第2話 世界が動き出した音
朝の王都は、いつもより少し騒がしかった。
その理由を、アルトは嫌というほど理解していた。
机の上に積まれた書類の量が、
すべてを物語っている。
王国ギルドマスター。
それは冒険者を束ねるだけの役職ではない。
王国内の魔物動向、
依頼の優先度、各地の不安の兆し。
それらを“事件になる前”に拾い上げ、
振り分け、抑える役目だ。
本来なら、前線に立つ者ではない。
だが――アルトは、その椅子に座り続けるには、
少しだけ“現場を知りすぎていた”。
「……増えすぎだろ」
小さく呟き、彼は一通一通に目を通していく。
魔物討伐依頼、護衛要請、調査願い。
内容は違えど、共通点は一つ。
――すべて、昨夜以降に出されたものだ。
勇者が現れたという事実は、
希望と同時に不安も呼び起こす。
魔王討伐が始まる。
ならば、その前に片付けておくべき問題がある。
そう考える者が増えれば、
依頼は自然と積み上がる。
本当は、昨日まで我慢していた不安が、
“今なら誰かが動いてくれる”という理由で
表に出ただけだ。
その情報が王都を巡っただけで、
世界はこうも動く。
アルトは額を押さえ、深く息を吐いた。
「始まったな……」
その呟きをかき消すように、
執務室の扉が勢いよく開いた。
「何が始まったな、よ。
こっちはもう大混乱なんだけど?」
赤髪を揺らしながら現れたのは、
ギルド受付を統括する
レイナ・アルヴェインだった。
鎧は着ていないが、
その立ち姿には剣士特有の無駄のなさがある。
「依頼、三倍。冒険者は足りない。書類は山積み」
「それで?」
アルトが顔も上げずに答えると、
レイナは机を指で叩いた。
「それで、貴方がこの量を一人で処理してるのが
問題なの」
「君が止めてくれれば助かるんだが」
「無理。仕事が回らなくなる」
レイナは肩をすくめ、溜息をついた。
「勇者が出たからって、
急に世界が平和になるわけじゃないのにね」
「むしろ逆だな」
「でしょう?」
二人のやり取りは、どこか慣れ切っていた。
「……本当に動かないの?」
レイナは表情を和らげて尋ねてきた。
「動かないのではなく、動けないんだ」
「動けない?」
「ああ、“奴ら”は俺の動きを視ているからな」
レイナは一瞬だけ視線を落とし、すぐに頷く。
「そっか」
それ以上、レイナは何も言わなかった。
「……そうだ、アルト」
レイナが思い出したように言った。
「来客がいるの。魔導士協会から」
「協会?」
「うん。しかも会長本人」
「……?」
アルトが顔を上げた、
そのタイミングで控えめに扉を叩く音がした。
「入ってもいいかな?」
扉を開け、控えめな声とともに現れたのは、
紫がかった髪を揺らす女性だった。
穏やかな笑みを浮かべているが、
どこか眠そうにも見える。
「やあ。朝から大変そうだね」
「魔導士協会会長、セフィラ・アークライトです」
「……直接来るとは思わなかったな」
「え? 連絡、入れてたよ?」
セフィラは少し首を傾げる。
「協会経由で簡単な文書を出したんだけど……
…あれ?」
「俺のところには届いてない」
「そっか。じゃあ、どこかで止まってるね」
特に気にした様子もなく、セフィラはそう言った。
「まあ、いいや。来ちゃった」
「来ちゃった、で済む立場じゃないだろ」
「そう?立場って、意外と便利だよ」
アルトとレイナは顔を見合わせ、
特に言葉を交わさなかった。
「それにそっちも忙しいんじゃ無いの?」
「まぁね、でもあなた達と連絡を取るのも
ぼくの仕事だから」
そう言って、セフィラは椅子に腰掛ける。
その仕草は、会長というより研究者に近かった。
「最近、結界魔法の効きが悪いの」
「結界が?」
「うん。完全に破られてるわけじゃない。でも――」
そう言ってセフィラは視線を彷徨わせた。
「同じ術式、同じ魔力量。それなのに、
持続時間がズレる」
「誤差じゃないのか?」
「最初はそう思ったよ。
でも、法定魔法でも似た現象が出てる」
セフィラは困ったように笑った。
「計算通りにいかない魔法って、
気持ち悪いでしょ?」
「要するに、危ない?」
「断定はしないよ。ぼく、断定は嫌いだし」
「じゃあ?」
「嫌な感じはする。理由はまだ分からないけど」
レイナは腕を組み、アルトを見る。
「ね?」
「……ああ」
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セフィラは、
机に積まれた書類の一枚を手に取った。
そこに描かれた簡易魔法陣を見た瞬間、
視線が止まる。
「……この符号、少し古いね」
気づけば、セフィラの前の机には、
紙片がいくつも広がっていた。
図形、数式、見慣れない魔法陣。
どれも途中で止まっている。
レイナは紙を一枚つまみ上げる。
「相変わらずね。貴方」
「ん。思いついたところまで書かないと、逃げる」
「逃げるのは魔力でしょ。仕事中にやる?」
「仕事だからやってる」
「はいはい。昔からそう」
セフィラは顔を上げず、淡々と答える。
「レイナこそ。剣の話になると周りが見えなくなる」
「は? あたしはちゃんと見てるわよ」
「見てるつもり、が一番危ない」
「それ、魔法使いが言う?」
一瞬、視線がぶつかる。
「……」
「……」
アルトが咳払いをした。
「やらないでくれ。ギルドが壊れる」
「……冗談」
「……半分」
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「アルト、ちょっといい?」
レイナが数枚の依頼書をまとめて机に置いた。
「同じ地域からの依頼なんだけど……
内容が、噛み合わないの」
「噛み合わない?」
アルトは書類を手に取り、ざっと目を通す。
*****
一通目。
『魔物の数が増えた。夜間の警備を強化してほしい』
*****
二通目。
『魔物は以前と変わらないが、
結界の内側に侵入された』
*****
三通目。
『特に被害はないが、住民が落ち着かない。
理由は分からない』
*****
「同じ村、同じ時期、同じ範囲よ」
「……話が合ってないな」
「でしょ? 増えたって言う人もいれば、
増えてないって言う人もいる」
レイナは腕を組み、眉をひそめた。
「どれかが嘘って感じでもないのよ」
アルトは依頼書を机の上に並べ直した。
「魔物が増えた」
「増えていないが侵入された」
「被害はないが不安がある」
「……どれも事実だとしても、矛盾はしていない」
「そうなの?」
「ああ。ただ――」
「観測結果が、揃ってない」
セフィラが静かに口を開いた。
「どれも間違ってない。でも、同じ現象を見ているはずなのに、認識がズレてる」
「魔法の影響?」
「断定はできない。でも……」
彼女は少し考え込む。
「結界が破られたなら、
もっと明確な痕跡が残るはず」
「でも、残っていない」
「そう。だから余計におかしい」
「......要するに、よく分からないってこと?」
「うん。よく分からない」
「それが一番嫌ね」
レイナはため息をついた。
アルトはしばらく黙り込み、それから決断した。
「討伐依頼としては扱わない」
「調査?」
「ああ。少人数で、現地の状況確認だけだ」
レイナは一瞬だけ目を丸くし、すぐに頷いた。
「分かった。誰を出す?」
「まずは、経験者を二、三人」
「原因が分からない以上、力で押すのは最悪手だ」
「……珍しく慎重じゃない」
「いつもだろ」
レイナは小さく鼻を鳴らし、
すぐに真面目な表情に戻った。
「経験者を中心に編成するわ。結界の知識がある人も入れる?」
「ああ。魔法を使わない人間も混ぜてくれ」
「観測用、ってこと?」
「そうだ。魔法に頼らない視点が欲しい」
レイナは一瞬だけ驚いた顔をし、それから頷いた。
「分かった。半日あれば整う」
「急がせて悪いな」
「今さらよ」
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準備が進む間、アルトは執務室に残った。
机の上には、
今回の依頼とは直接関係のない
報告書も積まれている。
魔物討伐の増加、護衛要請の増加、
不安を訴える住民の声。
どれも、勇者召喚以降に一斉に増えたものだ。
「世界が前に進むと、人は安心する」
「安心すると、恐怖は別の形で顔を出す」
誰に聞かせるでもない独り言が、
静かな部屋に落ちる。
アルトは椅子にもたれ、目を閉じた。
「……本当に、様子見でいいの?」
いつの間にか、セフィラがそばに立っていた。
「不満か?」
「不安、かな」
彼女は曖昧に笑う。
「今回の件、魔法的には『壊れてる』とは言えない。でも、噛み合ってない」
「それが一番厄介だな」
「うん。だから、いきなり大事にしたくない」
アルトは視線を上げ、彼女を見る。
「まずは現地を見て、話を聞く。それだけで十分だ」
「……らしい判断だね」
セフィラは少し安心したように頷いた。
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やがて、派遣予定の冒険者たちが集められた。
「今回の依頼は調査だ」
「魔物と遭遇した場合、無理に戦う必要はない」
「異常を感じたら、即座に報告して引き返せ」
アルトの言葉に、数人の冒険者が顔を見合わせる。
「随分と慎重ですね」
「勇者が動き出したからこそ、だ」
その一言に、彼らは納得したように頷いた。
冒険者たちがギルドを出ていくのを見送り、
アルトは小さく息を吐いた。
「偶然で済めば、それに越したことはない」
だが、胸の奥に残る違和感は、
消える気配がなかった。
「……勇者が動き出した直後に、これか」
アルトはそう呟き、再び書類へと向き直った。
世界が本当に動き出すのは、
きっと、これからだ。
アルトは依頼書を束ね、静かに息を吐いた。
「偶然、で済めばいいんだがな」




