第3話 説明できない異常
王国ギルドを発ってから、半日。
調査隊は王都近郊の村へと到着していた。
畑は耕され、家屋に目立った破損はない。
見た目だけなら、どこにでもある平和な集落だ。
「……本当に、ここか?」
誰かが小さく呟く。
依頼書に書かれていた内容と、目の前の光景。
その間にある違和感は、
うまく言葉にできなかった。
村の入口には結界が張られている。
術式は古いが、
王都周辺ではよく使われている形式だ。
魔力の流れも安定しており、破られた形跡はない。
「結界は、生きてるな」
「壊れてはいない」
調査隊の一人が、淡々と告げる。
「静かすぎるな」
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村に足を踏み入れても、状況は変わらなかった。
住民たちは普段通りに生活している。
子どもが走り回り、家畜の鳴き声も聞こえる。
恐慌状態とは程遠い。
それでも、調査隊の誰もが気づいていた。
視線を向けられている――そんな感覚だ。
「最近、何か困ったことはありませんか?」
問いかけに、村人は首を傾げる。
「魔物ですか? いえ、特には」
「数は増えていません」
「……でも、夜が落ち着かなくて」
答えは揃わない。
誰も嘘をついているようには見えないが、
話を合わせようとする様子もない。
「結界があるから安心だ、
って言ってた人もいましたよね」
「ああ。でも、同時に怖いとも言ってた」
調査隊の中で、小さなざわめきが起こる。
結界の内側を一通り確認した後、
隊は村の外周へ回った。
痕跡は薄い。
魔物が侵入した形跡は見当たらない。
足跡も、戦闘の跡もない。
「侵入された、って話は……」
「証言だけだな」
一人が地面を見下ろしながら言った。
「だが、結界の内側で見た、と言っていた」
「……見た、か」
言葉が重なる。
だが、そこに確信はなかった。
結界は正常。
魔物の痕跡もない。
被害も確認できない。
それでも、調査隊は理解していた。
――何かが、合っていない。
「この件、どう報告する?」
「事実だけだ」
「異常は?」
「……説明できる異常は、ない」
誰かが苦笑する。
「一番、厄介なやつだな」
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日が傾き始めた頃、調査隊は村を後にした。
住民たちは、最後まで穏やかだった。
不安も、恐怖も、確かな形では表に出ていない。
だが、背中に感じる視線だけは消えなかった。
「……止まれ」
先頭を歩いていた調査隊員が、低く告げた。
風が止んだ。
鳥の声が消え、足音だけが妙に大きく響く。
「今、何か――」
言葉の途中で、誰かが息を呑む。
視界の端で、何かが動いた。
だが、それが何かを認識する前に、感覚がずれた。
「距離が……近い?いや、縮んだ?」
次の瞬間、隊列の一人がよろめいた。
「おい!」
倒れたわけではない。
斬られたわけでもない。
だが、彼の背後――
空間が、歪んだように見えた。
「撤退だ!」
誰かが叫ぶ。
その声に応じるように、視線は一斉に消えた。
結界の外へ一歩踏み出した瞬間、
張り詰めていた空気が、嘘のように緩む。
「……今のは、魔物じゃない」
「ああ」
「でも、確かに“何か”だった」
誰も反論しなかった。
被害はない。
負傷者もいない。
だが、調査隊の誰もが理解していた。
――偶然ではない。
「報告は、慎重にまとめよう」
「ああ。もう“異常なし”とは、書けないな」
それが、全員の結論だった。
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結界の外へ出た途端、空気が変わった。
張り詰めていた感覚が、一気に抜け落ちる。
風が戻り、遠くで鳥の声が聞こえ始めた。
「……戻ったな」
「今のが、結界の内側と外側の差か」
誰かがそう呟く。
だが、その言葉に明確な答えは返らなかった。
隊は村から距離を取り、簡単な点検を行った。
負傷者はいない。
装備の損傷もない。
魔力の異常消費も確認されなかった。
「戦闘記録は……なし、でいいな」
「ああ。攻撃された、とは言えない」
「でも、接触はあった」
言葉の選び方に、全員が慎重になっていた。
「結界は正常だった」
結界担当の冒険者が、簡潔に報告する。
「地方公認結界の規格通りだ。
術式も魔力循環も問題ない」
「破壊痕も?」
「ない。更新時期もズレてない」
それを聞き、誰かが苦く笑った。
「じゃあ、結界のせいじゃない」
「……結界“だけ”の問題じゃない、だな」
「村人の証言も、嘘じゃない」
別の隊員が続ける。
「魔物を見たと言う者もいる」
「見ていないと言う者もいる」
「だが、全員が“怖い”とは言っていた」
「理由は?」
「説明できない、と」
沈黙が落ちる。
それは、調査結果そのものだった。
「今回の件、どうまとめる?」
誰かが問いかける。
「異常なし、とは書けない」
「魔物被害あり、とも断定できない」
「結界異常?」
「それも違う」
報告書の形が、誰の頭にも浮かばなかった。
「事実だけを書こう」
先頭を歩いていた隊員が、静かに言った。
「結界内で、正体不明の干渉を確認」
「物理的被害なし」
「魔法的異常も未確認」
「だが、危険性は否定できない」
「……随分と歯切れの悪い報告だな」
「だが、それが事実だ」
王都へ戻る道中、
隊は必要以上の会話を交わさなかった。
村の様子。
結界の内側で感じた違和感。
距離感の狂い、視線の正体。
どれも言葉にしきれず、
どれも無視できない。
「この報告、マスターが読むんだよな」
「ああ」
「……嫌な役回りだ」
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その報告書は、
やがて一人の男の机に置かれることになる。
世界が、静かに狂い始めていることを示す、
最初の、否定できない証拠として。




