第31話 勇者の限界
前回の進軍で起きた異常は、
勇者一行の中で、すでに共有されていた。
同じ失敗は繰り返さない。
そのための準備も、対策も、整っている。
それでも――
進軍は、始まった。
円陣は維持。
距離は固定。
斥候は二重。
魔法は段階解放。
エリオの判断は、冷静だった。
「前回と同じ“間”は作るな。
消失が起きた地点は、回避ルートに組み込む」
「了解」
ティオが先行し、
ロイスが半歩後ろで守る。
セリスは詠唱を短く保ち、
ミラは回復を“使わない前提”で構える。
すべて、想定通りだ。
「……問題なし」
ティオの報告が、一定間隔で入る。
異変はない。
魔物も出ない。
魔法も、成立している。
それなのに――
進んでいる感覚が、薄かった。
「……距離、合ってる?」
ロイスが、足元を見下ろして言った。
「合ってる」
ティオが即答する。
「測量も、目測も、誤差はない」
「じゃあ……」
ロイスは言葉を探す。
「何で、同じ景色なんだ?」
誰もが気づいていた。
岩の形。
木の傾き。
地面の裂け目。
数分前に見たはずの風景が、
「別の経路」を取ったはずなのに、再び現れる。
「ループ……?」
ミラの声が小さくなる。
「違う」
セリスが、首を振った。
「循環じゃない。
時間も、位置も進んでる」
「でも――」
「“結果”だけが、同じになる」
セリスは、静かに続けた。
「進んでるのに、
同じ地点に辿り着いてる」
エリオは、剣の柄を強く握る。
「……全員、停止」
即断だった。
円陣が、止まる。
「対策は、合ってる」
エリオは、短く言った。
「前回の妨害は、来ていない」
「じゃあ、何が――」
ロイスが問いかけた、その瞬間。
風向きが、変わった。
強くはない。
だが、全員の背中を、同じ方向へ押す。
「……足が、勝手に」
ティオが、歯を食いしばる。
踏み出したい方向と、
身体が向かう方向が、微妙にずれている。
拘束ではない。
強制でもない。
“自然な選択”の顔をした誘導だ。
「……判断が、ずらされてる」
セリスの声が、低くなる。
「正解は選べてる。
でも――」
「選ばされてる」
エリオが、結論を口にした。
沈黙。
誰も否定できなかった。
「……前回より、厄介だな」
ロイスが、苦く笑う。
「対策してる分、
向こうも“変えてきてる”」
エリオは、前を見据える。
敵は見えない。
攻撃もない。
それでも、
“前に進めない”という結果だけが、
積み上がっていく。
「……進軍継続」
エリオは、あえて告げた。
「ただし、
判断を一段落とす」
「正解を選ぶな。
“違和感が出ない選択”を拾う」
その言葉に、全員が頷く。
戦いは、まだ始まっていない。
だが――
戦場は、前回よりも深く、組み替えられていた。
--------
進軍を再開しても、状況は変わらなかった。
正解を選ばない。
最短を狙わない。
危険の少ない“無難な選択”だけを拾う。
それでも、結果は同じだった。
ここは、すでに人族領ではない。
境界を越え、
魔族領へと足を踏み入れてから、三日。
地形は荒れ、瘴気は薄く漂い、
地図に記された街道の名も、意味を失っている。
地図の上では、
魔王の居城までは、あと数日。
距離だけを見れば、終盤だ。
だからこそ――
この停滞は、致命的だった。
「……前に進んでないのに、疲れてる」
ミラは、小さく息を整えながら言った。
怪我はない。
回復魔法も、ほとんど使っていない。
それでも、胸の奥が、じわじわと重くなる。
「身体じゃない……」
ミラは、そっと続ける。
「このまま続けたら、
いつか回復が“間に合わなくなる”気がする」
戦っていないのに、確実に削られている。
それが、何より異常だった。
「消耗してるのは、判断だ」
セリスが、静かに言う。
「選択するたびに、
“先”が少しずつ削られてる」
「前に進む。
止まる。
戻る。
回り込む」
「どれも成立してるのに、
結果だけが同じになる」
ロイスが、剣を鞘に戻す。
「罠なら、斬れる。
敵なら、倒せる」
「でも、これは……」
言葉が、続かない。
エリオは、しばらく黙っていた。
剣を抜いても意味はない。
魔法を撃っても、通じない。
判断を最適化しても、裏をかかれる。
それでも――
誰も、間違っていない。
「……一度、下がる」
エリオは、静かに言った。
「撤退じゃない。
前線を離れるだけだ」
誰も反対しなかった。
「このまま進めば、
いずれ誰かが“戻らなくなる”」
その言葉は、現実だった。
ティオが、ぽつりと呟く。
「……俺たちだけじゃ、無理だな」
それは、弱音ではない。
状況を、正しく受け取った言葉だった。
エリオは、頷いた。
風が、静かに吹き抜ける。
魔物の気配はない。
殺意も、敵意もない。
それでも――
“見られている”感覚だけが、消えなかった。
-----------
同じ頃。
森のさらに奥、
人族の進軍路を俯瞰できる高所で。
アグリオスは、静かに視線を動かしていた。
戦は起きていない。
剣も、魔法も、振るわれていない。
それでも――
人族は、止まった。
「……理解したか」
誰に向けた言葉でもない。
「勇者としては、優秀だ」
評価に、感情はない。
「だが、まだだ」
杖を軽く地に突き、
視線を、さらに奥へ向ける。
「“戦う段階”に至るには、
もう一段、壊す必要がある」
森が、静かに応えた。
次の一手は、まだ打たれない。
だが、
戦場は確実に、次の局面へ進んでいた。




