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終わりなき世界の観測者たち  作者: 颯音ユウ
第2部【帝国戦争篇(前編:火種)】

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第51話 残響が鳴る場所

 

 歩きながら、会話はできた。

 できるはずだった。


「……今の、見た?」


 レイナの問いが、最後まで届かない。

 音が消えたわけじゃない。声も出ている。

 ただ、語尾だけが途中で落ちる。


「聞こえてる。だけど――」


 アルトが言いかけて、止めた。

 “説明”にしてしまうと、この場に馴染む気がした。


 セフィラは一度、口を開き――やめる。

 言葉を選んだのではなく、

 言葉が「形になる前に」潰れた。


 アルトは、その現象に確信を持つ。


(……言わせない場所だ)


 戦場じゃない。罠でもない。

 それでも、確かに“誘導”がある。

 急がせる。単純にさせる。

 結論だけを先に出させる。


 レイナが歩調を上げた。

 速くなるほど、目が鋭くなるほど、

 判断が短くなる。


「切ればいい」


 短い言葉。

 その短さが、いちばん危なかった。


「切る前に、測る」


 アルトは足を緩める。

 先頭を走るのをやめるだけで、息が少し戻った。


 レイナが短く息を吐いた


「……ムカつく。頭が“楽”になってくる」


「楽になるのが狙い」


 セフィラが、ようやく言葉を落とす。

 短く、硬い。

 長く言えば崩れるのを分かっている言い方だ。


「判断が削れる」

「削られた側が、勝手に正解に飛ぶ」


 アルトは頷き、視線だけで周囲をなぞる。


 進むほど、距離感が狂う。

 木は立っているのに、

 遠近が曖昧で、足元だけが妙に鮮明だ。


 音もおかしい。

 枝を踏む乾いた音がしない。

 草を払う擦過音もしない。

 代わりに、吐息だけがやけに大きく返ってくる。


「……静か、すぎない?」


 レイナが眉を寄せる。


「静かというより――“均一”」


 セフィラが、言葉を短く切った。


「揺らぎが、削られてる」


 瘴気は濃くない。

 それでも、鼻先に残る感触が消えない。

 薄いのに、散らばらない。

 “ここに居ろ”と命じられているように、

 空間に張り付いている。


「魔物は?」


 レイナが視線を走らせる。


「寄らない」


 セフィラが言いかけて、止めた。

 “理由”を続けようとした瞬間、言葉が潰れる。


 アルトは追わない。

 追えば追うほど、

 この場の“都合のいい答え”に寄せられる。


 前方。

 濃い外套の男が、一定の距離を保って歩いている。

 追い越さない。遅れない。

 軍の足音に近い規則正しさがあるのに、

 重すぎない。

 案内ではない――と言い切るには、

 迷いがなさすぎた。



(……帝国の現場慣れ、に見える)

(少なくとも、“軍属の歩き方”だ)



 胸元に小さな徽章がある。

 ただ、見せるためじゃない。

 “身内にだけ分かる”位置に置かれている。

 だからこそ、所属を隠す気がないのか、

 隠す必要がないのか――判断がつかない。


 アルトは思う。

 男は“知っている側”に見えるが、

 ここまでの均一さは、

 人間の器用さだけで作れるものじゃない。


 それに、歩き方が変わらない。

 瘴気が薄くても均一でも、呼吸の間が乱れない。

 場に勝とうとしない。場に負けもしない。

 ただ、崩れない動きだけが染みついている。


 ――訓練だ。

 “汚染地”を前提にした、現場の作法。


 “瘴気の多い『相手』とも戦う”ために、

 瘴気の場で崩れない作法を持っている。



 男が足を止めた。


「……ここだ」


「中心の前に、まずこれを見せる」


 それだけ言って、視線を地面へ落とす。

 つられるように、三人の視線も落ちた。


 土の上に、黒い筋が走っていた。

 焦げではない。染みでもない。

 “書かれた”ように細く、一定の太さで伸びている。

 枝分かれし、合流し、円を作り――また先へ続く。



 セフィラが遅れて、指先を動かした。

 小さな術式が瞬き、消える。


「観測」


 アルトが問う。


「見えるか」


 セフィラの目が細まる。


「……“筋”が、筋じゃない」

「瘴気の流れを、線に“直して”いる」


 線。

 自然の流れではない。

 流れを“線にする意思”が混ざっている。


 アルトが言葉を置く。


「迷わせないための道だ」


 男が淡々と返した。


「迷わない方が、早い」


 その硬さが、腹に来る。


「早いのは正しいのか」


 男は一拍だけ置いた。


「正しいとは言ってない」

「条文は速さを好む」

「現場は速さで死ぬ」


 机上の言葉じゃない。

 一度どこかで、誰かが死んだ言い方だ。


 レイナが鼻で笑う。


「じゃあ、現場側の人間ね」


 男は否定も肯定もしない。

 ただ、視線を足元へ落とす。


 そこに、黒い筋があった。


 土に染みたように見える。

 焦げではない。

 染みでもない。


 “線”だ。


 まるで、土の上に墨で引いたように、

 細く、一定の太さで伸びている。

 枝分かれして、また合流して、

 円を作り――どこかへ続く。


 アルトが膝をつく。

 触れない距離で、指を止める。


 《統治者の残響》が、微かに鳴った。


 ――定義するな。

 ――名を与えるな。


(……まただ)


 名を与えた瞬間、固定される。

 固定された瞬間、ここは“正しさ”を持ってしまう。


 セフィラが、言葉を落とす。


「術式の痕跡」

「でも……術式が残ってるんじゃない」

「術式に“した”痕」


「戦後の残り、じゃない」


 レイナが言いかけて、途中で止めた。

 語尾が落ちる前に、自分で切った。


 アルトが言い換える。


「戦いのあとに“置かれた”じゃない」

「戦いの前から……“混ぜられてた”」


 ギルドに最初の異常報告が上がった時期、

 まだ戦争が表に出る前から、

 妙な残り方をする瘴気があった。

 各地で起きた境界の歪み。

 “変質”なのに、魔物が暴れない、あの静けさ。


 レイナの目が鋭くなる。


「じゃあ、誰かが昔から――」


「昔から、だろうね」


 アルトは短く言う。

 “昔から”の説明はしない。

 この場に説明を与えたくない。


 セフィラが、線の一箇所を指で追う。

 追っていくうちに、指先が止まる。


「……ここ、薄い」


「薄い?」


「線が、消えてない」

「“透けてる”」


 アルトは息を飲む。


 透ける、という表現が刺さる。

 これは土に書かれた線じゃない。

 土の“下”にある線が、上に浮いている。


 世界の下書きが、漏れている。


 レイナが一歩、踏み出しかける。


「踏む?」


「踏むな」


 セフィラが即答した。

 声が珍しく強い。


「踏んだ瞬間、こっちが“参加”する」

「参加したら、答え合わせになる」


 男が、そこで初めて口を挟む。


「踏んでも死なない」

「だが、戻れない」


 レイナが男を睨む。


「戻れないって、何」


 男は、言葉を選ばない。


「判断が、戻らない」


 空気が冷えたわけではない。

 それでも、背中に冷たいものが落ちた気がした。


 アルトは立ち上がる。

 膝についた土を払わない。

 払うと“整える”ことになる。


「……じゃあ、どうする」


 レイナが言う。

 珍しく、問いが最後まで届いた。


 アルトは地面の線を見下ろしたまま、答える。


「踏まないで、見る」

「見るために、ここで止まる」


 セフィラが、指先で小さな結界の“枠”だけを置く。

 防御ではない。

 線に触れないための距離の確保。


「隔てる」

「接続しない」


 レイナが鼻で笑う。


「相変わらず、面倒なことするね」


「面倒にしないと、簡単になる」


 アルトが言うと、男が小さく頷いた。


「……その通りだ」


 “帝国の現場係”は、一歩だけ下がった。

 見届ける位置へ。

 導かない距離へ。


 セフィラが目を閉じる。

 呼吸を整える。

 言葉を整えるのではなく、判断を守るために。


 そして、目を開いた。


「観測を深くする」

「でも、“名”は出さない」


 アルトは頷く。


「名を出すのは、帰ってからだ」

「文面にする時だけ」


 レイナが剣から手を離し、

 代わりに外套の紐を締め直す。

 戦う姿勢ではなく、“耐える”姿勢になる。


 三人は、線の外側で、静かに息を揃えた。


 次の一歩は、踏み込むためじゃない。

 “見てしまう”ための一歩だ。


 瘴気は、薄く揺れている。

 揺れ方が、整っている。


 その整いが、こちらの判断を削ろうとしている。


 だから――ここから先は、速さではなく、

 丁寧さの戦いになる。


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