未来の別れに月白の風を
――ざっ、ざっ。
深緑の草が生い茂る、もはや朽ち果てたと言われても否定できないほどの薄暗い荒れ地に、やや鈍い足音が響く。
ひとつの小さな教会がここにはある。石レンガ造りの教会で、中は広くてもせいぜい三十平方メートルくらいか。
チェアとテーブルでも置けばそれだけで埋まってしまいそうなほどで、とても教会としての役割を担えるようには見えない。
「……えーっとぉ……」
ここを訪れていたのはひとりの幼い少年だった。ほんのりグレー色の髪に、やや怖がり屋らしい赤色の垂れ目。肌の色は雪のよう――とまではいかないが、色素は随分と薄いようだ。
頭の上には、彼が猫の獣人であることを示す、可愛らしい耳がぴょこんとついていた。二本ある尻尾は、くるりと巻いて互いが互いを支え合うように軽く絡んでいる。一目見れば、彼がずいぶん怯えてしまっているのが見て取れた。
少年は教会の前に来ると、割れて崩れてしまいそうな木のドアに手を伸ばす……が、しばらく控えめにためらった。やはり怖い。
第一雰囲気を抜きにしても、下手にこのオンボロドアを触ろうものならささくれが刺さって痛そうだ。厚手の手袋をひとつ持ってくるべきだったかもしれない。
とはいえ、このままじっとしているわけにもいかず……。
「しゃ……シャトランジです。失礼、します……」
ようやく意を決して扉を開く。中に人がいるとは到底思えないが、挨拶は彼なりの礼儀……なのかもしれない。
かなり硬かったが、しばらく力を入れればギギギ……と、地獄の底から金属をこすり合わせるような音がして、ゆっくり扉は手前に開く。
中はとても暗い。扉を開けて光が差し込むどころか、暗闇が外の日光を打ち消しているかのような暗さ。思わず少年の尻尾にぎゅーっと力が入った。
「……うぅ」
肩に下げていたかばんから、ハンドサイズのランタンを取り出す。ぼうっと橙色の炎がひとりでに灯り、壊れた教会の中を明るく照らした――。
中にあったのは、据えられた大きな鐘、そして礼拝する信者を迎え入れるための木のロングチェア、それから折れてしまっている天秤。
いずれも細かくも美しい装飾が施されており、おそらく名のある職人が作ったものだろうと断言できる。今となっては大部分が朽ちてしまっているが、これが現役だった頃はよく使われていたのだろう。ここは狭いが。
そして……
「ティーポット……?」
鐘の隣には、黒い板、そしてその上に転がされている白磁のティーポットがあった。
なぜか、それだけはまったく傷がついたり、劣化している様子もない。キラキラとランタンの明かりを反射しており、それだけによく目を引いた。
少年は恐怖も忘れ、ぼんやりと、なにかに導かれるようにそのティーポットを手にとって――
「ぎゃあああああああああああああああ――!?」
何の前触れもなく、教会が崩れ落ちたのだった……。
* * *
「思っていたよりなんというか……『火事場の馬鹿力』はあったようだな」
「うぅ」
灰髪の少年――シャトランジはいきさつをひとまず話すと、ホテルのベッドに腰を下ろした。
ここは怖くはない。ひとりぼっちでもないし、別に暗くもない。人の多い大通りに面した高級ホテルの一室で、シャトランジは目の前の人物を不安げに見つめた。
「……」
その人物――『メタジャスティス』は、なにやらサラサラと紙に羽ペンを走らせている。
サラサラとした優雅な長い銀髪、対照的に滾る血のような赤い瞳。全体的にどこか疲れたような感じの気だるげさを纏っている。尻尾はチェアの背もたれに隠れて見えないが、ピンと立った耳が彼女も獣人であることを示している。
どの角度から見ても文句のつけようのない美貌。見ようによってはシャトランジとどこか顔つきも似ており、親子と言われてもそう不自然さはない。実際のところは親子ではないが。
「それで」
メタジャスティスは顔をあげた。
「そのティーポットは抱えたまま街中を走ってきたのか? ここまでずっと?」
「う……。は、はい」
シャトランジの手元には、白磁のティーポットがしっかりと握られている。どういうわけか、ティーポットはしっかりと抱えたまま逃げ帰ってきたようだ。
「ティーポットを手に取ったら廃教会も崩れた……妙だな。そもそもあそこにあるものが傷一つないとは……」
「えーと……」
「分からんな。まあとりあえず、仕事は完了したわけだ。レポートはあとで私から手渡しておこう」
「あ、ありがとうございます……」
シャトランジがあの教会を訪れていたのは仕事である。厳密には職場体験のほうが正しいかもしれない。
もうかなりの年数使われていない廃教会がどんな状態かを観察し、記録する――あまり必要性のなさそうな、公的機関の仕事のひとつだ。どういうわけで彼が国の機関から仕事をもらったのかについては割愛しよう。
今一番不安なのは、そんなはじめてのおしごと体験で観察対象の教会をぶち壊してしまったことである……。
「た、逮捕されませんか……?」
「されたらされたで脱獄させてやる。心配するな」
「だ、脱獄っ!? ……いや、あのう……そういう話じゃ……」
「冗談だ。事情は説明するから、問題ないさ」
「うぅ……なら、良かったです……けど……」
ゆらり、と白い煙が立ち上る。いつの間にかメタジャスティスはタバコをくわえていた。
「メロン食べるか?」
「いいんですか」
「嫌ならスターフルーツしかないが」
「それは逆にどこから……?」
差し出されたカット済みのメロンにスプーンを差し込み、甘い果肉を頬張るシャトランジ。
糖度はかなり高く、一気に食べるとむせてしまいそうなほどだ。ただ仕事終わりで疲れ切った体には、冷たくて甘いメロンはとてもよく染み渡る。
「……」
「えっと……ど、どうかしましたか?」
物憂げにティーポットを見つめるメタジャスティスへ、シャトランジはおずおずと尋ねる。
「ふむ……呪われているのかもな、そのティーポット」
「えっ」
シャトランジはフリーズした――。
* * *
静かな旅館のような雰囲気を持つ、木造りの建物の一室。そんな平穏なはずの場所に、いきなりバタバタとした喧騒が持ち込まれた――
「の――呪われてるんです! このてぃ、ティーポット……!」
「あのー……? それはどういう?」
シャトランジ達は、旧知の仲の人物のもとを訪れていた。
澄み渡るような空色の髪と、氷色の瞳が特徴的な人物だ。
軽く触れただけですべて消え失せてしまう靄のように、美しさと浮世離れした儚さを持っている。彼女が車椅子に座っているのも、その印象を助長しているかもしれない。
「それにメタジャスティスさんー……。ちょっと、表情が硬いですねー……? そんなに強い呪いなんですかー……?」
「別に確定したわけではないが。少し私も気にかかる点があったのでな」
「なるほどー……」
この人物の名はダビデ。厳密には『D.B.D.』と名乗っているが、呼びづらいため知人からは『ダビデ』と呼ばれる事が多い。
肩書は主に医者。とはいえ、それだけではなく魔法の扱いに精通し、多種多様な魔法学に長けた頼れる『なんでも専門家』である。
ダビデはティーポットを手に取り、いろいろな方向からそれを眺めてみた。窓から差し込む光を反射して、白く滑らかな表面がきらりと光っている。
「……うーん、あまり呪いのようなものは見つけられませんねー……」
「そうか……。やっぱりどこか引っかかるんだが、もしかすると呪いではないのかもしれないな」
とはいえ、この不思議なティーポットにはダビデもメタジャスティスもお手上げらしい。
困ったようにテーブルにそれを置き直すと、ふと思いついたようにダビデが「あ」と声を上げた。
「ど、どうかしましたか……?」
「ふふ……せっかくだし、お茶を淹れてみませんかー……? もしかするとー、なにか分かるかもしれませんよー……」
頷くメタジャスティス。
「ふむ、たしかに一理あるな。茶葉は?」
「何種類かありますから、順番に試してみましょうかー……よいしょ、と……」
ダビデは自身の車椅子を操りながら、棚の方へと近づいていった。
* * *
「はい、とりあえず四種類ありました、ふふ……」
ダビデがテーブルの上に並べたのは、落ち着いた上品なパッケージを持つ四種類の茶葉の缶だ。そのうち三種類は紅茶で、残る一種類はなぜか緑茶である。
「わ……!」
シャトランジもこれらの紅茶に興味があるらしい。ゆっくりとだが、しっぽが左右に揺れている。ダビデはそのしっぽをもふもふしたくなったが、やめておいた。
ダビデはティーポットに魔法で熱湯を注いだ後、ティースプーンで紅茶の茶葉を三杯すくい、ポットに入れた。それから蓋をして少し待つ。
「い、いいかおりです……」
「ふふ、高かったんですよー。絶対おいしいですから、ぜひぜひー……」
手際よく、三つのティーカップに紅茶を注ぐダビデ。ふんわりとしたベルガモットの爽やかな香りが広がる。もうこの香りだけで穏やかな満足感に包まれるほどだ。
色合いも良く、透明感ある明るい赤色をしている。
「はい、どうぞー……」
「ありがとう。見た感じだが、別にティーポット自体にプラスもマイナスも効果はないようだな」
要するに、べつに紅茶が美味しくなる魔法がかかっているわけでもないし、逆に毒を混入させる効果があるわけでもないようだ。いたって普通の、よくあるティーポットである。
コースターの上に載せられたティーカップを恐る恐る受け取り、シャトランジはそれを口に運んだ。
「……!」
紅茶特有の渋み、それから香り通りの優しい甘さ。柑橘系のほんのりとした酸味も隠れており、それらの味が立体的で美しい調和を創り出している。
とてもおいしい。
「シャトランジくんも満足してくれたみたいで、よかったです、ふふ……」
とはいえ、このティーポットに掛かっていそうな『呪い』についてはさっぱりといった感じである。
淹れた紅茶に特に何の効果も及ぼさないなら、このティーポットはいったい何が変なのか……。
そもそも、あくまでティーポットの形に作られただけで、想定された機能はまったく別物、という可能性もなくはないが。
「じゃ、緑茶も飲みますかー……?」
「は、はいっ。ぜひ」
ささっとティーポットを洗った後、ダビデは手際よく緑茶の茶葉をティーポットに入れていく。
このティーポットは本来緑茶に向いたものではないようだが、とりあえずは淹れられるようである。
「――……」
先ほどとは異なる、少し苦みの混じる落ち着いた香りが僅かに昇る。シャトランジはもう待ち切れないといった様子だ。
「そろそろだな」
「じゃ、注ぎますよー……」
いつの間に用意されていたのか、ティーパックではなく陶器の湯呑みに緑茶を注いでいくダビデ。シャトランジは、茶に向けてなのかダビデに向けてなのかよく分からない嘆息を零した。
「おいしそう……」
「もしかしたら、いきなり紅茶以外淹れるなだのなんだのと叫んでくるかとも思ったが……まったくそうでもないらしいな」
「それぐらいアクティブな子だったらー、流石に気づきますよー、ふふ……」
相変わらず、このティーポットはうんともすんとも言わずに大人しく美味しい緑茶を作っただけであった。
再びそれらの緑茶をじっくり賞味した。
それから三人は何も起こる気配のないこの状況に対し、どういう感情を抱くべきかよくわからずに、揃って天井を見上げるのだった……。
* * *
やや時が流れ。
「……うーむ」
メタジャスティスはひとりで、崩壊してしまった小さな教会跡を訪れていた。
もはやここに人が住んでいたとは思えないほど、荒んでしまっている。ボロボロの瓦礫の山に成り果ててしまった最後の建造物もその印象に拍車をかけた。
「特に変わったところはなさそうだな……」
あのティーポットの謎について、何かが分かるかもしれないという期待を込めてやってきたはいいが……どうにも、特段そのような気配はしない。
呪いだのなんだの以前に、まともなモノがないためからっぽな感じだ。到底手がかりなど掴めそうにない。
こんなのであれば、適当にそこら辺の市街地を探すほうが、呪物のひとつやふたつ見つかりそうである。
「ふむ……」
ボロボロの瓦礫をひとつ手にとってみる。
石造りの教会の、素朴な壁を作っていた部分だ。塗装などもされておらず、建てられた当初から石材が切り出されたままの色合いと肌触りだったのだろう。今となっては、崩落の衝撃と大きな経年劣化が激しい。
それから一部分には、金属の骨組みの残骸もある。昨今の建築ではなかなか見られない、不純物が多く濁った色の鋼だ。歴史を感じさせるな、とメタジャスティスは漠然と昔を懐かしんだ。
「それから……おっと、もうこれはダメだな」
教会の小さなシンボルだった鐘は大きくひしゃげ、もはやただの金属塊も同然だ。
瓦礫をどかしていくと、さらに大きく割れた机や椅子、あとはキラキラしたランタンなどが出てくる。
「ランタンはシャトランジのか……全く、かなり高級なものだったんだが」
幸い、割れてしまったガラスを取り替えればランタンは問題なさそうだ。
それから他にも、小さな棚に大事にしまわれていたらしいアクセサリー類――当然、長い時間を経て使用に耐えうるものではなくなっている――や、ボロボロの書籍などが散乱していた。
「……かなり脆いな……当然だが」
微かにメタジャスティスの指先が光り、細い糸がどこからともなく出現する。散らばってしまっていた本のページがそれぞれひとりでに並び、それを銀糸が綴じる。
魔法で若干の強化を施せば、とりあえずひとまずは保存ができた。
強度テストも兼ねて、パラパラと冊子の内容をめくってみる。
『――様は今日も応えてくださらない。この世が戦乱に飲まれ――』
『――私はそれでもあなたの忠実な下僕として、この乱れを正し――』
『――あの少年は再びここを訪れて、話を聞いてくれた。最初にあんな不吉な印象を持ったのが申し訳ない――』
内容自体はとっくのとうに写しが取られているので、これに書かれている内容にそこまで価値はないが、『原典』というのはそれだけで貴重だ。持って帰って、あとで報告ついでにどこかへ寄贈するとしよう。
「……うん?」
ふとメタジャスティスの視界の端に、うっすらと白煙が見えた。
半メートルもしないうちに空中に溶けて消えてしまうくらいの弱々しい煙が、瓦礫の下から昇っている。マッチかなにかが燃えたのだろうか……。
「これは……」
瓦礫の下には、黒いひとつのプレートが落ちていた。
片手を広げたのと同じくらいの大きさを持つ、正方形のプレートだ。厚みはせいぜい数センチ。
表面にはうっすらと幾何学的で複雑な傷がつけられている。よく目を凝らさないと傷があることにすら気づけないような浅いもので、その整然とした並びからも分かる通り、どう見ても自然についたものではない。
メタジャスティスはよく集中してその傷跡とにらめっこして、結論を下す。
「まさか、魔法陣か? ……それにしては、魔力が一切感じられないが」
再び魔力を込めれば再稼働するかもしれないが、どういう術式か解析するまではうかつに触れないほうがいい。
メタジャスティスはこの収穫に満足したように尾を揺らし、プレート、書籍を抱えてその場を離れたのだった。
* * *
「……っ!」
シャトランジは声にならない声を上げ、尻餅をつく形でその場に倒れ込んだ。街の硬い石タイルの地面は硬かったが、それを気にする余裕もない。
彼の目の前には、地に倒れ伏して動かない男が二人いる。血は流れておらず、外傷もなく、ただ静かにその場に倒れていた。
先程まで、シャトランジたちの眼前で激しく口論を繰り広げていたはずなのに――突然、彼らはバッタリ倒れ込んでしまったのだ。こうパニックになる事態に遭遇したのに、運の悪いことにメタジャスティスやダビデとは別行動中だ。
「どうした――」
「何が起きたんだ――」
彼らを取り囲むように、街行く人々が野次馬となって集まりだす。背丈の小さなシャトランジはすぐに押しのけられてしまった。
「シャトランジくん!」
「だ――ダビデさんっ」
「大丈夫ですか? ほら、どいてください、皆さんー!」
ダビデが車椅子のタイヤをすばやく回しながら、人混みをかき分けつつやってきた。本業が医者であるダビデが、倒れてしまった二人を診るために駆けつけたようだ。
あるいは、既に近くにいたのかもしれない。
ひょいっと軽くシャトランジを抱えると、すぐにダビデは倒れた二人の男のもとにたどり着く。数名の野次馬を少々突き飛ばしつつ進んだが、こういう事態なのだ、大目に見てもらおう。
「これはー……呪い?」
「の、呪い……!?」
「うーん……」
容態をざっと診たダビデはそう考え込む。
「でも、この雰囲気にしてはずいぶんと……弱いですねー……。なんだろう? 本来は人を一瞬で殺すような術のはずなのに、込められた魔力が釣り合ってないというかー……」
尋常でない殺意というか、盲信の域に全身を突っ込んだような人物でないと撃てないような、とんでもない意思の籠もった呪い。だが、その呪いを維持するために必要な魔力量が、あまりに見合っていなさすぎる。
これではどれだけ殺意があったとて、このようにせいぜい昏倒させることで精一杯。呪いに精通した人間でなくとも、軽い回復魔法で簡単に解いてしまえる。
一応意識だけでも持っていけたのは、膨大な殺意のなけなしの底力とでも言ったところか……。
おずおずといった様子で、ダビデの膝に載せられたままのシャトランジが呟く。
「も、もしかして、あのティーポットとなにか関係が……?」
「可能性はゼロではないですがー……。考えづらいですねー……。とりあえず、解呪しておきましょうか」
ざっとダビデが解呪の魔法を使うと、すぐに二名の男は小さくうめきながら目を覚ました。
「戻りましょうかー、シャトランジくん……」
「は――はい、ありがとう、ございます」
* * *
ダビデがシャトランジをだっこしたまま自室へ戻ると、すでにそこには先客がいた。
「おやー……勝手に人のお部屋に入るのはマナー違反ですよ、メタジャスティスさん」
「勝手に他人の血を抜くようなマッドサイエンティストが、どの口で言ってるんだ。ここ最近はそういえばされてないが」
まったく、とメタジャスティスは肩を竦める。
「どうやら何かあったようだな、ダビデ。私も外で騒ぎを見た」
「はい、まぁ色々とー……」
ダビデはメタジャスティスへ、事情をざっとかいつまんで説明した。それから、今回の『呪い』についての簡単な推測も。
それらを全て聞くと、メタジャスティスは形容しにくい、複雑な感情を顔へ浮かべる。
「……ダビデ、これを見てほしい」
手渡されたのは、黒い一枚の板だった。あの教会跡でメタジャスティスが拾ってきたものだ。
「あ……! こ、これ、ティーポットの下に置いてありました……!」
「やはりか。ああ、教会跡をもう一度訪れてみたんだ。ダビデにはとりあえず、それに刻んである魔法陣を解析してほしいんだが」
「分かりましたー……」
ざっとそれに目を通してみる……かなり緻密に魔法陣が書き込まれているので、全貌を明らかにするのにはやや手こずりそうだ。
「あらかじめ私の予想も話しておこう」
「と、いうとー……?」
「その板、何かしらの封印術式が書いてあるんじゃないか」
「おー、ビンゴです」
やはり、とメタジャスティスは頷いた。
「……教会跡に落ちていた冊子をざっと見返して、なんとなく察しがついた」
「ふふ、座布団一枚」
「すまない、意図的なものではなかった」
気まずそうに咳払いをひとつ。
「まぁ、ひとまず今は解析の結果を待つとするさ。半分妄想みたいなものだからな」
シャトランジは不安そうに裾を握り、ダビデは穏やかな笑顔を湛えつつ作業を再開するのだった。
* * *
「はい、終わりましたよー……。ふふ」
五分もせずに、ダビデによる魔法陣の解析作業は終わりを迎えた。
緊張した様子でそれを待っていたシャトランジが勢いよく顔を上げる――
「どっ――どうでしたか……!?」
「まぁ、単純にこれは強力な封印の魔法でしたー……。近くにある『魂』『魔法』を抑え込み、暴れないようにするという、ね……」
「ほう」
しかし、それだけだ。
「以上、これはただ封印するだけの魔法です……他に、おもしろいものもありません。ですがー……」
「やはり、所謂『本体』はティーポットだったか」
「はい」
テーブルの近くにおいてあった、あの白いティーポットを手に取るダビデ。
「これは、ティーポットではなく一種の容器としての役割を持つ――いや、持たされていたようです……。そしてその容器に入れられていたのは――」
「魂だな」
「ビンゴ! その通り、おそらくは何かしらの魂……ティーポットに留められていた魂が、シャトランジくんによって封印から物理的に距離を離された。そして、それがまるで『呪い』のように、シャトランジくんに取り憑いていたようですねー……」
「うぇ……!?」
シャトランジがびっくりして飛び上がる。自業自得じゃないですか……と、今にも自分を責めて泣きそうな顔だ。
「だが、その魂は悪意を持っていなかった。悪意ではなく、義務感、そして正義感を持って動いていたんだ。だから、呪いに近しくとも呪いとして識別できなかった」
「そうと分かれば、解呪は簡単です……ほら。ふふ」
落ち着かない様子のシャトランジへダビデが手をかざすと、僅かに白い光が発散し、そしてすぐに消える。
ほんの僅かだけの魔力の残滓が失せると、心なしかシャトランジの体が軽くなった気がした。まぁ、それでも既に疲労は体に残っているが……。
「とりあえず、事はこれで一件落着だ。後は種明かし、と言っては変だが、私から軽く解説させてもらおう」
「は、はい……」
どこからともなく、メタジャスティスは古びた本を一冊取り出した。
「これが先程言った冊子だ。あの教会の随分前の所有者が書いた日記らしい」
「……」
「随分ととんでもない内容だから、読むのはあんまり勧めないがな。平たく言えばかなりグロい」
「やめておきます……はい……」
シャトランジは一般人よりもずっとビビりなのである。あのメタジャスティスがこうも断言するのだから、やめておくに越したことはない。
「あの教会では、もともと『コルペシア』という神が祀られ、信仰されていたようだ」
「確かー、『正義』と『公平』の神でしたよね……。随分昔にその神は殞落したと思いますが……。コルペシアが祀られているのは、ずいぶん違和感がありますねー……」
「ま、そうだな。表向きにはあの教会は、コルペシアの後任の神を祀っていたようだ。とはいえ、教会の所有者を含む数名の……コルペシアの復活を信じる集団が、実質的にコルペシアを祀っていたことがこの日誌から分かる」
「へえ……」
今は全体的な考えが変化し、この国でもそういう独自の考えを持つことも容認はされるようになっている。
とはいえ、あの時代から考えると、このようにコルペシアの復活うんぬんと言っていたら間違いなく異端とみなされ、殺されても不思議ではない。
別にコペルシアを信じること自体は別に構わないのだが、死んだ神はすでに死んだわけだ。既に後任となる別の神もいるのだから、コペルシアよりもその後任の方を信仰することが『正しい』とされていたのである。
なんともドライな信仰だ。
「そしてこの筆者は特にコルペシア、そしてその正義の狂信的な信者だった。すべての争いを、どんな些細なことでも仲裁し、自らがコルペシアの代行者として罰を与える、とな」
「じゃ――じゃあ、あの二人が倒れちゃったのって、喧嘩しそうだったから……?」
「おそらくな。ずいぶんと長い間あのティーポットに囚われていたわけだから、もうそれ以上の力は残ってないようだったが。ダビデのおかげでもう消えたし」
下らない日常の喧嘩さえも、徹底的に裁き、消し去る。その人物の理想は、誰も争いなど起こさない、すべてが予定調和な世界だったのだろう。
「まだこの日誌を書いていたときから、すでに何者かにその危険性は察知されていたんだろう。この日誌には『アキヅキ』という少年が協会を訪れていたことが書かれているが……おそらくその人物が封印術式を作り、封印した可能性が高い」
「……なるほど……」
ひとまず、一連の事件は片付いた。
メタジャスティスは効果を失った封印術式の板、そしてティーポットを見て、これからどうしようかな――と小首を傾げるのだった。
* * *
「こんにちは、メフェルさん」
こぢんまりとした小さな教会、学帽を被った黒髪の少年がその扉をゆっくりと開いた。
造花にも似た白い髪飾り、それから不吉な印象を持つ赤色の瞳が目を引く。とはいえ、彼の雰囲気自体はとても穏やかなもので、とてもなにかをしでかすようには思えない。
扉の奥から、香ばしい紅茶の香りが漂ってきた。この教会の大きな鐘と並び、もうひとつのトレードマーク――教会主メフェルさんの、お手製紅茶だ。
「あれ、秋月くん。今日もいらしたんですね」
「どうも。メフェルさんの紅茶は美味しいからね、仕事の前に一杯貰おうかと思ってさ」
紅茶を淹れている最中だったメフェルが、秋月と読んだ少年に向けて静かに微笑み、会釈した。
とても長く伸ばした金髪を、細かく緻密な意匠を施されたバンドでゆるやかに巻いている。こちらもふんわりとした、まるで大きくとも穏やかな草食動物のような雰囲気を纏っている。
メフェルは秋月へ座るように言った。とても狭い教会の中だが、秋月はもう慣れているようだ。
「今日は――南のほうの茶葉かな? いい感じに締まった香りだ」
「ふふっ、正解。秋月くんは紅茶利きが上手ですね。もしかして、紅茶については造詣が深いんでしょうか?」
「少し前に、お茶についての仕事をしたことがあってね。それで触れる機会がいろいろと」
「へえ」
メフェルは出来上がった紅茶をカップへ注ぐと、ティーポットとカップをそれぞれ白いプレート状のコースターに乗せ、秋月の前へ差し出した。
「ふふ、おかわりもどうぞ」
「良いのかい? ありがとう」
秋月は紅茶の香りをよく堪能した後、ゆっくりと目を閉じて味わう。
そしてふと、そのティーポットの下に置かれていたコースターにそっと手を当てて――
* * *
「……犯人は現場に戻ってくると言うが、実際そうだったようだな」
「っ――……幻、覚か」
教会跡。
秋月は瞬く間に変化した景色に少しよろめくと、すぐに背後からした声の方向を向いた。
「お前があの日誌にあった『アキヅキ』だな」
「……あなたは――メタジャスティスさん、だったっけ」
「ああ。よく知ってるな」
秋月は学帽のつばを持って、位置を正す。
「突然で悪いが、お前の記憶を少し見させてもらった。あのティーポットとプレート……コースターを封印のための魔道具へ作り変えたのはお前だな? 秋月」
「はぁ……隠すようなことでもないかな。はい、そうだよ。僕がメフェルさんのことを封印した。彼女には悪いけどね」
「それは、教会主――メフェルがコルペシアの狂信者だからか?」
「そうとも言える。表向きは完璧に『優しく敬虔なシスターさん』を演じれてたのは、すごいと思ったね。僕も演劇は好きなんだけど」
曖昧な返答だ。メタジャスティスがより詳しく問い詰めようとする前に、秋月は自分から話を続けた。
「僕はとある人の部下でね、今回の任務はある『バタフライエフェクト』を消すためにメフェルさんを封印したんだ。メフェルさんがこのまま生きていれば、そのバタフライエフェクトで僕の上の人に多大な影響を及ぼしかねなかった」
「バタフライエフェクト?」
「メフェルさんはコルペシア神の意思を曲解し、争いや諍いをひどく憎んだ。それはだんだんとエスカレートして――このまま時間が進めば、メフェルさんの手で周囲一帯から多くの人が死ぬことになる。具体的には六万八千、三十四人」
「……どうしてそこまで知ってる?」
簡単なことさ、と秋月は肩をすくめた。
「僕は一度その未来を見た。でも面倒なことになったから、過去に戻って、ああやって細工をしたんだよ」
「ふむ」
「メフェルさんに家族を殺された一人の人物が、復讐のために強い力を手にし英雄になる。その人物は、めぐりめぐって僕の上の人物をも傷つけることになるんだ」
「ならなぜ、直接その英雄を殺さなかったんだ?」
「言い訳のためさ。万が一こうやって誰かと鉢合わせたら、その六万人の命を事前に救ったと言い張れるだろう?」
「なるほど……その六万人を救った功績で、自分を見逃せと言うわけか」
頷く秋月。
「正直殴り合いになれば僕が勝つけどね。争いはあんまり好きじゃないんだ、僕も」
「別に私も殴り合う気はなかったがな。すこし好奇心が湧いて、話を聞かせてもらっただけだ」
メタジャスティスの言葉を受けて、秋月はちょっとだけ拍子抜けしたようだ。
「最後にひとつ聞かせてほしい。……どうしてわざわざ封印なんて言う婉曲な手段を取った?」
「……メフェルさんは神になりつつあったから、かな」
「何?」
突然飛び出した突飛な言葉に、メタジャスティスは目を丸くする。
「彼女はコルペシア神の狂信者で、代行者を自称していた。そしてその考えはただの盲念にとどまらず、もはや実際に力を伴うまでになっていた――」
「まさか、その意志ひとつで」
「うん。強烈な意志と覚悟は、往々にして魔法的に重要な意味を持つ。メフェルさんは、本当にコルペシア神の神格を取り込み、本物の代行者になりつつあったんだ。そこで神になりかけのメフェルさんと正面切って戦えば、それこそ甚大な被害が出かねない。だから封印して、長い時間にその力を削いでもらおうと思ってね」
「……」
「悪いね。あと十年もすれば完全にメフェルさんは無力化されるはずだったけど、ちょっと予定とは外れてしまったみたいだ」
それがこのシャトランジたちの一件につながった、ということらしい。そこまで大きな被害は出ていないので、まぁ不幸中の幸いと言えるだろうか。
「分かった。聞きたいことはあらかた聞けた、感謝する」
「いえいえ。……メタジャスティスさんとは、またいつか再会しそうな気がするよ」
「奇遇だな、私もだ」
「じゃあね、次も敵じゃないと良いけど」
秋月はそう言い残すと、無数の光の粒子となってその姿を消した。
謎のティーポットにまつわる小さな事件は、これですべて終わりを迎えた。しかし、これもまた、もっと大きな物語の一つの歯車にすぎない――そんな不穏な気配が、メタジャスティスの胸中に渦巻くのだった。




