第18話 二つの戦争 ― 見えない手
戦況が変わったのは、前線ではなかった。
王都に届いた一通の報せが、
すべてを塗り替えた。
「聖教会が、邪教会に対して正式に宣戦布告」
読み上げられた文言は短く、
だが、その意味は重かった。
魔王国との戦争ではない。
人族同士の、宗教を名目とした戦争。
アルトは、報告書を机に置いたまま、
しばらく動かなかった。
「……一番、やってほしくない動きだな」
魔王軍が動かなくても、
世界の力が、別の場所で削られていく。
信仰の名の下で始まる戦争は、
いつだって“本当の敵”を見失わせる。
-----------
王都の空気は、数刻のうちに変わった。
広場には人が集まり、
聖教会の使徒が声高に神意を語る。
「邪教を討て」
「これは聖戦だ」
掲げられる旗。
読み上げられる勅令。
人々は、疑問を挟まない。
“正義”として提示された戦争は、
考える余地を与えないからだ。
アルトは、人混みの外からその光景を見ていた。
「……整えすぎている」
その違和感は、
魔王軍と対峙したときの感覚に、よく似ていた。
---
「教会が動けば、王国も引きずられる」
王国ギルドの執務室で、レイナが腕を組んだ。
「表向きは、魔王討伐の継続」
「でも実際は、人員も物資も割かれる」
「勇者は?」
「象徴だよ」
レイナは即答した。
「前線にいるだけで、“神意の証明”になる」
セフィラは、静かに視線を伏せる。
「……戦争が二つ、同時に始まった」
「しかも、別々の理由で」
アルトは、短く息を吐いた。
「だが、戦場は一つだ」
魔王国領。
勇者の進軍路。
そこに、宗教戦争の熱と、
魔王軍の意図が、同時に流れ込む。
-----------
その頃、前線。
丘陵地帯に、
覚えのある“違和感”が戻ってきていた。
「……また、来たな」
エリオは剣を握り直す。
以前と同じではないが、覚えのある気配。
だが、“敵の在り方”が違う。
魔物の配置。
退路の潰し方。
間合いの取り方。
すべてが、“戦争の作法”だった。
無駄な突撃も、無意味な死もない。
「前みたいに、押し返せると思うなよ」
ロイスが低く言う。
「向こうは、もう様子見じゃない」
勇者一行は陣形を組む。
勝てない相手ではない。
だが――
「……来るぞ」
エリオの声と同時に、
魔物の群れが、動いた。
-----------
王都。
アルトは、報告を受けながら、
ゆっくりと目を閉じた。
「前線が動いたな」
セフィラが頷く。
「しかも、今までとは違う」
「“戦争として”来ている」
アルトは、静かに理解した。
聖教会の宣戦布告は、
魔王軍にとっても、好都合だった。
人族の視線が内側に向く。
判断が分散する。
「……重なったな」
魔王討伐という大義。
聖戦という正義。
二つの戦争が、
同じ戦場を、別の意味で削り始めている。
アルトは、立ち上がった。
「ここから先は、流れに任せると負ける」
誰かに命じるわけではない。
自分自身への確認だった。
「……選ばせる戦争に、させるわけにはいかない」
前線では、剣が交わり始めている。
王都では、祈りと怒号が渦巻いている。
そして、どちらの戦争にも、
同じ影が差し込み始めていた。
-----------
魔物の群れは、
統率されているようには見えなかった。
突撃の合図もない。
撤退の命令もない。
それでも、戦場は妙に“整って”いる。
「……前と、違うな」
ロイスが歯噛みする。
「無駄に突っ込んでこない」
「こっちが崩れそうになる位置だけ、
執拗に突いてくる」
「誘導……?」
セリスが眉をひそめる。
「でも、誰かが命令してる感じじゃない」
エリオも、同じ違和感を抱いていた。
魔物は本能のままに動いている。
だが、その本能が――
最もこちらが消耗する形で噛み合っている。
「右、来る!」
ティオの声。
エリオは踏み込み、剣を振るう。
確実に一体、斬り伏せた。
だが、手応えが薄い。
倒した瞬間、間が埋まる。
引いた先に、別の魔物が“自然に”現れる。
「……数が減ってるのに、減ってない」
ミラが回復魔法を重ねながら、息を詰める。
「このままだと……」
「分かってる」
エリオは歯を食いしばった。
勝てない相手じゃない。
だが――
これは殲滅戦じゃない。
時間を、削る戦いだ。
魔物たちは、深追いしてこない。
こちらが踏み込めば、下がる。
下がれば、距離を保ったまま圧をかけてくる。
「……倒せる」
ロイスが低く言う。
「でも、進めない」
「進ませる気が、最初からない」
セリスの言葉に、エリオは無言で頷いた。
これは迎撃でも、防衛でもない。
“留める”ための戦いだ。
「……下がる」
エリオは決断した。
「陣形を保て」
「立て直す」
「逃げじゃないな?」
ロイスが確認する。
「違う」
エリオは即答した。
「このまま続けたら、削り切られる」
勇者一行は、慎重に距離を取る。
魔物たちは、追ってこない。
それが、何より不気味だった。
退却しながら、エリオは丘の上を見た。
そこに、はっきりとした姿はない。
姿ははっきりしない。
輪郭も、武器も分からない。
だが――
確かに、見られている。
こちらの動きも、判断も、
すべて測られている感覚。
剣を構えた相手の威圧でもない。
“場そのものが調整されている”ような、
奇妙な感覚だった。
「……なんだ、あれは」
誰に向けた言葉でもなかった。
答えも、返ってこない。
----------------------
夜が落ちる。
戦闘は終わった。
だが、勝利とは言い難い。
倒した数は多い。
被害も少ない。
それでも――
前に進めなかった。
「……これが、戦争か」
エリオは、剣を握り直した。
これまでの戦いとは、明らかに違う。
敵は、
倒される前提で、
こちらを削りに来ている。
そして、その“やり方”を、
誰かが理解して使っている。
--------
丘の上の影は、いつの間にか消えていた。
だが、その存在感だけが、
胸の奥に残り続けていた。




