魔皇帝リリスの独白
静寂。
魔帝国中枢――歪んだ玉座の間。
魔王城の崩れゆく気配が、
遠くの出来事のように感じられる。
私は玉座に腰掛けたまま、
しばらく、目を閉じていた。
「……終わった、か」
そう呟いてから、
それが真実ではないことを、
誰よりも理解している。
アモンは倒れた。
勇者は役目を果たした。
けれど――
瘴気は、消えていない。
抑え込むための器が壊れた。
だから、瘴気は一度、外へ逃げる。
城の奥へ、地の底へ、
霧みたいに薄く広がっていく。
「……よく耐えたね、アモン」
魔族至上主義。
強者が全てを抱え、弱者を切り捨てる思想。
思想は歪んでいた。
だが、器としては――成立していた。
あれほどの瘴気を、
一個体で抱え続けるなど、正気の沙汰ではない。
だからこそ、
いずれ暴走する未来は、最初から見えていた。
私はそれを止めた。
否――
止めさせた。
王国に。
教会に。
勇者に。
……私は剣を振っていない。
命令もしない。
ただ“向き”を整えただけ。
怒りが向かう先。
正義が形を取る場所。
討伐が「必要」だと、人々が納得できる筋道。
納得があれば、人は走る。
走った結果だけが、戦争を作る。
私はその仕組みを嫌悪しながら、同時に利用する。
「私が聖教会に触れたのは――」
初めてではない。
けれど、深く関与したわけでもない。
火は、いずれ勝手に起きる。
“あちら”は、そういうものだ。
その流れは、私には止められない。
だから私は、火を起こすのではなく、
燃え先だけを定めた。
教皇に命令はしない。できない。
代わりに、机の上に“臨界”の資料を置く。
「邪教会」ではなく、「瘴気災害」。
議題をそれにすり替える。
巡察使に渡した封呪具。
王国へ回した補給。
遠征が成立するだけの最小限。
そうして戦争は、私の望む形に収束していく。
――魔王討伐へ。
矛先が届く場所から、彼らを外したまま。
彼らは沈黙しているのではない。
沈黙できる場所に置かれている。
出れば矛先が届く。届けば、“あちら”の思う壺だ。
だから沈める。
人の正義を、管理の中に落とし込んだまま、
必要な時だけ同じ方向へ流す。
汚いやり方だ。
でも、他に道がない。
……それに。
言葉を、飲み込む。
願いの形にしてしまったら、弱くなる。
私は魔皇帝だ。
弱さは、見せない。
今回だけは、想定と違うものが混ざった。
勇者だけで終わるはずだった流れに、
“外側”が手を伸ばした。
その存在が、戦場を壊し、
整え、
そして――勇者を“成立”させてしまった。
私は、息を吐く。
それは希望ではない。
救いでもない。
もっと危うい。
なぜなら――
“外側”に立てる者は、
世界そのものから目をつけられる。
その視線が、次に向く先は――アルトに。
「……巻き込んじゃったね」
彼は知らない。
自分が、どれほど危うい位置に立っているのか。
帝国。
あの歪んだ玉座。
原初の“それ”。
すべてが、彼を見ている。
そして――彼らが動いた。
“選ばれなかった側”が、
戦場の外から介入してしまった。
それは救いにもなる。
だが、同時に――
世界にとって一番危険な触れ方でもある。
(遅れれば、終わる)
(勝敗の前に、溢れる)
アモンは、瘴気を抱え込みすぎた。
これまでの転生者は、敗れても“次”があった。
だが今回は違った。
崩れれば、魔王城だけでは済まない。
戦争ではなく――汚染が始まる。
人も魔族も、同じように削られていく。
だから私は、議題をすり替えた。
命令ではない。介入でもない。
“正義の向き”だけを、折り直す。
邪教会?
あれは声を上げられない。
声を上げた瞬間、
矛先は“教会”ではなく“支配者”へ届く。
実際、宣戦の夜。
拠点は“静かに”空になった。
炎も悲鳴もない。
最初からそこに無かったみたいに、消えた。
(動いている)
(だが、見せられない)
それでいい。
見えない反応は、
見えないまま――矛先を固定する。
あの少年たち――
“選ばれなかった側”が動かなければ、
世界は救えない。
ただ一つだけ確かなのは――
もう、この世界は
“魔王を倒して終わる”段階ではない、
ということだ。
「……さて」
私は、静かに立ち上がる。
「準備をしましょう」
次は、
もっと血の匂いがする。




