6.決意
「…気が済んだか?」
どれくらいそうしていただろう。俺が額をつつくと、まだ少し嗚咽を漏らしながらも頷いた。
「うわ、べたべた…泣いたなー‥。」
文句を垂れつつ胸からちびこいのを引き剥がし、衣装棚から新しい服を取り出した。
「顔、拭かないとな。」
水差しの水を湯に変え、手拭布を浸して絞る。
「目ぇつぶれよ。」
まずちび助の顔を拭き、続いてシャツを脱いで自分の身体を拭く。
「よし。」
新しいシャツを着て再び長椅子に座ると、ちび助が服の裾を掴んだ。
「子供はもう寝ろ。寝台貸してやるから。」
「…沢山昼寝してきた。」
と、首を横に振る。
「ひょっとして、寂しいのか?」
「…。」
当たりらしい。まぁ、仕方ないか。
「じゃあ、これでどうだ?」
近くに置いてあったライラをとり、静かな曲を弾いてやる。
最初は興味深そうに見ていたが、少しすると寝てしまった。
「フィンク。」
小声で呼ぶと、こっそり出てきた。全く、ノリのいい精霊だ。
「悪いんだが、こいつを部屋まで頼む。」
「いいわよ。可愛い子ね。」
「食うなよ。」
「馬鹿言わないで。」
寝顔を見て目を細め、フィンクはナイラを抱えて行った。
翌日から、俺は候補の子供達と直接話す期間に入った。
俺が喋る端からシオンとルナリアが記録していく。
皆、利発な子だったが、特に感心したのはやはりドラクムとリディアの兄妹だ。
ほぼ全ての質問に対して完璧な答えが返って来る。
妹は心から兄を尊敬していて、自分が兄の目の前に出るなんてありえない…と思っているようなので、やはり選ぶならドラクムか。
ナイラは、夜のことが嘘のように黙りこくっていた。俯いたまま、必要最低限の言葉しか発しない。
まぁ、小さいなら小さいなりに色々あるだろう。
とにかく、喋り通しで疲れる一日だった。
夜も遅くなり、やっと寝室にたどり着く。
前の二日が睡眠不足だというのに…。寝台の上に転がり、見るともなく天蓋を見つめる。
ナイラは…どこにやればいいだろう?俺の力の及ぶ範囲はバルセロス一族だ。
でも、バルセロス家の人間は、大半がエルフに良い感情を持っていない。
そんな偏見の中に置いておくのは忍びない。どこか別の場所へ…
そうだ。たしか豊饒宮のレト主教が孤児院を持っていたはずだ。
彼が妻と一緒に面倒を見ている孤児院なら安心だろう。二人共おおらかで優しいし、のびのび暮らせるだろう。
カタカタカタ…
窓が鳴る。
こんな時間に尋ねて来る奴は一人しかいないな。
「今日は何だ。」
カーテンを引くと、今回はバーツだけだった。
「いや…礼が言いたくてな。」
「礼?」
「あいつ、少しだけ明るくなった気がするんだ。お前のお陰だろうと思ってな。」
「別に何もしちゃいないさ。あのちびが昔話をしてっただけだ。」
「昔話?したのか?…お前に?」
「悪いか?」
心底意外そうな顔をされるとなかなか傷つく。
「いや、別に。あいつ、とんでもなく人間不信だったのに…。お前、人間か?」
疑わしそうな目。
「失礼なこと言うな。」
「まぁ、いい。」
「あいつに言ってやったんだ。もう、今までいた家には帰らなくていいって。」
「…。」
「代わりに、もっとのびのび暮らせるところを用意しようと思う。」
「…そうか。」
バーツは改めて俺の顔を見た。
「感謝する。」
「まぁいい。今夜は眠いから帰ってくれ。」
「おい!人が真面目に礼を言ってんのに…」
バタン。
俺は窓を閉めた。
振り返らずに寝台に寝転がった。
外でバーツが文句を言っていたが、すぐに静かになった。
「お前みたいな変な人間に会えて良かった。もう会うことはないと思うが…。じゃあな。」
それだけ聞こえて気配が消える。
…今更、礼とか言われると変な気分になる…。
そんなこんなで色々しているうちに子供達は帰っていった。
あとは誰を迎えたかという報告書と、精霊殿の人事に忙殺されそうな日々。
そして半月後…
精霊殿の居間に俺の息子と世話係が到着した。
屋敷の中を一通り説明して、部屋へ案内する。
「今日からここがお前の部屋だ。好きに使っていいぞ。」
日当たりの良い二階の部屋。寝室と二間つづきになっている。
「ありがとうございます、父上。」
やや緊張した藤色の瞳に、俺は笑って答えた。
「お前の父親はメリックだろう?無理に父と呼ぶ必要はない。」
「でも…」
「そのかわり、今日から俺はお前の師匠だ。師匠と呼べ。」
「…はい!師匠!」
ナイラがにっこり笑った。やっぱりガキは笑ってんのが一番だな。
「それから、ラト。」
「は、はいっ。」
少し慌てた返事。
「お前は今日からルピーだ。ナイラの世話係の侍女になれ。」
「あの…」
申し訳なさそうに俯く。
「復讐なんて考えるな。今日からは俺がお前等の保護者だ。俺がやってやる。もちろん、バーツも手伝ってくれるだろうし、な?」
バルコニーに目を向けると、欄干にバーツが座っていた。
「あぁ。妙な結界もなくなって力も元通りだしな。」
ニヤリと笑う顔と俺を交互に見て、ラトは目を丸くした。
「本当に…?」
「嘘じゃない。仇は討ってやる。」
その途端、ラトの顔が歪んで絨毯に染みが現れた。
「な?もういいだろ。」
復讐のため、少女である自分を棄てた…。
そんなことで人生が決まるなんて、あんまりだ。
茶色い髪をクシャ…と撫で、子供二人をせき立てる。
「さ、隣の寝室に着替えが置いてあるから着替えてこい。ルピー、お前のも一緒にあるぞ。」
『はい。』
二人が姿を消すと、俺はバーツの隣に行った。欄干にもたれて溜息をつく。
「…ったく、世話が焼ける…。」
「どうしてあいつを選んだ?」
怪訝な顔。
「んー‥技術や知識だけならもっと良い奴もいたけどな…あのちびにはあって、そいつらには無いものがあったから、だな。」
長い髪をいじりながらポツリと話す。
「…何だ?」
「教えてたまるか。自分で考えろ。ま、いつも近くにいたらわからんかもな。」
俺がドラクムではなくナイラを選んだ理由…それは、ほんの些細なことだから。
自分の選択に悔いはない。…今は、目を瞑っていよう。この子に背負わせてしまう使命のことは。
「ケチだな。」
「おぉ。ケチだとも。」
「…。」
「…。」
しばらく沈黙が流れた。
木葉が風にそよぐ音だけがきこえる。
「…師匠…。」
小さな声がした。二人が着替え終わったらしい。
「よう、着替えたか。」
しゃがんで手招きをし、二人を呼ぶ。
「これでお前達は俺の家族だな。」
ぱたぱたとやってきた二人の額に軽く唇をつける。
「歓迎するぞ。」
「うん!」
ナイラが飛び付いてきた。
ルピーはもじもじしている。
「ほら、お前も。」
手を差し延べると、ルピーもとびついてきた。
二人がぎゅうっとしがみついてくる。
「あ、こら。泣くなルピー。お前も…もらい泣きすんなよ…」
どうしてこうなるんだ?
ぼろぼろ泣く二人の背中をポンポンと叩きながらバーツを見上げた。
…笑いそうな顔をしている。
「…言いたい事があるなら言え。」
顔がほてる。
「お前…意外といい奴だな。あと、ガキ好みなのか?」
「意外じゃなく俺は優しい。それから、あれは挨拶みたいなもんだ。」
「?」
「知らなかった?あれは仲良しっていう挨拶なの。」
ルピーが説明する。
そうそう、で、祈りの言葉を添えると神官が行う場合は祝福になる。
「…変わってるな。」
バーツは顔をしかめた。
「あぁ、バーツも家族か。だったらやらないのは変だよな?」
俺が尋ねると、二人は頷いた。
「…らしいぞ?ちょっと顔貸せ。」
「いや、いい…!」
俺が立ち上がると、バーツは凄い勢いで飛び退いた。
「俺はそんな習慣知らんからな!」
そしてそのまま姿を消す。
「…照れたのかな。」
ナイラが呟く。
いやぁ、俺は断じて違うと思うがな。
そしてこっそり笑いを噛み殺した。
「腹減ったろ。今日は俺が作ってやる。」
「師匠、作れるの?」
「当ったり前だ。それくらい作れなくてどうする。」
「本当?楽しみ。何が出来るのかなぁ?」
その一時間後、鍋から赤い煙が立って厨房が騒ぎになったが…それはまた別の話だ。




