第24話 邂逅
野営地の朝は、静かだった。
進軍のために設営されたはずの陣は、
まるで「ここで止まる」ことを
前提にしているかのように、落ち着き払っている。
エリオは、地図を見下ろしたまま動かなかった。
「……本来なら、
もう一つ先に進んでいるはずなんだが」
ティオの報告では、敵影は確認されていない。
魔法による索敵も、異常なし。
勝っている。
押し返している。
それでも――進めない。
仲間たちも、それを感じ取っていた。
誰も口には出さないが、
焚き火を囲む空気には、
言葉にならない違和感が漂っている。
そこへ、王国の紋章を掲げた使者が到着したのは、
日が高くなり始めた頃だった。
「勇者エリオ殿へ。王都より」
命令ではない。
だが、軽く受け流せるものでもない。
エリオは書簡に目を通し、短く息を吐いた。
「……戻れ、とは書いてないな」
指定されたのは、王国軍の中継拠点。
前線から大きく離れない、慎重な場所だった。
勇者を後退させず、
同時に縛りすぎないための選択。
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会議室は、私的な打ち合わせ用に整えられていた。
甲冑を脱いだ王国騎士団長グラディウスは、
腕を組んだままエリオを迎える。
「まず言っておく」
低い声で、淡々と。
「無理に進まなかった判断は、間違っていない」
それは評価ではない。
事実の確認だった。
エリオは、正直に口を開く。
「勝っているはずなんです」
「でも……進めば進むほど、
何かが噛み合っていない気がして」
グラディウスが、低く息を吐いた。
「それはな、エリオ」
「お前が、戦場だけを見ているからだ」
魔導士長エレミアが、静かに続ける。
「戦争は、戦場だけでは動きません」
「あなたは、戦う役割を与えられている」
「けれど――戦争を動かす立場にはいない」
「だから、前に出るほど噛み合わなくなる」
エレミアは、エリオをまっすぐに見た。
「勇者として未熟だからではありません」」
「立場の問題です」
二人は、王国が置かれている状況を説明した。
聖教会は、すでに戦争を始めている。
帝国は、静観を選んでいる。
この状況で王国が軍を動かせば、
勇者は“守る象徴”ではなく、“侵攻の旗”になる。
「王国は、お前たちを剣として振るえない」
「同時に、盾として庇うこともできない」
グラディウスは、そう言って一度視線を落とした。
「だから、ここまではお前たちの判断に委ねてきた」
ロイスは、その言葉を噛み締めるように拳を握った。
(……師匠が、そこまで言うってことは)
彼の脳裏に浮かんだのは、
かつて一太刀も届かなかった、あの剣の軌跡。
――あの剣士。
あの人なら、この状況をどう斬るのか。
ロイスは、無意識にそう考えていた。
エリオが問いを投げる。
「……じゃあ、どうすればいいんですか」
グラディウスは、ゆっくりと顔を上げた。
「剣の話なら、俺に聞くな」
静かな断言。
「この国で、“生き残る剣”を知っているのは――」
「レイナさんだ」
ロイスの胸が、わずかに跳ねた。
次いで、エレミアが即座に口を開く。
「魔法と、今起きている現象の整理については」
「私では足りません」
迷いはなかった。
「セフィラ様に話すべきです」
「セフィラ様なら、この歪みを必ず理解されます」
その言い切りに、場の空気が一瞬だけ静まる。
セリスは、その名を聞いた瞬間、息を呑んだ。
(……やっぱり、あの人は)
あの日、結界の向こうで見た術式。
圧倒的で、無駄がなく、恐ろしいほど静かだった。
――あの魔導士。
エレミアの言葉は、
セリス自身の実感とも重なっていた。
最後に、二人は視線を交わす。
剣を預かる者と、魔法を預かる者。
立場は違えど、結論は同じだった。
「最終的な判断については――」
「アルトさんだ」
エリオは、その名を繰り返した。
「……アルトさん?」
グラディウスが短く頷く。
「王国ギルドマスターだ」
「状況を壊さずに、選択肢を増やす方だ」
エレミアも続ける。
「セフィラ様は、魔導士協会の会長です」
「そして――彼女は、アルトさんを信頼しています」
勇者一行の間に、静かな動揺が走った。
あの時、戦場で出会った三人。
ただの冒険者ではなかった。
エリオは、しばらく黙って考え、やがて言った。
「……助けを求めるわけじゃありません」
「どう考えるべきかを、知りたいだけです」
グラディウスは、わずかに口角を上げた。
「それでいい」
エレミアも、静かに頷く。
「“相談する”という選択は」
「勇者として、正しい判断です」
エリオは、深く息を吸い、頷いた。
「一度、話をしてみます」
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王国軍中継拠点。
その一角に設けられた、臨時のギルド出張室。
前線対応のために用意された部屋で、
調度は簡素だが、落ち着いている。
勇者エリオが扉を開けると、
すでに三人が揃っていた。
「……あの時の」
思わず、声が漏れる。
無意識に漏れた声に、
最初に反応したのは中央に座っていた青年だった。
その青年が椅子から軽く手を上げた。
「また会ったな、『久しぶり』でいいのかな」
「状況が状況だから、こっちから来た」
「王国ギルドのギルドマスター、アルトだ」
その言葉に、室内の空気がわずかに変わった。
エリオは、思わず息を呑む。
(……王国ギルドの、マスター?)
勇者として旅に出る以前から、
ギルドという組織の影響力は嫌というほど聞かされてきた。
依頼、補給、情報。
冒険者だけでなく、王国軍ですら無関係ではいられない。
その中枢に立つ人間が、
目の前で、こんなふうに座っている。
アルトは、少しだけ肩をすくめた。
「堅い挨拶は苦手なんで」
「今日は肩書きより、話の中身だけで頼む」
その軽さが、逆に本物だと伝えていた。
壁際に立っていた女性が、
腕を組んだまま一歩前に出る。
「レイナ」
「ギルドの現場担当、って思ってくれればいい」
視線は鋭いが、剣に手をかける気配はなかった。
ロイスは、無意識にレイナの足運びを見ていた。
(やっぱり……立ち方が違う)
最後に、
机に資料を広げていた魔導士が顔を上げる。
「セフィラ」
「魔導士協会の会長、
という肩書きにはなっているけれど」
(……この人が、セフィラ)
セリスは、思わず背筋を伸ばした。
あの日、結界の向こうで見た術式。
無駄がなく、冷静で、
圧倒的だった記憶がよみがえる。
「今日は、評価でも査定でもない」
「“起きている現象”を見に来ただけ」
その言い方に、セリスの喉が鳴った。
(……現象?)
戦っているのは、魔王軍のはずだ。
だが、彼女の関心は、そこではないらしい。
アルトが、先に口を開く。
「確認したい」
「今日は、助けを求めに来たわけじゃないな?」
エリオは、首を横に振った。
「違います」
「どう考えればいいのか、それを知りたくて」
アルトは、小さく頷いた。
「なら、答えは出さない」
「代わりに、見えている状況を整理する」
セフィラが、資料を指先で押さえる。
「勇者一行は、戦術的に優位」
「被害も抑えられている」
事実だけを述べる。
「それでも、進めない」
エリオの言葉に、レイナが即座に返した。
「当然ね」
短い断言。
「剣は、斬れる相手しか斬れない」
「君たちは今、“敵”じゃないものと向き合ってる」
ロイスが、思わず問い返す。
「敵じゃ……ない?」
「空気」
「正しさ」
「流れ」
レイナは、淡々と並べる。
アルトが、言葉を継いだ。
「勇者は、選択肢を減らす存在だ」
「正解を通す力がある」
エリオは、はっとしたように息を呑む。
セフィラが、静かに続ける。
「世界は、常に最適解を望まない」
「遠回りの方が、壊れない場合もある」
「特に――力が大きい存在ほど、ね」
焚き火の前で感じていた違和感が、
少しずつ形を持ち始める。
アルトは、最後に言った。
「進めない時に止まるのも、判断だ」
「それを“逃げ”にしない環境を、作るのが俺たちの役割」
エリオは、深く息を吐いた。
「……じゃあ、俺たちは」
レイナが答える。
「剣を振るうな、とは言わない」
「でも、“斬らなくていいもの”を見極める」
セフィラも、頷く。
「魔法も同じ」
「壊せるから壊す、では限界が来る」
エリオは、仲間を見る。
ロイスは、ゆっくりと頷いた。
「……考え直す時間が、必要だな」
セリスも、小さく息を吸う。
「今の話……整理します」
「ちゃんと、自分で」
アルトは、立ち上がった。
「今日はここまで」
「答えを出すのは、君たちだ」
扉の前で、エリオは振り返る。
「……ありがとうございました」
アルトは、軽く手を振った。
「相談なら、また来い」
「ただし――」
一瞬だけ、表情が引き締まる。
「正しい選択を、急ぐな」
勇者一行が部屋を出ると、
静けさが戻った。
レイナが、ぽつりと呟く。
「……難しい立場だね、勇者って」
アルトは、苦笑した。
「だからこそ、放っておけない」
セフィラは、窓の外――前線の方角を見ている。
「世界は、少し広がった」
「悪くない」
アルトは、頷いた。
「さて」
「次は、俺たちが動く番だ」
「……言葉だけじゃ、足りないね」
暫くしてレイナが、腕を組んだまま言った。
アルトは、苦笑する。
「分かってる」
「ああいう連中は、頭で理解しても――」
「体が納得しない」
レイナが、即座に言葉を継いだ。
セフィラは、資料を閉じながら視線を上げる。
「グラディウスとエレミアも」
「実践的な助言を期待しているはず」
「つまり」
アルトは、短く息を吐いた。
「一度、確かめる必要がある」
剣が、どこまで届くのか。
魔法が、どこまで通じるのか。
そして――
勇者が、どこで立ち止まるのか。
その時だった。
扉の向こうから、足音が戻ってくる。
再び開いた扉の向こうに、
勇者エリオが立っていた。
「……一つ、いいですか」
アルトは、視線を向ける。
「どうした」
エリオは、少しだけ言葉を探してから、
はっきり言った。
「話を聞いて、考えは整理できました」
「でも――」
一歩、踏み出す。
「正直に言います」
「自分たちが、どこまで通用するのか」
「まだ、分かっていません」
ロイスとセリスも、後ろで頷いた。
ロイスは、まっすぐレイナを見る。
「……剣で」
「一度、見ていただけませんか」
セリスは、視線を逸らしながらも口を開く。
「魔法もです」
「評価ではなく……確認として」
室内が、静まり返る。
アルトは、二人を見る。
レイナと、セフィラ。
レイナは、肩をすくめた。
「いいよ」
「遠慮はいらない」
セフィラも、短く頷く。
「条件付きで」
「壊さない。折らない」
アルトは、小さく笑った。
「決まりだな」
視線をエリオに戻す。
「勝ち負けを決めるつもりはない」
「ただ――」
一瞬、表情が引き締まる。
「“今の自分たち”を、ちゃんと知るだけだ」
エリオは、深く頷いた。
「それで、十分です」
アルトは、立ち上がった。
「じゃあ、準備しよう」
「次は、言葉じゃなく――」
「手合わせだ」




