4.再会
翌朝、薄暗いうちから起こされ、寝不足な俺は欠伸を噛み殺しながら朝礼を済ませた。ぼんやりと朝食の席についていると…
「レアル様、本日は…」
とシオンが長い巻物を読み上げた。
「…面倒だな。」
とぼやくと、
「仕方無いでしょう。人生に一度の一大行事ですよ。」
諦めろと笑われた。
「あぁ、寝忙したい。」
「はい?寝坊ですか?」
「いや、寝忙。寝るのに忙しくなりたい。」
「無理ですね。二度と目覚めないように寝ないと。」
…物騒な。
「お前さ、優しそうな顔して時々とんでもないこと言うよな。」
「そうですか?」
心底意外そうな顔。
「自覚無いのかよ…。」
そんなこんなで一日が始まる。
神殿の最奥、そこが俺の仕事場。今日は儀式に駆り出されることもなく、ひたすら資料を読むだけだ。
あのドラクムとリディアの兄妹はとても優秀だ。どの報告書を見ても誉めてある。まぁ、所詮は他人の目なんだが…
それでも最有力候補であることに変わりはない。
「うー‥ん…。」
唸っていると、ルナリアが入ってきた。
「主教、どうなさいました?」
「いや、難しくてな。お前はどう思う?」
そう言って紙束を差し出す。
ルナリアはそれを受け取り、目を通した。
「……。素晴らしいの一言に尽きます。この年齢でこれだけの能力とは。」
「そうか…やはりどちらかにするのが得策…か…。」
「何か問題でも?」
「いいや。」
能力が早咲きという可能性も……
「ところで何の用だったんだ?」
「あ、そうでした。ご婦人がお目通りを願いたいとおっしゃっています。」
誰だ?今日はそんな予定は無かったし、貴婦人の懺悔という世間話に付き合う程暇じゃない。
「すまんが、今は忙しい。後日にしてもらってくれ。」
ルナリアは黙って一枚の紙を差し出した。
「拒まれたらこれを、と。」
「?」
受け取り、広げてみる。
そこには『暴れ猫』と書いてあった。
「裏から内密にお通ししてくれ。それから、人払いを。扉の外はお前だけでいい。」
素早い切り返しにルナリアは驚いた顔をしたが、しばらくして一人の女性を連れて入ってきた。
「どうぞ。」
何となく、緊張してしまう。それは…別に目の前の女性が美人だからってわけじゃない。
「ありがとうございます。」
にっこりと微笑む緑色の瞳、長い桃色の髪を編んだ華奢な立ち姿。
男だったら思わず守ってやりたくなるような、そんな女性。でも…
「お久しぶりです。ご用は?」
座るなり、俺はいきなり訊いた。
「まぁ…せっかちですね。」
相変わらず柔らかい笑顔でクスリと笑う彼女の現在の名前はエリン。
「やっと私の方が大きくなったのに、やはり負けてしまうなんて。」
そう、この女性は俺の母親、先代のレアル主教だ。
「大きく…は変ですよ。年が上になったんです。外見の。」
それにしても、俺より年下に見えて仕方がない。
「それもそうですね。相変わらず、私のノラは元気で嬉しいです。」
母は俺のことをノラと呼んだ。今となっては記憶も怪しいが、全く言うことを聞かない生意気小僧だったかららしい。
それが一変したのは一発殴られてからだ。
あの日のことは絶対に忘れない。いつも微笑んでいた母が俺に初めて泣き顔を見せた日。
…早く法力が使いたかった。早く一人前になって嫌味な親族を見返してやりたかった…。今から思えば、我ながら馬鹿だった。
召喚術に手を出すなんて。
召喚術は普通の精霊呼び出しと違い、契約していない精霊を無理やり引きずり出すのでよほどの法力がないと抵抗する精霊が暴れるから恐ろしい反動が来る。
俺のときも、召喚した精霊が暴れて引き裂かれそうになった時、偶然やってきた母が身を挺して助けてくれた。
左肩の肉が食い千切られ、骨が見えるほどの傷だった。俺は、身体が震えて、ただただ立ち尽くすだけだった。
気を失うほどの怪我だったのに母は踏み止まり、俺の頬を張った。武術の訓練以外で殴られたのなんて初めてで…。
母にあれほど厳しい口調で叱られたのも、あのときだけだった。
でも、激しい口調の後、俺の頭を抱きしめた手は、とても温かかった。あの時まで、俺は人に大切に思われてるなんて思ってなかった。養っているのは主教の候補を育てるため、マリエルの相手を絶やさないためだけだと思ってた。
それ以来、俺は心に決めたんだ。二度とこんなことはしないって。もう、この人を泣かせるもんか…って。
ひょっとしたら初恋だったのかもしれない。
ま、今から思えば、だけどな。
「もうノラっていう年でもありませんよ。」
「いいえ。いつまで経ってもあなたは私の可愛いノラですよ。」
軽く俺を睨むと、母は息をつき、本題を切り出した。
「跡継ぎは決まりましたか?」
なんてタイミングのいい人なんだろう。この行事は公にされないのに。
「よく今年だと解りましたね。」
「えぇ。何となく。」
「実は思案中なのです。どうにも決めかねていまして。」
肩を落とす俺に、困った瞳が向けられる。
「あまり思い詰めないで下さいね。」
「あ。」
そういえば、ずっと訊きたかったことがあった。
唐突に顔を上げた俺を、不思議そうに見つめている目を見つめ返す。
「そう、母上は何故私を選んだのですか?」
「えっ?」
戸惑いの声が上がり、母は黙り込んだ。
「参考にさせていただきたいのです。教えて下さい。」
「…絶対に参考になりませんよ。」
「とにかく気になります。教えて下さい。」
深いため息が聞こえ、続いて小さな声がした。
「やんちゃでしたから…」
「はい?」
「一番ふてぶてしかったからです。」
言い終わると同時に浅黒い顔が朱に染まる。
「何故、そんな…。」
「きかんぼう程、実はしっかりしていると聞きまして…あぁ、絶対この子だ、と。」
「はぁ…。」
あまりの理由に生返事しか出来ない。案外、適当なものなのかもしれない…。要は感覚だしな。
その後、母としばらく歓談し、今は昼食の入ったバスケットを持って神殿の外を歩いている。
早い話が執務室から逃げたわけだが、昼食くらい好きなところで食べたっていいだろう。
神殿の周りはグルリと森があるので、参道を少し離れると、静かな森が楽しめる。
シオンやルナリアには秘密の場所で昼食開始だ。
(お。)
今日の昼食は肉の入ったパイだ。水筒に入った冷茶とよく合う。やっぱり冷茶は砂糖無しが一番美味い。
それに木の上とくればまた格別…
「レアル様!」
突然声を掛けられ驚いて下を見る。
白銀の髪をした少年がいた。
「何だ、どうした?」
「どうしたもこうしたもありません。神殿に伺ったら手が放せないと言われまして。」
で、ここに来たのか。やれやれ…。
「つけられてないだろうな?」
「もちろんです。」
「ん、ならばよし。上がって来いよ。」
「はい。」
登ってきて、俺の隣に座ったコイツはルーブル。王国の三大公爵家のひとつ、アンダルシア家の長男だ。要するに、次期主教。
成功と勝利を司る武神トライエを祭る勝利宮は、その名の通り武術が盛んだ。ルーブルの父であるターラー主教は一角獣の騎兵隊長だし、こいつも、まだ12なのに武人の卵をやっている。
三年くらい前、異母妹が産まれたときに名付け親を任されて以来、妹が可愛くて仕方ないらしい。
「歩いたのです!」
心底嬉しそうな声。
「私の見ている前で、初めて歩いたのですっ。」
「へぇ。そりゃまためでたいじゃないか。ターラー殿も喜ぶだろうな。笑うかもしれんなぁ。」
ルーブルの父親は表情があまり変化しない。笑顔なんて、見た記憶があっただろうか。
「はい。それから、明日から竜の小屋に入っても良いという許しが出ました!」
「お、遂に出たか。聖騎士に一歩近付いたな。めでたいめでたい。」
聖騎士というのはこの国の飛竜を扱う騎兵だ。優れた武術と法力、それに強い精神が必要とされる最も難しい騎兵だ。
ルーブルは竜が大好きだし、素質もあるだろうし、頑張って欲しい。
ひとしきり話すと、ルーブルは一言礼を言って帰って行った。
昼食も終わり(まだ食べていないとかいうどこかの少年に半分やったが)、もうそろそろ神殿に帰ろうとした矢先…
ピチチチチチ…
一羽の小鳥が目の前の小枝にとまった。小鳥はじっと俺を見て、また鳴く。
ピチチチチ…
「?」
しばらくにらめっこをしていると、すぐ側の空気がぐにゃりと歪んだ。
刺客か!?
慌てて防御のスペルを唱えると、そこに現れたのはバーツだった。
「…。」
若干の拍子抜け。
「なんだ、お前か。」
ため息混じりに言うと、例のごとく不機嫌そうな顔で話してきた。
「今晩また部屋に行く。同じ時間でいいか。」
「今晩!?おいおい、今晩は書類に潰されてる。」
「それはいつものことなんだろうが。」
…確かに。
「わかった。続きのことか?」
「たぶんな。」
たぶんってお前…自分が来るんだろうに。
「じゃあ。」
「おい!」
それだけ言うと、バーツは姿を消した。
あぁ、ラトが来るのかもしれないな。昨日はすぐにナイラと一緒に寝かせてしまったから。




