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終わりなき世界の観測者たち  作者: 颯音ユウ
第2部【帝国戦争篇(前編:火種)】

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第52話 条文の外

 

 瘴気が、ひと呼吸ぶんだけ――揺れた。


 揺れた、というより。

 “揺らされた”。


 セフィラの瞳が、ほんのわずかに泳ぐ。


「……来る」


「何が」


 レイナが言いかけて、語尾を自分で切った。

 言葉が落ちる前に。


 セフィラは答えない。

 答える形にすると、ここが「そういう場」になる。


 アルトは、代わりに“動き”で察した。


 土の黒い筋が。

 墨の線みたいに引かれた“道”が。


 ほんの一拍、濃くなる。


 濃くなって――すぐ薄くなる。


 まるで、「見えたな」と言うみたいに。


「……反応した」


 アルトが置いた言葉は、それだけだった。

 説明はしない。

 “原因”に届く言葉は、この場が待っている餌だ。


 レイナが、外套の裾を踏まないように足をずらす。

 剣には触れない。

 でも、手の位置だけは

 すぐ動けるところへ置いている。


 セフィラが、ゆっくりと息を吐く。


「線が……増えてる」


「増えてる?」


「“描き足されてる”」

「観測してるだけなのに」

「こっちの視線に合わせて、形を整える」


 それは術式の癖だ。

 観測されると、観測しやすい形に“寄ってくる”。


 魔法は置くもの――セフィラの言葉が、

 今は別の形で刺さる。


(置かれてるのは、魔法じゃない)

(“仕様”だ)


 アルトの脳裏に、原初の森がよぎる。

 境界変質体――まだ名前を与えていない“あれ”。

 瘴気が濃いわけでもないのに、

 均一で、静かで、暴れない。

 なのに、生き物だけが寄れない。


「……これ」


 レイナが、地面の線の“円”に視線を落とす。


「囲ってる?」


 セフィラが短く頷いた。


「中心を、囲ってる」

「触れさせないためじゃない」

「逃がさないため」


 言い切った瞬間、空気が少しだけ軽くなる。

 言葉が通った。


 ――この場は、

 言葉を全部潰しているわけじゃない。

 潰す言葉と、通す言葉を選んでいる。


(……誘導だ)


 アルトは確信を深める。

 この場は「説明」を嫌う。

 だが、「結論」には優しい。


 結論だけを通して、途中を削り落とす。

 人が勝手に“正解へ飛ぶ”ように。


「アルト」


 セフィラが、珍しく名前を呼んだ。

 呼び方が短い。

 余計な温度を入れない呼び方。


「ここ、世界の“下書き”が漏れてる」

「でも……漏れてるだけじゃない」

「漏らしてる」


 アルトは頷く。

 そして、口の中で言葉を削る。


「……見せてる、か」


 その言葉が落ちた瞬間。


 黒い筋の円の内側が、わずかに“沈んだ”。


 土が沈んだわけじゃない。

 距離が沈んだ。


 円の内側だけ、

 空間が一段低くなったみたいに見える。

 遠近が、さらに狂う。


 レイナが息を止める。

 止めたまま、吐かない。


「……やば」


 語尾を落とさない。

 自分で切る。


 少し離れたところで、

 外套の男が静かに一歩だけ距離を取った。


 それは恐れではない。

 “線の外側”を守るための動きだ。


「踏まない」


 男が言う。


「触れない」

「だが、見ろ」


 言葉が少ない。

 短い。

 この場に合わせた喋り方。


 アルトは男を一瞥し、視線を円へ戻す。


「見てる」


 言い返すのも短くする。

 長く言えば、この場に飲まれる。


 セフィラが、指先をもう一度だけ動かした。

 光は出ない。

 術式を“置かない”ための観測だ。


「……中、に」

「“記録”がある」


「記録?」


 レイナが言って、すぐ切る。


 セフィラは続ける。


「流れの記録じゃない」

「“選別”の記録」

「通す/通さない」

「寄る/寄れない」

「……ここで決まってる」


 アルトの背中に、冷たいものが落ちる。

 これは罠じゃない。

 戦術じゃない。


 もっと嫌なものだ。


 ――仕組み。


 誰が勇者になるか、ではない。

 誰を勇者にさせないか。

 誰を表に出さないか。

 誰を“寄せない”か。


「……帝国?」


 レイナの声が低い。


 男は答えない。

 答えないまま、指で“円の縁”を示す。

 触れない。

 ただ、示す。


 アルトは、その沈黙を

 “肯定の沈黙”として扱わない。

 沈黙は、便利すぎる。


「じゃあ、誰のだ」


 アルトは短く置いた。


 男は、そこで初めて断言を落とす。


「帝国の“現行の術式体系”じゃない」


 言葉が通った。

 この場が、その言葉を潰さなかった。


(……通していい言葉だ、と判断された)

(つまり、それは“正解側”だ)


 アルトは腹の底で舌打ちしたくなる。

 だが、舌打ちはしない。

 余計な反応は、全部“参加”になる。


「じゃあ、何だ」


 アルトは、短く置く。


 男は、答えを半分だけ落とした。


「古い」

「帝国は、これを“見つけた側”だ」

「そして――利用する側だ」


 利用。

 そこまでなら言える。

 “誰が作ったか”は言わない。

 言えば名が出る。

 名が出れば固定される。


 セフィラが、円の内側を見つめたまま言う。


「……ここ、呼吸が揃う」

「揃えさせられる」

「だから、判断が楽になる」


 アルトが言う。


「楽になるのが狙いだ」


 レイナが、外套の紐をもう一度締め直した。

 自分の身体を“現実側”に繋ぎ止めるみたいな動作。


「……じゃあさ」


 レイナは、言葉を短く切って続ける。


「これ、壊すのが正解?」


 アルトは一拍だけ沈黙した。

 沈黙の方が、ここでは安全だ。


 そして、答えを“結論”にしない形で返す。


「壊すと、楽になる」

「楽になるのは、こっちの都合じゃない」


 レイナが鼻で笑う。


「嫌な正解だね」


 セフィラが、少しだけ視線を逸らした。

 円を直視し続けると、吸い込まれる。

 そう分かっている目の動き。


「……記録を読む」

「でも、読み切らない」

「必要な部分だけ抜く」


 アルトが頷く。


「文面にできる程度に」

「“言葉を置ける程度”に」


 男が、そこでもう一度だけ口を挟む。


「読み過ぎるな」

「読み過ぎると、君たちの頭が“それ”になる」


 レイナが男を見る。


「それって、何」


 男は答えない。

 答えないまま、また距離を取る。


 答えは、円の内側にある。

 そう言いたい動き。


(……誘導が、男の手癖にも染みてる)


 アルトは思う。

 この男は“置いて”いない。

 だが、“置かれた世界”の中で

 動く訓練を受けている。

 そして、知らず知らず、同じ癖を人に移す。


「セフィラ」


 アルトは、短く呼ぶ。

 余計な温度を入れない。


「抜けるか」


 セフィラは頷いた。


「抜く」

「“選別”の部分だけ」

「……ここが、何を寄せないか」


 レイナが言う。


「魔物?」


 セフィラは首を振った。


「魔物は、結果」

「寄れないのは……もっと手前」

「“意志”の方」


 アルトの喉が、わずかに乾く。


 意志。

 勇者の意志。

 人の意志。

 魔族の意志。

 それらを“寄せない/寄せる”仕組み。


 世界を動かすのは、剣でも魔法でもない。

 “選ばせ方”だ。


 セフィラが、目を閉じた。


「……いく」


 言葉が短い。

 だから、通る。


 次の瞬間。


 円の内側で、黒い筋が“ひとつだけ”立ち上がった。


 立ち上がった、ように見えた。

 線が、空中に浮いたわけじゃない。

 線の意味だけが、目の前にせり上がった。


 文字。

 ――ではない。


 記号。

 術式の骨組み。

 世界の都合を形にした“書き方”。


 セフィラの眉がわずかに寄る。


「……これ」


 声が、揺れない。

 揺れないように抑えている。


「通す条件が、ある」

「通さない条件も、ある」

「……そして」


 一拍。


「“例外”が、書いてある」


 レイナが息を飲みかけて、止めた。

 止めるのが上手くなっている。

 それ自体が、少し嫌だった。


 アルトは、声を低くする。


「例外?」


 セフィラは、目を開けた。


「“監督”が欲しがるやつ」

「条文の外に置ける、抜け道」


 男が、そこで初めて微かに表情を動かした。

 ほんの少しだけ。

 認めた、とも取れる動き。


 アルトは、線の外側に立ったまま、言葉を置く。


「……中心に行く前に」

「これを持ち帰る価値がある」


 セフィラが頷く。


「うん」

「でも、持ち帰り方を間違えると」

「“こっち”が持ち帰られる」


 レイナが短く吐く。


「最悪」


 アルトは、笑わない。


「最悪を避けるために、手順で戦う」


 そして、男を見る。


「――お前は、ここまでだ」


 男は、拒まない。


「承知」


 それだけ。

 導かない距離へ下がる。


 三人だけが、線の外で“記録の一部”を抱えた。


 名を与えず。

 結論に飛ばず。

 それでも、手の中に確かな“重み”だけ残す。


 瘴気が、薄く揺れた。


 整った揺れ方で。

 まるで拍手みたいに。


(……褒められてる気がする)


 アルトは、その感覚を切り捨てた。

 感覚に意味を与えた瞬間、ここは勝つ。


「帰る」


 アルトが言うと、レイナが即答した。


「帰る」

「帰って、嫌な文面にする」


 セフィラが、短く続ける。


「嫌な文面は」

「嫌な相手にしか効かない」


 三人は、線を踏まずに踵を返した。


 速さではない。

 丁寧さで、ここを離れる。


 ――そして、背中に残る。


 中心は、この先だ。


 だが中心へ向かう前に、

 すでに“次の戦争の形”が

 こちらの喉元まで来ている。


 そんな感触だけが、消えなかった。


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