第16話 静かな前進
勇者は、その場で判断した。
追撃しない、という選択を。
アルトは、その判断が出ることを、予測していた。
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森の縁で、魔物の群れが散り始めていた。
数は多くない。
だが、動きに統一性がなく、
こちらを誘うような間合いを取っている。
「……追うな」
エリオの声は、以前より落ち着いていた。
一瞬、仲間たちが視線を交わす。
前なら、この場面で踏み込んでいただろう。
だが、誰も異を唱えなかった。
「包囲を維持」
「逃げ道を潰す」
短く、要点だけを伝える。
ロイスが前に出るが、深追いはしない。
セリスも大技を構えず、牽制に徹する。
魔物は、やがて森の奥へと退いていった。
「……逃げたな」
ロイスが、剣を下ろす。
「倒しきれなかったけど」
ミラが続ける。
「でも、誰も怪我してない」
それは、前回までにはなかった結果だった。
エリオは、胸の奥で小さく息を吐いた。
(これでいい)
派手さはない。
だが、無理をしない戦い方だった。
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王都・王国ギルド
アルトは、最新の報告を受け取っていた。
「追撃なし、被害なし……」
報告書を一読し、静かに頷く。
「判断としては、妥当だ」
それは偶然ではない。
アルトは、事前に
・周辺地形
・魔物の出現傾向
・撤退経路
を整理し、勇者一行に“選択肢”だけを渡していた。
「判断は、勇者自身がした」
そこが重要だった。
レイナが、隣で腕を組む。
「前より、ずっと堅実だね」
「でも……」
「派手じゃない、だろ」
「うん」
レイナは頷く。
「英雄譚向きじゃない」
アルトは、わずかに口角を上げた。
「戦争向きだ」
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再び、前線。
エリオは、地面に残った痕跡を確認していた。
「……何か、変だ」
セリスも、同じ感覚を抱いていた。
「魔法の通りが、微妙にズレてる」
「抵抗、というより……」
言葉を探す。
「測られてる感じ?」
ロイスが眉をひそめる。
「敵は、逃げただけじゃないってことか」
エリオは、ゆっくりと頷いた。
「たぶん」
確証はない。
だが、直感が告げていた。
(これは、次の段階だ)
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その報告は、程なくして王都にも届く。
アルトは、内容を確認し、指を止めた。
「……来たな」
まだ、名前は出ない。
まだ、姿も見えない。
だが――
戦場の“質”が、変わり始めている。
「勇者は、ちゃんと前に進んでいる」
アルトは、報告書を閉じる。
「だからこそ、次は――」
言葉を切り、窓の外を見る。
「補助だけでは、済まなくなる」
それは、予感ではなく、
これまでの積み重ねから導かれた判断だった。
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夜営地に戻った勇者一行は、
静かに装備の点検をしていた。
剣を振るってはいない。
それでも、どこか疲労感が残っている。
「……変な感じだな」
ロイスが、刃を拭きながら呟いた。
「敵とやり合ってないのに、神経が削られる」
「ずっと、見られてるみたいな……」
冗談めかした口調だったが、
誰も笑わなかった。
セリスは焚き火の近くで、
指先に魔力を集めては散らす。
「私も、似た感覚」
「魔法を使ってないのに、流れが掴みにくい」
「奪われた感じじゃない、って言ってたよな」
エリオが確認する。
「ええ」
セリスは首を振る。
「減ってはいない」
「でも……整えられすぎてる」
ミラが、周囲を見回した。
「じゃあ、ここ……危ないの?」
エリオは少し考え、首を横に振った。
「今すぐじゃない」
「でも、長居する場所でもない」
それは、
以前のエリオなら出てこなかった判断だった。
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王都・王国ギルド。
アルトとレイナ、そしてセフィラは、
前線から届いた報告を囲んでいた。
「被害なし」
「交戦なし」
「魔力消耗、軽微」
レイナが読み上げる。
「……なのに、違和感あり」
「一番嫌なタイプだね、これ」
「同感だ」
アルトは、報告書から目を離さない。
「敵は、こちらを削ろうとしていない」
「圧も、威嚇もない」
セフィラが、静かに頷く。
「結界や術式への直接干渉は見られない」
「でも、魔力の揺らぎが均一すぎる」
「自然じゃない?」
「自然なら、もっとムラが出る」
「これは……場そのものが整えられている」
アルトは、短く息を吐いた。
「正面から殴り合うつもりの相手じゃないな」
それは断定ではなく、
積み上げた情報からの整理だった。
アルトは椅子から立ち上がる。
「……見ているだけでは、済まなくなってきた」
レイナが、少しだけ表情を引き締める。
「前に出る、って意味?」
「いや」
アルトは即座に否定した。
「前に出れば、勇者の判断を奪う」
「だが、このまま放置すれば――」
セフィラが言葉を継ぐ。
「“場”ごと、主導権を取られる」
三人の間に、短い沈黙が落ちた。
「一段、深く潜る必要があるな」
アルトの結論は、静かだった。
それは、戦場に立つという意味ではない。
敵と同じ“深さ”で、状況を読む、という判断だ。
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夜明け前。
勇者一行は、予定より早く野営地を引き払った。
「次は、もう少し慎重に行こう」
エリオの言葉に、仲間たちは頷く。
彼らは、まだ知らない。
自分たちが、すでに一段深い戦争に足を踏み入れていることを。
だが、その背中を――
アルトは、遠くから見ていた。
「……まだ、間に合う」
そう判断できる程度には、勇者は前に進んでいる。
それが祈りか、計算かは分からない。
ただ一つ確かなのは、
この戦争が、単純な力比べではなくなったということだった。




