第34話 静かな戦争前夜
帝国中枢。
「観測結果、更新完了」
低く告げられた報告に、
広間にいた誰一人として声を上げなかった。
水晶盤の上には、複数の光点が浮かんでいる。
勇者の進軍路。
魔王国軍の布陣。
そして――
本来、そこに存在してはならない“第三の揺らぎ”。
「逸脱は修正可能域を越えています」
淡々とした声が続く。
「勇者単独での完結は、成立しません」
一瞬の沈黙。
やがて、指示が下された。
「介入は最小限に抑える。
排除ではなく、競合を許容せよ」
それは後退ではない。
世界の主導権を、別の手に委ねる判断だった。
「監視は継続。
ただし――次は記録を優先する」
帝国は、戦場から半歩だけ身を引いた。
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同じ頃。
魔王国。
黒鉄の床に刻まれた地図の前で、
複数の魔族が跪いていた。
「前線、再び停滞」
報告役の声は、どこか硬い。
「勇者は進まず、撤退もせず。
こちらの探りも、すべて空を切っています」
重い沈黙の中、
一人の魔族が、低く笑った。
「均衡を気取るとは、つまらん」
武断派幹部――ヴァルガス。
「勇者が止まるなら、動かせばいい。
こちらから、踏み込め」
別の影が、静かに口を開く。
「……急ぎすぎれば、歪みが生じる」
魔術派幹部――アグリオス。
「歪みは、いずれ刃になる。
それがこちらを向く可能性も、無視できない」
ヴァルガスは鼻で笑った。
「刃は、振るう者次第だ」
「俺は、振るう側に立つ」
短い沈黙ののち、
結論は出た。
「前線を動かす。
勇者を、止めるな」
魔王国軍は、再始動する。
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そして前線。
境界を越え、
魔族領へと足を踏み入れてから、三日。
魔王の居城へ続く街道は、
もはや遠くない。
「……静かすぎる」
エリオが、ぽつりと呟いた。
魔物の気配はある。
だが、襲ってこない。
まるで――
道を、譲られているかのようだ。
「罠、という感じでもない」
セリスが周囲を警戒しながら言う。
「でも、何かが“待ってる”感じがする」
ミラも、小さく頷いた。
勇者一行は歩みを止めない。
だが、一歩一歩が慎重になっていく。
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少し離れた高台で、
アルトは状況を見下ろしていた。
「帝国は引いた。
魔王国軍は動く」
隣で、セフィラが静かに答えた。
「勇者は前へ。
……全部、揃った」
アルトは前線を見据える。
「ここからは、
誰か一人の都合で終わる戦争じゃない」
前線に、風が走った。
自然のものではない。
瘴気でも、魔力でもない。
――意図。
高台で、アルトは息を止めた。
(……動く)
次の瞬間。
「……来る」
ティオが短く告げた直後、
街道脇の岩稜帯から、黒い影が姿を現した。
数は多くない。
だが、配置が整っている。
「魔王国軍……」
ロイスが息を詰める。
これまでの魔物とは違う。
無秩序ではない。
“戦うために組まれた部隊”。
「前衛、構え!」
エリオの声に、即座に反応が走る。
敵は正面からぶつかってこなかった。
周囲に散り、
勇者たちの進む方向を少しずつ限定していく。
「……包囲?」
「違う」
セリスが短く答える。
「進ませないだけ。
戦う意図、薄い」
その通りだった。
敵は決定打を狙わない。
一歩進むたびに、
二歩分の消耗を強いる配置。
「……削り合い」
ミラの声は静かだった。
それは勝つための戦いではない。
“止める”ための戦術。
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先ほどと同じ高台から、
アルトは戦線の“形”だけを追っていた。
「前線型の指揮」
短い分析。アルトは、わずかに眉を寄せた。
「正面衝突を避ける。
勝てない状況だけを作る判断」
隣で、セフィラが頷く。
「指揮目的、明確。
勇者を削る。
時間を奪う」
視界の端で、
レイナが剣に手をかけたまま動かない。
踏み込めば斬れる距離。
だが――今ではない。
「……まだ」
低い声。
それ以上は言わない。
その時。
空間が、わずかに軋んだ。
先ほどと似ているが、
同じではない感触。
「……視線、残ってる」
セフィラの声が低くなる。
遠く。
世界を測るような、細い“線”。
「帝国の観測」
「いや今回は、出てこない」
アルトは即断する。
「見てるだけ。
均衡がどう崩れるかを」
前線では、
勇者たちの進路が完全に塞がれていた。
進めない。
退けない。
魔王国軍は攻めず、
帝国は介入せず。
「……最悪の均衡」
アルトの呟き。
「このままだと、
勇者は前にも後ろにも行けない」
「介入、必要」
セフィラの判断は即断だった。
「正面からではない」
アルトが続ける。
「帝国が見てる。
魔王国軍もいる」
一拍。
「なら――
壊すのは軍じゃない」
セフィラは理解する。
「判断。
指揮。
止めている理由」
「そう」
アルトは前線を見据える。
「戦争は、
もう一段階、進む」
その瞬間。
前線の空気が、確かに変わった。
誰も気づいていない。
だが、世界は理解した。
均衡は――
壊される。




