第41話 黒城
戦場は、静まり返っていた。
だがそれは、平穏ではない。
嵐が過ぎ去った直後のような、
取り返しのつかない静けさだった。
空には、なお淡く歪んだ魔力の層が残り、
大地はところどころ硝子化し、
岩盤は熱を失った溶岩のようにひび割れている。
空気の奥に、まだ“青い残響”がある。
視界の端で揺れて、
焦点を合わせようとすると逃げる。
ただの幻ではない。
あの一撃が、
この地の魔力密度を一度“塗り替えた”痕だ。
つい先ほどまで、
五万を超える魔族と魔獣が
ひしめいていた場所とは思えない。
「……まだ、終わってない」
アルトは、戦場を見渡しながら言った。
声は低く、感情を抑えている。
敵影はほとんどない。
だが、“完全に消えた”わけでもなかった。
災厄を免れたわずかな高位魔族たちが、
崩れた陣の中で立ち尽くしている。
武器を握ったまま、
命令を待つように。
崩れた陣の中心で、
角の折れた指揮紋章持ちの高位魔族が膝をつく。
「……魔王のために」
咆哮ではない。
祈りに近い、擦り切れた声だった
レイナが、前に出る。
剣を下げたまま、
距離を詰める。
「もう、終わりよ」
その一言に、
高位魔族の表情が歪んだ。
「黙れ……!
我らは、魔王様の――」
言葉は、続かなかった。
レイナが、踏み込む。
斬撃は最小限。
致命を避け、戦意だけを断つ。
膝をつく音が、
静かな戦場にいくつも響いた。
「……戦えない」
誰かが、そう呟く。
それは、敗北の宣言だった。
レイナは振り返らない。
「抵抗しないなら、斬らない」
それだけ告げて、
次へ進む。
アルトは、その様子を見届けながら、
戦場全体を俯瞰していた。
逃走の兆し。
再編の可能性。
奇襲の芽。
それらが、
どこにも存在しないことを確認する。
「……十分だな」
アルトは片膝をつき、剣先で地面を“軽く叩いた”。
土の下を走っていた見えない線
――伝令、指揮、補助の魔力経路が、
一拍遅れて、ぷつりと途切れる。
連携が死ぬ。
合図が届かない。
“戦争として成立する部品”だけが、静かに壊れた。
そのとき。
セフィラが、ようやく歩き出した。
戦場の中心へ。
もう、魔法は使わない。
ただ、周囲を見渡す。
「……魔力濃度、急低下」
淡々とした報告。
「災害の余波は、収束に向かってる」
アルトは、頷いた。
「これ以上は、必要ない」
それは、彼女への制止でもあった。
セフィラは、何も言わずに応じる。
ここから先は、
魔法で解決する段階ではない。
遠く。
黒い城壁が、静かに佇んでいる。
魔王城。
戦場が壊滅してなお、
あの城だけは沈黙を保っていた――否。
沈黙、というより。
“溜めている”
風が、城の方から吹いてくる。
冷たいはずの風に、焦げた鉄と、
湿った土の匂いが混じっていた。
空が、わずかに暗い。
雲ではない。
光そのものが、薄く汚れて見える。
セフィラが、眉を寄せる。
「……瘴気が、濃い」
それは視界に霞として見えるほど露骨ではない。
だが、魔力に触れた者には分かる。
空間の“底”が、重い。
呼吸が、少しだけ遅れる。
思考の輪郭が、薄くなる。
――世界が、じわじわと侵されている。
「……動かないわね」
レイナが、低く言う。
「うん」
セフィラが答える。
「向こうは、分かってる」
「もう、軍の出番じゃない」
アルトは城を見据えたまま、足を止めた。
これ以上近づく必要はない。
近づけば、あの“重さ”に呑まれる。
「圧が、はっきりしてきてる」
セフィラが、低く告げる。
それは魔力ではない。
殺気でも、威圧でもない。
「意志……ね」
レイナが短く息を吐く。
「歓迎も、拒絶もしてない」
「ただ――“見てる”」
距離はある。
玉座の位置すら見えない。
それでも、
焦点だけがこちらに合っている感触がある。
アルトは、誰に向けるでもなく呟いた。
「……分かってるな」
この距離で届くほど、
魔王アモンの存在は強い。
そして――濃くなっている。
戦場で削られたはずなのに、
城の奥では“別のもの”が満ちていく。
「向こうは、俺たちが何をしたか理解してる」
「戦争を壊したことも」
「勇者を、先に行かせたことも」
セフィラは、ゆっくり頷く。
「ええ。だから、出てこない」
「選んでる」
この場で戦う価値がある相手を。
そして――瘴気を抱えたまま、
“自分の形”を保てるうちに。
「……勇者の番、ってことね」
レイナの言葉に、誰も否定しなかった。
遠く。
城へ続く道の先に、
勇者たちの気配が、確かに進んでいる。
「……行かせよう」
アルトは静かに言う。
「ここから先は、彼らの戦いだ」
セフィラは一瞬だけ城を見つめ、
そして視線を外した。
「――早く終わらせないと」
「“中”が、壊れる」
その一言だけが、
瘴気の重さよりも冷たく、場に残った。




