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雀の花

作者: 法橋籐士郎

 一向に成果の上がらぬ家廻りを一時中断し、田嶋祐一は寂れた公園のベンチで菓子パンを齧っていた。

 師走の風が近頃めっきり薄くなった頭髪を苛める。勤続十年でまだ三十四歳ではあるが、身体的な衰えは急斜面を転がる達磨よりも急激である。貯金は貯まらぬが脂肪は溜まる。祐一本人としてはさして過食気味とは思っていないから、極度な偏食が原因なのかもしれない。嫁でもいたら少しはマシになっていただろうか。

 慰め程度にしかクリームの詰まっていないパンはすぐになくなった。空がびゅうと唸る。

 同期社員は皆次々と本部の重要部署に配属されていき、祐一だけがいまだに訪問販売員で燻っている。祐一が勤めるK製薬会社は関西地区を中心にローカルな店舗展開をしているが、一方で配置販売も行っている。各家庭を訪問し薬を販売し、さらには定期的に補填する、所謂置き薬と云うやつだ。K製薬会社入社後、祐一は置き薬の営業部に配属されたが、爾来格別の成果を上げることもなく延々と家廻りを続けている。

 馘首されないだけ奇蹟だ。祐一自身そう思う。

 自分の馘が今猶繋がっているのは、ひとえに配置販売業と云う職務が常人の想像を絶する苦行だからであろう。祐一が実地で経験したことだが、この仕事程肉体精神凡てを削ぎ落すものはない。果てしのないノルマ、避けられぬ残業、上部からの理不尽な叱責……これら三要素は仕事には往々にして見られるもだが、K製薬会社は如何せん格が違う。祐一はそのために幾度泥酔と嘔吐を繰り返したか知れない。

 K製薬会社はネット上でブラック企業と云う有難くもない冠を戴いている。故に就職志望者は年々減っていき、それと比例するように営業職の人間も少なくなっている。会社側としては当然これ以上駒を失いたくない。勤続十年の訪問販売員祐一は会社にとっては格好の手駒であり、これをぽいと棄てるわけにはいかない。だから祐一は営業成績とは裏腹に出勤を許されているのである。


 ――営業は売ってなんぼの世界だ。多少強引でも構ァせん、兎に角売りつけろ。


 卯建つの上がらぬ祐一に、上司の江井がかつてそう云ったことがある。

 確かに営業は売る仕事である。だが強引でも構わないと云うことには祐一は得心が行かなかった。製薬会社は云わずもがな、薬を扱っている。薬の用途は無論身体的或いは精神的な疾患を治癒するためであり、ゆえに必要量をなるべく遍在させねばならぬ。ニーズと提供が一致していないと薬と云うものは効果を発揮しない。

 大袈裟に云えば医薬品は人命を救う。勿論過剰摂取と云うような用法容量を無視した摂取方法は反対に命を奪う可能性もあるが、そう云う例は相対的に少ない。人を助ける薬を無理矢理に押し付けるのは本末転倒なのではないかと祐一は常々思っていた。

 

 ――だから駄目なんだよ、お前は。


 万年営業部の椅子を温め続けている祐一に、同期入社の備井がせせら嗤ってそう云った。薬を売れば客は腹痛を治せるし、俺たちは財布が潤う。何処に文句のつけようがあるんだ間抜け。暴言製造機備井は今では人事部に配属され、歩兵たちの行く末を指先ひとつで裁量している。祐一が未だに販売員から抜け出せないのも、或いは備井の企みかも知れぬ。

 この十年の間、職を辞そうと考えたことは何度もある。否、毎日考えている。社畜として昏い人生を生きるより、いっそのこと凡てを擲って山にでも籠った方が千万倍善いように思える。

 それでもそうしないのは、そうしてしまえば生きていけないからだ。自活力が圧倒的に欠如している祐一が山に行ったところで三日も保つまい。簡単に死んでしまう。絵、音楽、文、何か才能があればそれに縋ることもできるだろうが、平凡な人生を送って来た祐一にそんな逃げ道は当然用意されていなかった。

 

 ――旅にでも出りゃいい。日本でも世界でも放浪してとことん迷えばいいさ。


 数ヶ月前、久々に邂逅した大学時代の友人志井と酒を飲んだとき、彼は糞真面目にそう語った。

 大学卒業後、志井は大手メガバンクに就職したものの三年で辞めてしまい、放浪の生活をはじめた。大学時代からいつかは放浪すると大声で宣言していて、折角就職できたメガバンクもそのための資金稼ぎの場だとしか思っていなかった。世界を見れば価値観変わるよ。こんなチンケな島国でもそもそしてないで一度世界を見てこいよ。志井はまるで凡てを支配しているかのような表情で祐一の肩を叩いた。

 世界世界世界、そんな言葉は聞き飽きた。そもそも世界とは何なのか、祐一はまずそこから疑っている。

 物理的な世界は勿論地球であり、その表面に起伏する地上となみなみに湛えられた海である。しかし意識的世界となるとそれは各人異なってくる。祐一にとっては今この現状こそ偽らざる世界であって、祐一はそれを厭と云う程見ている、否、見せられている。

 だから世界を見てこいなどと云うのは馬鹿の空論である。それぞれに存在する世界は違うのだ。シベリアの山岳地帯に行こうがセゴビアの水道橋を見ようが、それはその人の勝手であり他人が容喙することではないのだが、それだけで変わる安っぽい価値観など早いとこ塵芥箱に棄てた方が賢明だと祐一は思っている。

 放浪イコール人間的発展と考える志井の思考には肯けぬ。志井はそれでいいかも知れぬが、少なくともそれを他人に押し付けることは縦社会の権力横暴の構図を何ら変わらないではないか。


 こうして考えると、自分はどこまでも孤独である。上司も同僚も友人も、自分とは相容れない。集団に属していながら、その実集団内での繋がりは悉皆無い。他のどの点とも線を共有しない点はただの染みである。自分は偶発的な汚れに他ならないのだ。大衆のなかにいながら孤独を感じることがあるのはそのためかもしれない。

 公園には古びた遊具がポツポツ佇んでいる。統一感があるようでもあり、また一個一個独立しているようでもある。これらも実はただの染みにすぎぬ。

 祐一は公園内を散歩した。細かい砂利が踏まれる度に歯切れの悪い音で鳴く。

 ちゅん、と頭上で鳥が啼いた。見ると、すっかり葉を攫われた枯木の枝々に、雀が等間隔で留まっている。羽を綺麗に畳み、身体を丸く収斂させている。


「花みたいだな」


 枝に休む雀たちは、宛ら大きな花のように見えた。茶色の花は寒風に晒されつつも身動ぎせず、ただ時折思い出したように啼くだけである。

 祐一は少し背伸びをして、雀の花に顔を近づけてみた。一斉に飛び立つかと思ったが、案に相違して雀は逃げ出さなかった。

 地上にいる雀に少しでも近付くと、雀は敏感にそれを察知してすぐに飛び立つ。しかし、その小さな身体の通り臆病な鳥は、枝に留まっている今地上の祐一を蚊ほどにも思っていないようだ。

 群れを成して枝にいるから安心しているのだろうか。

 だとすれば、自分とは真逆である。

 自分は群れのなかで孤立している。そこに安心感を抱くことは皆無だ。

 雀は仲間の存在によって羽を休めることができている。彼ら一羽一羽は染みではなく、しっかりと太い線で繋がっている。

 彼らの群れには意味がある。人の集団にはそんな高尚なものは寸毫もない。

 ただ思考と思考が衝突し合い、点と点は終ぞ繋がることを知らず、


 そんな群衆に塗れて生きていく必要が、意味が、価値が、はたしてあるだろうか。


 祐一はさらに顔を近づけてみた。

 自分も雀の花になりたい――そう思った。


 読んでくださった方、ありがとうございます。

 この作品を書こうと思ったきっかけは、実際に雀が木の枝に留まっているのを見たときでした。まんまるに身体を丸めた雀たちが群れで佇んでいる姿を見て、何か書けないかなあと思い筆を執ったというわけです。

 御意見御感想、お待ちしております。

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