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5.信頼

「…あなたは…私の大切な子です。」

「わかっていますよ。そして、これからは自慢の息子になります。」

「まぁ。」

少し笑う緑の瞳。

「…構わないのです。いつかは交代の儀が起こる。今、起こったっていいではないですか。」

知人が先立ったという知らせを受けるたび、ひっそりと涙していたことを俺は知っていた。

世の人々が欲する不老不死の肉体は…あまりいいものではないと思った。

「行って下さい。私は、大丈夫です。」

不死鳥である女神に自分の死を預けてしまうと、世界の摂理から外れてしまう。それは、究極の仲間外れではないだろうか。

「許して下さい…弱い私を…許して…」

俺の胸に顔をうずめた母を見て、俺は改めて女神の力を思い、ぞっとした。

本来なら50をとうに越えている身体は、未だに20前の娘だったのだから…。




あれから何年経っただろう?気がつけば、俺が子供を選ぶことになっている。

主教になったばかりのときは大変だった。

国王に仕えるようになって得たのは、多くの敵と少しの味方。新米だったから、よく文句も言われたし。

あと、これはあくまで個人的な見解だが、可愛らしい娘から男に代わったからっていうのも一因な気がした。

他の二人の主教は男だったし、大臣ががっかりする気持ちもわからなくはないけどな。俺が逆の立場でも多少はがっかりするだろうし。ま、今は慣れっこだから特に問題も無いが。

…そんなことを考えながら寝台に寝転がっていると、カタカタと音がした。

窓まで歩み寄り、カーテンを引く。そして驚いた。

「ちび助?」

バーツが抱えていたのはラトではなくナイラだった。

「側にいたいんだとさ。」

「おい!」

そんなわけのわからん理由で…

「ま、たぶんすぐに寝るから。」

バーツはナイラを降ろし、

「頼む。」

と耳打ちして行ってしまった。

「…あー…昨日と同じでいいか?」

なんとなく気まずくて。

でも、ちび助は黙って頷いた。

「じゃ、そこの長椅子に座ってな。」

そう言って夜食を取りに行く。今日はホットミルクにビスケットだ。

「ほらよ。」

「ありがとう。」

カップに口をつけ、一口飲んで呟いた。

「…美味しい。」

「そうか、そりゃよかった。で、なんの用だ?」

今日は隣に座る。話をする方のこの方が楽だろう。相手の顔を見なくて済む。

「…。」

ナイラはしばらくモジモジしていたが、少しして顔を上げた。

「昨日の夜、僕のこと、ただのちび助って言ったよね?」

「ああ、言ったな。」

なんだ、それで怒ってんのか?

「…。」

「しかしお前、女の子なのに僕とか言うんだな。」

俺のその言葉で、ナイラは顔を上げた。

「男だもん。」

…うそだろ。これが男?5歳だったか?いや、でも、これで男?

「男の子だよ…。」

俺の思っていることが解ったのか、前を向いて膨れたまま呟く。

「悪かった。あんまり可愛かったから、はは…。」

とりあえず、本題に入ろう。

「で、そのちびがどうしたって?」

「僕のこと、ただのちび助に見える?」

「当たり前だろ?それ以外の何だ?」

カップにもう一度口をつけ、ナイラは俯いた。

「きたない…とか、ふきつだ…とか、思わないの?」

「…。」

なんてことだろう。

「何故?どうしてそう思う?」

俺の問いかけに、ナイラはぽつりと答えた。

「僕…変な子なんだって。バーツと友達だし、…尻尾があるし。」

尻尾があるのはエルフの特徴の一つだ。昔、ルナリアからきいた話だが、エルフの特徴は2種類ある。大きくは耳と尾だ。

ハーフには耳の、クウォーターには尾が特徴として残るらしい。

メリックがハーフエルフなら、息子に尾がってもおかしくはない。

まぁ…この家では変わっているが。

「でもね、でもね、僕、楽しかった。」

…にこりともせずに言うあたり…まぁいい。

「…恐い人達が来る前まではね。」

「恐い人?」



「うん、ルピーとバーツと遊びに行ってたの。」

「ルピー?」

「えっと…ラトのこと。」

「ふむ。」

「帰ってきたら…」

カップを持つ小さな手に力が入り、肩が小刻みに震えていた。

「無理に話さない方がいい。」

ナイラはテーブルにカップを置き、膝を抱えた。

「…赤かったの…皆…真っ赤だった…」

泣きそうに声が震えている。

「笑ったの…赤くて光る……笑ったの…。」

俺は黙ってナイラの話に聞き入っていた。

「ルピーのほっぺたが真っ赤…。……バーツがぎゅってしてくれて…。」

残酷な話だ。忘れていたって不思議じゃないのに…。

震えながら話しているが、涙はない。それが、余計に痛々しい。

「ちょっと落ち着け。な?」

背中を軽く叩き、カップを勧めた。ぬるくなっていたから、もちろん温めて。

「…ぷはぁ…。」

ナイラは一つ息をつく。

「おじい様の家に行ってからわかったの。皆、僕のことが嫌いなんだって。」

昨日のバーツの言葉が思い返された。二人を眠らせた後の話だ。

『こいつな、綺麗だろ。だから余計に嫌われるんだよな。』

親馬鹿の類かと思ったが、確かに的を射た発言だった。

人間の中でも整った顔の多いバルセロス家の娘と、エルフの間の子供。美男美女の夫婦だったんだろうな。

それと、ナイラが嫌われた理由の一つに、父のメリックがアークエルフ系だったということも関わっているだろう。

シオンやルナリアのように、回復や治癒の力を使うハイエルフならともかく、アークエルフは破壊の力を使う。

身体能力の強化など、どちらかといえばハイエルフに近いスペルを使うバルセロスの人間にとっては、アークエルフの魔力は異端だ。

勝利宮の神官のように神の力を借りるならまだしも、魔力で物を破壊するなんて…。

もし、母よりも父の血が濃かったら、バルセロス家にいながら法力が使えないことになってしまう。

選民意識の塊な連中には耐えられないだろう。

そしてバーツの存在。ナイラの話によると、行き倒れていたところを助けたらしいが、これは精霊に相当する。

神官の中でも精霊を使役できるのは一部の高位の者だけだ。

精霊を使えるというだけで、強力な力の使い手だという証明になっている。

要するに、このちびは幼くして才色兼備だということだ。ま、こいつは男だが、女みたいだからよしとしよう。

…天は二物を与えず、というのは何処へ消えてしまったのだろう。

ことん。

ナイラはテーブルにカップを置いたまま、静かに俯いている。

「来いよ。」

「え…?」

キョトンとした顔。

「いいから、こっち来い。」

手招きすると、少しこちらに寄ってきた。

「よっ…と。」

そのまま抱き上げて膝の上に乗せた。

…軽い。

何だか俺が悲しくなった。何を食ってたんだろう…。

この小さな背中に、どれだけの言葉を浴びてきたんだろう…。

「えっと…あの…。」

あたふたと慌てて降りようとするナイラ。俺は首根っこを掴んでそれを阻止した。

「バーツの膝の上ならいいのに、俺じゃ不満か?」

「う…んと、んと…ぜ、全然嫌じゃないけど、僕なんかが乗ったら主教さんが汚れちゃうんでしょ?」

「汚れるわけないだろう?お前、泥だらけなわけじゃないし。」

「…そうじゃなくて…人間に悪いことが起こるんでしょ?」

…何てデタラメを信じて…。いや、信じ込まされたのか。


「バァカ。んなことあるわけないだろ。」

くしゃくしゃと青い髪を掻き回す。

「で、でも…恐い人達が…」

「関係無い。」

思わず語気が荒くなった。

「…。」

「大体な、お前にそんな力があったって俺には効かない。」

「…ホント?」

藤色の瞳が心配そうに見つめてきた。俺は出来るだけ優しく言い返す。

「本当だ。主教の力をナメるなよ?お前にたいなちびの呪いなんて効くもんか。」

女神様のご加護があるからな、と笑う俺に、ナイラは深く息をついた。

「そっか…。」

「で?他に言いたいことは?」

「ううん…でも、僕…帰りたくない…。」

「ここにいたいのか?」

「……。」

「何があった?」

「みんな、僕が嫌い…。おじい様も怒ってたし。」

「何て?」

「なんであんな奴を引き取った、って。穢れてるって、魔族の化け物だっ…て。」

ここで言っても仕方無いが、魔族と精霊は別物だ。

「…他には?」

「仲良しだったリスの子が死んじゃったとき、新しいお母さんが言ったんだ。

お前はお人形さんみたいな顔をしているのにどうして涙なんか流すの?…って。おかしいって。魔物に心なんかないはずなのに…人形みたいな顔してるならいっそ人形でいればいい…って。悪魔のくせに泣いたり笑ったりするなって…汚らわしい…から。

僕…もう、泣かない。笑わない。人形で、いい…。」

頬を押さえる仕草…きっと、爪を立てられたんだろう。

それからのナイラの話は悲惨の一言に尽きた。

怒りっぱなしの祖父母、冷たい叔父と叔母、意地悪な従兄弟達…。

バーツは結界で大半の力を奪われ、ラトは台所の隅で真冬も水仕事ばかりさせられていたらしい。

ナイラに与えられていたのは腐りかけの残飯のようなもの…。

「…すまない…。」

腕が勝手に小さな背中を抱きしめていた。

…情けない…エルフへの偏見がそこまで強かったのに、気づけなかった自分が本当に情けない。

「…どうしたの?何で主教さんが悲しい声するの?僕、また悪いことしちゃった?」

頬に触れている頭が少し動く。

「いや、悪くない。お前は何も悪くないんだ。」

悪いのは、俺だ。自分が見える部分だけ、整った環境にして慢心していた…俺だ。

もう一度小さな身体を抱き上げ、こちら向きに座りなおさせる。

「辛かったのに、よく頑張ったな。」

もう一度、小さな身体を引き寄せるとナイラは照れたように下を向き、少し頬を染めた。

「僕ね…」

ナイラがまた口を開く。

「二人がいてくれて凄く嬉しい。これって、幸せっていうんでしょ?」

少し身体を離し、一心に見つめてくる。

「あぁ、幸せだ。いい友達だよな。」

「そうだよね。だったら…大丈夫。僕は強い子だって父さんも言ってたし。」

「そうだな。お前はとっても強い子だ。」

頭を撫でると、ナイラは首をすくめた。

「主教さん、優しいヒト。僕…あれ?」

不思議そうに目元に触れる。

「あれ?涙が出てる…泣かないって決めたのに…嫌だなぁ…?」

「泣いていいんだお前は。無理しなくていい。思い切り泣いて思い切り笑え。」

キョトンとしている目を見て、そう言い聞かせた。

「でも、強い子は泣かないんでしょ?」

「あのな…涙ってのはあんまり我慢してるといつか突然溢れるんだぞ。お前の年で泣くのと俺の年で泣くのはどっちがカッコ悪い?」

「…主教さんかな…?」

「だろ?だったら今のうちに泣いとけ。」

「うん…でも、変なの。主教さんに、何でこんな話しちゃったんだろ…?ちび助って言ってもらいたかっただけだったのに。」

「まぁ、いいじゃないか。おかげで俺達は仲良くなれただろ?」

椅子の背にもたれ、背中をさする。

「仲良し?」

「そう。」

「僕がさよならしても、覚えててくれる?」

「もちろん。でも、もう、あの家には帰らなくていいようにしてやる。」

「ホント?」

「あぁ。もう、恐い思いはしなくていい。」

「そっか…」

それを言い終えると同時に、俺のシャツに大粒の涙がこぼれた。

「恐かったよな?…辛かったよな?」

「うん、うん…。」

しゃくりあげながら、ナイラは何度も頷いた。

「恐かったよう…恐かった…よ…」

しがみついて泣きじゃくるナイラの背中を、ただただ撫でてやることしか、俺には出来なかった。


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