第36話 決戦――丘陵の刃
「……続きは、次だ」
その言葉の余韻が残ったまま、
低い声が戦場に落ちる。
「――下がれ」
それだけで、魔王国軍の前線が止まる。
撤退ではない。進軍でもない。待機。
誰も疑問を挟まなかった。
それが、第一将軍ヴァルガスの軍だった。
「ここから先は、俺がやる」
ヴァルガスは、
すでに抜かれた刃を肩の高さに据えた。
陽光が走り、空気が一段、沈む。
エリオは剣を握り直す。
喉が鳴った。
――重い。
魔力でも、瘴気でもない。
ただ、人を圧する“武”の気配。
「来い、勇者」
値踏みはない。
挑発もない。
ただの宣告だった。
エリオは踏み出す。
同時に、ロイスが半歩前へ。
「正面、受ける」
短い言葉。
それで十分だった。
ヴァルガスが動く。
踏み込みは最短。
剣は一直線。
ロイスが受け止める。
刃と刃が噛み合い、火花が散る。
「……っ!」
腕が痺れる。
骨が悲鳴を上げる。
だが、退かない。
「耐えろ!」
エリオが横合いから斬り込む。
観測が走る。
角度、間合い、反撃。
――最適解。
だが、届かない。
ヴァルガスは剣を返し、
エリオの刃を弾く。
一歩、踏み込まれる。
「――!」
ロイスが割り込む。
剣で、身体で、止める。
その一瞬。
セリスの魔法が走る。
大技ではない。
牽制と拘束。
ミラの回復が重なる。
傷は塞がる。
だが、余裕は戻らない。
ヴァルガスは、止まらない。
剣が振るわれるたび、
勇者一行の体力が削られる。
「……強い」
ロイスの息が荒い。
エリオは理解していた。
個々では勝てない。
観測は示す。
最適解は、存在する。
だが――
それは“単独の最適解”だ。
「……ダメだ」
エリオは歯を食いしばる。
「一人で決めに行くと、崩れる」
その言葉を聞いた瞬間、
ロイスがわずかに笑った。
「やっと、気づいたか」
ヴァルガスの剣が振り下ろされる。
ロイスが、受ける。
斬るためではない。
止めるために。
「――今だ!」
エリオの声に、
セリスが即座に反応する。
短詠唱。
足元を縛る。
完璧ではない。
だが、通じる。
ヴァルガスの動きが、
ほんの一瞬、鈍る。
その隙を、
ミラの声が支えた。
「いける……!」
勇者一行は、確信する。
――勝てない相手じゃない。
ヴァルガスの口元が、
わずかに歪んだ。
「……悪くない」
初めての評価。
「だが、まだだ」
剣を構え直す。
気配が、さらに研ぎ澄まされる。
「次は――潰す」
戦いは、
ここからが本番だった。
ヴァルガスの剣が振るわれる。
一撃。
ただの横薙ぎ。
だが、それだけで空気が裂けた。
ロイスが前に出る。
「――来い!」
剣を構え、真正面から受ける。
衝撃が、全身を叩いた。
骨が軋む。
腕が悲鳴を上げる。
それでも、退かない。
退かないことが、役割だと理解したからだ。
斬るための剣ではない。
今は、折れないための剣だ。
「エリオ!」
声を張る。
合図。
エリオは頷く。
観測は、すでに変えていた。
勝つための最適解ではない。
繋ぐための選択肢。
ヴァルガスの剣がロイスを押し潰そうとする瞬間、
足元に魔法陣が走る。
走った、のではない。
セリスが“そこに置いた”。
「――束縛、三秒!」
セリスの声。
ひも状の光が、地面から立ち上がり、
ヴァルガスの踵と影を、一本だけ結ぶ。
完璧な拘束じゃない。
ただ、踏み込みの“初動”だけを遅らせる。
三秒。
完璧には足りない。
だが――
「十分!」
ミラの回復が、同時に入る。
ミラの掌が、ロイスの前腕に触れた。
触れた瞬間、青白い円紋が“巻き付く”。
砕けかけた筋繊維が、一本ずつ縫い直されていく。
痛みだけが、遅れていく。
「折れないで」
「今は、“折れない時間”を作る」
ロイスの呼吸が、戦場のリズムに戻る。
体勢が、ぎりぎりで保たれる。
ヴァルガスの眉が、わずかに動いた。
「……ほう」
初めて、明確な感心。
拘束を破り、
一歩踏み込む。
「だが、終わらせる」
剣を振り上げた瞬間。
エリオが、前に出た。
剣を構える。
だが、狙いは急所ではない。
踏み込みの“起点”。
観測が示す。
今、この瞬間。
「――ロイス!」
「わかってる!」
ロイスが、剣を横にずらす。
真正面ではない。
受け流す。
耐えるのではなく、逸らす。
ヴァルガスの重心が、僅かに崩れる。
その一瞬。
セリスが詠唱を捨てた。
術式を、短縮。
威力を、落とす。
ただ――
一点だけを狙う。
「――断絶」
魔力が、剣と腕を結ぶ“力の流れ”を裂いた。
ヴァルガスの剣が、地面に落ちた。
沈黙。
将軍は、一歩下がった。
「……なるほど」
笑った。
初めて、はっきりと。
「お前たち――」
剣を拾わない。
「一人で勝とうとしなくなったな」
その言葉と同時に、
エリオが踏み込む。
全力。
観測は、もう使わない。
ただ、信じる。
ロイスが止める。
受ける。逸らす。
“いつもの角度”に、わざと入る。
ヴァルガスの返しが来る。
その瞬間だけは、読める。
ミラの魔法が、ロイスの腕を保たせる。
セリスの術が、踵の初動を一拍だけ奪う。
そして――
エリオが、刺した。
急所じゃない。
鎧の継ぎ目。
肩口から、胸の奥へ“通る道”。
深くはない。
だが、刃先は――呼吸の核をかすめた。
反撃に必要な吸気が、途切れる。
ヴァルガスの膝が、落ちる。
血が落ちる。
それでも、崩れない。
最後まで姿勢を捨てなかった。
「……見事だ」
最後まで、将軍だった。
「勇者よ」
エリオを見上げる。
「お前は――まだ未完成だ」
それは、侮蔑ではない。
評価だった。
「だが……」
息を吐く。
「ここまでは、来た」
ヴァルガスは、ゆっくりと倒れた。
将軍が倒れた瞬間、
背後で待機していた魔王国軍が、静かに退いた。
誰一人、暴れない。
誰一人、命令を違えない。
将軍が敗れた戦は、終わりだ。
エリオは剣を下ろす。
震えが、今になって来た。
「……勝った、のか」
ロイスが、苦笑した。
「さあな。生きてるし、立ってるし」
ミラが、そっと息を吐く。
「でも……」
小さく、微笑んだ。
「前より、ちゃんと戦えた気がする」
セリスは黙って、頷いた。
遠く。
丘の向こうで、
誰かが静かに、その光景を見ていた。
――勇者は、確かに一歩、前へ進んだ。




