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終わりなき世界の観測者たち  作者: 颯音ユウ
第2部【帝国戦争篇(前編:火種)】

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第55話 王都の盾、非番の盾

 

 ペン先が止まるたび、アルトは紙の端を揃えた。

 揃える――それは、文面を整えるためじゃない。

 切り取られる余地を潰すためだ。


「報告書は二方向へ」


 アルトは、誰にでも聞こえる声で言った。


「次も同じだ」


 机の上に並ぶのは、二通の封筒。

 王国宛。帝国宛。

 同じ文面、同じ日付、同じ差出。

 ――そして、添付が一枚。




【通達】

 王国ギルドは、下記区域を危険区域に指定する。

 ギルド所属者の無許可立ち入りを禁ず。

 違反者は資格停止および処分対象とする。

 ――《静穂の林・影根回廊えいこんかいろう



「……《影根回廊》って名前、嫌なほど馴染むね」


 レイナが、通達の欄外を指で叩いた。笑わない。


「馴染ませたら勝ちだ」


 アルトは封蝋を手に取る。


「危険は“名前”になった瞬間から運用できる。

 運用できれば、止められる」


 セフィラは淡々と封筒の宛先を確認している。

 王国側は、レオンハルト経由。

 帝国側は、監督の窓口宛。

 どちらも“同時”でなければ意味がない。


「……中心へ戻る時」


 セフィラが言葉を切る。


「今の三人だけでは、足りない」


「わかってる」


 アルトはすぐに頷いた。


「場が削ってくるのは、

 腕じゃなく判断だ。判断の盾が要る」


 レイナが短く吐く。


「アルノー、ね」


「王都防衛軍団長」


 アルトは、そこまで言ってから、

 わざと付け足した。


「元・同じパーティ」


 ――筋は通す。

 まずは軍務卿、

 もしくはレオンハルト経由で借りる。


 レイナが笑わない。


「……却下されるやつだね」


「それでも行く」


 アルトは扉を押した。


「却下されるって分かってても、

 “却下された事実”が必要だ」


 --------


 王都フェリオス城――王政会議棟の奥。

 議場ではない。執務でもない。

 人の出入りが少ない、小さな控えの間。


 窓は細く、廊下の気配だけが薄く入ってくる。

 机の上には、封蝋の欠けた文書が

 二、三。地図板も畳まれたままだ。


 いるのは二人だけだった。

 軍務卿ガレスと、宰相レオンハルト。


 アルトは紙束を机に置いた。

 危険区域指定

 ――《静穂の林・影根回廊》の通達と、その添付。

 そして、二方向へ落とす報告書の控え。


「次の再調査で、アルノーを借りたい」


 アルトは言い切る。


「王都防衛軍団長。元パーティの盾役。判断が早い」


 ガレスは、目だけを上げた。

 眉がわずかに動く。


「無理だ」


 即答だった。

 理由より先に、結論が落ちる。


「……一度も検討しないのか」


 アルトは声を荒げない。

 荒げるほど、こちらが“政治”に飲まれる。


 ガレスは淡々と返した。


「検討した結果だ。団長は“戦力”じゃない。

 王都の即応判断の芯だ」


「芯?」


「命令がぶつかった時に、現場で止血する役」


 ガレスは机を叩かない。

 叩かないから、言葉だけが硬く刺さる。


「近衛、内務、騎士団、教会、ギルド

 ……王都は継ぎ目が多い。継ぎ目が裂けた時に、

 いちばん先に“引き受ける”のが団長だ」


 理屈は分かる。

 分かるから、腹が立つ。


「中心に戻るなら、判断の盾が要る」


 アルトは食い下がる。


「俺たちは“民間”で動く。

 王国が表に出られないなら、補充が――」


「だから余計に貸せない」


 ガレスの声は変わらない。


「民間が踏み外した時、誰が尻拭いをする」


 答えは、最初から一つだ。

 王都防衛軍。


 アルトは息を吐いた。吐いた息が熱い。


「尻拭いが必要になるのは、

 動けない側がいるからだろ」


「王国が動けば帝国に噛まれる。

 だから俺たちが動く。

 なのに、盾は貸せない――理屈は分かる。

 でも、納得はできない」


 ガレスは、ほんの少しだけ目を細めた。

 怒りではない。疲労だ。


「……アルト」


 名で呼ばれる。

 それだけで、“上と下”の線が引かれる。


「団長を抜いたら、王都が“動けなく”なる」


 ガレスは言う。


「お前たちのやってることは分かる。

 だが、王都は王都で崩せない」


 アルトが言い返しかけた、その時――

 レオンハルトが小さく息を吐いた。


「結論は同じだ」


 声は淡い。だが、揺れない。


「“公的に”アルノーを動かしたら、

 穴ができる。穴は噂になる。噂は火になる」


「……じゃあ、どうしろ」


 アルトは睨まない。睨むと、負ける。


 レオンハルトは、答えを濁さない。


「非番のアルノーに頼め」

「団長じゃなく、“個人”として」


 アルトは歯を噛む。

 筋を通した。却下された。

 ――その事実が欲しかった。


「……分かった」


 紙束を掴んで立ち上がる。


「筋は通した。次は俺の番だな」


 レオンハルトが、ほんの少しだけ口角を上げる。

 笑いじゃない。“分かってる”という印。


「そういうこと」


 そして声を落とす。


「壊れるなよ。お前が折れたら、

 王国の言葉が折れる」


 アルトは返事をしなかった。

 返事をした瞬間、弱くなる気がした。



 --------


 王都防衛軍団長、アルノー・ローデン。

 彼の朝は、豪奢な執務机から始まらない。

 街から始まる。


 城門前。

 荷車の列。

 兵の視線。

 疲れの濃い顔。

 そして――平然としている市民の歩調。


「――次。東門の交代、十五分前倒し」


 アルノーは短く言う。


 副官が眉を上げる。


「団長、交代は規定では――」


「規定は“余裕がある時”に守る」


 アルノーは歩きながら返す。


「余裕が削れてる時は、穴を先に塞ぐ」


 戦後。

 王都は焼かれていない。

 だが、安定が削れている。


 魔物被害の増加。

 瘴気の残滓。

 外から来る噂。

 そして――英雄譚の熱。


 英雄譚は、人を救う。

 同時に、人を動かす。

 動いた人間は、必ず事故を起こす。


「巡回、北側を厚めに」


 アルノーは、城壁沿いの見張りに指示を飛ばす。


「子どもが増えてる。

 近衛の目は“上”を見る。騎士団は“外”を見る。

 下は俺が見る」


 兵が敬礼する。

 アルノーは返礼しない。

 返せないほど、視線と手が塞がっていた。


 王都防衛軍は、騎士団ほど格式がない。

 近衛ほど権威もない。

 だが、王都の“今”を守る。


 封鎖線を引く。退避路を確保する。

 騎士団と内務の権限が衝突した時、

 現場で折り合いをつける。

「誰が指揮権を持つか」ではなく、

「誰が責任を引き受けるか」を決める。


 “団長”という肩書は、剣の強さじゃない。

 引き受けの速さだ。


「団長」


 副官が小声で言う。


「南の市場で、揉め事が」


「行く」


 アルノーは即答した。

 揉め事は放っておくと、火になる。

 火は、英雄譚の熱でよく燃える。



 --------


 市場の角で、冒険者たちが揉めていた。

 危険区域指定――

 《静穂の林・影根回廊》の通達が回り始めている。


「通達を見てないのか」


「俺たちなら行ける」


「誰に止められる筋もないだろ」


 言葉は強い。だが、強いほど周囲が静かになる。

 誰かが、視線の先を探す。

 ――“止める筋”の所在を。


 ちょうどそこへ、アルノーが通りかかった。

 人の流れが、自然に割れる。

 説明はいらない。顔が知られている。


 かつて最上位で名を刻み、

 いま王都の盾として立つ男。

 王都防衛軍の長――その肩書きが先に歩いている。


 冒険者の一人が、悔しさを飲み込むように言った。


「……アルノーさん。

 俺たちも、役に立ちたいだけなんだ」


 アルノーは頷きも否定もしない。

 代わりに、線を引く。


「役に立つなら、立つ場所を選べ」

「“行ける”と“行っていい”は違う」

「危険区域は、腕前の証明に使う場所じゃない」


 それだけ言って、背を向ける。

 説得じゃない。

 現場の線引きだ。



 歩き出した瞬間、

 視界の端に――見覚えのある後ろ姿が映った。

 亜麻色の髪を低く束ね、外套の背で揺らしている。

 すらりとした体格。足取りだけが静かに速い。

 近づく前から、空気の温度が一段だけ変わる


(……セレーネ)


 声はかけない。

 かけたら、足が止まる。

 足が止まると、団長の仕事が止まる。


 アルノーは視線を逸らし、

 代わりに手元の報告書へ戻った。

 紙は重い。

 剣より重い日もある。


 --------


 夕刻。

 ようやく彼の“勤務”が終わる。


 明日は非番。

 だが、非番という言葉は飾りに近い。

 王都は、団長を完全に放してはくれない。


 それでも。

 今夜だけは、夜風が少し軽い。


(少し、だけな)


 アルノーは城下の路地を抜け、

 いつもの簡素な酒場の前で立ち止まった。

 “止まり木”のような店。

 防衛軍の兵が、よく愚痴を落としていく場所。


 扉を押す前に、背後から声がした。


「団長さま、非番なんだ?」


「相変わらず人気者」


 聞き覚えのある声。

 嫌に明るい。

 嫌に馴染む。


 アルノーが振り返ると、

 レイナが腕を組んで立っていた。

 その隣に、アルト。

 そして――セフィラ。


「大武会で“盾の人”って呼ばれてたの、

 まだ根に持ってる?」


 ヴェイルフォルム戦技祭――通称、大武会。


 武と魔の腕を公に競い、

 勝ち名がそのまま噂と格になる、年に一度の祭だ。


「呼ばれてない」


 アルノーは即答する。


「勝手に言うな」


「言われてたよ」


 レイナは笑う。


「ほら、あの時――観客が“あれは壁だ”って」


 アルノーが咳き込む。


 アルトが頭を抱える。


 セフィラだけが、

 少しだけ目を細めた。――楽しんでいる。


「……久しぶりだな」


 アルノーが言うと、レイナは肩をすくめる。


「久しぶりって顔じゃない。疲れてる顔」


「仕事だからな」


 アルノーは短く返す。


「でも、久しぶりの再会が、

 からかいから始まるの、私たちらしいでしょ」


 アルノーは即答した。


「そうだな」


 何かを考え込むような顔をして、

 アルノーは言った。


「しかしお前らが三人揃っているのも

 珍しいと思うが、

 さては面倒事を押し付けに来たんだな」


 アルトが苦く笑う。


「当たってる」


 セフィラは会釈だけする。

 言葉を増やさない。

 ――この三人の空気だ。


「で?」


 アルノーは扉に手をかけたまま、問いを投げる。


「団長の非番を狙って来たって顔だ」


 レイナが笑う。今度は、からかいの笑いだ。


「さすが“王都の盾”」


「人の顔、よく見てる」


 アルノーの眉がぴくりと動く。


「……仕事の呼び名で茶化すな」


「茶化してないよ? 褒めてる」


 レイナは楽しそうに言う。


「褒め言葉って、使いどころがあると強いでしょ」


 アルトが咳払いする。


「レイナ、先に本題」


「はーい」


 レイナはあっさり引いた。


 引くのが早い。

 それもまた、現場の人間の癖だ。


 アルトが一歩前へ出る。


「アルノー」


 名で呼ぶ。

 昔の呼び方だ。


「中心に、戻る」


 アルトは言った。


「戻るために、お前が要る」


 アルノーは一拍置く。

 即答しない。

 即答すると、仕事が崩れる。


「筋は通したか」


 アルノーが先に聞く。


 アルトは頷く。


「軍務卿に当たった。レオンハルトにも」


「却下だろ」


 アルノーは言い当てる。


 アルトが苦く笑う。


「却下された」


 アルノーは短く息を吐いた。

 予想通りだ。

 予想通りであることが、腹立たしい。


「なら次は」


 アルノーは淡々と言う。


「団長じゃなく、“非番の俺”に頼み込むんだな」


 アルトは、目を逸らさない。

 逃げない。

 政治に引き込まれかけているのに、逃げない。


「頼む」


 アルトが言った。


「今回は、判断の盾が要る。

 お前の撤収線引きが要る」


 セフィラが短く付け足す。


「場が、判断を削る」


 レイナが肩をすくめる。


「私たちだけだと、削られる」


 アルノーは三人を見た。

 昔のパーティ。

 今は肩書きが違う。

 だが、目の底の“やる顔”は変わっていない。


 ――嫌な予感しかしない。

 ――だからこそ、放っておけない。


 ただ、団長としては出られない。

 非番として出れば、王都の穴になる。


(穴になる前に、線を引く)


 アルノーは判断する。

 “行く”か“行かない”かではない。

 “どう行くか”だ。


「条件がある」


 アルノーは言った。


 レイナが即座に言う。


「出た。団長の条件」


「団長じゃない」


 アルノーは顔をしかめる。


「非番の条件だ」


 アルトが頷く。


「言え」


 アルノーは口を開きかけて――止めた。

 視線が、店の奥を一瞬だけ探す。

 探して、いないのを確認して、安心した顔になる。

 ――それを、レイナが見逃すはずがない。


 レイナが、にやりと笑う。


「……セレーネ?」


 アルノーが咳き込んだ。

 わざとじゃない。

 素で噎せた。


「お前、やめろ」


「やめない」


 レイナは即答した。


「だって分かりやすすぎる」


 アルトが額を押さえる。


「レイナ……」


 セフィラは、何も言わない。

 言わないが、目だけが少し柔らかい。

 見守っている目だ。


 アルノーは、観念したように息を吐く。


「……一つ目」


「俺が抜けてる間、王都に火種が増えたら、即戻る」

「お前らは止めない。止めようとするな」


 アルトが頷く。


「撤収線引きは、お前がやる」


「二つ目」


 アルノーは続ける。


「報告書は、次も二方向なんだな」


 アルトは迷わず言う。


「次も同じだ」


 アルノーは短く笑う。

 笑いではない。

 呆れの息だ。


「……喧嘩の売り方が昔より危ない」


「だから盾が要る」


 アルトが返す。


「三つ目」


 アルノーが言いかけた瞬間――

 レイナが、勝手に割り込む。


「三つ目は私が出す」

「セレーネと二人きりになれる“場”を作る」


「仕事の邪魔にならない時間で」

「ちゃんと“偶然”にする」


 アルノーの顔が真っ赤になる。

 なるが、否定できない。

 否定したら、余計にバレる。


「……お前な」


 アルノーの声が震える。


 レイナは笑わない。

 今度は真面目な目だ。


「取引だよ」

「非番のあなたを借りる代わりに」

「非番のあなたの“私事”も、ちゃんと守る」


 アルトが口を挟む。


「レイナ、その言い方」


「いいの」


 レイナは視線を逸らさない。


「こういう時、綺麗事は弱い」


 アルノーは、しばらく黙った。

 団長の判断が働いている。

 最悪の線、最善の線、

 現実の線を同時に引いている。


 ――中心。

 ――判断を削る場。

 ――そして、あの三人。


 行かせたら危ない。

 行かせないなら、もっと危ない。


 アルノーは、

 最後に一度だけ確認するように言った。


「……俺が行くなら」

「お前らは、俺の撤収判断に従う」


 アルトは即答した。

「従う」


 レイナも言う。

「従う。悔しいけど」


 セフィラは短く頷く。

「従う」


 ――揃った。


 アルノーは、

 扉に手をかけ直し、店の中へ入る前に言った。


「じゃあ、今夜は飯だ」

「腹を作れ。頭を作れ」

「盾は、空腹だと機能しない」


 レイナが笑う。

 ようやく、日常の笑いだ。


「相変わらず、腹の話から入るんだね」


 レイナが言うと、アルノーは肩をすくめた。


「空腹の盾は役に立たない。昔からだろ」


「昔から堅い」


「昔からうるさい」


「……はいはい」


 アルトは、その軽口の中で、

 静かに封筒の重みを思い出していた。


 ――片方の味方だけではいられない。


 アルノーが入った背中は、昔より大きい。

 盾の厚みじゃない。

 引き受けの重さが、背中を太くしている。


 アルトは、その背中を追って店に入った。

 今夜はまだ、戦争の匂いはしない。

 だが、次の一歩の準備だけが、確かに進んでいる。


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