第9話 戻らない
冒険者が戻らない、という報告は珍しくない。
だがそれは通常、
危険度の高い依頼や、
明確な戦闘の末に起きるものだ。
今回の依頼は、そうではなかった。
夕方になっても、
帰還帳簿に新しい記録は追加されなかった。
レイナは執務机に置かれた帳簿を閉じ、
無意識に入口の方へ視線を向ける。
「……遅いな」
言葉にしてみても、
理由ははっきりしない。
依頼内容は調査。
討伐ではない。
危険度も低く、
これまで問題の起きたことのない区域だ。
「日帰りのはず、なんだけど」
レイナは受注記録を指でなぞる。
受注時刻、内容、注意事項。
どこにも引っかかる点はない。
受付奥から、控えめな声がかかった。
「……まだ、戻ってきていないみたいです」
声をかけてきたのは、受付部門の一人だった。
「うん、分かってる」
レイナは短く答え、
もう一度、帰還予定時刻を確認する。
予定を過ぎてから、すでに二刻が経っていた。
「遅延連絡は?」
「ありません」
その事実が、じわりと胸に残る。
どんな些細な理由でも、
遅れる場合は連絡が入る。
それが、ギルドの常識だ。
「……変ね」
思わず、口をついて出た。
理由は説明できない。
ただ、嫌な感覚がある。
レイナは帳簿を閉じ、立ち上がった。
「まずは現地調査」
声は落ち着いていたが、
判断は早かった。
手順は決まっている。
感情で動く場面ではない。
それでも、
足取りが自然と早くなるのを止められなかった。
しばらくして戻ってきた報告は、
どれも歯切れが悪かった。
「現地に異常は見当たらない」
「戦闘の痕跡もない」
「予定された調査範囲は、問題なし」
「……じゃあ、人は?」
レイナの問いに、
報告役は一瞬、言葉を詰まらせた。
「確認できません」
「足跡は、途中までありました」
「ですが……」
「……人数が合わない、ってこと?」
先回りするように尋ねると、
相手は小さく頷いた。
足跡はある。
装備の痕もある。
進んだ形跡も、引き返した形跡もある。
それなのに――
全員がいたはずの痕跡が、途中で途切れている。
「……死体は?」
レイナは、声を落として尋ねた。
「ありません」
「血痕も、争った跡も」
それは最悪ではない。
だが、決して良い知らせでもなかった。
「……分かった」
レイナは一度、深く息を吸った。
「これは、私の判断を超えてる」
執務室の扉の前で、
一瞬だけ足が止まる。
(……戻らない、だけ)
そう言い聞かせようとして、
その言葉が、
これまでと同じ意味を持たないことに気づく。
扉の向こうには、
この異常を“意味づける”人物がいる。
レイナはノックし、
静かに扉を開けた。
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扉を閉めると、執務室の空気がわずかに変わった。
「……例の件か?」
アルトは、レイナの表情を見ただけで察していた。
「うん」
「戻ってない」
短い返答だったが、
それで十分だった。
レイナは、簡潔に状況を説明した。
調査依頼。
低危険度。
戦闘の想定なし。
現地調査部門による一次確認。
異常なし。
だが、帰還者なし。
「足跡は途中まで」
「争った形跡も、血もない」
アルトは、黙って聞いている。
「……それで」
レイナは、そこで一度言葉を切った。
「一人だけ、戻ってきた」
アルトの視線が、ゆっくりと上がる。
「怪我は?」
「ない」
「なんだ?」
「……それが」
レイナは、少し言い淀んだ。
「名前が、出てこない」
「仲間の?」
「うん」
「何人で行ったかは言える」
「でも、誰と行ったかが言えない」
沈黙が落ちる。
アルトは、椅子にもたれ、
天井を一度だけ見上げた。
「……記憶が消えた、というより」
「“繋がり”が抜けてる」
「本人は?」
レイナの問いに、
アルトはすぐには答えなかった。
「混乱はしてる」
「でも、取り乱してはいない」
レイナは言う。
「むしろ……落ち着きすぎてる」
「怖がってないし、怒ってもいない」
アルトの胸に、
《統治者の残響》が、微かに触れた。
違和感。
だが、はっきりとした反応ではない。
「……思い出せないことに、疑問を持ってない?」
「うん」
「“そういうものだ”って顔してる」
レイナは、唇を噛んだ。
「死んでない」
「でも、生きてるとも言い切れない」
アルトは、静かに言った。
「現地は?」
「確認した」
「やっぱり、何もない」
レイナは続ける。
「装備は途中まであった」
「人数分、あったはずの足跡も」
「でも……」
「途中から、合わなくなる」
アルトが、言葉を継いだ。
「“誰かがいなかったこと”になっている」
それは事故でも、戦闘でもない。
記録が壊れたわけでもない。
最初から、いなかったかのように扱われている。
「……人間も、対象になった」
アルトは、はっきりと結論づけた。
レイナは、少し間を置いてから言った。
「これ、勇者じゃ……」
「無理だな」
アルトは、即座に否定した。
「勇者は、正しい敵を倒す」
「だが、これは“敵”じゃない」
「触れなければ、何も起きない」
「だが――」
アルトは、机に置かれた報告書を指で叩く。
「触れたことで、“存在の一部”が欠けた」
「戻ったのは、人間の形をした“残り”だ」
レイナは、目を伏せた。
「……じゃあ、残りの人たちは」
「“戻らない”ままだ」
その言葉は、
重かったが、曖昧さはなかった。
「まだ、全体じゃない」
「局地的だ」
アルトは、少しだけ声を落とす。
「だが……段階は進んだ」
「もう、噂で済ませられる話じゃない」




