第22話 壊れなかった世界
戦いは、すでに終わっていた。
地に伏した魔物の数は十分で、
陣形の崩れもない。
負傷者も軽微。
誰かが倒れたわけでもない。
――勝利だった、はずだ。
「……終わったな」
誰かが、そう口にした。
その声に、誰も反論しなかった
エリオは、剣を鞘に収めることができずにいた。
腕が震えているわけでも、
魔力が枯渇しているわけでもない。
それでも、
次の行動に移れなかった。
(続けられない……?)
理由が、分からない。
観測は正確だった。
判断も、最適解だった。
これまで通りなら、
次の地点へ進軍しているはずだ。
なのに――
胸の奥に、引っかかる感覚が残っている。
「……今日は、ここまでにしよう」
ぽつりと、誰かが言った。
提案というより、確認に近い声。
エリオは顔を上げた。
否定されると思っていた。
あるいは、理由を問われると。
だが――
「……そうだな」
「無理する理由も、ないし」
「一度、整えた方がいい」
誰も、反対しなかった。
その事実が、
エリオの胸を、静かに締め付ける。
(……いつからだ?)
全員が、
自分の“答え”を待つだけになったのは。
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野営地に戻り、簡易的な報告がまとめられる。
戦果良好。
進軍可能。
文面だけを見れば、
これ以上ない結果だ。
エリオは、その報告書を受け取り、
しばらく眺めたあと、そっと折りたたんだ。
「……進める、よな」
誰に聞かせるでもなく、呟く。
だが、返ってくるのは沈黙だけだった。
(進める。でも……)
観測が示す未来は、
常に「最適」だ。
最も被害が少なく、
最も効率的で、
最も早く終わる道。
だが、その道を選び続けた先に、
何が残るのか。
(俺たちは、ちゃんと選んでいるのか?)
いつからか、
選ばされているような感覚がある。
判断は自分だ。
剣を振るのも、自分だ。
それなのに――
責任だけが、どこか薄い。
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夜。
焚き火の音が、静かに響く。
仲間たちは、それぞれ休んでいるが、
誰も深く眠っている様子はない。
「……エリオ」
セリスの声だった。
小さく名前を呼ばれ、振り向く。
「今日、無理に進まなくてよかったと思う」
その言葉に、エリオは何も返せなかった。
肯定も、否定もできない。
ただ――
救われたような気がした。
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その頃。
勇者一行の進軍予定路から、
わずかに外れた場所で。
いくつかの補給地点が、
予定より早く整えられていた。
道が、少しだけ拓かれている。
誰かが手を入れた形跡はない。
だが、偶然にしては出来すぎている気がした。
エリオは、それを知らない。
ただ、
「今日は進めなかった」という事実だけが残る。
勝っている。
なのに、続けられない。
それは、敗北ではない。
だが――
限界の、最初の兆しだった。
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夜明け前。
野営地は静かだった。
魔物の気配はなく、
風も穏やかだ。
それが、かえって不自然に思えるほどに。
エリオは目を覚まし、周囲を見回した。
「……妙だな」
呟きは、独り言に近い。
昨夜まで、
確かに感じていたはずの圧がない。
森の奥から滲むように漂っていた、
“次が来る”という感覚。
それが、すっぽり抜け落ちている。
「エリオ」
ロイスが近づいてきた。
「ティオからの報告だ」
「周囲一帯、魔物の反応が薄い」
「逃げた?」
「……分からない」
「ただ、いなくなった」
エリオは、地図を広げる。
進軍予定路。
昨日まで、明確に敵影があった地点。
そこに、何もない。
「……撤退する理由がないはずだ」
誰かが、そう言った。
だからこそ、
この状況が異常だった。
(俺たちが、何かしたか?)
戦術は変えていない。
観測も、いつも通り。
勝っただけだ。
なのに――
戦場そのものが、静まり返っている。
「……今日は、進めないな」
エリオは、そう判断した。
今度は、誰も異を唱えなかった。
理由を聞く者もいない。
それが、
彼にとっては、昨日よりも重かった。
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同じ頃。
王都から少し離れた高台。
アルトは、地図を閉じた。
「……よし」
短い一言。
それだけで、
一連の調整が終わったことを示していた。
「結界の再配置、完了」
セフィラの声が、通信越しに届く。
「進軍路から、魔力の流れを外した」
「魔物は、自然に引く」
「被害は?」
「なし」
「“偶然”で済む範囲」
アルトは、わずかに息を吐いた。
「やりすぎじゃない?」
そばにいたレイナが言う。
「勇者たち、気づくかも」
「気づかせない」
アルトは即答した。
「気づいた時点で、意味が変わる」
「……そっか」
レイナは、それ以上言わなかった。
彼女も分かっている。
これは、
助けではない。
戦場を、終わらせただけに過ぎない。
セフィラが続ける。
「勇者は、今日は動かない」
「それでいい」
アルトは、夜明けの空を見る。
「壊れる前に、止まった」
「それが、一番いい」
「……次は?」
「次は、選ばせる」
答えは、静かだった。
だが、重い。
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その頃、野営地。
エリオは、焚き火の前で立ち尽くしていた。
勝っている。
守れている。
それでも――
何かに守られた気がしてならない。
(……誰かが、いた?)
根拠はない。
だが、
戦場が“畳まれた”感覚だけが残っている。
「……俺たちは」
小さく、呟く。
「次、どうするんだ?」
その問いは、
まだ誰にも向けられていなかった。
夜が明ける。
勇者一行は、進軍を再開しない。
魔王軍も、動かない。
教会の戦争だけが、遠くで続いている。
そして――
世界は、壊れなかった。
だがそれは、
誰かが“壊させなかった”からだ。
その名前を、
勇者は、まだ知らない。




