出される。唇がガクガクと震え、最後の力で私に手を伸ばしてくる。
私も手を伸ばした。
けどその時、後ろからいきなり両腕を掴まれ、向こうへと引っ張られる。もちろん抵抗した。けれど私は小さくて、弱くて、最終的に抱きかかえられ、保護された。
抱きかかえられる瞬間、私の目にはお母さんが銃で撃たれている姿が映った。
「おかあさあぁん‼」
どうせ叫んだって意味ないってわかってたけれど、それでも私は叫び続けて必死で手を伸ばした。お母さんも伸ばしてる。だから、握らなきゃ。
涙が止まらない。
私は私を抱きかかえた男の人の腕を思いっきり噛んだ。皮膚を、筋肉を、骨を喰い千切る。汚い悲鳴と共に一瞬だけ緩んだ隙を逃さず、私は男の人を蹴ってお母さんの元へ走った。
お母さん、お母さん。
まだ死んじゃ嫌だよ。
今日の夜、シチュー作ろうって約束したでしょ?
明日は私の誕生日だからスペシャルハンバーグだって、言ってたでしょ?
いつか私が結婚したら一緒に三人で住もうねって、笑ったでしょ?
《ズシャアッ》
「いったあ……」
血に浸る破れたハンカチに滑って、転ぶ。……母の日にあげたやつだ。
いや、そんなことを確認している場合ではない。はやく助けなきゃ。
ようやく起き上がると、今度はお母さんを連れてゆく人々の姿が映った。
「おかあ……さん……っ」
走ろうとすると、ズキリと膝に痛みが走った。思わずその場にしゃがみ込む。
お母さんが遠く離れてゆく。
嫌だよ。
嫌だよ。
「嫌だぁ……」
嫌だ。
嫌だ嫌だ。
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だだ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ
「うあああああああああああああッ‼‼」
今までに出したことがないくらい叫ぶ。そして、近くに落ちていた刀を手に取り、走る。
痛い、けどそんなの気にしない。気にしてる場合じゃない。
間に合え。きっと間に合う。
幸い奴らは私に気づいてない。
私の中の、何かがぶち切れる。
「……お母さんを返せぇぇええええッ‼‼」
とにかく刀を振った。使い方なんて知らないから、とにかく振り上げて刺した。
グシャッ、ドスッ。
ビシャッと顔に血が飛び散る。けど拭う暇もない。
良い加減相手も気づいて刃を向けてくるが、それより早く、私が斬る。
体が勝手に動くってこのことなんだな、と実感した。
そして、お母さんが人の手からずり落ちた。
斬れ。斬れ。もっと斬れ。
「うああああああああああああッ‼」
《パンッ》
軽い発砲音と共に、私は崩れ落ちた。
黒目だけを動かしてよく見てみると、左腕から血が流れ出てる。どうやら撃たれたようだ。
遠くで、お母さんが再び持ち上げられて、運ばれてゆく。
「ッあ……」
痛みで起き上がれない。
そんなことって、あり?
昨日までニコニコ笑って買い物とかしてたのに、朝いきなり殺されるとか、そんなのってありなの?
感染者を増やさないようにするのはわかる。感染元を潰すのもわかる。潰して流行しないようにするっていうのもわかる。けどさ、その感染元をつくったのはお母さんじゃなくて、本当はとあるお偉い科学者さんなんでしょ?
ならその人を殺すべきでしょ?
お母さんの何が悪いの?
「あり得ないよ……」
「あり得るさ、伊荊凛華」
突然、声が上から聞こえる。
ゆっくりと顔を動かして上を見てみると、写真だけで見たことがある男の人が見えた。
「また後で、な」
お母さんを打った同じ銃口を私に向け、二度目の発砲音で私は気絶した。