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終わりなき世界の観測者たち  作者: 颯音ユウ
第2部【帝国戦争篇(前編:火種)】

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第50話 言葉の楔ー静かな誘い

 

 木立を抜けた瞬間、音が薄くなった。


 風は吹いている。

 枝も揺れている。

 なのに、耳に届くはずの擦れる音だけが

 抜け落ちている。


「……吸われてる」


 レイナが小さく言う。


 アルトは足を止めず、地面へ視線を落とした。

 黒い筋――瘴気の痕が、

 線ではなく“道”になっている。


(誘導……だな)


 そう理解した瞬間、

 踏み込みが、半拍だけ遅れた。


「っ……」


 膝が沈む。

 土が柔らかいわけじゃない。

 “沈む瞬間”だけが伸びている。


 セフィラが低く息を吐いた。


「時間じゃない」

「環境の遅延」


 そして、男が――初めて手を動かした。


 指先が、空を撫でる。

 光は出ない。詠唱もない。

 それでも、足元の“遅れ”が、わずかにほどけた。


「逸らした」


 男の声は淡い。


「踏み抜くな。入口で脚を取られる」


 レイナが口角を引く。


「入口で脚を取るために、

 “道”まで作ってるってこと?」


「そうだ」


 男は淡々と肯定した。


「見せたい場所がある。だから、来る者を整える」


「整える、ね」


 レイナの視線が鋭くなる。


「殺す代わりに、形を変える?」


 セフィラが一歩、遅れて地面へ指を向けた。

 黒い筋が、均一すぎる。

 霧の粒が揃っている。


「……整いすぎ」

「偶然の散り方じゃない」


 アルトは頷いた。


「戦いの残りじゃない」

「……いや、“戦いだけ”の残りじゃない」


 以前から、兆しはあった。

 だが今は、兆しじゃない。

 “線”になっている。

 散ったはずのものが、整え直されている。

 配置されていると言ってもいい。


 ――それは、誰が置いたのか。


 その問いの前に、まず現実がある。

 この場は、踏み込んだだけで“遅れる”。


「調査員は連れてこないの?」


 とレイナが言う。


「増えるほど痕が増える」


 アルトは足を止めない。


「現場の判断を割りたくない」


 調査員や冒険者の足では、入口で事故になる。

 それに、相手が帝国なら――

 現場で誰かが名乗りを上げ、文書が飛び交う。


 “民間の自発的活動”である以上、

 こっちの“責任者”が必要になる。


 セフィラが淡々と足す。


「読む前に踏めば、答えが消える」

「だから、最少で来た」


「止まるな」


 男が、淡々と言った。


「一度止まると、場が“固定”を始める」


「固定?」


 レイナが足を止めずに返す。


「立っている位置を、決める」


 男は言う。


「決められたら、ずらすのが難しい」


 セフィラのまつ毛が揺れた。


「……位置の固定」

「それ、結界の発想じゃない」


「結界に近いが、結界じゃない」


 男は首を振る。


「環境の制御だ。部屋じゃなく、世界に置く」


 アルトが低く呟いた。


「“置く”……」


 セフィラの言葉と重なる。

 魔法は出すものじゃない。置くもの。


 ここで置かれているのは、攻撃じゃない。

 “戦う条件”そのものだ。


 歩くたびに、微妙なズレが生まれる。

 視界の端が揺れ、距離感が薄くなる。

 足音が遠くなる。自分の呼吸が、少しだけ遅れる。


 レイナが眉を顰めた。


「嫌な手触り」

「斬る前に、負けるやつだ」


「負けさせるためじゃない」


 男が返す。


「“結論”に辿り着かせるためだ」


「結論?」


 アルトが問う。


 男は一拍、間を置いた。


「ここが自然な異常なら、いずれ薄れる」

「ここが意図なら、いずれ増える」

「――それを、君たちの言葉で確定させたい」


 報告書。

 言葉の固定。

 帝国は、物証より先に“文”を置く。


 アルトは息を吐いた。


「俺たちに書かせて、後から枠を作る」

「いつものやり口か」


 男は否定しない。


「枠がないと、世界は暴れる」

「暴れた世界は、……“駒”すら壊す」


 その一言に、セフィラの指が止まった。

 彼女は何も言わない。

 だが、目だけが一瞬、鋭くなる。


 レイナが鼻で笑う。


「よく喋るわね」

「現場係のわりに」


 男は視線を逸らさない。


「現場は、言葉で死ぬ」

「だから、言葉を選ぶ」


 次の瞬間、空気が沈んだ。


 見えない圧ではない。

 殺気でもない。

 ただ、足元の“遅れ”が、もう一段濃くなる。


「っ……!」


 レイナが踏み込んだ足が、止まりかける。

 止まったのではない。

 止まり“そうになった”時間が増えた。


 セフィラが低く言う。


「踏んだ」

「線の内側」


「分かってる」


 レイナは歯を鳴らし、剣を半歩だけ抜く。

 雷の魔力が、刃の縁に薄く走る。

 だが、振り抜かない。


 ――切ってはいけない。

 ここは“相手”じゃない。


 アルトが一歩、前へ出る。


「レイナ、動くな」

「動くと固定される」


 レイナは苛立ちを飲み込み、呼吸を整えた。

 動けないのではない。

 動けば、“正しい場所”に縫い付けられる。


 セフィラが指先を動かす。

 術式を組む――のではなく、

 世界の“癖”を撫でるように。


「観測」

「線の流れを読む」


 彼女の瞳が、微細に焦点を変える。

 霧の粒が、一本の筋に整列している。

 筋は、レイナの足へ向かっている。


「……引いてる」


 セフィラが呟く。


「レイナの位置を“中心へ寄せる”ように」


 アルトが頷く。


「誘導だ」

「入口で脚を取って、中心へ連れていく」


 男が、再び指先を動かした。

 今度は小さな円。

 空気の“面”が一枚、ずれる。


 レイナの足元の遅れが、わずかに剥がれた。


「今だ」


 アルトが短く言う。


 レイナは“動かないまま”動いた。

 踏み替えではない。

 重心だけを外へ逃がす。


 それで十分だった。


 遅れが、空振る。

 線が、レイナを掴み損ねて地面へ落ちる。


 ――落ちた線は、消えない。

 地面の黒い筋として残る。

 まるで、釘を打った跡みたいに。


 セフィラが息を吐いた。


「……固定は、書き換え跡を残す」

「履歴が残る」


 アルトが小さく笑う。


「履歴、ね」


 その言葉は、彼の中の何かを触った。

 《統治者の残響》が、静かに脈を打つ。


 男が、淡々と言った。


「入口は、こうして“整える”」

「中心に行くほど、ズレは増える」

「そして――壊すと拡がる」


 レイナは瞬きを一度遅らせた。


「壊せない?」


「壊すと、散る」


 男は即答する。


「散ったら、誰も回収できない」

「回収できないものは、誰も責任を取れない」


 アルトは、視線を前へ向けた。


 木立の向こう。

 薄い霧が、一本の道を作っている。

 整った揺れ。整った沈黙。


 ここは、ただの異常じゃない。


 “準備”だ。


「行くぞ」


 アルトが言う。


 セフィラが頷く。


「中心を見る」

「壊さないで、持ち帰る方法を考える」


 レイナが剣を納めた。


「……面倒な役回り」

「でも、嫌いじゃない」


 男は、それ以上何も言わなかった。

 ただ、少しだけ歩幅を合わせる。


 並ぶためではない。

 先導でもない。


 同じ方向へ進む。

 ――中心へ。


 霧が、静かに道を作っていた。


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