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終わりなき世界の観測者たち  作者: 颯音ユウ
第2部【帝国戦争篇(前編:火種)】

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第66話 継ぎ目の冷え

 

 勇者エリオは、剣を抜かなかった。


 抜けば楽だ。

 敵が目の前にいるなら、

 考えるより先に身体が答えを選ぶ。


 けれど今日は、“斬るべきもの”が見当たらない。


 凱旋の後、王都は彼らを“飾り”にしたがった。

 だが現場は、飾りでは埋まらない。

 王国と聖教会が共同で切った名目

 ――「戦後の巡察」

 魔王軍の残滓、取り残された避難民、

 封鎖線の綻び。

 

 勇者一行は、その穴を塞ぐために動いている。

 独断ではない。だが、現場判断の裁量は

 彼らに委ねられていた。


 野営地の外れ。

 焚き火の煙が薄く流れ、遠くで鍋が鳴る。

 仲間の笑い声が、少し遅れて届く。


 遅れたのは距離のせいじゃない。

 耳のせいでもない。


「……今、遅れた」


 自分の声が、自分に返ってくるタイミングが

 ――ほんの僅かに、ずれた。


 誰も気にしない程度のずれ。

 だがエリオは、その程度のずれで死ぬ。生きる。


 だから、気にする。


 剣を持つ指が緩む。

 視線を上げる。夜空は澄んで、星は正しくある。

 正しさが、今日は少しだけ冷たい。


(落ち着かない)


 変だ。

 恐れじゃない。敵意でもない。

 “世界が、いつも通りの顔をしていない”

 ――そういう種類の違和感だ。


 エリオは胸の奥に手を当てた。

 神殿で教わった祈りの作法ではない。

 もっと個人的な、癖の動作。


 ――仲間の危機に反応するはずの、あの感覚。

 危機じゃないのに、そこが薄くざわつく。


「エリオ?」


 背後から、ロイスの声がかかった。

 返事を待たず、彼は焚き火から一歩外へずれて、

 風上を確かめる。


 その横で、

 セリスが何も言わずに鍋の火を落とした。

 音を小さくする。匂いを薄くする。

 “何かが来る前の手”だけが、先に動く。


「大丈夫。……ただ、ちょっとだけ、

 変な匂いがする」


「匂い?」


「うん。戦いの匂いじゃない。

 ……継ぎ目、みたいな」


 自分でも言葉が合っているか分からない。

 説明しようとすると、余計に遠のく。


 ロイスが首を傾げる。

 エリオはそれ以上言わない。

 言えば、言った瞬間から

 “そういう話”になってしまう。

 

 話になったものは噂になる。

 噂は形になる。形になれば、誰かが掴む。


 掴まれるのは、いつも遅い方だ。


 野営の向こうで、灯りが一つ増えた。

 小さな使者が到着する。

 息が上がっている。馬のいななきは短い。


 封のついた筒が二本、差し出される。

 片方は王都軍務筋の封、

 もう片方は聖教会本部の印。

 “戦後巡察”の名目で動く彼らに、

 両方から同時に札が来るのは

 ――良い知らせではない。



 エリオの視線が、ほんの一瞬だけ止まった。


(……教会が、急ぐ)


 魔王討伐の報せなら、もう祭壇で歌になっている。

 それでも教会が“印”を急がせる時は

 ――戦場ではなく、民の側で崩れが始まった時だ。


「受け取らないのか?」


「いや……受け取る。受け取るけど」


 エリオは筒の封印印だけを先に見た。

 軍務筋の封。聖教会本部の印。

 “同じ夜に同時”

 ――それだけで、良い知らせではないと分かる。


(前線じゃない)

(後ろが、揺れてる)


 薄い確信だけが胸に落ちる。


「ティオはまだ戻らない?」


「南の護送に付いた。あっちは“帰り道”が細い」


「ミラは?」


「王都の救護班に借り出された」


 エリオは頷いた。

 役目が散っている。終わったから散った。

 ――それが終戦の後始末だ。


 そして、散っているからこそ、

 揺れの気配が拾いにくい。


 --------


 その頃、フェリオス王都の朝は、声が多い。


 露店の呼び声、鍛冶屋の槌、荷車の軋み。

 人が多いから音が多い。王都はそういう街だ。


 だが、その雑音に混ざって、

 最近ひとつだけ増えた音がある。


 城下の掲示板の前で、立ち止まる者が増えた。

 誰かが読み、誰かが覗き込み、

 誰かが「見た」とだけ言って去る。


「また貼り替わってる」


「危険区域、ってやつか?」


「森だろ。静穂の林……影根回廊、だっけか」


 名前だけが先に歩く。

 内容は追いつかない。

 追いつかないのに、名前だけが重い。


「ギルドが止めるって話じゃなかったのか」


「止めても、入るやつは入る。……『戻った』って言ってる奴もいるしな」


「戻ったのに、何があったか喋れないって?」


「喋れないんじゃない。

 ……喋ると、噛み合わないんだよ。本人が」

「言葉は出るのに、

 “前のまま”で話せねえって顔をする」


 井戸端の会話は、噂の形を作る。

 けれど今回は、その形がいつもより早い。


 なぜなら、噂の後ろに“紙”がある。

 紙がある噂は、広がるのが速い。

「誰かが言った」じゃなく、「書いてある」からだ。


 そして、書いてある文の癖が――妙に似ている。


 王城の門前でも、

 同じような言い回しが回っていた。

 書記局の写し。治安側の通達。

 教会の使者が運ぶ言葉。

 送り主は違うはずなのに、言葉の曲がり方が近い。


 市井は、そこまで言語化しない。

 だが、“似ている”という感触だけは残る。


 残った感触は、いつか誰かの手に渡る。


 --------


 聖教会の朝は、鐘が鳴る前から始まる。


 祈りに来る者より先に、相談に来る者がいる。

 信仰は救いだ。救いは、手続きより速い。


 若い聖職者が、机の向こうで困った顔をしていた。

 相談内容は、ここ数日で増えたものだ。


「帰ってきたんです。夫は帰ってきた。

 ……でも、帰ってきてないみたいで」


「顔も声も同じなのに、呼び方が違う。

 癖が違う。笑い方が違う。

 ――私のことを、知らないみたいに」


「でも、知らないって言うと怒るんです。

 『知ってる』って言うんです。……怖くて」


 昔なら、戦場の後遺、呪い、

 心の病――そういう言葉で片づけられた。

 だが今回は、片づけた瞬間に逃げる。

 説明を置くと、説明ごと崩れる。


 だから聖職者は、

 祈りの言葉で一度受け止めるしかない。


「あなたが悪いのではありません。

 恐れにも、居場所が要ります」


 居場所。置き場所。

 民の恐れを、

 外へ放り出さずに“祈りの形”へ収める。

 それが教会の仕事だ。


 だが、ここ数日は“収まりが悪い”。


 数が増えたからじゃない。

 質が、いつもと違う。


 ――そこへ、長衣の男が入ってくる。


 教皇ヴァレリウス。

 久しく表に出なかったはずの頂点が、

 今日は歩いていた。歩幅が静かだ。

 だが、静かなほど周囲が引き締まる。


 彼は、相談の声を遮らない。

 祈りも、嘆きも、途中で切らない。

 ただ一つ、最後の一文だけを拾う。


「……“戻ってきてないみたい”」


 ヴァレリウスは、視線を落とした。

 机の上には、

 各地から届いた短い報告が積まれている。

 差出人は違う。場所も違う。

 それでも、筆の返しが揃いすぎている。


(人の手じゃない)

(誰かが、“揃う形”だけを残した)


 整った文は安心を装える。

 安心の顔をしたまま、恐れを運べる。

 それが一番、厄介だ。


 教皇は、祈りを武器にしない。

 けれど祈りは、国を動かす。


 そして――教皇は、帝国の“順番”も知っている。

 表向きは従う顔を崩さない。

 崩せば、教会そのものが切り分けられる。


 だからこそ、従うだけでは終わらせない。


 ヴァレリウスは、

 近くの高位聖職者にだけ低く言った。


「形式を整えよ」


「教皇猊下、どこへ?」


「帝国へ、照会を投げる」


 短い沈黙。

 教会が帝国へ“形式上の照会”を投げる。

 それは矛にも盾にもなる。

 そして帝国にとっては

 ――噛みつく針が一本増える、ということだ。


「王国ではなく……帝国に?」


「王国は、正しさの言葉で揺れる。

 帝国は、形式の言葉で噛む」


 ヴァレリウスは微笑まない。

 だが怒ってもいない。

 ただ、教皇としての“置き方”を選んだだけだ。


「恐れは、放置すれば噂になる。

 噂は、誰かの物語になる」


「なら、こちらで先に“置き場所”を作る」


 祈りの形。照会の形。

 民が縋る場所を奪われる前に、

 教会が先に“収める枠”を作る。


 ――その枠が、

 帝国にとって噛める場所になるとしても。


 ヴァレリウスは、窓の外の鐘楼を見上げた。

 鐘はまだ鳴らない。

 鳴らない時間が、今日はいちばん重い。


 そして、彼は決める。


「書け。『確認したい』と」


「そして――返答がなくても、

 “返答があった形”にするな」


 形式は、いつも刃になる。

 刃を振るう前に、刃の持ち方を決める。


 教皇は長衣の裾を整え、執務へ戻った。

 祈りの言葉が、今日から少しだけ硬くなる。


 王都で、帝都で、同じ型の文が貼られ始める。


 誰もまだ気づかない。

 ――「同じ筆」の気配を拾えるように。


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