第23話 観測者は、静かに目を細める
「壊れなかった、か」
魔皇帝リリスは、そう評価した。
世界は、まだ均衡を保っている。
だが、それは“自然に”ではない。
戦場は確かに存在した。
勇者も、魔王軍も、そこにいた。
それでも――
勝敗が決する前に、戦は意味を失った。
「……ようやく、気づかれる段階ね」
誰が。
何に。
リリスは、それ以上を語らなかった。
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魔王国軍前線要塞。
作戦室。
分厚い石壁に囲まれたその部屋で、
魔王国軍の幹部たちが集められていた。
主座に立つのは、武断派幹部ヴァルガス。
「報告は以上だな」
低い声が響く。
•勇者との交戦は成立していた
•魔物の損耗は想定内
•撤退命令は、出していない
それでも――
「戦線が、止まった」
ヴァルガスは、苛立ちを隠さず言った。
「勝ちでも負けでもない」
「だが、戦場が“終わっている”」
拳が、机を打つ。
「俺たちは、引いていない」
「勇者も、退いた様子はなかった」
ならば、なぜ。
「……魔導通信、接続完了」
一人の部下が告げる。
作戦室の中央に、
淡い光の像が浮かび上がった。
魔術派幹部――アグリオスだ。
「状況は把握した」
彼の視線は、冷静だった。
「瘴気の濃度に異常はない」
「魔力総量も、前後で変化はない」
「だが――」
アグリオスは、一拍置く。
「戦場として成立する条件だけが、消えている」
「どういうことだ」
ヴァルガスが睨む。
「瘴気はある」
「魔物もいる」
「勇者も前にいた」
「それでも、戦が続かなかった」
アグリオスは淡々と答える。
「既存の理論では説明できない」
「少なくとも、勇者の力ではない」
「なら、魔王様か?」
「それも違う」
即答だった。
「魔王様由来の魔力反応は確認されていない」
「我々の側の操作でもない」
作戦室が、静まり返る。
「……つまり」
誰かが、言葉を探す。
アグリオスは、結論を口にした。
「戦場の外側から」
「“戦う意味”そのものを失わせられた」
それは、
剣でも魔法でもない。
戦術でも、戦略でもない。
「……ふざけた話だ」
ヴァルガスが吐き捨てる。
「戦場は、力で決まる」
「だからこそだ」
アグリオスは、静かに返す。
「力の届かない場所から」
「戦を終わらせられた」
「報告は、魔王様へ上げる」
ヴァルガスは言った。
「勇者以外の何かが動いている」
「それだけで十分だ」
誰も反論しなかった。
理解できない。
だが、無視もできない。
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魔王国中枢。
「勇者が向かってきているようだな」
魔王アモンの声が、静かに響く。
「はい」
「ですが……」
側近が、言葉を選ぶ。
「戦は、成立しておりません」
沈黙。
やがて、低い声が返った。
「……勇者ではないな」
一瞬の間。
「面白い」
その一言だけを残し、
アモンは、それ以上を語らなかった。
沈黙が、しばらく続いていた。
魔王アモンは、玉座に腰を下ろしたまま、
報告書に視線を落としている。
「戦線が、終わった」
それは確認だった。
問いではない。
「はい」
側近が応える。
「勇者は撤退しておらず」
「我が軍も、退いてはいません」
「それでも、戦が続かなかったと」
「その通りです」
アモンは、低く息を吐いた。
「勇者が強くなったわけではない」
独り言のように呟く。
「ならば、臆したわけでもない」
思考は、迷いなく進んでいく。
勇者は、まだ未熟だ。
それは、前線報告からも明らかだった。
「……戦場が、壊されたのではない」
側近が、言葉を待つ。
アモンは、続けた。
「戦場が、“成立しなくなった”」
その違いを、彼は理解していた。
力で押し潰されたわけではない。
剣でねじ伏せられたわけでもない。
「戦う理由が、削られた」
「勇者の判断ではない」
「魔王軍の判断でもない」
アモンは、はっきりと言った。
「ならば――」
視線が、遠くを見る。
「戦争の外側にいる者だ」
側近は、思わず息を呑んだ。
「……敵、でしょうか」
「まだ分からん」
アモンは即答しなかった。
「少なくとも」
「勇者を勝たせたいわけではない」
「我々を滅ぼしたいわけでもない」
それが、何より奇妙だった。
「面白いな」
口元が、わずかに歪む。
「正義でも、悪でもない」
「勝利でも、敗北でもない」
「ただ――」
アモンは、低く言った。
「戦争を、奪っている」
側近は、その言葉を反芻する。
管理。
支配とも、介入とも違う。
「……厄介ですね」
「厄介だ」
アモンは、否定しない。
「だが、恐れる必要はない」
ゆっくりと、立ち上がる。
「戦場の外にいる以上」
「向こうから、斬りかかっては来ない」
「我々が、踏み込まなければな」
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魔帝国。
高い塔の最上階。
魔皇帝リリスは、観測魔法を解いた。
「……アモン、気づいたね」
完全じゃない。
でも、十分。
勇者じゃない。
魔王でもない。
そこまでは、辿り着いた。
リリスは、わずかに視線を伏せた。
「それでいいよ」
意味が分からない相手に、
あの子は無闇に踏み込まない。
「しばらくは、動かないはず」
それは予測であり、確信でもあった。
転生者は、初めてではない。
勇者として立ち、過去の魔王に挑み、
役割を果たし、あるいは果たせず、
世界の均衡の中に消えていった者たち。
期待し、試し、見送り――
その繰り返しで、世界は保たれてきた。
「……それでも、今回は」
リリスは、少し考えてから息を吐く。
「あの子に任せたい理由が、また一つ増えたな」
誰に聞かせるでもない独り言。
世界を動かさずに、
世界を守るという選択。
夜空を見上げる。
世界は、まだ壊れてない。
でも――
壊れないように、誰かが手を入れてる。
「……さて」
小さく呟く。
「次は、誰が選ぶんだろ」
勇者か。
魔王か。
それとも――
そのどちらでもない、誰かか。




