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終わりなき世界の観測者たち  作者: 颯音ユウ
第1篇【魔王討伐篇】

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第7話 正しい進路の、縁で

 

 後になって思えば、

 あの日の勇者一行は、あまりにも順調だった。


 討伐は成功し、被害はなく、

 報告書には何の問題も見当たらない。


 ――だが、その進路の端で、

 異常は、確かに残っていた。


 ------------------------


 焚き火の音が、静かな夜に溶けていた。


 街道沿いの小さな森。

 勇者一行はそこで野営をしていた。

 今日の討伐は順調で、負傷者もいない。


 鎧を外し、装備を緩める余裕すらある。


「いやあ、思ったより楽だったな」


 そう言って薪をくべたのは、剣士のロイスだった。

 屈強な体格に似合わず、口調は落ち着いている。


「油断するなよ」


「分かってるって。でもさ」


 ロイスは肩をすくめる。


「この調子なら、明日も問題なさそうだろ?」


「問題が起きないなら、それが一番だよ」


 そう返したのは、セリスだ。

 焚き火の向こうで、魔導書を閉じる。


「討伐は目的じゃない。結果だもの」


「相変わらず理屈っぽいな」


「事実を言ってるだけ」


 軽い言い合いに、回復術師のミラがくすりと笑う。


「二人とも、喧嘩しないで」


「はいはい」


 その様子を、勇者――エリオは静かに眺めていた。


 剣を磨く手は止めていない。

 だが、意識は少しだけ別の場所にあった。


(今日も、うまくいった)


 魔物は倒れ、村は守られ、感謝された。

 仲間は無事で、作戦も問題ない。


(……これで、いいんだよな)


 そう思おうとする自分がいる。


 深く考えなくても、

 物事が前に進んでいく感覚。


 それは、どこか心地よかった。


 --------


「エリオ」


 呼ばれて、顔を上げる。


「見張り、交代だ」


「……あ、ああ。分かった」


 声をかけてきたのは、ティオだった。

 斥候役の彼は、すでに装備を整えている。


「気配、変じゃない?」


「変?」


 エリオは、言われて森を見る。


 風は穏やかで、

 獣の鳴き声も遠い。


「特には……」


「だよな」


 ティオは軽く笑った。


「まあ、勘だよ。外れたらそれでいい」


 焚き火から少し離れ、夜の森に目を向ける。


 静かだ。

 静かすぎるほどに。


(……いつも通り、のはずなんだけど)


 そう思った瞬間、

 胸の奥に、微かな引っかかりが生まれた。


 理由は分からない。

 音も、気配も、異常はない。


 ただ――

 “そこにあるはずのもの”が、

 一瞬だけ、思い出せなくなったような感覚。


(気のせい、か)


 エリオは、首を振る。


 これまで何度も、

 こうして野営をしてきた。

 危険な兆しがあれば、

 身体が勝手に反応する。


 それが、自分の強みだ。


(見えているものなら、大丈夫)


 そう思い、視線を巡らせる。


「どうした?」


 背後から、ロイスの声。


「いや、何でもない」


「そうか」


 ロイスは同じ方向を見て、

 ほんの一瞬だけ眉をひそめたが、

 すぐに表情を戻した。


「ならいい。無理はするなよ」


 その言葉に、エリオは小さく頷いた。


 --------


 焚き火の方では、まだ会話が続いている。


「明日は少し進む?」

「地図を見る限り、問題ないと思う」

「早く終われば、それに越したことはないね」


 いつものやり取り。

 いつもの空気。


 ―


 エリオは、もう一度森に目を向けた。


 何もない。

 何も見えない。

 何も、起きていない。


 それでも――

 視界の端に、ほんの一瞬、

 “空白”のような揺らぎが走った気がした。


(……?)


 瞬きをすると、それは消えていた。


(見間違いだ)


 そう結論づけ、焚き火の輪に戻る。


 差し出された水袋を受け取り、口をつける。


 その夜は、

 何事もなく過ぎていった。


 少なくとも、

 彼らにそう思わせるだけの、静かな夜だった。


 ----------------


 翌日、王国ギルド。


 アルトは、地図の上に複数の報告書を並べていた。

 勇者一行の進路、討伐地点、野営地。

 それらを一本の線としてなぞる。


「……ここだな」


 指先が止まったのは、

 進路のすぐ脇にある、小さな空白だった。


「被害は、やっぱりないです」


 報告に来ていた職員が言う。


「魔物の痕跡もありません」

「結界の異常も、検知されていません」


 アルトは頷き、続きを促す。


「ただ……」

「『何も起きていないはずなのに、不安が残る』と」


 アルトは、その言葉に目を伏せた。


 同じ表現を、もう何度も聞いている。

 言い回しは違えど、意味は同じだ。


「安心できない」

「理由は分からない」

「だが、何かが欠けている」


「勇者一行は、この地点を通っていない」


 地図を指し示しながら、アルトは言った。


「森の縁だな」


「はい。進路としては、最短ではありません」


 アルトは、静かに息を吐いた。


「だからこそ、だ」


 勇者は、正しい道を選ぶ。


 危険が少なく、

 魔物がいて、

 倒すべき敵が明確な道を。


 それは、間違いではない。

 むしろ、理想的だ。


 だが、その結果――

 “選ばれなかった場所”が生まれる。


「……通らなかった、か」


 アルトは小さく呟いた。


 *


 セフィラの言葉が、脳裏をよぎる。


 ――世界が、選択肢を減らしている感じ。


 *


「ここ、です」


 職員が差し出した追加報告書には、

 簡素な図が描かれていた。


 森の縁。

 草が、妙にまばらな一角。


「踏み荒らされた形跡はありません」

「でも、戻っていないそうです」


 アルトは、しばらく無言でそれを見つめた。


 草は折れていない。

 枯れてもいない。


 ただ、

 “そこだけが、育っていない”。


「削れているな……」


 それは破壊ではない。

 侵食とも、違う。


 あったはずのものが、

 静かに、薄くなっている。


「存在が、抜け落ちている」


 《統治者の残響》


 胸の奥が、微かに疼いた。


 数値には出ない。

 記録にも残らない。


 だが、確かにそこには

 “偏り”がある。


「勇者が来ていれば、どうなっていました?」


 職員が、恐る恐る尋ねる。


 アルトは、少し考えてから答えた。


「……おそらく」

「何も起きなかっただろう」


「え?」


「勇者は、正しい敵を倒す」


「だが、これは敵じゃない」


 アルトは、地図から目を離さずに言う。


「だから、戦いは起きない」

「結果も変わらない」


「だが――」


 アルトは、地図の縁をなぞった。


「残るものは、残る」

「通らなければ、触れないまま、だ」


 その沈黙が、

 何を意味するのか。


 職員は、理解しきれないまま頷いた。


 アルトは、椅子にもたれ、天井を見上げる。


「……賢いな」


 誰に向けた言葉でもなかった。


 勇者を避け、

 正面からぶつからず、

 縁だけを削る。


「これは、戦争じゃない」

「討伐でも、侵略でもない」


 彼は、静かに結論づけた。


「世界の『外側』から起きている」


 --------


 その日の夕方、

 勇者一行の新たな討伐報告が届いた。


 内容は、相変わらず順調。


 魔物討伐、成功。

 被害なし。

 民の士気、高。


 アルトは、その報告書を閉じた。


「……正しい物語は、進んでいる」


 だが、

 その裏で削れていくものがある。


 勇者が通らなかった場所。

 剣が届かなかった縁。


 そこから、

 次の異常は、必ず広がる。


 アルトは、そう確信していた。


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