第4話 偶然では片づけられない
報告書は、読みづらかった。
言葉を選びすぎている。
断定を避け、事実だけを並べた結果、
何も書いていないようにも見える。
だが、アルトには分かる。
――これは、現場が本気で困っている時の
書き方だ。そして、責任を取る覚悟が
まだ固まっていない時の文面でもある。
アルトは一枚一枚を丁寧に読み返し、
机の上に揃えた。
村の状況。
結界の状態。
正体不明の干渉。
どれも「異常」と断定するには弱く、
だが「問題なし」と片づけるには強すぎる。
アルトは静かに息を吐いた。
「偶然、ではない……か」
扉を叩く音がした。
「どうぞ」
返事と同時に、扉が開く。
「もう読んだ?」
入ってきたのは、
魔導士協会会長のセフィラだった。
相変わらず穏やかな表情だが、
その目は冴えている。
「一通り」
「……やっぱり?」
「結界は正常」
「魔力循環も問題なし」
「術式も、地方公認結界の規格通り」
セフィラは、報告書の要点をなぞるように言う。
「理論上は、何も起きてない」
「だが、現実では『何か』が起きている」
「そう」
セフィラは短く頷いた。
「計算が合わない」
セフィラは、指先で空中に簡単な式を描く。
「同じ術式、同じ魔力量、同じ環境」
「それなら、結果は同じになるはず」
「でも、ならない」
「結界が破られた形跡はない」
「魔物の侵入も確認できない」
「それなのに、結界内で『何か』が干渉している」
セフィラは、少しだけ言葉を選ぶ。
「……境界の問題、かもしれない」
「境界?」
「結界そのものじゃない。内と外、その“間”」
アルトは黙って続きを促した。
「まだ仮説だよ」
セフィラは、すぐにそう付け加える。
「証拠もないし、断定もできない」
「だが、説明はそれしか残っていない」
「……厄介だな」
アルトは椅子にもたれ、天井を仰いだ。
「この件、表には出せない」
「うん。出せば混乱する」
「だが、無視もできない」
二人の意見は、珍しく一致していた。
「だから、調査は続ける」
アルトは結論を口にする。
「公式には“異常なし”に近い扱い」
「裏では情報を集める」
「……ギルドとして?」
「個人として、だ」
セフィラは一瞬だけ目を細め、それから微笑んだ。
「らしいね」
「一つだけ、確認しておきたい」
アルトは視線を戻し、彼女を見る。
「今回の件、勇者とは無関係だと思うか?」
「少なくとも、直接の因果は感じない......けど」
「けど?」
「時期が悪すぎる」
セフィラの答えは、歯切れが悪かった。
沈黙が落ちる。
アルトは報告書を手に取り、束ね直す。
「これは、勇者の問題じゃない」
「……同感だよ」
だが、それが何の問題なのか――
まだ、二人にも分からなかった。
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「……あ」
セフィラが扉に手をかけたところで、
思い出したように振り返った。
「今日の昼、ちゃんと食べた?」
「急に何だ」
「顔色があまり良くなかったから」
アルトは一瞬、言葉に詰まる。
「……後でな」
「?......それ、絶対食べてない」
「これ、持ってきたんだ」
「何だ?」
セフィラは小さな包みを机の上に置く。
布に包まれたそれから、
ほのかに湯気が立っていた。
「簡単なものだけど。朝、作ってきた」
「……料理?」
アルトは一瞬、言葉に詰まる。
「ぼくが研究室に籠もってると思った?」
「正直に言えば」
「失礼」
セフィラは肩をすくめる。
「食べて。冷めると味が落ちる」
箸を入れると、素朴な香りが広がった。
派手さはないが、落ち着く味だ。
「……うまいな」
「でしょ? 余計なことしてないから」
アルトは少しだけ表情を緩めた。
セフィラは小さく笑う。
アルトは箸を置き、深く息を吐いた。
「助かった」
「どういたしまして」
ほんの一瞬。
張り詰めていた空気が、確かに和らいだ。
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セフィラが執務室を後にしてからも、
アルトは席を立たなかった。
報告書はすでに何度も読み返している。
それでも、机の上からどかす気にはなれなかった。
「……動くな、か」
誰に向けた言葉でもなく、呟く。
その日のうちに、王国からの通達が届いた。
内容は簡潔だった。
――現在確認されている事象について、
過度な対応は避けよ。
――民の不安を煽る行動は慎むこと。
――調査は必要最低限に留めること。
「要するに、“大事”にするな、か」
アルトは紙を畳み、静かに息を吐いた。
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それから間もなく、別の報せが届く。
正式な文書ではない。
だが、無視できるものでもなかった。
「帝国から……?」
差出人の名は伏せられている。
だが、その書き方だけで分かる。
――観測は続けている。
――判断は急ぐな。
――貴殿の動きを、見ている。
「……随分と親切だな」
皮肉は、誰にも届かない。
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夕刻、レイナが顔を出した。
「そういえばさ」
レイナは腕を組んだまま、
ふと思い出したように言った。
「今日、受付で喧嘩があったの」
「……」
「勇者が自分だって言い張る人」
「早いな」
「でしょ? まだ顔も知られてないのに」
レイナは苦笑する。
「世の中は動いてるけど、人は相変わらずよ」
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「上から、何か来た?」
「来た」
「止めろ、って?」
「ほぼ、そうだ」
レイナは舌打ちしかけて、途中でやめた。
「現場は、そんなに余裕ないんだけど」
「分かっている」
「分かってる、だけ?」
アルトは答えなかった。
「調査は、続ける」
しばらくしてから、アルトは言った。
「ただし、表向きには動かない」
「……裏で?」
「情報だけだ。冒険者を動かすこともしない
――今は、な」
レイナは腕を組み、難しい顔をする。
「それで、間に合うの?」
「間に合わなくなった時は――」
言葉を切り、アルトは視線を落とした。
「その時は、責任を取る」
レイナは何も言わなかった。
それが、彼女なりの理解だった。
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夜。
王都は、相変わらず賑やかだった。
勇者の噂は尽きず、人々は未来を語る。
だが、アルトの目には、
その賑わいがどこか薄く感じられた。
「勇者が動いても、世界は勝手に良くはならない」
誰にも聞かせない独白。
机に戻り、アルトは新しい紙を取り出す。
公式記録には残らない。
だが、確かに残しておくべき情報。
――結界内で、正体不明の干渉を確認。
――魔物ではない。
――魔法的異常も未確認。
――だが、危険性は否定できない。
「……だから、動けない」
書き終えた紙を折り、引き出しにしまう。
これは、勇者の物語ではない。
だが、放置すれば、
勇者の物語すら成立しなくなる。
アルトは椅子に深く腰掛け、目を閉じた。
「……まずは、見極めるしかないか」




