第38話 抑え込む王―彼を止めるために
魔王城。
玉座の間ではなかった。
戦議のために設えられた広間でもない。
厚い石壁に囲まれた、静かな一室。
その中央に、魔王アモンは立っていた。
「第一将軍ヴァルガス、敗北」
「変成卿アグリオス、戦線より消失」
報告は淡々と続く。
事実のみを並べた、簡潔な言葉。
アモンは、すぐには応じなかった。
ややあって、低く息を吐く。
「……そうか」
それだけだった。
怒りはない。
嘆きもない。
側近が、言葉を探しながら続ける。
「武断派、魔術派ともに――」
「我が軍の中核を担っておりました」
「失うには、あまりに大きな戦力かと」
アモンは、ゆっくりと振り返った。
「“失った”のではない」
声は静かだが、床の紋が一拍遅れて脈打った。
側近の背に、冷たい汗が浮く
「彼らは役割を果たした」
「それだけだ」
側近は、息を呑む。
「ヴァルガスは、魔族の武の極限を示した」
「アグリオスは、変化の可能性を押し広げた」
「だが――」
アモンは一歩、前に出る。
「どちらも、人族の手によって止められた」
その事実を、否定しない。
しかし、評価は違った。
「勇者が強かったのではない」
「人族が優れていたのでもない」
「世界が、今は“そうなる流れ”を選んだだけだ」
それは、譲歩ではない。
理解でもない。
切り分けだった。
「魔族が下位に置かれる世界は、歪んでいる」
「それが私の判断だ」
側近が、恐る恐る問いかける。
「では……」
「もし、魔王様ご自身が倒されるとしたら?」
一瞬の沈黙。
だが、アモンの答えは揺るがなかった。
「その時は」
静かに、しかし断定的に言う。
「この世界が、誤った選択をしたというだけだ」
敗北を否定しない。
だが、正当性は一切譲らない。
「勇者が勝とうと」
「魔族が敗れようと」
「魔族が上位であるという事実は、変わらない」
「それを理解できない世界が、次に何を迎えるか――」
言葉を切る。
「それもまた、世界の責任だ」
側近は、もう何も言えなかった。
「準備は整っている」
アモンは、窓のない壁へと視線を向ける。
その向こうに、戦場があるかのように。
「武も」
「変化も」
「すでに示した」
「次は――」
足を止める。
「私自身が、価値を示す番だ」
それは宣戦布告ではない。
決意表明でもない。
順番の確認だった。
-----------
その頃。
遠く、魔帝国の高塔で、
魔皇帝リリスは観測を終えていた。
「……やっぱり、変わらないね」
「アモンは、最後まで魔王であり続ける」
小さな独白。
——“収まった”んじゃない。収めてるだけ。
それが、いつまで持つか。
だからこそ――
アルトに任せるしかない理由も、変わらない。
前線では、
勇者が剣を整え、
介入者たちは責任を引き受けていた。
まだ、誰も口にしない。
だが、避けられない結論だけが、
静かに近づいていた。
-----------
魔族領 前線
戦いが終わった。
そう言い切るには、あまりに静かだった。
瓦礫の向こうで、
ヴァルガスの率いていた魔族軍は、
すでに撤退を始めている。
指揮官を失った軍勢は、無理に踏みとどまらない。
それが魔族の戦争だった。
勇者エリオは、剣を地面に突き立てたまま、
深く息を吐いた。
「……終わった、のか」
誰に向けた言葉でもない。
ロイスは、血の付いた手甲を外しながら、
無言で周囲を見渡す。
セリスは、魔力の残滓が消えていくのを
確認するように、杖を下ろした。
ミラは、座り込んだまま空を見上げている。
ティオは周囲の警戒を続けつつも、
すでに敵影がないことを理解していた。
「勝った、とは言えないな」
ぽつりと、ロイスが言う。
「倒したのは確かだ」
「でも……」
言葉が続かない。
彼らは知っていた。
あれは、魔王ではなかった。
--------
別の場所では。
アグリオスの歪域を封じた三人は、
予定していた合流点――
城へ続く街道の分岐へ戻っていた。
そこで、勇者一行の気配が近づく。
アルトが顔を上げると、エリオと視線が合った。
「ヴァルガスも」
「アグリオスも」
「魔王の“前段階”だ」
エリオは、ゆっくりとうなずく。
それは、恐怖ではなかった。
理解だった。
「……今のままの読みじゃ、届かない」
エリオの言葉に、否定は返らない。
ロイスは拳を握り、
セリスは一歩前に出て、
ミラは立ち上がり、
ティオは静かに周囲を確認したまま頷く。
「でも」
エリオは、続けた。
「進むしかない」
アルトは、それを聞いて、小さく笑った。
「それでいい」
「無理に背負わなくていい」
「選択は、重ねればいい」
レイナが肩をすくめる。
「逃げないなら、十分」
セフィラは、結界から視線を外し、前を見据える。
「次は、もっと分かりやすい」
「魔王が、出てくる」
その言葉に、空気が引き締まる。
遠く、魔王城の方角。
まだ姿は見えない。
だが、確実にそこにいる。
戦いは、ひとまず区切れた。
しかし、戦争は終わっていない。




