夏狂いの雪の精霊と火の竜の物語
誰も覚えていないような、昔、昔の物語。
この世界が、まだ精霊たちに溢れていたときのお話です。
あるところに雪の女王が支配する山がありました。その山は、一年中雪に閉ざされて、雪の精霊たちが沢山住んでおりました。雪の精霊たちは、皆、雪のように冷たい心を持っていました。
その中に一人、変わり者の雪の精霊がいました。
その精霊の夢は“夏”を見ることでした。
その精霊は、周りの精霊たちに“夏狂い”と馬鹿にされ、いつもひとりぼっちでした。
ある日のことです。夏狂いは、いつものようにひとりぼっちで、山の麓の方へ来ていました。
山の麓は、山の上の方よりも暖かく、他の精霊達は来ることを嫌っていましたが、夏狂いはこの場所が大好きでした。
少し暖かいこの場所は、力が決して強くない夏狂いにとっても過ごしやすいとは言えませんでしたが、時々雲が割れてお日様を見ることができるのは山の中ではこの場所だけだったのです。
夏狂いは、いつものように山の麓のお気に入りの石の上に座って、空を見上げていました。
すると、雲がほんの少し割れました。
夏狂いは、お日様が見えるかもとわくわくしながら見守っていましたが、どうやらいつもと様子が違いました。
雲の隙間から出て来たのは、お日様ではなく、真っ赤な色をした竜でした。
その竜は力無く数回羽ばたくと、びっくりして固まってしまった夏狂いの側に落ちてきました。
夏狂いは、はっと我に返って竜から離れ、遠巻きに見つめました。
その竜から漂ってくる気は、とても熱く、周囲の雪も溶けていました。
どうやら、この真っ赤な竜は、火の竜のようでした。
火の力を持つものは、雪の精霊達にとって毒になるので、この山に入って来たのを見つけたら、雪の女王に知らせなければいけません。
夏狂いも早くそうしなければいけなかったのですが、その竜があんまりにひどいケガをしていたので、なんとなく動くことができませんでした。
夏狂いがぐずぐずとしているうちに、竜が小さく身じろぎをして、目を開けました。
その目は、まるでお日様のような美しい金色でした。
その金色があんまりに綺麗なので、夏狂いは、思わず見とれてしまい、こう言いました。
「あなた、とっても綺麗な目をしているわ。まるで、お日様のようね。今まで、見たものの中で一番綺麗だわ。」
竜は驚いたように目をパチクリと開き、薄く笑ってこう言いました。
「そんなことを言われたのは、生まれて初めてだね。ところで、君は雪の精霊だろう。ここは、どうやら雪の山のようだ。誰かに、知らせに行かなくていいのかい?」
そう言われて、夏狂いは、少し考えてからこう言いました。
「それは、火の力を持ったものが、私たちをいじめるからだわ。あなたは、とってもひどいケガをしているし、小さいから、きっとなんにも出来ないわ。少しなら、動ける? 近くに洞窟があるの。そのケガでは飛んで、この山から出ることも出来ないでしょう。きっとここよりもマシだわ。」
竜は、また驚いたように目をパチクリとして、また、口を開きました。
「そんなこと無くて、君を騙すために大人しいふりをしているのかもしれないよ。それに、私を助けたことが周りにバレたら大変なんじゃないかな。」
夏狂いは、それを聞いておかしそうに笑いました。
「私を騙そうとするのなら、そんなことは言わないわ。それに、さっきから私が近づくと火の気がなるべく広がらないように力を抑えてくれてるでしょう。私、あなたのことがとても気にいってしまったの。さ、頑張って動いてくれると嬉しいわ。私じゃ、あなたを運べないのよ。」
その時から、ケガが治るまでと言って、火の竜は、雪の山の麓の洞窟に住むことになりました。
夏狂いは、薬草を持って、何度も火の竜に会いに行きました。
「こんにちは。火の竜さん。ご機嫌いかが。」
「こんにちは。可愛らしい雪の精。おかげさまで、大分いいよ。ところで、何度も言うようだが、本当にこんなところに来て大丈夫なのかい?」
「あら、こんなところ変わり者の夏狂い以外誰も来ないのよ。どうせ、山の上に居ても、ひとりぼっちなんですもの。あなたとしゃべっている方が、ずっとずっと楽しいわ。」
夏狂いと火の竜は沢山話をしました。
夏狂いは、夏への憧れを話しました。
「私は、お日様がとてもとても好きなの。夏は、お日様が一番輝くのでしょう? ここは心も、植物も何もかもが、冷たくて味気ないから、燃えるような夏にずっとずっと憧れているの。お日様も思わず輝きたくなるような素敵な季節なのよ。」
夏狂いがそう語ると、火の竜は楽しそうに笑って、
「君は、とても素敵な考えを持っているのだね。確かに夏は、とても太陽の光が強いけどそんな風に思ったことはなかったな。」
そう言って、お日様のような金色の瞳を細めるのでした。
火の竜は、雪の山の外の話を沢山してくれました。
なんでも知っている知恵の神様、水の精霊達が住む世界で一番綺麗だという湖の話、ユニコーンが駆ける虹色の夜空、素敵な話をいっぱいしてくれました。
その話の度に、夏狂いは、楽しそうにに笑いながら話を聞き、火の竜はそんな夏狂いを見て嬉しそうに笑うのでした。
何度も、何度も、通っているうちに一月ほどがたち、火の竜のケガはほとんど治っていました。
夏狂いは、火の竜が大好きになっていました。
初めて見た時からずっと変わらず見とれてしまう金色の瞳も、優しい言葉も、楽しい話も全部全部大好きで失いたくないと思いました。
だから、火の竜のケガがほとんど治り、あと少しでいなくなってしまうと知ると、こう言いました。
「ねえ、これからは雪の女王様が、お姫さまを産んだお祝いでとても雪が強くなるの。きっと、飛べないくらいだわ。だから、もう少しだけここにいたらどうかしら。」
それは、嘘でした。
夏狂いは、ここからいなくなることが火の竜にとって一番いいのだと知っていました。だけど、もう少しだけでもいいから、火の竜の側にいたかったのです。
火の竜は、あっさりとその言葉を信じて教えてくれてありがとう、とお礼を言いました。
夏狂いは、火の竜がもう少しここにいると嬉しくなりましたが、火の竜に嘘をついてしまったことをやましく思いました。
数日後、夏狂いは、久しぶりに他の雪の精霊達がいる山の上に行きました。
本当なら、少しでも火の竜といたかったのですが、嘘をついてしまった罪悪感から、もう少し他の精霊達と話したらどうだ、という火の竜の話に嫌だと言えなかったのです。
久しぶりに来た山の上は、いつもと違ってざわついていました。
不思議に思っていると、珍しく他の精霊が話しかけてきました。
「おい、夏狂い。お前はよく山の麓に降りているな。」
「ええ、そうよ。それがあなたに関係あって?」
「ああ。どうやら、山の麓に火の力を持ったものがいるらしい。結構前から図々しくもこの山にいるらしく、雪の女王様がお怒りだ。見つけて、雪の女王様に報告したら、褒美として力を分けてもらえるそうだ。お前は、よく麓に行くからな。そのようなものを見たことは無いか? もちろん、お前なんかが抜け駆けをするなんて有り得ないから、素直に教えることだな。」
夏狂いは、その話を聞いた瞬間、息が止まりそうな程驚きました。
それでも、なんとか平静を装って答えました。
「知っている訳無いでしょう。そんなものを見つける程近くに寄ったなら、私なんてとっくに殺されてしまっているに決まっているじゃない。」
そう言うと、相手はそれもそうだな、とあっさり納得してどこかに行ってしまいました。
夏狂いは、とてもとても焦りました。
火の竜を雪の精霊達みんなが探しているのならいずれ見つかってしまいます。
そうなれば、火の竜は、もちろん自分も無事ではいられないでしょう。
洞窟の入り口自体は、夏狂いが氷と雪で隠しているので、すぐには見つかりませんが、それも時間の問題です。
夏狂いは、急いでいつもの洞窟に向かいました。
ふと、心にあの時、素直に見送っておけば良かったと後悔がよぎりました。
山の麓には、今まで見たことがない程、沢山の精霊がうろついていました。
夏狂いは、他の精霊達に見つからないようにこっそりと、洞窟に入りました。
火の竜は、いつもの通りにそこにいました。
「火の竜さん! 大変なの。あなたがいることが、他の精霊達にバレてしまったわ。早く、見つからないように、ここを出ないといけないわ。周りを、精霊達がうろついているのよ。」
そう言うと、火の竜は驚いたようでした。
「どうして、そんなに沢山の精霊達が私を探しに?」
「雪の女王様があなたがいたことをとても怒って、見つけたものに力を分け与えると言ったのでよ。ねえ、早くここから出ないと!」
「無理だよ。」
「どうして!?」
「周りの気配を探ってみたら、分かったよ。雪の精霊達がこの洞窟の周りを囲んでいる。もう、逃げ出せない。」
その言葉に、夏狂いは、絶望のあまり泣きだしそうになってしまいました。
「ねえ、私の可愛らしい雪の精。一つ提案があるんだ。君が私を見つけたと言って名乗り出てほしい。」
「いやよ! そんなこと、絶対に出来ないわ!」
「話を最後まで、聞いておくれ。実は、私には捕まってしまっても逃げ出す秘密の方法があるんだ。それを使って、後から逃げることができるから大丈夫なんだよ。」
「…本当?」
「本当に本当だとも。約束しよう。」
「…分かったわ。じゃあ、絶対にまた会いましょうね。」
そう言った夏狂いに、火の竜は優しく笑いかけました。
「この火の竜は、私が見つけたわ。」
そう言って、夏狂いが手足を凍らせた火の竜と共に洞窟から出てくると、周りにいた精霊達は驚いた顔をして、夏狂いなんかに先を越されたと悔しそうにしました。
夏狂いは、それに勝ち誇ることもせず、ただただ火の竜が言ったこととはいえ、手足を凍らせてしまったことに心を痛めていました。
火の竜を、雪の女王の前に連れて行くと、雪の女王は冷たく冷たく笑いました。
そして、ふっと息を吐くと火の竜をたちまちに凍らせてしまいました。
そして、約束したから大丈夫なのだと必死に泣き出しそうなのを耐えている夏狂いに声をかけました。
「よくこの不届きものを捕らえてくれた。そなたは、確か夏狂いと呼ばれている者だったな。妾がそなたに夏を見に行くことができるくらいの力を分けてやろう。」
そして、手をゆっくりとかざすと、確かに今までと段違いの力が夏狂いの体に宿りました。
そして、凍った火の竜と夏狂いを残して、さっと山の天辺に消えてしまいました。
夏狂いは、それから毎日、凍った火の竜を見に行きました。
でも、なかなか火の竜は動いてはくれませんでした。
火の竜が戻った時に、話すために夏を見に行ったりもしました。
初めて見た夏は、お日様がとても眩しくて、植物が青々と茂っていました。
でも、火の竜の瞳の金色の方がずっとずっと綺麗に思えました。
どんな花よりも、火の竜の真っ赤な鱗の方がずっとずっと鮮やかに思えました。
ある日、夏狂いは、二人の思い出の洞窟にいきました。
火の竜がいた時は、どんな場所よりも素敵に思えましたが、今はただ青白い岩があるだけのつまらない場所でした。
夏狂いは、がっかりして洞窟を出ようとしました。
そして、いつも火の竜が座っていた場所に何か書いてあるのが見えました。
夏狂いが見ると、そこにはひどく急いで書いたような字でこう書いてありました。
“嘘をついて、ごめん。私のことは、忘れてどうか幸せに。”
夏狂いは、初めて火の竜の嘘に気づきました。
とても、ひどい嘘でした。でも、夏狂いがついた自分勝手な嘘と違って、相手を思いやっての嘘でした。
夏狂いは、その場にうずくまって泣きました。
そして、自分の嘘をとてもとても後悔しました。
夏狂いは、何日もそこで泣きながら過ごしました。
そして、ふと火の竜の話を思い出しました。
西の森の奥には、なんでも知っている知恵の神様がいるのです。
夏狂いは、そのまま、駆けて、駆け続けて西の森の奥までいきました。
そして、その場でひざまずいて知恵の神様にこう言いました。
「知恵の神様。どうか、お願いがあるのです。氷付けになってしまった哀れな竜を助ける方法を教えてほしいのです。」
「お前は、雪の精霊だね。お前は、物を凍らせることは出来ても、溶かすことは出来ないよ。」
「それでも、どうしても、どうしても助けたいのです。私は、どうなってもいいですから。」
そう言って涙ながらに訴える夏狂いに知恵の神様は、こう言いました。
「お前の命と引き換えでもかい?」
夏狂いは、笑ってこう言いました。
「もちろんです。命を懸けて、私のために氷付けになった彼を救うのに、私が命を懸けないのはおかしいでしょう。」
知恵の神様は、とても優しい目で夏狂いを見てこう言いました。
「雪の精霊が、火の力を使う方法は一つだけだ。それは、生きているものならばみんなが持っている魂の炎を燃やすことだよ。ただし、それをしたらお前の魂は燃え尽きて消えてしまうかもしれないよ。」
夏狂いは、嬉しそうに笑ってこう言いました。
「彼を助けることができるのなら、そんなことちっとも構いません。」
夏狂いは、火の竜の前にやってきました。
そして、火の竜を見上げました。大好きだったお日様と同じ色の瞳は閉じられていました。
夏狂いは、火の竜の氷に手を置いて、呟きました。
「ねえ、最後に私の話を聞いてくれる? あのね、私、あなたに嘘をついてしまったの。あなたがここにいたら危ないのを知って、嘘をついて引き留めてしまったの。だから、あなたがこんなふうになってしまったのは、私のせいなの。本当に、ごめんなさい。」
夏狂いは、知恵の神様に教えてもらった通りに魂の炎を燃やしました。
体が燃えるように熱くなり、氷がみるみるうちに溶けていきます。
そして、夏狂いの体もどんどん透けていきました。
ふと、夏狂いは自分が夏に憧れた理由がわかりました。
本当は、夏のように熱く誰かに愛して欲しかったのです。
体が消えてしまうほんの一瞬前に、火の竜が瞳を開きました。
やっぱり、その金色は世界で一番美しく思えました。
「ねえ、私、あなたのことを心から愛しているわ。」
その言葉を最後に、夏狂いは、ふわりと消えてしまいました。
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「その精霊は、馬鹿ね。」
少女がぽつりと呟くと、話していた青年が苦笑した。
「どうしてだい?」
「だって、自分は消えて相手を助けるなんて自己満足じゃないのかしら。残された火の竜は可哀想よ。私だったら、みんなが幸せになれる方法を探すわ。」
そう言うと、青年は手厳しいな、とクスクスと笑った。
「さあ、暇潰しの話も終わったし、そろそろ吹雪も止まったよ。一人で、雪の山に来るなんて危ないから、もうしないように。」
「子供扱いしないで。私、もう十六よ。」
「私から見たら子供だよ。」
むう、むくれる少女に青年が笑った。
「それで、そろそろここに来た理由を教えてくれないかい? さっきは、帰る前に話すと言っていただろう。」
「覚えていたのね…」
少女が小さくため息をついた。
「理由って言っても、説明できるようなものじゃないのよ。…昔から、ずっとここに来なきゃって思ってたのよ。自分でもわからないんだけれど、ここに大切なものがあるような気がしていたの。」
変でしょ、と言いながら青年を見る。
何故か、青年はびっくりしたような顔をしていた。
ふと思う。この青年の真っ赤な髪と、金色の目はさっきの話の火の竜のようだ。
「それで、あなたはどうしてこんな所にいるの?」
さっきから気になっていたのだけど、と言うと青年が笑った。
「人を待っているんだ。」
「こんなところで?」
「そうだね。ここに来てくれるか、どうかもわからないよ。」
そう言って笑う青年に少女が呆れたような顔をした。
「そんなのでいい訳?」
「うん。会えるかどうかもわからないから、思い出の場所にいたかったんだ。」
「誰を待ってるの?」
「大好きな女の子。ずっと昔に、仲間に裏切られて死んでもいいや、って思ってここに来たときに優しくしてくれたんだ。仲間と違って気味が悪いと言われていた私の目を心から綺麗だと言ってくれて、私の話を嬉しそうに聞いてくれた。」
そう嬉しそうに語る青年に少女は不思議そうに言った。
「どこが気味が悪いの? 綺麗じゃない。お日様みたいな色よ。今まで見たものの中で一番綺麗だわ。」
そう言うと、またびっくりしたような顔をした。
「会えそうなの?」
「そうだね。叶ったみたいだ。」
「みたいって曖昧ね…」
再び呆れたような顔をする少女に青年が聞こえないくらい小さく呟く。
「ううん。叶ったよ。魂の色が同じだ。」
青年は少女に近づいて、こう言った。
「今から、君にどうしても言いたいことがあるんだ。君にとっては、意味がわからないと思うけど聞き流してくれないかい?」
「別にいいわよ。それくらい。」
青年は嬉しそうに笑ってこう言った。
「君の性格はとてもよく知っていたけど、言い逃げはなかったと思うよ。おかげで、こんなに時間がかかってしまった。ねえ、私は君が思っているよりもずっとずっと君のことを愛しているよ。」
目を丸くした少女に、青年はまた笑って言った。
数千年前から、ずっとね。
雪の精霊が持つことのできる火の力は、実は魂の炎だけではないんだ。普通の雪の精霊は、氷の心を持っているから、有り得ないんだけれど。
相手を心から愛する気持ちは、暖かい力を持つんだ。本当に、心から愛した場合だけだがね。
~遠い遠い昔の知恵の神様の独り言~