第15話 剣を振るう理由
勝ったはずだった。
そう言われれば、そうなのだろう。
魔王軍の幹部は退き、命は守られた。
それでもエリオは、
あの戦いを「勝利」と呼ぶことに、
少しだけ躊躇っていた。
剣を振るった感触は、まだ腕に残っている。
確かに、届いた。
確かに、退かせた。
――だが。
「あれは……」
言葉にしようとして、エリオは口を閉ざした。
何が足りなかったのか。
何が足りていなかったのか。
それを、うまく説明できなかった。
-----------
王都への帰還命令が届いたのは、その翌日だった。
労いの言葉と共に届いた文面は、
丁寧で、礼儀正しく、
そして、どこか距離を感じさせるものだった。
「……王都、か」
仲間たちは、どこかほっとした表情を見せていた。
それも当然だ。
生きて帰れた。
それだけで、十分だった。
エリオも頷きながら、
心の奥に残る違和感を、
押し込めるように息を吐いた。
--------
王都・王国ギルド
その動きを、アルトはすでに把握していた。
机の上に並ぶ報告書は、
勇者一行の戦果を雄弁に語っている。
被害軽微。
敵幹部、撃退。
進軍継続可能。
「……数字としては、申し分ないな」
アルトは、淡々とそう呟いた。
事実として、勇者はよくやった。
戦果も、評価も、正当だ。
だが。
アルトは、紙の端を軽く指で押さえる。
「それでも、次は同じ形では通らない」
それは予測ではなく、
これまでの歴史と、
積み重ねから導かれた結論だった。
「呼び戻されるみたいだね、勇者たち」
レイナが、報告書を覗き込みながら言った。
「ああ。王都で、整理する必要がある」
「整理、ね」
レイナは苦笑する。
「祝勝会じゃないってこと?」
「違うな」
アルトは即答した。
「評価と、線引きだ」
レイナは一瞬だけ目を細めたが、
すぐに納得したように頷いた。
「……なるほど。
期待しすぎないための、線引き」
「そうだ」
アルトは椅子から立ち上がる。
「勇者は、まだ途中だ」
「途中であることを、
ちゃんと理解してもらう必要がある」
それは突き放すためではない。
背負わせすぎないための判断だった。
アルトは、窓の外に視線を向ける。
王都の空は、今日も穏やかだ。
戦争の只中にあるとは思えないほどに。
「……成長には、時間が要る」
誰に聞かせるでもなく、そう呟いた。
勇者が答えを見つけるのは、まだ先だ。
だが――
その“問い”が生まれたこと自体が、
すでに一歩だった。
アルトは、その一歩を見逃さない。
--------------
王都・王城内、会議室。
重厚な扉が閉じられ、外の喧騒は遮断されていた。
ここに集められたのは、
勇者一行と、ごく限られた王国関係者のみだ。
卓上には、数枚の報告書が並べられている。
公に発表されたものではない。
前線から上がってきた、戦闘の詳細記録だった。
その場の中央に立ったのは、
王国騎士団長
――グラディウス・ヴァルクレインだった。
鎧は着けていない。
それでも、背筋を伸ばして立つだけで、
空気が自然と引き締まる。
年若いが、軽さはない。
何度も剣を振り、
何度も生き残ってきた者の立ち方だった。
「……まず、言う」
低く、抑えた声。
ロイスが、わずかに息を詰めた。
その声色は、かつて稽古場で
何度も聞いたものと同じだった。
「今回の戦い」
「お前たちは、生きて戻った」
それだけを、はっきりと告げる。
「それは、成果だ」
「剣を振る前に、守れたものがある」
エリオは、無意識に背筋を正した。
否定ではない。
だが、手放しの称賛でもない。
「だが――」
グラディウスは、少しだけ視線を伏せる。
「敵は退いた」
「倒してはいない」
「追撃も、できなかった」
淡々とした事実。
「公には“撃退”とされる」
「……だが、完勝じゃない」
「……足りなかった、ということですか」
エリオの問いに、
グラディウスはすぐに答えなかった。
少し考え、
言葉を選ぶ。
「足りない、というより――」
顔を上げる。
「戦場全体を、見ていなかった」
空気が、わずかに変わる。
「敵しか、見えていなかった」
「次に何が起きるかまで、考え切れていない」
責める声音ではない。
だが、甘やかしもない。
「剣は、勝つために振るものじゃない」
短く、言い切る。
「守るために振る」
「その結果として、勝つだけだ」
一拍。
「お前たちは、まだそこに届いていない」
「……だから、ここで止まるな」
それは責める口調ではない。
だが、剣を預かる者としての、率直な評価だった。
「……次は、私の番ですね」
一歩、前に出たのは
王国魔導士長――エレミア・アークライトだった。
淡い金髪が、静かに揺れる。
その所作は柔らかいが、視線は迷いがない。
彼女は、セリスをまっすぐに見据えた。
「魔力量、展開速度、構築精度」
「どれも、優秀です」
一拍、置いて。
「私の教えが、よく染みています」
その一言に、
セリスの胸が、わずかに高鳴った。
だが――
「……だからこそ、分かります」
エレミアの声は、穏やかなままだ。
「あなたは、限界まで“出し切る”癖がある」
「短期決戦では、それは強みです」
「けれど」
視線が、わずかに鋭くなる。
「長い戦争では」
「それは、最初に崩れる使い方です」
セリスは、言葉を失った。
「魔法は、才能ではありません」
「……昔から、そう教えてきましたね」
エレミアは、きっぱりと言った。
「制御できるかどうかです」
「生き残る魔導士は、“出し切った者”ではなく」
「“残せた者”です」
最後に、ほんの少しだけ柔らかく微笑む。
「……あなたたちは、まだ伸びます」
「だからこそ、今のままでは駄目なんです」
その言葉は、静かだったが、重かった。
会議室の端で、
アルトは一歩引いた位置に立っていた。
腕を組み、口を挟むことはない。
この場で勇者を導く役目は、
自分ではないと分かっている。
それでも、全体を見渡しながら、
状況を整えている。
――ここまでは、予定通りだ。
グラディウスとエレミアが与えているのは、
答えではない。
「問い」だけだ。
やがて、視線が自然とアルトに向く。
エリオが、ためらいがちに口を開いた。
「……俺たちは」
「次、どうすればいいんでしょうか」
アルトは、すぐには答えなかった。
一瞬、考える。
そして、静かに言う。
「それを決めるのは、君たちだ」
命令でも、助言でもない。
「今回、生き残った」
「それを“勝った”と考えるかどうかも、
君たち次第だ」
アルトは、それ以上踏み込まない。
「俺たちは、選択肢を用意する」
「だが、選ぶのは――勇者だ」
エリオは、その言葉を噛みしめるように頷いた。
答えは、もらえなかった。
だが、突き放されたわけでもない。
グラディウスとエレミアは、
互いに視線を交わし、何も言わなかった。
この場で与えるべきものは、
すでに与え終えている。
残るのは――
勇者たち自身の、選択と成長だ。
-----------
会議室を出た後、
勇者一行はそれぞれ無言のまま廊下を歩いていた。
誰かが先に口を開くことはなかった。
それほどまでに、先ほどの言葉は重かった。
「……なあ」
最初に声を出したのは、ロイスだった。
「俺さ」
「剣を振ることばっか考えてた」
足を止め、振り返る。
「勝つには、それでいいと思ってた」
「でも――」
言葉を探すように、拳を握りしめる。
「それだけじゃ、足りないんだな」
エリオは、その言葉を否定しなかった。
むしろ、
自分も同じ場所に立っていると感じていた。
「俺もだ」
短く、しかしはっきりと言う。
「勝てた理由を、ちゃんと説明できない」
「それが……怖い」
勇者として、剣を振るうことはできる。
だが、なぜ勝てたのかを理解していなければ、
次も同じ結果になるとは限らない。
「じゃあさ」
セリスが、少し考え込むように言った。
「次から、無理に押し切らない」
「使う魔法も、ちゃんと選ぶ」
それは、劇的な宣言ではない。
だが、確実な一歩だった。
「私も」
ミラが、小さく頷く。
「回復を後回しにしない」
「前みたいに、限界まで引っ張らないようにする」
それぞれが、自分の“足りなさ”を口にする。
誰かに言われたからではない。
自分で気づいたからこそ、言葉にできた。
エリオは、一歩前に出た。
「次は――」
「俺が、全部見る」
仲間たちが顔を上げる。
「敵だけじゃない」
「地形も、味方も、逃げ道も」
簡単なことではない。
だが、それを言葉にした瞬間、
勇者としての在り方が、ほんの少し変わった。
「だから、頼む」
頭を下げるようなことはしない。
ただ、真っ直ぐに言った。
「俺に、全部を任せるな」
「一緒に考えてくれ」
ロイスが、ふっと笑う。
「それ、勇者の言い方じゃねえな」
「そうかもな」
エリオも、苦笑する。
「でも……それでいい気がする」
その様子を、
少し離れた場所からアルトたちは見ていた。
声をかけることはない。
近づくこともしない。
必要なのは、今ではないと分かっている。
レイナが、隣で小さく息を吐いた。
「……変わったね」
「ああ」
アルトは短く答える。
「ようやく、自分たちの足で立ち始めた」
それ以上の言葉はなかった。
王城の外に出ると、夕暮れの空が広がっていた。
戦争は、まだ終わらない。
魔王も、幹部も、生きている。
それでも――
勇者一行の歩みは、確かに変わった。
アルトは、その背中を見送りながら思う。
(次は、俺たちの出番になるかもしれない)
だが、それはまだ先だ。
今はただ、
勇者が“勇者になる途中”にあることを、
見届けるだけでいい。




