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終わりなき世界の観測者たち  作者: 颯音ユウ
第2部【帝国戦争篇(前編:火種)】

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第62話 沈んだ災厄、動く帝国

 

 帝国/帝都・皇城 内庭に面した執務間


 皇帝セヴェルス・レオニス・ヴァル=カイゼンは、

 笑みを消さないまま息を継いだ。


 室内の空気を吸ったはずなのに、

 どこか遠い継ぎ目の冷えが混ざって戻ってくる

 ――そんな後味だけが、この身に残る。


 内庭に面した執務間。

 誰もいない部屋で、誰にも見せない笑みだ。

 穏やかで、柔らかい。――だからこそ、怖い。


 机上の杯の水面が、わずかに揺れた。

 風でも地鳴りでもない。

 “遠い場所の継ぎ目”がほどけた時にだけ起きる、

 遅い揺れ。


 皇帝の指先が、杯の縁をなぞる。

 触れていないのに、触れたことにされる距離。


(……落ちたか)


 回廊ノ歪神。

 影根回廊が抱えた、歪みの核。


 帝国は長く、

 あれを「倒せない災厄」として扱ってきた。

 倒せないからこそ、使える。

 誰も踏み込めない線を引き、

 誰も戻れない怖れを作る。


 皇帝は息を吐く。

 吐いた息が白くならない季節なのに、

 白い気がした。

 “冷える順番”だけが先に来る。


(王国の三人……いや、四人か)


 ギルドマスター。

 統括受付の火雷。

 魔導士協会の冠。

 王都の盾――王都防衛軍団長。


 名と肩書。腕と物語。

 綺麗に切れない並びで、中心を割った。


 皇帝は、杯の水面に映る自分へ言う。

 声は小さい。だが、室内の空気だけが従う。


「なら、こちらも“形”を変えよう」


 あれを失ったのは痛い。

 だが、痛みは次の手札になる。


 “倒せないはずのものを倒した”

 ――その噂が、戦争の火種にちょうどいい。


 皇帝は呼鈴を鳴らさない。

 扉の外に立つ親兵は、音が鳴る前に気づく。


「監察総監を」


 命令は短い。短いほど、帝国では確実だ。

 扉の外の気配が一つ動く。


 その動きが、監察総監府へ“先に届く”

 種類のものだと、皇帝は知っている。


 --------


 帝国/帝都総合管轄室 監察総監府・奥


 戻ったノーンの外套には、

 森の湿りが残っていない。

 乾いている。乾きすぎている。

 “濡れた履歴”だけが、薄く削られたように。


 カッシウスは書類から目を離さないまま言った。


「……結果を」


 ノーンは要点だけを落とす。

 前置きは捨てる。前置きは、切り取られる。


「中心側の暴れは、いったん沈みました。

 ――完全ではない。

 残滓は残るが、“核”は割られています」


 ペン先が、紙の上で一度だけ止まる。

 止まったのに、室温は変わらない。


「割られた、だと」


「はい。こちらの札が効く前提が崩れています」


 ノーンは続ける。


「“倒せない”として扱ってきた類です。

 ……それを、王国が折った」


 カッシウスが、ようやく視線を上げる。

 怒りではない。確認の目だ。


「外から混ざったか」


 継ぎ目に刺さっていた棘。

 “帝国の札”の外から来る、薄い余白。


 ノーンは肯定もしない。否定もしない。

 代わりに、観測の手触りだけを置く。


「中心の一瞬、現象の縁だけが“直線”になりました。

 ――こちらの術式ではない。

 場の内側の反応でもない。

 外から、余白を混ぜた形です」


 カッシウスの口角が、ほんの僅かに動く。

 笑みではない。刃の角度だ。


「……王国の手だけではないな」


「王国は“切った”側です。

 “切れる瞬間”を差し込んだのは、

 帝国の札の外側――帳面に乗らない指です」


 カッシウスはペン先で机を一度だけ叩いた。

 音は小さい。

 だが、それで順番が決まる。


「皇帝へ上げる」

「それと、枢密院議長――大宰相にも」


 ノーンは返す。


「マクシムは、倫理の切り方が上手い。

 噂の形にできます」


「噂で済めばな」


 --------


 帝国/皇城 非公開の謁見間


 大宰相マクシムは深く礼をした。


 監察総監カッシウスは、その半歩後ろに立つ。

 距離が露骨だが、露骨でいい場だ。


 皇帝は椅子に腰掛けたまま、二人を見た。

 “優しい皇帝”の目をしている。

 ――見られている側が、そう思うように。


「話は聞いた」


 皇帝が先に言う。

 報告を待たない。待つ必要がないという示し方。


 カッシウスが簡潔に落とす。


「回廊ノ歪神の核が割れました。

 封が残っています。不完全封印です」

「王国の四名が中心にいました。

 加えて、外部由来の三拍の余白」


 皇帝は頷いた。

 怒りも喜びも、表には出さない。


「回廊が、使えなくなったか?」


 マクシムが口を開く。

 言葉は柔らかい。だが内容は硬い。


「“使えなくなった”ではなく、

 “使い方が変わった”と捉えるのがよろしいかと」

「倒せない災厄だったから境界線になった。

 いまは――倒した者の武勲が境界線になります」


 皇帝は笑う。

 柔らかい笑いだ。

 柔らかいから、よく燃える。


「英雄譚は便利だな」


 カッシウスが続ける。


「王国は“民間が勝手に片付けた”と言い張れます。

 責任を避けるために」

「帝国は“民間が危険な力を持った”と言えます。

 監督を正当化するために」


 皇帝は指先で椅子の肘掛けを叩いた。

 一拍だけ。

 それが合図になる。


「動く」


 短い言葉に、室内の空気が固まる。


 皇帝は続ける。


「教会を、場に出す」

「聖教会は“秩序”の言葉で動く」


 マクシムが頷く。

 “聖別”という語が喉元まで上がってきて、

 それを飲み込む。

 ここで言えば、固定される。

 固定は強いが、強すぎる固定は折れやすい。


 皇帝は視線を遠くへ投げる。

 森ではない。王都の方角でもない。

 もっと外側――大陸の“均一な場所”。


「王都の盾が、王都を離れている」


 それを言った瞬間、場が冷える。

 言葉が“事故”を呼ぶ温度だ。


 カッシウスが答える。


「王都の盾不在は、王国に穴になります」

「穴に火種が落ちる確率が上がります。

 火種は、こちらで用意できます」


 皇帝は首を横に振った。


「用意するな」

「落ちるように“見える形”を作れ」


 命令が、帝国らしい。


 直接攻めれば戦争。

 直接攻めずに火が出れば“治安”。

 治安の言葉は、軍より先に人を動かす。


 皇帝は、最後にだけ目を細めた。


「……よく処理したな」


 褒めていない。

 讃えていない。

 “こちらの盤を揺らした”事実を、楽しんでいる。


 そして、楽しんだまま言う。


「なら、次は――盤そのものを揺らそう」


 カッシウスとマクシムが、同時に礼をした。

 帝国は、もう歩き出している。


 回廊ノ歪神が割れた――その“音”を、

 戦争の開幕に変えるために。


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