第8話 逃げる者たち
「最近、妙に静かじゃないか?」
王都のギルド酒場で、そんな声が上がった。
「討伐依頼、減ってるよな」
「減ってるというか……内容が軽い」
「調査ばっかりだ」
誰かが肩をすくめ、杯を傾ける。
魔王討伐が始まってから、
世界は少しずつ
落ち着きを取り戻しているように見えた。
高危険度の依頼は減り、
掲示板には現地確認や生息状況調査といった、
歯切れの悪い依頼が増えている。
「勇者様が動いてるんだ」
「そりゃ、魔物も減るだろ」
そんな言葉が、冗談混じりに交わされていた。
その日、掲示板の一角に貼られた依頼書の前で、
数人の冒険者が足を止めていた。
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【再確認依頼】
対象地域:南方森林地帯・第二区画
内容:凶魔獣生息状況の再確認
備考:現地調査部門による一次確認済み/原因未特定
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「……再確認?」
依頼書を読んだ冒険者が、眉をひそめる。
「現地調査部門が入ってるのに?」
「ってことは、向こうも『おかしい』とは思ってるんだろ」
受付嬢が、小さく頷いた。
「はい。調査自体は終わっています」
「魔物の痕跡、巣の跡、行動範囲――確認済みです」
「ですが……」
言葉を選び、続ける。
「凶魔獣が“確認できなかった”んです」
「……存在していたはずなのに」
「倒された形跡もありません」
一瞬、酒場の空気が変わった。
凶魔獣は、
単独でも上級冒険者を必要とする危険存在だ。
それが、理由もなく消えることはない。
「……逃げた?」
「いや、あいつらは縄張り意識が強い」
「簡単に場所を捨てるような相手じゃない」
「だから、再確認です」
受付嬢は静かに言った。
「複数の視点で確認したい」
「それと……民間冒険者の報告が欲しい、と」
その言葉の裏にある意図を、
場にいた者たちは何となく察した。
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数日後。
依頼を受けたのは、
B〜Aランク混成の冒険者パーティだった。
冒険者のランクは、対応できる脅威の目安だ。
Bは凶魔獣に“条件付き”で挑める線、
Aなら安定して対応できる。
討伐ではなく、調査。
それでも油断はしない。
「……静かすぎるな」
森に入ってすぐ、誰かが呟く。
木々は健在で、
結界の異常も感じられない。
だが――
魔物特有の気配が、まるでない
それが、かえって不自然だった。
「ここ、凶魔獣の縄張りだったはずだ」
「去年、被害報告が出てた場所だな」
地図と記憶を照らし合わせても、間違いない。
「足跡はある」
斥候役の冒険者が地面を指す。
「でも……途中で、全部止まってる」
「止まってる?」
「逃げた、じゃない」
「追われた形でもない」
少し考え、言い直す。
「……近づいてない、って感じだ」
巣の跡に近づいても、内部は空だった。
争った痕跡はない。
餌も残っている。
「放棄……?」
「いや、急すぎる」
凶魔獣が、理由もなく縄張りを捨てるとは考えにくい。
「勇者様の進路とは、被ってないな」
「ああ。少し外れてる」
誰かが、ぽつりと呟く。
「……じゃあ、何から避けてる?」
答えは出なかった。
冒険者たちは、それ以上深入りせず、
調査結果だけをまとめて引き返す。
討伐依頼ではない。
無理をする理由はない。
だが、帰路につく彼らの背中には、
説明できない違和感が残っていた。
「なあ」
歩きながら、誰かが言った。
「凶魔獣ってさ」
「……こんなふうに、“弱いものみたいな逃げ方”するか?」
誰も、すぐには答えられなかった。
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その日の夕方。
同様の報告が、
別の地域からもギルドに届き始める。
凶魔獣が確認できない。
倒された形跡はない。
だが、確実に――避けている。
それはまだ、
“異常”と断定するには弱い情報だった。
だが、
揃い始めた時点で、偶然ではなかった。
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王国ギルド、執務室。
アルトの机の上には、
複数の報告書が並べられていた。
差出人はそれぞれ異なる。
冒険者、現地調査部門、地方ギルド。
立場も所属も違うが、
内容は奇妙なほど一致している。
「……また、同じね」
書類を整理しながら、レイナが小さく息を吐いた。
「凶魔獣を確認できず」
「倒された形跡なし」
「争った痕跡もなし」
レイナは一枚ずつ確認し、視線を上げる。
「それでいて、巣の跡や行動痕は残っている」
「“いなかった”のではなく、“近づいていない”」
アルトは無言で頷いた。
「逃げた、という表現も違う」
「追われた形跡がない以上、逃走じゃない」
彼は報告書を重ね、地図の上に置いた。
「……避けている」
レイナは地図を覗き込み、眉を寄せる。
「凶魔獣が?」
「ああ。しかも、複数個体が同じ傾向を示している」
凶魔獣は、
単独でも上級冒険者を要する危険な存在だ。
本能も強く、縄張り意識も強い。
「理由もなく、こういう行動は取らない」
アルトは、地図の一点を指した。
「ここだ」
「……南方森林、第二区画」
そこは、
少し前に違和感として記録していた地点だった。
草が戻らず、
踏み荒らされた形跡もない、
妙な“空白”。
「この周囲を、凶魔獣が避けている」
アルトは静かに言う。
「勇者の進路とは、完全には重ならない」
「だが……通らなかった『縁』と一致している」
レイナは、言葉を選ぶように問い返した。
「勇者が来ていれば……?」
「結果は変わらないだろう」
アルトは即答した。
「勇者は、正しい敵を倒す」
「だが、これは敵じゃない」
彼は椅子にもたれ、短く息を吐いた。
「戦えば解決する問題じゃない」
「だから、勇者が正しく動いても、ここは残る」
レイナは、しばらく黙っていたが、
やがて静かに口を開いた。
「……凶魔獣だけじゃないみたい」
新しい報告書を差し出す。
「通常魔物も、同じ傾向」
「以前なら接触していた距離で、引き返している」
アルトは、その文面を一読して目を伏せた。
「段階が進んだな」
アルトの脳裏に、
以前セフィラが口にした言葉がよぎる。
*
――境界の問題かもしれない。
*
「……やはり、境界だ」
アルトは、独り言のように呟いた。
「魔物が避ける」
「人は、まだ気づかない」
「だが、確実に“線”が引かれ始めている」
レイナは、ゆっくりと頷いた。
「触れなきゃ何も起きない」
「でも……そこに“あるもの”が、違う」
「そうだ」
アルトは、はっきりと肯定した。
「世界の一部が、
別のルールで動き始めている」
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その日の夕方。
勇者一行の新たな討伐報告が届いた。
魔物討伐、成功。
被害、軽微。
民の士気、良好。
アルトは、その報告書を閉じた。
「……正しい物語は、進んでいる」
だが、その正しさは、
世界のすべてを覆ってはいない。
凶魔獣ですら避ける場所。
剣が届かず、
戦いも起きない領域。
そこから先で、
何が起きるのかは分からない。
だが――
もう、見過ごせる段階ではなかった




