第25話 足りないものの輪郭
剣を抜く音は、思っていたよりも静かだった。
野営地の外れ、臨時に設けられた訓練区画。
本来は兵の入れ替えや小隊訓練に使われる場所に、
今は八人が集まっている。
勇者一行と、アルトたち三人。
周囲に張りつめた空気は、
戦場のそれとは少し違っていた。
敵意ではない。
だが、気を抜けるほど軽くもない。
アルトは全員を見渡し、短く言った。
「確認しておく」
「これは訓練だ。勝敗を決める戦いじゃない」
アルトは、わずかに視線を落とし、
言葉を選ぶように続けた。
「だが――“今のままでも通じるか”を測る場でもない」
誰も異を唱えない。
「実戦形式でやる」
「手は抜かない。命までは取らない」
その言葉に、ロイスの背筋が自然と伸びた。
(……やっぱり、そう来るか)
隣でティオが、小さく息を吐く。
緊張を隠すように、肩を軽く回した。
レイナは一歩前に出る。
「まずは、私が相手する」
「二人で来な」
視線は、ロイスとティオに向けられていた。
ロイスは一瞬、喉を鳴らす。
(レイナさん……)
原初の森で見た背中。
速さでも力でもなく、
立っているだけで場を支配する剣士。
憧れと、恐怖が、同時に胸に浮かぶ。
「行けるか?」
エリオの問いに、ロイスは頷いた。
「ああ」
ティオも短く答える。
「問題ない」
二人が前に出た瞬間、
エリオははっきりと感じた。
――空気が、変わった。
それは敵と向き合う時の緊張とは違う。
もっと静かで、逃げ場のない圧。
(……これが)
エリオは、無意識に剣の柄を握り直す。
(“測られる”ってことか)
レイナは剣を構えない。
ただ、重心を落としただけだ。
それだけで、ロイスの視界から「隙」が消えた。
(……近づけない)
ロイスは一歩踏み込もうとして、止まる。
間合いが分からない。
「始めるよ」
軽い声。
次の瞬間、ロイスは反射的に剣を振っていた。
――だが、当たらない。
レイナは、半歩ずれただけだった。
剣先が空を切る。
「っ……!」
ティオが即座に回り込み、側面を狙う。
だが、その動きすら読まれているかのように、
レイナの視線が先に動いた。
「遅い」
言葉は短い。
だが、ティオの足が止まる。
(……見られてる)
どこにいるか。
何を狙っているか。
全部、分かっている。
エリオは、思わず一歩前に出そうになって、
踏みとどまった。
(これは……)
ただの技量差じゃない。
(判断の差だ)
剣を振るう前に、
すでに勝敗が決まりかけている。
剣も、杖も持たず。
ただ、視線だけを動かしている。
「――いい」
「今のままで続けて」
その一言で、
この手合わせが“始まった”ことを、
全員が理解した。
ロイスは歯を食いしばり、剣を振り続けていた。
当たらない。
踏み込めば半歩ずれる。
振り切れば、もう次の位置にいる。
速いわけじゃない。
むしろ、動きは最小限だ。
(……なのに)
ロイスは気づき始めていた。
(俺が、考える前に――)
彼女は、そこにいる。
剣を構えていないのに、
剣を振るより早く“答え”を出している。
「っ……!」
ロイスは、敢えて大振りに切り替えた。
牽制ではない。
当てにいく一撃。
だが、その瞬間。
「甘い」
レイナの声と同時に、
剣先が、ロイスの喉元で止まった。
紙一重。
触れてはいない。
だが――完全に取られている。
ロイスの呼吸が、詰まる。
(……終わってた)
その間、ティオはずっと動いていた。
草陰。
影。
風向き。
視線を切り、足音を消し、
何度も“取れる位置”に入ろうとする。
だが、レイナは背中を見せない。
(……おかしい)
ティオは、はっきりと感じた。
(この人、俺を見てないのに――)
「分かってる」
突然、レイナが言った。
ティオの動きが、一瞬止まる。
「君、後ろに回る役じゃない」
次の瞬間、
レイナはわざと一歩、横にずれた。
ほんの一瞬。
ロイスの正面が空く。
「今だ!」
ロイスが叫ぶ。
同時に、ティオが飛び出す。
だが――
レイナは、剣を抜いた。
一閃。
ロイスの剣が、宙を舞う。
叩き落とされたわけじゃない。
斬られた。
剣身の、力の通らない場所だけを。
「……!」
ロイスは、信じられないものを見る。
(剣が、壊された……?)
レイナは、すでに距離を取っていた。
剣を下げ、息も乱していない。
「そこまで」
アルトの声が、区切りをつける。
沈黙。
ロイスは、膝に手をついた。
負けた、とは思わなかった。
だが――
(勝てない理由は、分かった)
レイナは、剣を収めながら言った。
「剣は、速さでも力でもない」
ロイスが顔を上げる。
「“立つ場所”」
「そこを間違えると、何を振っても当たらない」
ティオが、静かに息を吐いた。
(……俺もだ)
奇襲を狙うことばかり考えていた。
でも、本当に必要だったのは――
(“どこを空けるか”)
レイナは、二人を見る。
「悪くなかったよ」
「少なくとも、無茶はしてない」
それだけ言って、下がった。
エリオは、その光景を見つめたまま、動けずにいた。
(……これが)
(剣士の、完成形)
アルトは、短く頷く。
「次だ」
視線は、セフィラと――
セリス、ミラへ向けられていた。
ロイスとティオが下がると、
訓練区画の空気が、また少し変わった。
今度は、音が減る。
剣の擦れる音も、足音もない。
あるのは、魔力が流れる微かな気配だけだった。
「次は、君たちだね」
セフィラは、セリスとミラを見て言った。
杖は持っていない。
詠唱の気配もない。
ただ、そこに立っているだけだ。
セリスは、喉を鳴らした。
(……この距離で)
(この人と、魔法を……)
原初の森で見た光景が、脳裏をよぎる。
結界の向こう。
一切の無駄がなく、世界を書き換えるような術式。
「大丈夫」
ミラが、静かに声をかける。
「回復は、私が見る」
「セリスは……思い切って」
セリスは、短く頷いた。
「うん」
アルトが、条件を告げる。
「制限は二つ」
「致命打なし。広域破壊なし」
「了解」
セフィラは、即答した。
「始める」
合図は、それだけだった。
セリスは、即座に魔力を展開する。
セリスが展開したのは、中級の火属性魔法だった。
構築速度は速い。
圧縮された炎が、直線的に走る。
威力も、速度も、教本通り。
実戦で十分通用する水準だ。
だが――
(……通らない?)
セフィラは詠唱しなかった。
指先が動く。
空間に、わずかな歪みが走る。
放ったはずの魔法は、
セフィラに届く前に“ほどけた”。
火は拡散し、水は逸れた。
相殺ではない。
構造そのものを、外しただけだ。
「……っ!」
セリスは、即座に術式を組み替える。
属性を変え、構造を簡略化。
それでも――
同じだ。
「焦らなくていい」
セフィラの声は、驚くほど近かった。
「君の魔法は、ちゃんとしてる」
「ただ……」
一歩、前に出る。
「世界を、敵だと思ってる」
(世界を……?)
その言葉に、
セリスは理解できないまま息を呑んだ。
セフィラが言う“世界”とは、
大地や空気のことじゃない。
魔法が成立するための、
条件と流れ、その全部。
魔力が流れ、
式が組み上がり、
現象になるまでの――
その「場」そのものだ。
セリスの背筋が、凍る。
その瞬間、足元の魔力の流れが変わった。
見えない“線”が引き直される感覚。
「っ……!」
ミラが、即座に反応する。
「結界……?」
「いえ、違う……!」
回復魔法を構えようとして、止まる。
(……必要ない?)
違う。
“できない”のではない。
(……回復じゃ、届かない)
治癒と同じ魔力制御。
向きを変えるだけの、基礎式。
かつて学んだはずの術が、
思い出される。
誰も傷ついていない。
それなのに、“回復する余地”がない。
セフィラは、魔法を撃っていない。
それでも、戦場の主導権は完全に彼女にあった。
「回復役はね」
セフィラが言う。
「傷を治す人じゃない」
「“傷が生まれる時間”を管理する人」
ミラは、息を呑んだ。
(……そんな、考え方)
セリスは、歯を食いしばる。
(私、ずっと……)
(撃つことしか、考えてなかった)
アルトは、少し離れた場所でその様子を見ていた。
「……いい」
呟くように。
「今、初めて“見えてきた”な」
エリオは、拳を握りしめる。
剣だけじゃない。
魔法も――
(俺たち、まだ……)
セフィラは、立ち止まった。
「ここまで」
空気が、緩む。
だが、
誰も「終わった」とは思っていなかった。
セリスは、深く息を吐いた。
「……もう一度」
「次は、ちゃんと“組みます”」
ミラも、頷く。
「私も……考え直します」
「回復の、意味」
セフィラは、ほんの少しだけ口角を上げた。
「それでいい」




